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イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

響け! ユーフォニアム2:第13話『はるさきエピローグ』感想

アニメ 響け!ユーフォニアム

かくして河は流れ、舟は行く。
吹奏楽に青春の激浪全てを載せて展開してきたユーフォもついに最終回、続くべき次の曲はもはやありません。
前回決戦の演奏をあえて飛ばし、余韻含みで幅広く展開した流れを引き継ぎ、今回もどっしりと腰を落とした横綱相撲。
久美子のあすかへの思いを主軸に、北宇治吹奏楽部が積み重ねてきた物語、僕らが見守ってきた彼らの青春全てを、じっくりと描ききる豊かなお話となりました。
事ここに至って、OPもEDも一切省略せずに展開できるところが、まぁ強い。
圧倒的に強いアニメであることを証明して、しっかりと終わりました。


今回のお話は三部構成になっていて、時の流れに取り残される一年二年のモヤッとした状況、どっしりと演奏を聞かせつつこれまでの歩みを振り返るお別れ会、そして久美子とあすかの別れで物語を締めくくる卒業式が、組み合わさって出来ています。
群像劇として様々なキャラクターの、複雑な表情を幾重にも折り重ねてきたこの物語が幕を閉じるにあたり、その複雑さに相応しく、様々なものを切り取ってくる構成といえます。
お話の最後にふさわしく、軸はあくまで久美子なのですが、彼女に関わった少女と少年がみんな好きな視聴者としては、その全ての肖像を余さず切り取る貪欲さが、非常に嬉しかったりします。

終わりに際して、このアニメの世界認識というものを考えてみると、非常に理想主義的でありながらシビアな現実感覚を併せ持つ、矛盾すら感じる豊かさがあったと思います。
二期第1話で久美子と麗奈が見上げた花火のように、青春の光は儚く、時間は永遠に静止しはしない。
麻美子もあすかも、久美子が追い求めていた『姉』は彼女を岸に取り残して、自分の人生の船で旅立っていってしまいます。
そういう別れや、山盛りたくさんあったすれ違いを苦く描きつつも、流れていく時間の中で人間がどうしても描いてしまう美しい幻想もまた、このアニメは非常に大事に切り取ってきました。

青春という時間、学校(もしくは家)という場所で偶然時間を共有し、また離れていく人々の営み、その光と闇。
変化に満ち溢れていながら『ずっと忘れない』記憶になりうるもの、永遠と一日の間にある音楽、もしくは夢。
相矛盾しつつも共存し、ひとりひとりの心と体の中で流れていく時間と感情の潮流を切り取ってきたこのアニメの最終回で、異常なまでに『流れ』が強調されるのは、むしろ必然と言えます。
宇治川の煌めき、ホームを通り過ぎていく京阪電車、浮かんでは消えていく音符。
元々そういう話なのですが、今回は特に絶えざる『流れ』、そこにかかる橋を幾重にも切り取りつつ、映像が展開していきます。

二期第1話でも印象的だった宇治川の流れ、その輝きはあの時の夏の光とはまた違う、冬の静けさと冷たさを反射しています。
別れたくないと願う気持ちとは裏腹に時間は流れ、季節は行き過ぎ、全ては変化していく。
しかしそれは淀みを連れ去る浄化でもあって、一年前のいじめが後を引いた二年生の問題も、父母の呪いと祝福に縛られたあすかの生き様も、そんなあすかを『毛布でくるんだ氷のような目』で見ていた葵の感情も、時間はゆっくりと変えていく。
時が己の手を離れて流れていく悲しみが、実は喜びでもあるということは、三年が抜けて薄くなってしまった音を希望と捉える二人の教師の姿に、巧く集約されています。


人間はとてつもなく孤独であり、一瞬『特別』な関係として繋がったように見えても、あまりにも強力な流れに押し流され、手を離していく。
時の浄化作用を冷静に見つめる作品の視線は、時間と運命が持つ残酷さを見逃しはしません。
今までの思い出全てをたっぷりと詰め込み、永遠を信じさせてくれるような"三日月の舞"を聞かせ、時間を巻き戻す奇跡を起こした後に、一瞬で色あせた射陽の中、用済みとばかりに捨てられていく紙の花を切り取ってくる。
山ほどの思い、27話分の物語を述懐しきる特別な時間が終わった後には、花も枯れるごく普通の時間が戻ってきて、平等に残酷に当たり前の時間が行き過ぎていく。
そういう残忍さが最後まで失われないで、明瞭に演出されているのは、やっぱ凄くいいことだなと思います。

