イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

フリップフラッパーズ:第8話『ピュアブレーカー』感想

3つの心がひとつになれば、一つの正義は百万パワー!
暴れまわる幻想の場外乱闘、今週は水着回でロボアニメだよー。
『鉄と女体』というリビドーあふれるモチーフを、良い作画と様々なパロディで高速撹拌して思いっきり叩きつけてくる、パワー溢れるお話でした。
やりたいだけやっているように見えて、力を行使することで否応なく訪れる『変質』の新しい可能性をココナに認めさせたり、ツンツン少女ヤヤカを主人公サイドに引き寄せたり、凄まじく不穏なヒキでパピカとの間に亀裂を作ったり、ドラマの核はしっかり確保しているのがフリフライズムですね。

というわけで、"フラッシュマン"と"トップをねらえ!"と"新世紀エヴァンゲリオン"と新旧スク水
が、狭い空間でごたまぜになって襲い掛かってくる今回。
『1/2サイズで世界を構築すれば、自動的に身体のあちこちをカメラに押し付けざるを得なくなる』という発想は悪魔のそれだと思いますが、女体とロボットと爆発作画とイカすアクションを一旦横にどけて、どういうお話だったか考え直してみると、いつものように骨の太いジュブナイルが姿を表してきます。
ピュアイリュージョンに干渉することで、現実を『変質』させてしまう事実に思い悩むココナから始まって、おっちゃんと出会い、街を守りたい気持ちに触発され、『変質』を恐れない勇気で巨大な敵に打ち勝つというのが、今回の大筋です。
出会いと冒険から始まり、発見と懊悩、障害を乗り越えての決断と、非常にシンプルでスタンダードな成長物語が展開されていることが分かります。

しかしその道筋は見た目ほど一筋縄ではなく、幾重にもスクリューがかかっています。
注目したいのは、鮮烈なヴィジュアルの都市防衛戦……ではなく、それを挟み込むように配置されているプールの風景です。
冒頭、前回からの悩みを引きずって落ち込んでいるココナは影の中にいて、パピカがいる光とは明確に一線が引かれています。
これまでと同じように、闇の中で悩んでいるココナの手をパピカが取り、プール≒『穴』に飛び込むことで『幻想』での冒険が始まるわけですが、そこから出てきた後、シャワールームでもココナは日陰に、パピカは日向に配置され続けています。
光と影は能天気(に見える)なパピカと、陰鬱(に見える)なココナのキャラ性を映して交わることなく、自己と他者の境界線を引き続けます。

ロボットアニメ特有のアツさでココナの悩みを吹き飛ばし、二人の気持ちが混じり合う展開を後押ししているようにみえる中盤でも、赤と青は紫色に混じり合うことなく、ロボットのカラーリングは二色で塗り分けられています。
一つの火が重なり合って炎になる、そんなオールドスクールな熱血ドラマを演じつつも、パピカとココナの間には当然差異があり、一緒になれたはずの気持ちや『自分らしさ』は混じり合わないままです。
このような認識があればこそ、パピカがココナの名前を『ミミ』と間違える展開があり、『変質』への恐怖を乗り越えたココナに新しい青春の壁がそそり立つラストが、非常に鮮烈に映えるわけです。


今回パピカは一点の曇りもなく、底抜けに明るい光の中に立ち続けます。
ココナが身を置く闇の中に入ってくるのはヤヤカであって、パピカはあくまで無邪気で無垢、暴力的なイノセンスを維持したまま、自分の領域にココナを引っ張っていく。
それはこれまでと同じ前向きな物語であり、肯定されるべき明るさに満ちた行動に見えます。

しかし、ココナが生来抱えてきた闇は、無理解に白く塗りつぶされるべき悪癖なのでしょうか。
先輩が絵を描かなくなったことに思い悩み、だからこそおっちゃんが守りたいものの価値に気づけたのは、ココナが内向的で後ろ向きで、闇色をした感情と親和性が高いからでしょう。
無論、パピカの明るさはココナを何度も救ってきたし、心躍る『冒険』は彼女の光がなければ生まれてこない可能性なのですが、ココナがパピカから強く影響されているのに対し、パピカは物語が始まった時から変わらず、強すぎる光を背負ったままにも見えます。
その無邪気な暴力性が、予期されていた不意打ちとして視聴者の心を突き刺してくるのが、今回ラストの『ミミ』であるとも言えますね。

