読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

リトルウィッチアカデミア:第19話『キャベンディッシュ』感想

夢と挫折、魔法と現実、伝統と革新がぶつかる青春の渦潮、ついにダイアナ・キャベンディッシュをメインに据えたエピソード、その前編です。
これまでのエピソードとも豊かに呼応しつつ、『伝統』を背負うダイアナと、『新しい力』の象徴であるアッコ、二人の強さと弱さがじっくり描かれるお話となりました。
『現実』に最悪の形で適合した叔母を出すことで、ルーナノヴァが重んじる『伝統』がどのような状況にあるかを、ルーナのヴァを離れたウェディンバラで確認する回でもあったと思います。
これまで幾度も語られてきた、『伝統』と『確信』の対立、そして融和。
来週のクライマックスに向けて、非常に丁寧に滑走路を整えるエピソードだったと思います。


最初に言っておきますが、僕はダイアナ・キャベンディッシュというキャラクターに過剰な思い入れがあるので、こっから先の文章はあまり理性的ではないかもしれません。
推測と妄想が入り混じり、願望混じりの過剰な読みが飛び交うことになると思いますが、ダイアナにはそうさせる魔力があるのだ、と思っていただければ幸いです。
可能な限り冷静に書くつもりなんですが、待ちに待ったダイアナメイン回、吹き上がる体熱をごまかして書くよりは、勢いで押し込んだほうが良かろうと思いました。

言い訳はこのくらいにして、今回はダイアナとアッコの話であり、魔女界の話しであり、言の葉の話でもあります。
シリーズ初の前後編となったこのエピソードがどういう話なのかは、アバンのダイアナとバーナデットとの会話で既にまとめられています。
『伝統と新しい力が交わる時、まだ見ぬ世界の扉が開く』
おそらく新しい言の葉となるこの言葉はしかし、ダイアナとアッコがお互いを理解しきれていない現状力なきモットーでしかなく、これに実感を加え魔法にしていくのが、今回のエピソードの狙いとなります。

そのためには交わり合う『伝統』と『新しい力』がどういう個性を持っていて、良い側面と悪い側面、両方を描かなければいけません。
ウェディンバラの屋敷に集まった人たちは、魔女界との関わり、新しい力への開け方、背負った倫理性が明確に別れていて、キャラクターにテーマ性を背負わせ話を転がしていく配置だといえます。
大人-子供、魔女界-現実、夢を持つ-現実におもねる、貴族-平民。
様々な対立軸をキャラクターが背負うことで、今回のお話はキャベンディッシュ家の興亡にとどまらず、作品世界全体を照らし出す奥行きを獲得します。
キャラクターを個別に掘り下げていくことで、このお話が切り取りたい『伝統』の表情、『新しい力』の個性の描き方というのも、より鮮明になっていくわけです。


そういう構図の中で、やはり一番鮮烈なのはダイアナでしょう。
ナインオールドウィッチに連なる名門の末裔として、『伝統』を背負うためにこれまでも背筋を伸ばし続けてきた女の子は、今週も誇り高く振る舞っています。
『なすべきこと』を最優先しつつも、それが愛しい母から受け継いだ『やりたいこと』でもある彼女は、あくまで自発的にキャベンディッシュを優先し、ルーナノヴァを去る。
徹頭徹尾隙のない優等生、あらゆる問題を完璧に乗りこなす、さすがダイアナ。

というステロタイプでは描ききれない裂け目を、このアニメはかなり丁寧に切り取ってきたし、今回は特に深く切り込んでいます。
無邪気に、残酷に、『やりたいことをやればいいじゃん。ルーナノヴァをやめなくてもいいじゃん!』と言ってくるアッコに対し、ダイアナは本心をストレートには伝えない。
11歳の時に脱ぎ捨ててしまった子供の衣装が、今のアッコにはぴったりなように、自分の気持ちを真っ直ぐ言葉にできるアッコの強さ(と無神経さ、幼さ)は、もはやダイアナには身につかないものです。

誰にも涙を見せないまま、空に消えていくしかない彼女は『ルーナノヴァが大好きです。アッコとおなじように、全てが輝いている思い出で、捨て去りたくなどありません』とは言えない。
優等生と劣等生、インサイダーとアウトサイダー、貴族と平民、西洋人と東洋人。
様々なものが正反対だったとしても、彼女たちが魔女であり、ルーナノヴァの生徒であり、泣いて笑って食べて寝ての青春を共有していること、そこに輝く思いを抱いていることは共通している。