しかしその残酷さはあくまであるがままの真実なのであり、価値判断を超えて事実として存在し続ける、時と人生の一側面です。
時は止まらず、人は孤独であり、永遠は存在しない。
しかしその寂しさを認めた上で、『いま! というこの瞬間を、なんだって音楽に出来る』魔法は確かに存在しているし、吹奏楽を扱ったこのアニメは常に、それについて語ってきました。
流れには橋がかかり、人には言葉があり、音楽に思いは宿る。
それは流れ行く人生を冷静に見つめればこそ、感傷を切り取って冷たく美しく輝き出す、人生のもう一つの顔なのでしょう。

流れ行く時の中で人はあまりに孤独であり、同時にその孤独には橋がかかっています。
麻美子への濃厚な情熱を共有できていない麗奈は、『特別』な存在でありながら『もう一人の姉』あすかを求める久美子の感情を理解は出来ないし、そういう難しい久美子の気持ちを秀一は、何も聞かないままに理解している。
人には様々な側面があり、それを通すことでのみ、プリズムのように人生の輝きが分光されるのだとすれば、久美子が青春探偵として様々な少女(と少しの男たち)の難問を共有していったのは、久美子自身が複雑な自分自身と出会い、それを足場に他者と繋がっていくために必要な、青春の分光現象だったのかもしれません。


繋がれる手と離れる手、流れに挟まれた2つの複雑な岸を描くべく、今回終盤戦はほぼあすかと久美子に回されます。
前回己の人生を背負い、陸橋の果てに流されていった麻美子と、思いを伝えきれないまま離れていってしまうあすかの姿は、これまでそうであったように明瞭に重ね合わされている。
だから、前回後悔を衝動で乗り越えて姉の姿を追いかけ、光と影に明瞭に分けられつつも『大好き』という思いを伝えたように、久美子はあすかを待ち構え、感情の陰りも光も含めて全てをぶつける。

その上で、あすかは久美子を抱きしめません。
あくまでクールに、久美子が嫌いだった『上から目線で本心を見せない』田中あすかとしてのスタイルを崩さないまま、自分がユーフォニアムを吹く意味だった父からの祝福(もしくは呪い)を、流れに取り残される久美子に手渡して去っていく。
それは優子を胸に抱きしめ続け、体温を共有する中世古のスタイル(部のマドンナらしく『母性』と言ってもいいかもしれませんが)とは大きく異る、雪のように白く、冷たく、清潔なあり方です。

あすかはおそらく、大学で吹奏楽をやらない。
父親を取り戻すため、母親に殺されないために似合わないユーフォニアムを吹き続けた彼女にとって、全国大会で父に認められた瞬間音楽は鳴り止んでいるのであり、"響け、ユーフォニアム"は彼女には終わった物語なのでしょう。
生来の賢さそのままに、己の生きる道に漕ぎ出した彼女は、名残りや関係性から逃げるように楽器室に滑り込み、ユーフォニアムを回収して消えていく。
久美子とも合わないまま、卒業していこうとする。
27話の物語すべてを注ぎ込んできた音楽すらも、時の流れの中で永遠ではありえない。
そういう残忍さが、ゆっくりと吹奏楽の岸を離れていくあすかには漂っています。
そこから離れていくからこそ、音楽にあまりにこじれた感情を持っていた葵とのわだかまりをなくし、ともに下校することも出来ているわけで、この残酷さももまた、2つの顔の一面なのですが。

しかしその上で、久美子があすかに伝えた言葉は、『分かってたよ』というあすかの自虐(もしくは自衛)を突破して、実の姉を取り戻したときと全く同じに、『もう一人の姉』に真実を伝える。
それは『モヤモヤ』を経験したからこそ確認できる黄前久美子の真実であり、同時に何かと自分を卑下しがちな田中あすか自身には見えない、彼女を憎みつつ愛する黄前久美子だからこそ到達できた真実でもある。
たとえ、全てが流れの中に行き過ぎていくとしても、もしくはだからこそ、消えていく音に思いを込め、涙を流し感情を激発させながら進んできた物語は、嘘でも無意味でもない。
そこで共有された時間は一瞬の幻であり、同時に永遠でもあり、つまりは青春である。
変わっていく世界の中の永遠として、もしくは流れ行く青春のなかで揮発せざるをえない美しい花火として。
『父と娘』から『先輩と後輩』の契約へと意味合いを変えながら"響け、ユーフォニアム"が継承されていくラストシーンには、やはりこのアニメが描いてきたもの全てが、見事に集約されていたと思います。


