読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

リトルウィッチアカデミア:第15話『チャリオット・オブ・ファイア』感想

遠い遠い示極の星を求めて飛び続ける魔女たちの物語、今週は復活のシャイニーシャリオ。
もう少し雌伏するかと思っていたクロエ先生が積極的にアッコとシャイニィロッドに手を伸ばし、それを跳ね除けるべくアーシュラ先生が一瞬だけシャリオ時代の輝きを取り戻すお話でした。
因縁の大波が背中を後押ししたのか、グラントリスケルの封印と七つの言の葉にまつわるヒミツは言えたけども、己がシャリオであることは未だ言えないアーシュラ先生。
かつてシャリオが目指し挫折した言の葉集めを、己のクエストと定めたアッコ。
追求や質問をあるいは宥めあるいは躱し、未だ底を見せないクロエ先生。
女たちの情熱と秘密が時間を超えて交錯する、新たなるうねりのエピソードでした。


というわけで、結構色んなことが起きた今回のお話。
シャイニーシャリオ大復活のアクションシーンに目が奪われますが、実はドラマシーンの大胆なレイアウトが各キャラクターの関係をうまく切り取っていて、とても面白かったです。
バストアップを飛び越して瞳だけを画面に写す極端なアップと、大きく引いた遠景の対比が、今回のエピソードが時間と人間関係、二つの距離感にまつわるお話だということを教えてくれます。

引いた間合いだと、人物と人物の間に何が挟まっているかがよく見えます。
図書館でアーシュラ先生とダイアナの間にある柱、教壇を乗り越えてクロエ先生に近寄るアッコ、コントロールルームでアッコを挟んで対峙するクロエとシャリオ。
ロングの絵で向かい合う人々にはそれぞれ距離があって、それが変化していったり、秘密を隠すことで踏み込ませなかったりするのが、今回のお話のダイナミズムです。
かつてシャリオのものだったシャイニーロッドが、向かって左手=クロエ先生側に置かれているところとかは、非常に象徴的ですね。

引いた距離で心の動きを切り取りつつ、グッと寄ったカットで心の変化、もしくは表面的には変化しない嘘が切り取られます。
アッコは『誰も褒めてくれないシャリオのことを、よく言ってくれたから』目ン玉キラキラさせてクロエ先生に近づいていくし、意識を取り戻した後のスペクタクルな説明を受けて、七つの言の葉を背負う北斗七星(グラン・シャリオ)を瞳に宿して、シャリオが挫折したクエストを己のものにする。

何の迷いもなく星を追いかけられる子供の瞳は、喜びや悲しみの感情を素直に写し、色々と移り変わります。
今週のアッコは普段よりさらに幼くて、世間のルールより自分のロジックを優先するガキっぽさよりも、言われたことを素直に受け止めるイノセンスが表に出ていた感じがします。
アーシュラ先生の言葉を聞いているときの反応とか、完全にベイビーちゃんだったもんなぁ……可愛かった。


対して、名前を捨て過去から変化した女たちの瞳は、早々素直に輝きはしません。
今回クロエ先生はアッコやシャリオから様々な追求や質問を受けますが、それに対して確定的な答えを返しません。
『クラウ・ソラスを奪い、世界改変魔法を唱える』というシャリオの読みも、当たっているのか外れているのか、本当のことは教えてくれないわけです。
大人になってしまったクロエは嘘の付き方を覚え、世界に対して利益をもたらすことで愛されることを覚え、自分の望みを叶えるための方法を沢山学んだ。
それが防壁ともなり、瞳の奥の真実を巧く隠しているわけです。

『自分の大好きなものを同じ様に愛してくれるから、あなたのことが好き』
ありえないほどピュアなアッコの好意を利用して、クロエ先生はクラウ・ソラスをスキャンし、その継承者であるアッコを調べます。
子供を騙して自分の願いを叶える、悪い大人なわけですが、そんな彼女はクラウ・ソラスを自分の手に握ることをためらう。
かつて自分の目の前でそれを握ったシャリオの笑みと重ね合わせて、欲望の中に握り込むことをためらってしまうわけです。
『便利でナウい魔法科学を片手に、世界を変えていく新たな魔女』という仮面を被り、真の目的を隠しながら蠢いているクロエ先生ですが、まだ完全に綺麗な時代の思い出、幼かった自分自身を踏みにじることは出来ないわけです。
ここら辺の心理は、第5話のファフニールと軽く響き合うところでしょうか。

