イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

Dimension W:第5話『亡者の可能性』感想

妄念がもう一つの世界を連れてくる次元SFアクション、今回はダムを舞台にした怪奇事件の解決編。
色んな要素を高速で走り抜けていくのは前回から引き続きで、心地よいスピード感のあるエピソードだったと思います。
細かい理屈や因果関係はさておき、『ナンバーズコイルが絡むと、こんなにロクデモナイことが起こるのだ!』ということ、なんともやるせないコイル世界のしっとりとした空気はよく伝わったな。

今回のお話もたっぷり要素を入れたお話で、水ゾンビーを相手にしたホラーパニック要素とか、ミラのリセットに絡めた電子の自我とか、ナンバーズの暴走が可能にした次元ミステリとか、コイル技術が生み出した陰惨な過去の精算とか、みっしり詰まっていた。
自分は原作未読なんですが、それぞれの要素に結構な紙幅を使っていて、アニメにするに辺り結構飛ばしたんだろうなぁというのは、なんとなく推測できます。
しかしアニメしか見ていない気楽な立場から言うと、何が起こっているかは大体分かるし、何を見せたいかもだいたい感じ取れるわけで、巧い塩梅で二話に収めたんじゃないか、と思っています。

同時に『もうちょっとじっくり膨らませて見せてくれても、なかなか面白いんじゃないかな』と思うシーンも沢山あって、例えば前回『古いオカルト』である幽霊譚なのか、はたまた『新しいオカルト』であるコイルによる因果操作なのかというミステリは、手際よくお話を回すキョーマさんとアルベルトによってサックサックと進んでいく。
あるいは、水ゾンビーの脅威描写は最低限に抑えて、パニックモノとしての要素はかなりサラッと展開しています。
こういう再構築は『尺の都合』という現実的な制限が要求するものであると同時に、『何をどう見せるか』というスタッフの選択の結果でもあると思います。
ある程度以上駆け足でやる必要性と必然性があってこうなっているわけで、省略することそれ自体、もしくはしないことそれ自体が価値をもつわけじゃあない。

そこで大事になるのは省略の巧さ、物語的に必要なエッセンス、シーンに重要な要素をどう抽出し映像化するかってことだと思うんですが、あくまで原作未読アニメのみの立場からですが、必要な物は十分詰まった展開だったと思います。
このアニメに感じる『何をどう、何故見せるのか』という自意識の強さは今回も共通してあり、それはこのアニメの強みだと感じます。
コンパクトに埋め込まれたルーザーの暗躍とかは、今後活かしてくる伏線なんだろうなぁとかね。

湖にまつわる事件自体は、『霧の亡霊』『氷の中の女』といった叙情的ヴィジュアルを上手く使って、良い雰囲気が出ていたと思います。
『水』の描写が全体的に良くて、破滅に向かって突き進む運命を暗示する雨やら、全てを押し流して奪い去る濁流やら、氷の立方体の異質さやら、お話に必要な空気が巧く映像化されていた。
トリックや動機の説明がやや駆け足になったのは勿体無いが、『とにかくナンバーズがやべぇ! 電気取り出すだけじゃねぇ!!』というコアの部分は、ちゃんと分かる描写だったと思う。


そういう中で最重要視されてるのは主役二人の感情のうねりと、それを掘り下げるために必要な事件の描写であるという認識も、これまでの回から引き続き継続しているところです。
ドライでクレバーな回収屋を装いつつ、コイルが引き起こす悲劇に強い感情を持ってのめり込んでいるキョーマさんの様子や、人間を超越したコイルへの親和性を見せつつも、人間よりも
人間らしい表情をよく見せるミラの描写に力を入れていることは、お話しの真ん中を担保するのは何よりも主役の描写だという認識が反映されていて、安心できるところです。
これは二人が周囲の事件に何を感じたのかというリアクションの切り取り方が巧いところで、表情変化が分かりやすいミラも、顔では気持ちが出てこないキョーマさんも、色んな表現手段を使いこなして伝わる描き方をしている。
そして対象的な二人が、コイルという不幸と運命を象徴するアイコンを一緒に追いかける必然性や化学反応が巧く表現されることで、凸凹な二人が融和していく面白さ、バディものの醍醐味がぐっと胸に迫ってくるわけです。
そこら辺は、バラバラに事件を追いかけつつクライマックスで合流し、ミラの知識とキョーマさんのアクションで事件を収める話の流れ全体が、しっかりと下支えした部分だと思います。

二人が今回挑んだ事件も、次元と運命を歪めるコイル技術の危険性や、取り返しの付かない過去といった、主役に深く関わるモチーフが埋め込まれた話でした。
コイルという創作アイテムは単純な背景設定であると同時に、そういうドラマを抽出し引き寄せる仕事を期待され物語に登場しているわけで、コイル世界が持っているろくでもなさとか、因業にとらわれる人々の姿をしっかり捉えた今回の事件は、設定に振り回されるのではなく設定を使いこなすこのアニメの堅牢さを、巧く表現できていたように思います。
今回の事件はコイル世界と、そこを駆け抜けていく主役二人を掘り下げる良い鏡として機能しており、駆け足気味でも置いて行かれる感じが少なかったのは、そういう物語機能をしっかり達成した証拠なんじゃないかな。

『コイルが絡むと、常識を超えたことが起こる』ってのはこれまでのお話の中でも繰り返し言われてきたことで、今回幽霊が飛び出し、時間を超越し、因果が書き換わって同一人物が複数存在する異常事件がヴィジュアル化されたことで、更に説得力を手に入れたと思います。
コイルの異常性をエピソードとして何度も語る必要性は、コイル技術の最先端として生まれたミラの物語を展開する上で、そしておそらくはコイルに人生を捻じ曲げられたのだろうキョーマさんの物語を紐解く上で、それが重要だからでしょう。
主人公が遭遇する事件も、コイルというアイテムの設定も、全てミラとキョーマの凸凹コンビの物語(つまりこのアニメ)を描写する上で重要かつ必要だから用意され、描写され、使いこなされている。
このキャラクターと物語の密接な関係は、お話が楽しく感じられるうえですごく重要なファクターであり、それはむしろ駆け足で物語を描写し、かつ主人公達の描写という重点を間違えなかったからこそ生まれているかもしれないと、今回思いました。
省略されればこそ、強調されることもあるっていうか。

同時に主人公以外の諸要素にもしっかり目配せし注力し、コンパクトながら満足感のある映像にしあげているからこそ、コイル世界の複雑な横幅を視聴者は感じることができるし、色んなキャラが色んな人生を持っている物語的横幅も生まれる。
主軸をしっかり見据えつつ、時間配分・描写力の配分を考えて必要な振幅を丁寧に確保し、世界と物語を広げていく安定感と可能性。
やっぱこのアニメ、面白いし良いアニメだなと再確認する、ダム後編でした。