パピカが背負った光の暴力性が顔を出してきたのは、ヤヤカが本格的に主役サイドに足場を置き換え、ココナを背負うキャラとして頑張れる状況になってきたからでしょう。
『勘違いすんなよ!』を連呼しつつも、どんどん幼馴染の窮地を見過ごせない人の良さを表に出し、ついには心を一つにしなければ真価を発揮できない巨大ロボットに乗り込むところまで、一気に地滑りしていました。
パピカの『パ』、ココナの『コ』、ヤヤカの『ヤ』で『パコヤ』ってアンタ、完落ちやないかい……。
ココナが『変質』に怯える気持ちを受け止め成長させるだけではなく、ヤヤカに本心を真っ直ぐ表現させ、アスピオクレスから距離を置く展開をクリアに見せたあたり、おっちゃんはメンターとして非常に優秀なキャラといえますね。

今回の話はココナにしてもヤヤカにしても、『怯えや照れで隠してしまっている本心を、アツく言葉にして宣言する』展開なわけで、熱血ロボットアニメのパスティーシュとして展開していたのも、元ネタのアツさを借りて心のマグマを噴出させる作劇技法だと言えます。
いやまぁ、スク水の尻存分に描いて、画面に立方体を飛び散らせ、グレートタイタンの合体シーンパロりたかっただけかもしれんけどさ!
ともかく松岡くん演じるおっちゃん博士のアツさに引っ張られるように、少女たちは偽り……とは言わないけども、真実でもない自分自身と向かい合い、乗り越え、ほんとにやりたいことに真っ直ぐ向かい合う。
そういう流れと離れた所で、ただ『二人で心を合わせて、何かをする』という快楽に素直に前進し続けるパピカは、どんな色にも染まらない強い白というか、ヤヤカがチョロすぎというか、なかなか難しい。


フリフラはエロスと衒学趣味のごった煮を乱雑に出しているように見えて、ココナの成長物語としては非常に計算高く展開しています。
自己を肯定しきれない、誰もが経験する青春の憂鬱から始まり、パピカとの出会いに戸惑いつつ心を弾ませ、冒険の果てに強いつながりを手に入れて『幻想』を肯定しする。
他者が押し付けた『アモルファスの回収』という目標よりも、先輩の記憶に潜るという自発的な目的を優先し、その結果生まれた『変質』に戸惑う。
成長が生み出したパワーの行使と、それによって変化する世界を肯定し一歩踏み出したかと思えば、同じ気持ちでいたはずの親友との間にあるギャップ、他者と自分を切り分ける境界線を叩きつけられる。
出会いと衝撃、変化と戸惑い、肯定と冒険が途切れることなく物語で渦を巻き、ココナの世界は小さく、しかし着実に広がりながら、様々なものを飲み込んでいるわけです。

今回のお話は、『3つの心が一つになれば』世界の問題全てが解決できるような、古き良きロボアニメのイデアをキャラクターが踏襲することで、バラバラの心と体が一体化する快楽を肯定する……と見せかけて、実は赤と青、光と影は混じり合わないフリップフラッパーズの法則を再確認するお話でした。
分かり合えたと思ったからこそ、すれ違いの衝撃は大きく、ココナは分かっていたはずのパピカについて、何も知らない自分に気づきます。
これは視聴者も同じことで、『ミミ』の言葉に頭を殴られた瞬間、ココナの過去も人格も実は巧妙に隠して進んできた展開に気付かされるよう、話が組み立てられています。
シンクロ率を上げるとロボットが合体する展開の中で、心と心が重なったのは実はパピカとココナではなく、主人公と視聴者だったわけです。

無論、今回重なり合ったものが全て無駄だったわけでも、これまで描写されたキレイなもの、暖かい感情が消えてなくなるわけではありません。
己の無知を知ったことで初めて、見落としていた真実に踏み込もうという気持ちも湧いてくるわけだし、どれだけ気持ちを寄せたとしても、完全に混じり合うことが出来ない世界のルールを知ることで、より適切な関係を構築できるかもしれない。
白と黒、赤と青に切り分けられた世界は残酷ではありますが、同時に『私』と『あなた』の境界線がハッキリしていればこそ、素敵な『あなた』の表情をはっきりと見極められる、自立し冷静な世界でもあるわけです。

