イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリパラ:第80話『ポップ・ステップ・ガァルル!』感想

紫京院ひびきの圧政により輝きを失ったプリパラ、今革命戦士たちの決起が始まる!! ッて感じの、プリパラリベンジ第一話。
らぁらよりも更に幼いガァルルを再登場させ、失敗にめげない真っ直ぐなステージへの愛情でみれいを奮起させ、ついでにタフガイにもやる気を起こさせて反撃体制が整う話でした。
賢いがゆえに意固地になっていたみれいの優しさを信じて、なんとかプリパラに越させようとする仲間の策略も楽しくて、希望と決意に満ちた見事な『負け犬たちのワンスアゲイン』となっていました。

『プリパラ努力編の主人公として、どんよりと沈み込んだみれぃをどう再起させるか』というのが今回のお話のキモなんですが、その前に反撃の舞台を丁寧に整えていったのが印象的でした。
ひびきが切り捨てたプリパラの象徴ともいえるガァルルを成長した姿で再登場させ、新キャラ故のフレッシュさで大事なテーマをもう一度リフレインする。
ステージを求める少女たちの姿を見せ、ネコ姐さんの発奮と合わせてただのゴーグルガイと化したメガ兄を復活させ、地下ステージというシステムの抜け道を作る。
みれいは努力系アイドルの代表として、セレパラへの反撃を背負う立場なわけですが、彼女を復帰させるための下ごしらえの段階をしっかりとやっていたのは、丁寧さが出てとても良かったですね。

ガァルルは元々好きなキャラだったのですが、生まれからくるネガティブな要素が綺麗に反転し、幼い真っ直ぐさでプリパラの楽しさ、ステージの面白さを主張する、無垢なる救世主として活躍していました。
まだまだベビーなガァルルはしかし、幼いからこそ初期衝動の塊として素直なメッセージを発し続け、それに感化されたみれぃが自分の最初の気持ちを思い出す流れは、非常に綺麗なリレーになっていました。
失敗しても頑張ってやり切る姿は、完成度だけを重視するセレパラでは存在すら許されない惨めな姿なのかもしれないが、けして無意味でも無様でもなく、人の心を動かす何かがある。
歌もダンスも途切れ途切れながら、『プリパラは楽しい、プリパラが好き』という一番最初の気持ちに突き動かされて、ステージを完走するガァルルの姿は、やっぱり立派なアイドルでした。
第77話でみせたひびきの『一部の理』に対抗できる、地下パラ特有の説得力をガァルルのキャラクター性とドラマが非常に強く打ち出していて、対決のロジックが凄くスムーズに整った印象があります。

ステージも努力だけではなく、だんだん上手くなっていく歌唱(真田さん流石です)や、怪獣アイドルとしてのキャラが野性的な可愛さに繋がる仕草など、拙いながらもガァルルにしか出来ないオリジナリティを感じる、良いステージでした。
かつて全てを憎みみんなの目から隠れていたガァルルが、『自分の部屋』というパーソナリティにみんなを向かい入れるメイキングドラマも、過去エピソードでアイドルたちと交流したことが、ガァルルにどんな影響を与えたのか凄くよく分かるものでした。
こういう感じで、テーマとドラマが乗っかるとステージの魅力はぐっと深まりますね。

今回の話全体に広がる反撃の気配を支えているのがめが兄復活のドラマでして、システムの一部として感情と理想を押し殺してひびきに管理者権限を譲った男が、権能と一緒に誇りを失いどん底に落とされ、そこで自分の気持に気づいてシステムに反逆を始める流れは、軽くSFテイストすら感じる完成度を持っていると思います。
色々ネタ方面にぶっ飛んでいるキャラではあるんですが、めが兄が代表するシステムが応援し助けをよこしてくれないと、ただの女の子はアイドルになれないってのも事実です。
ソッコーひびき側になびいためが姉とは違う形で、システムサイドの代表として地下パラに助けを貸す存在がいるってことは、地下パラ側の『一部の理』をより強調していて、反撃開始の回に相応しい復活劇でした。
一人で立ち上がるのではなく、ネコ姐さんという他者からの激励をきっかけにしてスタイリッシュタフガイに戻るところが、非常に良い。