クロエ先生は変わってしまったとも、変わっていないとも、彼女の周囲の人々は言います。
模範的な努力家、古き伝統を継承する『良い子』として期待を寄せていたからこそ、先端魔術の旗手として帰還したクロエ先生に、フィネラン先生は反抗的なのかもしれません。
対してシャリオは『あなたはまた、一人で全てを握ろうとする!』と言う。
それはかつて深く関係し、(シャリオの視点からは)裏切られたこそ、(シャリオの中での)クロエ先生が『悪くてずるい人』のままであるからこそ、出てきた言葉でしょう。

フィネラン先生にしても、アーシュラ先生にしても、利便を甘受している生徒たちにしても、『シャリオのことを褒めてくれる大人』として見ているアッコにしても、クロエ先生の虚飾を乗り越え、真実に目を向けようとしないのは残酷だなぁと思います。
成功者、革命者としてのイメージを煙幕に活用し、問いかけに対してはぐらかす態度を維持しているクロエ先生自身も、踏み込まれるのを拒んではいるのだけれども。
青春拗らせた防壁を誰かが乗り越えたら、クロエ先生のクエストって一気に解消されちゃって、お話し終わっちゃいそうでもあるからジワジワやるのは正しいとは思う。

シャリオとクロエ、天才肌のエンターテイナーと内気な優等生の間には何かの因縁があり、その果てにシャリオは七つ目の言葉を取りこぼし、クロエは新しい魔術を目指した。
ここら辺の事情は今回明らかにされませんが、クロエにとってシャリオがかなり大きな存在であることは、コントロールルームのモニターを占有する彼女の肖像からも見て取れます。
それは『あなたは変わった、落ちぶれた』という宣告とともに一つ一つ消えてしまうわけですが、それがクロエの本心なのか、否か。
アッコの無垢なる輝きを握りつぶせなかったクロエ先生と、強烈なセキュリティを配備し、着実に陰謀を進めていくクロエとの間に、どういう繋がりとねじれがあるのか。
アッコを次世代の勇者、失敗した自分の代用品として見るシャリオと、アッコからクラウ・ソラスを奪い、成長した己自身が救世主として再臨せんと企むクロエの対立は、どこに転がっていくのか。
ここら辺を探っていくことが、今後七つの言の葉を追いかけ、グラントリスケル復活を目指す物語の裏で、相当大事になる気がします。


決別したかつての友が大人の仮面を被り直す中、アーシュラ先生はシャリオ時代にガンッガン戻っていきました。
新月の塔の決戦で、一枚一枚『アーシュラ先生』を構築する記号が禿げていくのが凄く印象的で、帽子を投げ捨て、ローブを脱ぎ、眼鏡を打ち捨てて、最強の魔女としての実力を露わにしていきました。
周囲の暴力で打ち捨てさせられるのではなく、アッコを取り戻すために自発的に脱ぎ、戦ってるところが、先生の誠実さであり勇気だな、と感じましたね。

日高のり子54歳、未だ現役』と言う感じの吠え声が印象的なアクションでしたが、あれだけの暴力を奮ってもなお、アーシュラ先生は『輝きを失った』存在として自分を認識しています。
もともとこのアニメは直接的な暴力が何かを解決することはなくて、それは今回、塔の攻防の結果扉をこじ開ける形ではなく、クロエの触手に囚われる(もしくは招き入れられる)形でアクションが決着していることからも、見て取れます。
アーシュラ先生が取り戻すべき輝きというのはあくまで精神的なもの、超物質的なものであり、ビームが出せても挫折した過去は取り戻せないし、石像をどれだけ砕いたところで、過去の自分と向き合い、シャリオの真実をアッコに伝えることは出来ないわけです。
逆にいうと、アッコの無邪気で愚かな真っ直ぐさこそが、シャリオが失ってしまった最大の輝きであり、アッコを世界再生の勇者たらしめる資格なのでしょう。

魔女の黄金時代という、世界規模の『大きな真実』に繋がるグラントリスケルの秘密。
これをアッコに伝えることは出来ても、自分がかつて何者であり、アッコとどう関係していたのかという『小さな真実』には、アーシュラ先生は向かい合えません。
話のスケールが大きくなると、ついそちらに目を奪われ勝ちになってしまうわけですが、問題の公開順序はあくまで『大きな真実』優先で、本命の位置には個人的な過去、アーシュラ先生のセルフイメージに関係する『小さな真実』が配置され続けています。

『信じる心が、あなたの魔法』という作品のコピーを思い出すに、クロエの魔法科学や、ウッドワード
-シャリオ-アッコの魔法界復活という『大きな真実』は、大事ではあるけども本命ではない気がします。
今まさに青春を生きている若い世代も、かつて輝いていて今は『新月』となってしまった女たちも、自分の願い、胸を弾ませる情熱といかに向かい合い、過去や世界、自分自身との適切な距離を発見していくか。
そういう内面的で小さなクエストこそが、このお話では一番大事なものなんだと思います。

