イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

少年メイド:第12話『終わりよければすべて良し』感想

行き過ぎる時間の中で青年と少年が家族になっていくアニメーション、ついに時の輪が閉じる最終話。
とは言うものの特に特別なことは起きず、仕事で忙しい円のケアをして、一砂さんとの距離はやっぱりぎこちないままで、ママンの亡霊に一年間の報告をして終わりました。
やっぱりちーちゃんはとびきりいい子で、円は少年の純朴さと大人の頼もしさを併せ持った人物で、母の幻は暖かく子供たちを見守り、これまでやって来た少年メイドを信じた、しっかりしたエンディングでした。
ああ本当に、良いアニメだった。

しかしやはり、最終回について語るのであれば一砂さんとの関係が決着しなかったことに言及しないと始まらない気がします。
これまでの物語のテンション、要素の積み上げ、丁寧な描写は全て、一砂さんと円、一砂さんと千尋の関係がドラマティックに解決し、わだかまりが解消するカタルシスを示していました。
しかし未だ聞くべきことを聞けず、言うべきことを言えないまま別れてしまったこと、母の亡霊に『円のお母さん』という不適切な呼び方でしか一砂さんを紹介できない終わり方は、正直な言い方をすれば肩透かしですらある。

『家』の中に溜まったわだかまりはお話を回転させていく巨大な燃料でもあり、おそらく原作でも決着していない大ネタだからこそ、アニメでも解消されなかったんだと思います。
結果としてこれまで積み上げてきたものを燃やしきれない終わり方となりましたが、しかし千尋と一砂さんとの間にはやっぱり優しい空気があって、空は不穏な曇りの色でも、別れるとき写っていた壁には太陽と虹がかかっている。
アニメという媒介で語られるかもしれないし、語られないかもしれない作中最大のカタルシスが、僕らが予感し期待するような幸せな方向で落ち着くだろうと言う示唆は、あのシーンのビジュアルにしっかり練りこまれていたと、僕は受け取りました。
元々画面に喋られせるのが凄まじく上手いアニメではあるんですが、色々な制約から語り得なった作中最大のカタルシスの行く末を、幾度も二人の交流の舞台になった公園の壁という形で暗示するのは、ちょっと巧すぎた……さすが井内さんコンテの監督演出。


メインの話の方はちーちゃんが甲斐甲斐しく円の世話をするお話で、ちょっとだらしないけど仕事はきっちりやる円といい、ホスピタリティという個性を全開にする千尋といい、これまでいくども語られた物語の再話です。
しかし人間が持つ美徳というのは幾度重ねて語っても良いものでして、ウェディングドレスに限らず服飾という仕事を通じて人に感謝される立派な円の姿は、何回見ても好ましい。
円の持つ『甥っ子の美少年に、メイド服を着せて飼っているディレッタント』っていう記号に甘えず、彼が自分の力で掴みとった社会との接点と、その結果生まれる幸福に尊敬を持って描き続けたのは、このアニメがたくさん持ってる好きなところの一つですね。

円にとっての服飾が尊敬を持って描かれるように、千尋の得意分野である家事労働・心身のケアもまた、その価値を常に輝かしく描かれてきました。
少年メイド』の仕事は真剣かつ大事なもので、頑張る人の支えになる、日々を暮らす『家』を心地よく保ち、そこで展開される生活に輝きを生む事ができる。
円のように『職業』という形での接点ではないけれども、様々な人を幸せにしてきた千尋の美点は、今回も様々な形でしっかり描写されていました。

食事を作り、その食べられ方に気を配り、不調を発見してそのケアをする。
『おかんかよwww』というソフトな笑いを生みつつも、やっぱ千尋がやっていることには大きな意味があって、彼の行動を価値あるものとして描くことは、間接的に一砂と千代という『もう一人の母たち』の価値を高めているとも思うのです。
今回は最終回らしく、二人の母が『家』の中で果たしてきた仕事、そこに『子供』たちがどう関わってきたかを描くことで、『家族』を三角測量のようにスケッチするお話だったと思います。
今を生き延び真剣に戦っている千尋の『母らしさ』を、誇らしげに(しかし不必要に声高ではない、このアニメらしいトーンで)しっかり描いていることが、その測量制度を跳ね上げていることは、おそらく間違いないんじゃないでしょうか。


千代の亡霊は果たして実在したのか、はたまた母を失った千尋の幻覚なのか。
その真偽はやっぱり問題ではなくて、千尋が失った母と再び出会い、この一年(つまり視聴者が三ヶ月共有させてもらった物語)を報告したという事実こそが、お話をまとめる上で大事だったと思います。
母に置いてけぼりにされ、円との間に『少年メイド』という社会的立場を手に入れることで不器用な関係をスタートした千尋の暮らしは、美しい季節の移り変わりと一緒に起こる様々なイベントのなかで、ゆったりと過ぎて行きました。
そこには沢山の感情と優しさ、世界を包む厳しさとそこに立ち向かう必死さが、たっぷり詰まっていたと思う。
その一つ一つを、かけがえのない美しいものとして言葉でくるみ、愛する母に届けることが出来たということそれ自体が、僕にはとても価値が有るように思えるのです。