雪の中に残るあすかの足跡のように、北宇治高校吹奏楽部の一年間を駆け抜けたこの物語は、春の日差しの中に溶けて消えていくでしょう。
雪の中に残るあすかの足跡のように、北宇治高校吹奏楽部の一年間を駆け抜けたこの物語は、冬の寒さの中で確かに刻みつけられているものでしょう。
少しだけ膨らんだ桜の芽吹き、永遠の冬と一瞬の夏の間を隙なく捉えるカメラは、もう『次の曲が始まるのです』とは言わない。
それは、この物語が完璧なままに終わってしまう寂しさに耐えきれなくなった僕らが、噛み締めた奥歯から漏らす未練の軋みでしかない。

しかしそれでも、旅立つ三年生たちが最後に演奏した曲は北宇治校歌ではなく、"Starting the Project"という名前を持っています。
あるものはあの演奏を人生最後のものとし、もしくはこれからも音楽と関わりながら、各々の計画≒投影を終わりの瞬間から始めていく。
全ては永遠でありながら一瞬であり、終わりの尻尾を噛み締めた始まりでもある。
二期第1話の冒頭にそのまま繋がるラストシーンも含めて、今回は別れの先にある新しい始まりをしっかりと見据え、この物語が終わることの意味、終わった後も続くという矛盾(もしくは奇跡)を達成しうる意味を、どっしりと捉えきった最終話だったと思います。

物語が始まる前から音楽を諦めていた麻美子のように、もしくは物語の終わりと同時に音楽に別れを告げたあすかのように、乱れきった女たちの心を繋いだ音楽ですらも、完璧でもなければ永遠でもない。
それでも、久美子は"響け、ユーフォニアム"を『けして』忘れないと誓う。
新入生を優しく向かいいれられるか、未来について悩みつつ、去っていったあすかの過去の足音ではなく、今まさに隣り合う麗奈の手を取って、久美子は前に進んでいく。
その胸には音楽と、あすかとの思い出と、僕らが2クールに渡って見守らせてもらったあんな事件やこんな事件のドラマが、しっかりと刻み込まれているのでしょう。

その思いが、僕やあなたのように、この物語を受け止めた人たちの中で共有されているのならば、今回を区切りに一つ幕を下ろすこの物語もまた、儚く流れていく日々の中で煌めく、『特別』な永遠になりえるかもしれない。
すべてが儚く流れていく日々の中で、『けして』という魔法を起こしうる作品になるかもしれない。
そういう希望を、あすかと久美子の別れと、その先にある未来への歩みを見ている内に、僕もまた幻想できた。
キャラクターのドラマを超えて、作品全体の受け取り方にまで伸びていく、いい最終回だったと思います。


響け! ユーフォニアム、終わりました。
明瞭な演出意図を、作画、動画、撮影、背景美術、レイアウト、タイミング、光源処理、被写体深度……圧倒的に具体的なアニメーションのテクニックがしっかり支える、タフなアニメでした。
青春のうねりの中で、愛と憎悪に揺れ動きながら響き合う少女たちの感情を、様々な領域から伝えてくれるアニメでした。
吹奏楽という表現がなぜ、人生を賭けるに値するかしっかり教えてくれる、圧巻の演奏作画がぶ厚い説得力を宿す、力勝負のアニメでした。
女たちの感情がぶつかりあう潮目の、濃厚な熱と湿度、引力と重量が肌を震わせる、濃厚なアニメでした。
傷つきながら一歩ずつ先に進み、過去を乗り越え未来に向かって変化していく、可能性に対して前向きなアニメでした。
名前のある人々も、名前のない人々も、それぞれが生きる人生と、そこに篭った感情を大事に描いてくる、誠実なアニメでした。
自分たちがテーマと定めた様々なものの光も影も、美しさも醜さも、全てを真正面から見つめ表現する、真剣なアニメでした。

このアニメを褒める言葉は、まだまだ続けられます。
ただ、シンプルにまとめるとすると、やっぱこうなる。
いいアニメでした。
好きでした。
ありがとう。
たっぷりと、楽しませてもらいました。
やっぱ俺、このアニメ好きだなぁ……本当に好きだ。
特別編あると思いますが、非常に楽しみにしています。
本当に、最高でした。