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イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

小林さんちのメイドラゴン:第4話『カンナ、学校に行く!(その必要はないんですが)』感想


摩擦と陰影に彩られた世界の中で、どうにか共に在ろうとする人々の詩、今週は足ムチムチドラゴン学び舎へ行く。
可愛いだけで存在を許されるカンナちゃんが画面の真ん中に座って、可愛かったり色々なものを見つけたり、可愛かったりするお話でした。
カンナを見守る人々を描くことで、彼らの優しさや真心、簡単に人間社会に同化出来ない異能や性格なども見えてきて、無条件に優しい楽園ではないけれども、お互いをよく見て気遣い有り様を考えることで優しくなっていく世界が、穏やかに描かれていました。
異物たる竜種をメインに据えることで、『優しい世界』がどうやって発生・維持されるのかを結構考えたアニメだと思うな、やっぱ。

ゆるふわ可愛いメインストーリーの端々で色んなものが描かれていますが、今回目立ったのは『見る』ということです。
正確に言うと『見て、忘れず、行動する』という一連の流れなんですが、例えばオチに使われた『マジやばくね?』は二話で青年が口にしていた言葉をカンナが学習して流行らせた形ですし、トールもカンナの学園生活をしっかり見て、人の間で暮らすことの意味を自分なりに考える。
『見る』ことは差異を見ることであり、同じ服、同じ外見を整えたからといって消え去りはしないドラゴンの異物性を見守り、それが生み出す摩擦をどう乗り越えていくかを見る作業でもあります。

『見る』行為の最善手はいつもの様に小林が指していて、小学生活を羨ましそうに眺めるカンナのあこがれを、思わぬランドセルの高値を『見て』ウサギのキーホルダーを諦めたカンナの心遣いを、彼女は見落とさない。
家を引っ越し自分だけの部屋を与えたように、カンナの小さな優しさに答えるようにひっそりと、しかししっかりと、真心を形にして手渡しています。
それは異物を排除しようとする世界、無条件に優しくはない世界をしっかり『見て』いるからこそ
生まれる行動で、ただ思っているだけでは優しさが傷を癒やしはしない世界として、作品世界を認識しているからでしょう。
ルコアやファフニールがわざわざ家に来て、トールの様子を見に来るように、さり気なく過剰に主張はしなくても、誰かを愛する気持ちは行動を呼び込むわけです。

小林(が代表する、このお話における『善』)にとって『見る』行為は常に、『行う』ことと隣り合わせであり、好きという気持ちは常に言葉にされ、行動に反映されていきます。
そしてその気持はあまり表立った形ではなく、ふんわりとした日常描写の中に、もしくはギャグ調の笑いの中に隠され、ひっそりと届く。
小林がルコアとファフニールの真心を言葉にするのは、当事者であるトールがベランダに引っ込んだ瞬間なのです。
それは多分、トールやカンナが無条件に守られ愛される主体なきヒロインではなく、結構図太い性格をして嘘泣きもしちゃう一主体であること、彼女たちのプライドを尊重した愛し方なんじゃないかな、と思います。
ここら辺、トールが常に小林LOVEを一切隠そうとせず、全力全開で言葉にしているのとは面白い対照ですね。

『見る』ことは他者の異質性を認識し、自分の現状と比較して、必要であれば変化していく柔軟性にも繋がります。
引っ越してドラゴンたちの住環境が変化したのも、カンナの生活に学校が入りこんだのも、そもそもドラゴンたちの涙を見落とさず小林さんが異物を受け入れたのも、しっかりと『見て』問題を把握し、それに合わせて状況を変化させたからです。
ここらへんの柔軟性は、小林さんの数ある高徳の中でも大きなものだと思いますが、問題アリアリなトールやファフニールさんも、小さく変化しているのが面白いところです。
観察と変化の前向きなサイクルは、人によってその速度に差はあれ、人間だけに開放された美徳ではないわけです。


人生を照らす光と言える優しさと思いやりをわざわざ『見て』『行わ』なければならないのは、排除や隔意といった闇が世界のそこかしこに埋まっているからです。
それは物語の前面に出てくることはけしてなく、『優しい世界』を求める視聴者のニーズに反しないように的確にクッションをかけられていますが、毎回必ず顔を見せます。
今回で言えば、明るくピカピカしたファンシーショップでの多幸症的な描写の後で、薄暗く殺風景な制服屋が舞台となり、影が強調された殺風景の中で三人は異物の排除について語り合う。
もしくは楽しい学校が終わった後、トールとカンナは『楽しいこと』に必然的につきまとう『楽しくないこと』について、実像ではなく影を映しながら語らう。
才川は尖った性格を制御しきれず学校では孤立しているし、公園では無用な争いを呼び込み、狭い場所を仲良く楽しく共有することは出来ない。
異質性とそれが巻き起こす摩擦は、この暖かい世界で目立つことはないけれども、常にそこにある。