突然の母の死に対し、千尋が心の奥底で一種の不満を感じ、居心地の悪さを覚えている描写はこれまでもときおり顔を出していました。
『愛していればこそ、母が己を置いて去ることは不実だ』という感情は、保護者であるはずの円と共有される『子供』の寂しさなわけですが、『少年メイド』として過ごす忙しく愛おしい日々の中でその寂しさを隠しつつも、千尋の根底にはその不当な感覚が常にあったと思う。
円や桂一郎、美耶子に日野といった、千尋を愛する人達との交流(それこそがこの物語それ自体なわけですが)の中で、そんな不安定な千尋の気持ちはじっくりと癒やされ、落ち着きどころを見つけた。

いわば『一年間をまたいだ生活セラピー』という側面をこのアニメは持っていて、その集大成として、母への報告というイベントがあるのではないか。
その正体を知ることなく、むしろ知らないからこそ心から、過ぎ去った日々を愛おしく噛みしめるように語る千尋の姿には、やっぱり一年分の成長がしっかりと降り積もっていたように思います。
もはや喪われた甘えるべき母ではなく、どこか円にも似た、子供の面影を持った優しい他人として母と出会うあのシーンは、この物語が閉じるのに相応しい、孤独なイニシエーションだったのかなぁと。

あのシーンが夜であり、かつ白い月光に満ちた明るいシーンであることには、僕は結構感じ入るものがありました。
このアニメはポップな外見に反して、寂しさや孤独、居心地の悪さや断絶といった世界の厳しさを、けして無視しません。
それは確実にそこにあって、絶対に否定し切ることは出来ず、むしろ様々な努力や優しさを積み重ねながら付き合い方を見つけていくものとして、優しさや強さと同じくらい大事に描かれていたと思う。
夜の闇は何時でもそこにあるのだけれども、それだけが世界を支配しているわけではなく、白く優しい光を頑張って積み上げていくこと、闇の中に一人で座るのではなく、心を預けることの出来る人たちと一緒に『家』を維持していくことを、大切にしていきたい。
一砂と語らった公園の灰色の空にも通じる夜闇と月光のコントラストには、このアニメの世界認識がしっかりと刻み込まれていたように、僕には思えます。
それはこのアニメがとても好きな僕の、愛情過多な読み過ぎの読みなのかもしれないけど、そういう深読みをさせるに足りる繊細さと図太さが、やっぱこのアニメにはあったと思うわけです。

 

僕は最初、このアニメーションを舐めてました。
『半ズボンの美少年がクズい美青年に囲われて、メイドで日常でワーキャーって話なんだろ? ポルノなんだろ?』っていう斜めの姿勢で、このアニメを見始めました。
無論そういうエロティシズムとフェティシズムは作中に深く根を下ろしていて、その薄暗い熱がお話を加速させる燃料として機能していたことを、僕は否定しない。

しかし想像していたよりもこの物語は堅牢で健全で、『少年』が『メイド』であることの意味、『少年』が『少年』であり『少年』であり続けたくないと願うことの意味、成長の意味に真剣でした。
子供っぽい大人と、彼に庇護される大人っぽい子供がどうやって歩み寄り、時々すれ違い、それでも必死に手を伸ばして心を繋いでいくのかに、とてもシリアスに向かい合っていた。
『少年』で『メイド』であることが与えるいやらしい印象や、己のエロティシズム=フェティシズムすらも相対視する冷静な知性をしっかり持って、客観的な描写を物語として紡ぎ続けた。
そして、それを大声で騒ぎ立てるのではなく、あくまで描写の中に埋め込んで楽しく、可愛く、美しいアニメーションとして届けてくれる、ストイックなプライドもまた持っていた。
そういうものは、なかなか創作の態度として貫き通すことの出来ない、非常に素晴らしいものだと僕は思っています。

『家』があることの意味、『家』という空間を誰かと共有し、見知らぬ誰かが『家』に入ってくることの意味。
千尋個人の青春と成長にとどまらず、非常に幅広い問題をこのアニメは捉えていて、しかもそれはあくまでキャラクター個人の人生の物語で在り続けました。
新しく出来た大切な人とのかかわり合いをどうすれば良いのか悩み、自分の能力をどう発露させれば良いのか、優しさをどう実現すれば良いのか、しっかり悩んでしっかり行動するキャラクターたちの姿は、道徳的であると同時に個別的で、それこそがこの話がとても面白いことの根源なのだと思います。
この話がなにか大きなメッセージを語るだけではなく、それを千尋や円や他の愛おしい人たちが手に入れていく過程として、楽しいストーリーとしてしっかり語られていたことは、やっぱりありえないほどに幸せなことだったと僕は思う。

叙情を込めつつ写実的で、キャラクターがそこにいることを実感させる大きな助けになってくれた、美麗な美術。
柔らかく可愛らしい絵柄を維持しつつ、繊細な感情の襞に分け入ってキャラクターが今何を感じているのか伝えてくれた、細やかな芝居。
緊張感や暖かさを的確に伝え、画面を弛緩させることのなかった考えぬかれたレイアウト。
アニメーションを構成する様々な要素が怠けることなく、物語をより強く視聴者に届ける仕事を達成していたことも、本当に素晴らしかった。

愛おしいアニメーションでした。
千尋も、円も、他のキャラクターも皆、可愛らしく美しく、尊敬できる存在としてしっかり描かれていた。
大げさな起伏はないにしろ、というかだからこそ、肌触りを宿して愛することの出来るコンパクトな人生の物語が、しっかり展開されていた。
好きになれる、とても好きなアニメーションです。
少年メイド、本当に素晴らしいアニメーションでした。
彼らの人生の一幕を覗きこませてくれて、本当にありがとうございました。
ああ、良いアニメだなぁ
本当に、良いアニメだ。