そしてもう一つ言えるのは、『幻想』と『現実』の境界が曖昧なこの世界のルールは、物語の進行とともに変化している、ということです。
今は混じり合わない光と影も、その境界線を認識し、戦略的に(もしくは無意識的に)侵犯していくことで、より甘やかに溶け合っていくかもしれない。
ココナの中で最初は拒絶していたパピカが大きな存在となり、自分の延長線上にいると無防備に感じられたように、パピカの完全な白さの中にココナの陰りと思慮深さが宿るかもしれない。
常に矛盾した物語を紡いでいるこのアニメにおいて、一つの結論は自動的に相反する始点に繋がっているものであり、変化と成長の物語はそうそう簡単に足を止めはしないわけです。

パピカと自分が違う人間なんだという、ひどく当たり前で、だからこそ残忍で、とんでもなく大切な事実に行き当たったココナが、ここからどういう物語を歩くのか。
今回ようやくツン期を脱し、幼馴染大好き人間(あと冷たくされても仲間大好き人間)としての顔を前面に出してきたヤヤカが、欠けたココナの半身を補ってくれると思います。
今回おーちゃんの熱血に当てられ『変質』の恐怖を乗り越えたように、迷い路の果てにココナはまた新しい何かを見つけ、取り入れ、少しだけ己を前に進めていくと、僕は思います。
そんな彼女の明日が、僕はひどく楽しみで仕方がないのです。


・追記
とまぁ結論らしきものにたどり着いた所で、あくまで遊戯的で本筋に関係ないのでやんなかった話をします。
今回のピュアイリュージョン、誰の『幻影』だったのかという考察です。
フリフラは『推測はできても明言はしない』というルールで進んでいるので、この疑問にも明瞭な答えは出ないわけですが、まぁ気になるものは気になるわけで、ざっくり考えてみましょう。

今回のピュアイリュージョンはドスケベロボ・ぶーちゃんがパピココのケツに押しつぶされるシーンから繋がり、終わったあとは戦闘の負荷を示すかのようにブーちゃんがボロカスになっています。
パコヤノヴァで削り取られた都市の前景が『脳みそ』だったことも、過去のエピソードでぶーちゃんの『中身』がグロい人脳だったことと合わせて考えると、ブーちゃんが今回のPIに関わっているのは間違いない気がします。(修理シーンで巧妙に煙を発生させ、『中身』を見せないところが巧い)
ブーちゃんスケベだから、スク水の女体(一名男体)と棒状のアイテムが画面を乱舞するリビドー満点な画作りも、結構納得行くし。

同時に、あの世界の主はおっちゃんであり、『私が一つ一つ作り上げた』という言動、乱雑なように見えて機能的な都市の姿は、ブーちゃんをリペアするヒダカに重なるものがあります。
サユリと押し合いへし合いしつつ、PIの解消と同時にその対立も解決したようにみえる展開は、何らかの意図が合ってされていると考えたい所。
おっちゃんがヒダカその人なのか、ブーちゃんの中の『自分を作り上げ、守ってくれる人』としてのヒダカのイメージ(前回の『沢山のパピカ』と同質の存在)なのか、はたまたPIの不思議な法則により混じり合った不可思議存在なのかは判別つかないけども、まぁヒダカの要素も入ってんじゃないかな、と。

気になるのは、あの惑星を怪物たちが侵略しきっていた時、一体何が起こるのかということ。
ヒダカの乱雑な研究室がサユリによって整理整頓されてしまうのか、ブーちゃんの自己認識が詰まった脳みそがスペアパーツに取り替えられ、記憶と意識と自我が入れ替わった新しいブーちゃんになるのか。
今回のPIとフリップフラップの愉快な面々がどう繋がっているか明言されない以上、それは視聴者の『幻想』に委ねられる部分なんでしょうけどね。
しかしま、言葉を持たないブーちゃんも『この私』に強い執着を抱いていて、自己を防衛したかったと考えるのが、ブーちゃん好きな僕の好みではあります。

あと『これだから旧型は』というヒダカの台詞は、裏読みすると『旧型』ではないマシーンの存在を示していて、んじゃあ最初からフリップフラップに所属してピュアイリュージョンへのダイブを任務にしていたのは誰だ、と連想がつながっていく。
今回パピカの異質性をラストで一気に引き立ててきて、今後そこに踏み込むと予告してきたわけで、その生い立ちや設定にも切り込んでいくのかなぁと思う。
設定がどう転がるにしても、二人の少女が出会ったことは素敵な奇跡だし、その事実に目を背けるようなヒネたアニメでもないと思っているので、どっしり見守りたいところだ。