イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

プリパラ:第87話『語尾の果て』感想

加速した運命と感情が世界を壊すアニメーション、今週は色のないプリパラと救世主らぁら。
『みんなアイドル』だが『みんなトモダチ』ではないプリパラを舞台に、これまで積み上げたものを鮮やかに奪うことで、その価値を再確認させるエピソードでした。
適度にネタを混ぜつつ、らぁらとみれいの出会いから始まった物語を再演し、『行きて帰りし物語』という強靭な類型を踏み直す辺り、プリパラっぽい強さだなぁと思いました。

今回の話は、らぁらの主人公力の高さに完全に頼った作りでした。
他のキャラクターより幼い彼女は直感力に優れ、何が起きているかをすぐに把握し、物語が始まった場所であり、混乱を解決できる最重要ポイントでもあるみれいの元に駆けつける。
間違えず、諦めず、心の強さで正解を手に入れるらぁらの真っ直ぐさは、これまでもお話を前に進めてきた重要なエンジンです。
お話が収まるこのタイミングで、らぁらをお話のど真ん中に据える選択は、やっぱ正しいと思います。

袖にされても諦めずにらぁらがみれいにしがみつくことで、みれいはこれまでの物語の蓄積を思い出し、変化したプリパラで初のユニットでのステージを敢行する。
そこにそふぃ→ドレパという、一期で『トモダチ』になっていった順番でステージに入ってくる演出は、まさに総決算に相応しい分厚さがありました。
過去のプリパラを覚えている特権がらぁらだけにあり、それが周辺に伝播することであるべき状態を取り戻していく唯一性は、まさに主人公だった。
らぁらから始まった物語なんだから、らぁらが収めたほうがそら良いよね。

2人で始まった観客のいないステージに、アクターが3人、6人と増え客席も埋まっていくカタルシスは、『みんなトモダチ、みんなアイドル』を掲げてきたプリパラの物語から『みんなトモダチ』を的確に抜いた、前半の空疎さに支えられています。
あれだけ仲良しだったみんなが接点を失い、もはやお約束と化(すほどに、視聴者にとって心地よいネタだった)した定番の台詞が、来るべき所で来ない寂しさ。
これもまた、これまで積み上げてきたものをしっかり理解し、あえて奪うことで強調するテクニックでしょう。
還るべきところに還ってきて、先に進む物語はやはり楽しい。


無論、この勢いの良さは瑕疵でもあります。
彼女は結局幼いまま、ひびきの孤独や逃避に共感出来ない(する必要もない)状態で、世界を救済します。
まだ小学六年生のらぁらに他者の抱える暗い感情や、人を傷つけざるを得ない痛みや業を理解しろというのも難しいところですが、ひびきの否定に色々悩みつつも、結局らぁらは『みんなトモダチ、みんなアイドル』という作品のテーゼをしっかり背負って、それを変質させることなく、あくまで自分を中心に世界を救済した。
それは勿論大きな意味のある物語なんだけど、個人的には取りこぼした大事なものを考えてしまう。

らぁらは世界が救済されセレパラ(≒ひびきの心象風景)が消滅したことを喜びますが、そこには紫京院ひびき個人の痛みが反映されていたし、らぁらとは背中合わせのひびきだからこそ掴めた大事なものも、ちゃんとあったはずです。
ここら辺の矛盾をネタに包みつつ、『世界による異分子の抹消』という形で来週に引っ張ったのは、なかなか面白いところです。
今回のエピソードがらぁらの主人公性・普遍性・幼児性によって起きた奇跡だとするなら、ひびきを救う時にはそこから一歩はみ出した、異質な存在の可能性を肯定する物語があって欲しいなぁと、思っています。

らぁらの博愛主義が結局みれいに集約しているように見えるのは、話の焦点をぶらさない手管の結果かなぁ。
ここで全員並列に突破していくより、話の始まりに戻ってクライマックスを高める意味合いも込めて、みれい単騎で抜きつつ多人数ライブの演出力を活かし、らぁらとみれいの覚醒に影響されてひとりずつ増えてく捌き方をしたほうが、スッキリしつつ盛り上がるんで。
そふぃの川流れというネタ力豊富なイジられ方をしつつも、『らぁらは困っている誰かを放っておけないから、主人公でありヒーローなんだ』という確認を入れているのも好きです。
『みんなトモダチ』は『誰かとトモダチ』という選別と常に背中合わせだし、それは別に哀しくも寂しくもないっていう描き方を視界に入れてるのは、なかなか鋭いところだと思う。