そして何よりも、努力系アイドルの代表みれいの完全復活。
努力とプリパラ愛でひびきに立ち向かうためには、主人公である彼女の奮起が絶対に必要であり、この再起をどれだけ説得力を込めて描けるかというのは、二年目ラストに向かう物語全体のテンションに深く関わる問題です。
頭が良いからこそなかなか素直になれない、らぁらでは突破口が見つけられない状況をしっかり描写した上で、ガァルル登場→めが兄復活→地下パラ再開→クマの策略……という風に、段階を踏んでみれいの心を溶かしていく流れが、非常にテンポよくスムーズでした。
ここで簡単にはプリパラに足を運ばないからこそ、みれいが受けた傷の深さや決意の重たさが感じ取れるし、それをひっくり返すガァルルのステージの意味も強まる。
かなりキツく長くみれいをいびり続けた甲斐のある、カタルシスに満ちた展開だったと思います。

みれいがなかなかステージに戻れなかったのは、煽りに乗ってひびきに実権を握らせてしまった後ろめたさや、努力を積み重ねても鐘がならなかった時の恥辱、間違えたり上手く出来ないことへの恐れなど、『余計なこと』が素直な気持ちを覆い隠した結果だと思います。
しかしそれはやはり『余計なこと』でして、誰よりも純粋に初めてのステージを踏むガァルルのステージを見ることで、自分がなにを求めてプリパラをしてきたのか、これからアイドルとして何を目指して立ち上がるべきか、立ち戻ることが出来た。
その眼差しには努力を重ねても天才に追いつけない『持っていない存在』としての自分を、ガァルルに同一視する視線も入り混じっていたと思います。
「ガァルルの努力は私の涙になった」というのは、ひびきとの対決の中で生まれた『余計なこと』が涙となって剥がれ落ちていった、みれいのカタルシスが言わせた名台詞でしょう。

涙で心を洗い流したので、そふぃへのコンプレックスという鎧も脱いで素直に対峙できるし、それをそふぃも優しく受け止める。
みれいのために現実とプリパラを行ったり来たりしながら奔走するらぁら含めて、最初期のソラミスマイル全員が原点に戻るカタルシスが、今回あったと思います。
語尾アイドルとして元気を取り戻したみれぃが『プリパラは大好きぷり? じゃあ大丈夫ぷり!』という第1話の名台詞をもう一度言う所含めて、今回は『初期衝動に立ち返る』話だといえるでしょう。

80という話数を重ね、色んな意味でプリパラに慣れてしまった視聴者にとっても、失敗混じりのガァルル初ステージ、そしてけんきゅうせいへのランクアップは、『プリパラって何が楽しかったんだっけ?』という『初期衝動に立ち返る』ことを可能にする、良いエピソードだったと思います。
こういう新鮮な感じは新キャラでしか生まれないし、同時に第59話で丁寧にガァルルのキャラクターを掘り下げた結果、彼女のデビューを他人事とは思えない共感も生まれている。
既存のキャラクターが追い込まれた状況と、満を持して投入された新キャラクター、両方を徹底的に活かした、80話まで続いたアニメ故の蓄積の強さが、今回のエピソードにはあったと思います。


まさに盤上この一手、貯めこんだストレスを打ち払うのに相応しい、希望に満ちた復活劇となりました。
今回のお話がこれほど気持ち良いのはやはり、綿密に計算して圧力をかけてきたこれまでの展開、そしてガァルルというキャラクターを大切に育ててきた物語の蓄積が物を言っています。
話数をロングスパンで使っての説得力の発揮、伏線を回収する気持ちよさというのはやはり、年単位でお話を積み上げていくシリーズアニメ特有の強さであり、プリパラはどうすればそれが振り回せるのかよく知っているアニメだと言えます。

地下パラという拠点を手に入れ、ガァルルの無垢なステージによってみれいが復帰し、反撃の機運は高まっています。
最高潮に盛り上げた物語的高波をどう活かし、どう乗りこなしてクライマックスに繋げるのかは、今後のストーリー捌き次第です。
今回のように素晴らしいお話を見せてくれたプリパラが、今後どう飛翔していくのか。
気分が最高に盛り上がる、素晴らしいエピソードでした。
いやー、最高に気分よくみれいが復活して、マジ最高だったな!