イマワノキワ

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鬼平 -ONIHEI-:第3話『暗剣白梅香』感想

血煙と香の香りに彩られ、流れ流れる浮世の数え歌、鬼平第三話であります。
今回は凄腕の殺し屋に付け狙われた鬼平と、その殺し屋が背負う業にまつわるお話でして、第1話の対話とも第2話の懐旧とも違う、対決の火花がビシバシ飛び散るお話でした。
相手は血の匂いが一切消えないほどの殺戮者なんですが、武家の習い、浮世の因業に絡めとられて道を間違えた、哀れな悲しさも持っている美剣士。
そんな男がどんな獣道を歩いてきて、マトモな道に入ろうとして足を取られるまでに、鬼平が行き合わせる。
そういう話でした。

相手が剣士ということで、今回はチャンバラ多めでしたが、やはりケレンの効いたスタイリッシュアクションが非常に面白い。
カメラが下に回り込んだり飛び跳ねたり、アニメじゃないと難しい絵を堪能することが出来て、とにかく血が湧きました。
ただアクションをするだけではなく、一回目・三回目は鬼平を追い詰めるほどの重さを、二回目は火盗改メの包囲を一気に突破する業前を、四回目は人間の道を見つけちまったがゆえの軽さを、それぞれ背負わせドラマの補助に使っているところが、とても良い。

ここまで鬼平はわりと無敵といいますか、血や汗を流すシーンが非常に少ない冷静なキャラでして、その頬を切り裂いて追い詰める半四郎の業前は、非常に印象に残ります。
だからこそ、四回目、屋内に引き込んでの立ち回りがあっさりと鬼平の有利で終わった時、半四郎が手に入れたもの、失った物の大きさが見えてくる。
それは鬼平が言葉で説明するものですが、同時にアクションを追いかけるうちに自然と視聴者も理解するものでして、説明と活劇両方で感じ取らせるものなのでしょう。

家庭を手に入れ公益に奉仕するリア充鬼平と、どこにも居場所がないアウトサイダー・半四郎の対比が今回のお話の核にあると思いますが、鬼平が自宅で見せるくつろいだ様子と、殺しの相談をする旅籠の冷えた塩梅は、いい具合に彼らの居場所を見せてくれました。
300両の金勘定をする時、半四郎はずっと闇の中にいて一歩も出ず、男の顔を見ようともしない。
その怜悧さが後半、おさきに己の因縁を廃寺で語るときはスッと弱っていて、すがるように指を絡める芝居で更に柔らかくなる。
男が身を置いていた闇は、血まみれの人生を精算する瞬間から半四郎を守るシェルターでもあって、光の当たる場所に顔を出したばっかりに、彼は弱くなり、死んでしまう。
ここら辺の皮肉をしっかり飲み込ませる、ストイックな演出が非常に良かったです。


半四郎が何を手に入れたのかは、食事シーンでもよく見えます。
仇を取れない侍もどきとして、社会から爪弾きにされ、アウトサイダーとして誰にも信頼されない半四郎。
そんな彼に差し出してくれた暖かな粥は、実は殺しなどしたくない半四郎にとって本当に求めていた人間味であり、思わず梅干しの天神まで噛み砕いてしまうほど求めていたモノなわけです。
血の匂い、人間の業の底の底まで堕ちてしまった自分を誤魔化すために使っている『梅』が、ここで別の意味を持ってくるのが面白いところですね。