それは僕らが現実を生きる苦界でも同じことであり、幻想を積み上げるには不都合なその事実から、このお話は目を背けもしない。
ドラゴンはドラゴンであり、超常作画で表現される圧倒的な種族的優越性と、どれだけ人間に混じっても消えない排他性・攻撃性をもっている。
それは彼らがドラゴンという、現相の住人だから持っている異質性ではなく、人間がそれぞれ異なる考えと能力と価値観を持っている以上必然的に生まれる、世界の一つの側面なわけです。

集団から排斥されたり、傷つけられたりすることには、人間もドラゴンも慣れることはありません。
しかし摩擦がそこに存在してしまっている以上、それを最初から無いものとして扱えば、ただ嘘をついているだけになる。
異物性と摩擦に満ちた世界の中で、いかに衝突を少なく、悲しいことを減らすためには、異質性の在り処を良く『見て』、それを回避しながら善き『行い』を積み上げていく必要があります。

そのための準備を、このお話のキャラクターは怠けない。
先週の引っ越しもそうですが、このアニメは山場に至るまでの準備期間を非常に長く描写し、楽しく喜ばしい変化を導くための努力を丁寧に切り取ります。
そこには生活があり、発見があり、摩擦があり、それを軽減するための対話がある。
クライマックスだけではなく、そこに至るまでの過程こそが実は、尺を回すだけの大きな価値を持っていると、構成自体が語っているように思います。

準備をしていく中で、小林もドラゴンたちも様々なものを見て、新しいことに気づき、行動していく。
小学校に入る準備が結構大変でお金がかかる(これも摩擦といえるかもしれません)こと、カンナが可愛くてピカピカしたものを手に入れたいということ、異質性と摩擦についての認識。
大人である小林とトールには落ち着いて対応できる世界の真実が、カンナを不安にさせるということ。
そんな小さいカンナに目線を合わせ、歩み寄る姿勢を見せながら一緒に居続けること。
摩擦のある世界が楽園ではないとしても、注意深く摩擦と幸福を『見守る』ことで、暖かな幸せは小さく小さく、確かに積み重なっていく。
制服屋の暗く冷たく狭い美術から開放され、夕暮れの散歩道を歩くシーンの開放感、温かみからは、摩擦を前提にした上でどう生き延びていくか、その舞台がクライマックスへの助走路たる日常の過程にこそあることが、強く感じ取れました。

ここら辺は学校という人間集団、そこに溶け込んでいくカンナを見守ることで、トールが『一緒にい続けたいと思うのも、理解できなくもない』と変化する姿に、巧く現れていました。
メイドラゴンは小学校に溶け込めない異物ですが、巧く認識を阻害して透明なままカンナを見守り、彼女が衝突を避け人間集団と同化していく過程を『見る』ことが可能になっています。
人間に傷つけられ排斥されて現世に流れ着いたトールにとって、小林以外の人間は自分を傷つけ排除してくる存在なわけですが、カンナは角と尻尾と涙を隠して、巧く人間と折り合いをつけようとする。
そんなカンナの考えを見て取り、トールは少しだけ自分を曲げて、カンナの生き様を自分の中に少し取り入れる。
そこで全面的に譲渡するわけではなく(それをすると多分、話を回している原動力が消えて収束してしまうし)、あくまで性悪なトールらしさを維持したまま、ちょっとだけ変わるというのが、摩擦を否定しないこのアニメらしい、生っぽさかなと思いました。


他にも色々と面白い部分はあって、例えばクソレズオーラをムンムン出しながらカンナちゃんに接近遭遇してきた才川。
女王気取りの彼女は、能力的にも出自的にも性格的にも異物性が強調されているドラゴンだけではなく、人間にも異物性ゆえに社会と巧く混じり合えない存在がいることを、巧く担当しています。
小林さんも滝谷くんも人間レベルが非常に高く、よく見て己や友人をどこに配置して衝突を避けるか考えられる人間なので、ゴツゴツぶつかりまくりの才川が人間にいるのは、バランスがいいと思います。

トールと小林さんの関係においては、『問題アリアリのドラゴンと、それを導く人間』という関係が貴重になっているわけですが、カンナと才川ではこれが逆転し、『嘘泣きまで使いこなす社会性の高いドラゴンと、人間社会に巧く溶け込めない人間』となっています。
ここら辺は同じ関係性を同じ配置で出さない作劇の技法ではありますが、人間とドラゴンの関係性にも色々多様性があり、それが必ずしも摩擦となるわけではないと描写で示している感じがして、凄く良いです。
トールと小林さんと同じように、グイグイ来る才川のことをカンナは憎からず思っていて、温かい気持ちをちゃんと言葉にしたりしもする。
異物に満ちた世界で、致命的な摩擦を生じさせないために重要な『愛』がこっちの関係にもちゃんとあるのも、良いなと思ったところですね。