らぁらは『私の好きなプリパラは、人を殺したりしない!』って言ってんだけどそれは願望であって事実ではなく、システムは余裕でまほちゃん抹消の方向に動いている。
小学六年生がエゴイズムの延長にある自分の願望と、冷厳とした事実の境界線を引けてるのかってのは難しいところなんだが、たとえそこを考える論理性がらぁらにないとしても、『システムだからしょうがないね、ひびきもふわりもあじみも消えて、彼女らの優しさは無意味だね』っていう結論より、らぁらのエゴイスティックな博愛主義のほうがより善いのは間違いないでしょう。
『正しい』よりも『優しい』ことで世界を救えてしまうのは、おそらく幼い万能感がまだ残っているらぁらだけに作中許されてる特権で、そういう無茶苦茶をしっかり主人公にさせてんのは、大事なことだとも思う。
『総合的にアツいし、ちゃんとお話を総括してるんだけど、後半歩踏み込めるだろ踏み込んで欲しい!!! プリパラならイケるでしょマジで!!!!』ってのが、ラスト二話残した段階での、個人的な感想になります。


一方元ラスボスは記憶を失い、三度目のクライマックスのための準備をしっかりやってました。
王子様とお姫様という役割を交換し、最高のタイミングでふわりが決める展開も良かったし、綺麗になったあじみに『赤の他人からはじめよう』と歩み寄る姿勢も、ひびきらしかった。
頭に膝が入らないと他人に届く言葉を紡げない辺り、あじみというキャラクターは本当に扱いが難しい暴れ牛だなぁと思います。
『キチった言葉を吐かなくなったら、あじみはあじみじゃない』『しかしあじみの本心がひびきに伝わらないと、話が収まらない』というジレンマをギャグと力技で押し流す、相当な苦肉の策でした。
こういう時笑いで軟着陸できるのは、プリパラの強いところではある……それにしたってあじみはアクセル踏みすぎた、制御不能なキャラクターだったと思うけど。

前回ラストの『友情なんて認めない!』から今回素直に為る流れは結構急でしたが、これまでふわりが説得力を積み重ねてきたのと、元々ひびきは信じられるのであれば信じたい子だったのもあって、個人的にはストンと来た展開です。
まほちゃんの苦悩は見てるこっちも辛かったんで、早く解決してくれよって気持ちが強かったからかなぁ。
ひびきにまだ残ってる傷の大切さとか、彼女の実力主義が捕まえられたものなんかは、可能であれば来週掘り下げて欲しいところだけど……さてはて、どうなるかな。

話数はそれなり以上に残っているので、例えば天才としての開花を優先して凡人どもの手を離したシオンとそふぃの後悔だとか、理屈を蹴っ飛ばすパワーを持っているがゆえに他人を説得するロジックを失ってるらぁらの未熟だとか、これまで目配せされた種々の要素をしっかり拾い上げてくれると、個人的には嬉しいです。
『女児アニにそんな細かい所望むなよ』と言われてしまいそうですが、こういう細やかな目配せは過去のエピソードの中で、プリパラ自身がやってきたことであり、そこに強い魅力を感じた身としては、しっかり回収しきってほしいなぁと思います。
ここら辺は『主人公を話しの真ん中に据える』という、お話の基本中の基本を徹底的に加速させた今回のお話が良かったからこそ、生まれる期待だろうなぁ。
逆に言えば、そういう細かいロジックを回収しきった場合、相当収まり良く二年目が終わる気がします……三年目、ホントどうすんだろうな。(何度目か判らん、おせっかいな感想)


と言うわけで、世界唯一の救世主となったらぁらが世界に愛を広げ、友情という彩りを取り戻すお話でした。
その独尊あればこそ主人公なんだが、やっぱプリパラにはこの盛り上がりを半歩踏み越えた部分に飛び込んで欲しいと、贅沢にも願ってしまう。
真っ直ぐな物語の強さで押し切るクライマックスは、今回見事に果たしていたと思います。
二年目の総決算となるひびき救済エピソードで、どれだけの横幅と深さを見せてくれるのか。
期待して待ちたいと思います。