半四郎はおさきと心を通わせる事で弱くなり、鬼平を殺し損ねます。
しかし彼が求めていた『まともな暮らし』の前景には、『人を殺さない』という根本的な取り決めがあり、鬼平も彼が守ろうとしている市井の人々も、そういうルールを飲み込むことで『まとも』に生きている。
武家社会の仇討という制度で人生を間違えた彼は、殺すことでおさきを開放し、殺すことで未来を手に入れようとしたけども、殺しに殺してきた自分自身の過去と、自分をそこまで追い詰めた仇討の制度に殺されてしまう。
『まとも』な暮らしをしていれば、例えば第1話でお頭が粂八に差し出した盃のように魂を癒やしただろう暖かな粥が、こと『殺し』という異常な状況では仇にもなる、
これまでのお話以上に矛盾と皮肉に満ち、切ない後味のあるお話だったと思います。
おさきと半四郎の交流は暖かいんだけど、宿の人達死んでるし、半四郎は人殺しだし、そういう『まとも』な暖かさとか求めちゃいけないんじゃないかな……と考え込んでしまうところとか、出口がなくて面白い。

皮肉な諸相は『夫婦』という関係性にも潜んでいて、江戸にいられなくなった森夫妻は苦労を分かち合って去っていくのに対し、死人との約束を待ち続けるおさきと、過去に殺された半四郎は一生夫婦になることはない。
奔放な鬼平を巧く支える久栄、のんきな辰蔵との暖かな家族の肖像も時折インサートされ、男と女が一緒になる(もしくはなれない)時の様々な表情が、エピソードに陰影をつけていました。
半四郎が斬り殺す、ちょっと情が足らない旅籠の主人たちも、思えば夫婦か。


血と油に塗れた地獄をいっとき忘れるために付けた白梅香が、凶漢の身元を探る足場にもなる。
今回のお話は、火盗改メという治安維持組織に相応しい謎解きも少し絡んでいて、推理モノとしての楽しさもありました。
真っ当にぶつかって二度も殺されかけ、数で押しても囲みを抜けられてしまうような凄腕をどう釣り上げ、どう相手取るのか。
相手の行動パターンを読み、過去を探り、自分を囮にして勝てる状況を作っていく知恵比べの楽しさも今回はあって、鬼平という作品のバリエーションの多さ、懐の深さを堪能することが出来ました。

鬼平は半四郎の数奇な半生に思いを馳せることはしても、あくまで火盗改メとしての職務を優先し、おさきのようにその人生に飲み込まれはしない。
庭で描写された過去を見るように、弱さの中で迷いに迷って手にれた強さがブレないことで、人生の複雑怪奇な渦に共感を示しつつも、それに引っ張られて自分を手放す危うさのない、信頼のおける主人公力を発揮しています。
八百八町の人情欲絵巻を色んな角度から切り取り、複雑な味わいを楽しむためには、お頭がクレバーであること、世情に長けていること、揺るがない自分を維持し続けていることという、両立させるのが難しいキャラクターを制御してるのが大事なんだろうなぁ。

半四郎の凄惨な人生も、鬼平にとっては一つの出来事でしかありません。
そこに共感しつつ引き込まれない強さがなければ、盗みや殺しを仕事として取り締まり、命を狙われるのが当たり前な火付盗賊改方長官は務まらないのでしょう。
しかしそういうふうに切り捨てるばかりではないということは、今回粂八が再登場し、危ういところで命を拾う助けになったことからも見て取れます。
『情けは人のためならず』という格言の本当の意味を、鬼平は知っているし、体現もしているわけです。

仏でもあり鬼でもある、血に塗れつつ清潔でもある。
鬼平が切り込む江戸の巷そのままに、このアニメは人生の色んな表情を宿し、なんとも割り切れない豊かな読後感を与えてくれます。
それは池波先生の原作が持っているものなんですが、それをアニメとして伝えるためには、アニメ独自の工夫が当然いる。
そこを怠けないことが、今回闇と光の間で彷徨い散っていった半四郎の生き様が、どうにも切なく胸に刺さる大きな理由かと思います。

やや駆け足ながら、血生臭さと梅の香の同居する原作をうまく料理し、複雑なテイストを楽しませてくれるエピソードでした。
素材も良ければ、それに敬意を払いつつ自分の腕に自信を持って料理するアニメスタッフの手管も素晴らしい。
鬼平アニメ、毎週アニメーションの新しい地平を切り開いてくれていて、非常に面白いです。