あと面白かったのは、ドラゴンたちにとって尊厳の城である自室の描写です。
先週『自分だけの部屋』を与えられた結果得られたのは、物質的な広さや快適さだけではなく、プライバシーや尊厳を大切に守ろうとする美徳だと思っています。
どれだけ思いやり愛し合っても、身近にいれば摩擦が発生してしまう世界の中で、個であることを保証する場所、それを用意してくれる思いやり。
小林さんは引っ越しをすることでドラゴンのプライドと心を尊重したと思っているわけですが、今回はそこに、カンナの名札がついたものが増えていく。

それは人間が支配するこの世界を己の延長と認め、自分の名前が刻まれた大切なものを増やしていく作業です。
部屋の中に『カンナだけのもの』が増えていく物理的現象は、異質性と摩擦との折り合いを様々に見つけ、居心地のいい場所として地球を受け入れ合いしていくカンナの精神と、強く呼応しているように思います。
ここら辺、空っぽの部屋を同ポジで捉え続け、それが乱雑に埋まっていく様子を捉えることで精神的・時間的変化を捉えた"聲の形"と共通するものを感じて、制作集団のDNAのようなものを幻視しました。

物が増えていくことで異物としての世界を許容していく様子は、ゴリラの置物でも巧く表現されていました。
先週起きた摩擦の中で、トールが『結構いいな』と明言していたゴリラは、騒音問題を巧く乗り越えマンションを受け入れた結果として、食卓に無言で、しかししっかりとそびえ立っている。
過去に受けた傷を考えると、トールはカンナほど急速に人間社会を受け入れないとは思いますが、内心はさておき外部的な行動としては、結構穏やかかつ的確に衝突を避けているように見えます。
性悪ドラゴンなりの、尖っていた異世界への譲歩の象徴がゴリラなのはなかなかトンチキで、同時に凄くこのアニメらしいなぁと思います。


『見る』ことの力が強調されていた今回ですが、思い返してみると作品最大の凝視であるはずの物語の始点、小林さんが傷ついたトールを保護したシーンは、しっかりと描写されていません。
アルコールによる酩酊で霞がかったその瞬間、世界すべてを敵に回し恨みと憎悪に彩られていたはずのトールの心は、『まぁ人間社会で生きてやってもいいかな、小林さんがいるし』と思える程度には変化しているわけです。
それはドラゴンの本能を乗り越え、摩擦によって殺されかけた魂が別の生き方を受け入れる作中最大の変化なわけで、その残照が未だ生き生きしているからこそ、トールはブチブチ言いつつ下等な人たちの間で暮らしている。
小林がトールを『見つけた』時、トールが小林の愛を『見た』瞬間はおそらく意図的に隠蔽されているのであって、そのうち非常にどっしりと尺を使って回想するんじゃないかなぁと、『見る』行為の強さをフェティッシュに強調した今回、思いました。

僕はまぁ、あの二人が凄く好きになっているので、馴れ初めも知りたいし、異物性を隠そうともしない血まみれの巨大ドラゴンに出会った時、小林さんが何を考えていたか気になるんだよね。
その瞬間って、ここまで四話、人間として為すべき『正解』を選び続け、猛烈な信頼感を作ってくれている小林さんの倫理性の原点にあたるわけで、いわばアメコミヒーローにとってのオリジンじゃないですか。
摩擦に満ちた世界で、トンチキながら優しいドラゴンたちが幸せに笑っていられるのは、確実に小林さんの人間性が器から溢れ出て、潤滑油として機能しているからでしょう。
その源泉がどういうものなのか、どっしり描いてくれる瞬間を楽しみにしています。


というわけで、色んな連中がいるから生まれる軋みと楽しさ、両方に目を向けて前向きなお話でした。
カンナちゃんはちゃんと小学校に行って、友達が出来て、みんなの人気者になる。
平和で優しい結末にぶっとく道を作りつつ、それを取り巻く世界の厳しさを無視するわけではなく、小さな目配せと気遣いを積み上げて穏やかな場所を守る努力を大事に描く。
このアニメらしいエピソードだったと思います。

カンナの話が終わって次はルコアかファフニールか、はたまたOP/EDで顔だけ見せてるひょろながドラゴンか? と思っていたのですが、次回はトールの社会勉強のようです。
カンナちゃんが見事な社会適性を見せ、己の牙と角を隠す賢さ(あまりに強い竜という存在にとって、それは優しさでもあるのでしょう)を証明したわけですが、愛が突っ走る性悪ドラゴンは一体、摩擦とどう向き合うのか。
来週も非常に楽しみです。