キャラクター個人個人の『小さな真実』と、世界規模の『大きな真実』をシンクロさせるために、『七つの言の葉はただ唱えるのでは意味がなく、精神の輝きと本物の実感を持って叫ぶことで初めて、力を宿す』っていう制約があるんだろうなぁ。
今回グラントリスケルの秘密を知ることで、アッコは『大きな真実』を探す旅の当事者になって歩いていくわけだけども、それはかつてクロエとシャリオが歩き、ゴール直前で挫折した道のりでもある。
巧く行かなかった自分たちの代理人として、二人の女が一人の少女を見ていることは何度も描写されているけども、実はその道は一回こっきりの旅路ではなく、何度でも歩き直せる人生の道のりなのでしょう。
アッコが自分の道を、言葉を、星を見つけていく物語と重ね合わせて、道と輝きを見失ってしまった女たちがもう一度、星に照らされて道を見つけ直す旅に、グラントリスケルをめぐる冒険がなってくれたら良いなと、僕は思います。
アーシュラ先生もクロエ先生も俺好きだからね、セルフイメージをがんじがらめにして窮屈そうなのを見ているのは、なんともしんどいのよ。


んで、劣等生を巡って先生二人がバチバチ火花を照らす中で、現役魔法界最強の優等生は、自力でガンッガン先に進んできた。
第6話、第11話でもそうでしたが、物分りの悪いアッコには魔法を駆使したスペクタクルな映像で状況を理解させてあげるのに、ダイアナは地味に本を読み、自分の力一つで真実にたどり着いているのは、なかなか残忍な対比だなぁと思います。
手のかからない『良い子』だからこそ、孤独になってしまうし、孤独であること自体を理解されないというか。
アッコだけではなくダイアナにも、アーシュラ先生は自分個人の真実を告げられないで嘘をついていましたね。

今回アッコがたどり着いた『魔法界復活』というクエストは、ダイアナにとっては既に当事者性のある自分の問題です。
勉強を頑張るのも、本を読むのも、グラントリスケルの真実に近づいていくのも、愛する魔法界に輝きを取り戻し、没落の運命を避けるという、ダイアナ自身の願いのためです。
目指すところはおんなじなんですが、アッコはあくまで『大好きなシャリオが挫折した夢を、私が叶える!』って気持ちが強いんだろうなぁ……あくまで公益性に対するアプローチが細くて、個人主義的というか。
それは善悪の問題ではなく、アッコとダイアナの個性の問題だと思うので、違う星に照らされながら同じ道に二人が乗っかったのは、なかなか面白いと思います。

少し脇道にそれると、アーシュラ先生の姓が『カリスティス』であることがわかりました。
カリストーはヘラによって熊に変えられたニュンフで、おおぐま座のモデルでもあります。
シャリオの姓の『デュノール(du Nord)』はフランス語で『北』ですから、やっぱ北極星にまつわるモチーフがそこかしこに埋まってる感じですね。

今回のサブタイトル"チャリオット・オブ・ファイア"も、北斗七星(グラン・シャリオ=大きな戦車)と、反逆者ベリアル(≒クロエ先生)の乗る炎の戦車との重ね合わせかなぁ。
『魔力ある時代に建てられた螺旋の塔が崩壊した残滓が、世界に残る巨石文明である』という描写とかもそうなんですが、魔術や占星術、神話へのアプローチがさり気なくディープなんで、色々余計なことを考えてしまいます。
魔術関係にガチな描写と調査を重ねつつも、少女の成長譚というぶっとい軸を絶対に外さず、興味があるものだけ掘り下げられるサブテクストに収めているところは、このアニメらしい品の良さだと思います。


というわけで、今を生きる二人の少女、過去に囚われた二人の女、4つの視線が複雑に混ざり合いつつ、巨大な運命が加速してくお話でした。
クロエ先生の謎が深まりつつも、相当にナイーブでややこしい内面を隠していることが分かって、僕は嬉しかったです。
お話の大きな部分を握り込むキャラクターには多層的な内面を持っていて欲しいし、欲望と使命感に突き動かされつつ、過去と情を捨てきれないクロエ先生の姿は、濃い陰影があって素敵だしね。
今後もシャリオとの過去をモリモリ掘り下げ、現在進行形でバチバチし合うアッコとダイアナの運命と、巧く共鳴させて欲しいものです。

かくして主人公は、自分のあずかり知らぬところで動き出していた運命を認め、己の宿命として受け入れました。
それはアッコだけではなく、様々な人の視線と欲望が絡み合う、巨大な渦。
大きな波風に向かい合うだろう物語の中で、少女とかつて少女だった者達が何を見つけ、どこにたどり着くのか。
さらなる加速を始めたリトルウィッチアカデミア、今後がとても楽しみです。