それでも、ダイアナは自分の気持ちを真っ直ぐ言葉にする贅沢も、大人に助けてもらう特権もないまま、『伝統』に従って口をつぐみ去っていこうとする。
彼女に許されているのは『嫌いではありませんでした』という婉曲で貴族的な、あまりにも自己を抑圧した好意の表明だけです。
能力ゆえに、血筋ゆえに、伝統ゆえに、常に『やりたいこと』ではなく『やるべきこと』を外側に出し、それが周辺にとって当たり前になっている優等生の哀しさが、今回のダイアナの言葉には滲んでいます。
それは彼女が人前では流せない感情の雫、涙の代わりなのでしょう。

可能ならば、彼女もアッコのように己を全開にして、わがままな子供のように振る舞いたかったでしょう。
しかしそれは周囲の環境と期待が、そして何より、母の期待に答えたいという彼女自身の思いが許さない。
これはアンドリューにも通じる部分ですが、彼らノーブルな存在がノーブルであり続けたいと願うのは、『伝統』の檻に閉じ込められていると同時に、自分から望んで『なりたい自分』として振る舞った結果でもあるのです。
貴族的であること、己を抑圧可能な大人であることは、貴族の子供にとっては親との繋がりを確認し、愛されて生まれてきた自分自身を確認することでもあるのです。
『伝統』の重さ、自分の気持ちを口にしない成熟した(してしまった)子どもたちの哀しさをアッコが理解しなくても、失われた母への思慕は即座に共感できるところが、一つの救いだと感じました。
アンナに説明される前段階で、推測できる情報は揃ってたのに思い至らないのがアッコの馬鹿さで、事情を察したら自分のことのようにウルウルしちゃうところが、アッコの良いところだな。
アッコ、ママ好きかー、そっかー。


思い返すと、主役として未熟であること、成長の物語を書き連ねる白紙をたくさん背負っているアッコに比べ、ダイアナは物分り良く、自分の物語を整理してきました。
気の置けない友達と青春を謳歌したり、未熟な自分に思いっきり凹んだり、アーシュラ先生という頼れる大人(であり、シャリオという夢そのもの)に助けてもらえるアッコに比べて、『大人びた子供』でしかないダイアナへのケアーは極端に少なかった。
というよりも、子供でしかない彼女がルーナノヴァの財政をケアし、生徒をまとめ上げ、『伝統』が求める理想を演じ続ける捻れを当然視するほどに、彼女は高貴だったし強かった。
弱さを見せては、母が願った理想の魔女/貴族ではあり続けないと、シュタイフ・ベアとレアカードを家に置き去りにして(ルーナノヴァにシャリオのカード≒幼さを持ち込んだアッコとは、ここでも正反対)彼女は一人で立ち続けました。

トーリー進行にあまりにも献身的に、ダイアナはアッコ側の事情を全て独力で調べ上げ、言の葉も、グラントリスケルも、アッコが王権の剣に選ばれた救世主であること(つまり自分は選ばれなかったこと)も、無言で飲み込みます。
自分の気持ちと尾なじように、世界のルールも、アッコが背負う物語もお行儀良く飲み込む彼女は、アーシュラ先生が守らなければいけない生徒≒子供ではなく、一人で自分の道を歩ける大人であると、周囲に認識されています。
アッコが手に入らなかったシャリオのレアカードを、ひっそりと閉じ込めて未だ大事にしている彼女の寂しさには、誰も寄り添いません。
アッコが先生と二人三脚で言の葉を追い求める時、必ず描写されていたダイアナの独習が、こういう形で結実するのは、納得もできるが寂しくもある、なんとも言えない描写でした。

ダイアナが高潔なのは、『ライバルとは思っていない』劣等生のアッコに、心からの叱咤と激励を飛ばしていることです。
アッコが言の葉を集めるのは、魔女界が復興するという公的な目的ではなく、憧れのシャリオにもう一度会えるという私的な願いのためです。
それは遥か古代から続く魔女回の文脈から切り離された、『伝統』とは無縁の願いであり、ダイアナが『軽んじている』と受け取るのも無理はないでしょう。

それでも、選ばれなかった自分と選ばれたアッコの間にある残忍な裂け目をじっと見つめて、『伝統を大事にしなさい』『立派な魔女になりなさい』と、大真面目に忠言してくれる。
叔母にアウトサイダーの生まれを侮蔑されたときも、背中にかばって『彼女は立派な魔女です!』と力強くかばってくれる。
正反対のアッコに、残酷な運命に、引き裂かれた心のままに叫びたいはずなのにそれを押さえ込んでしまうダイアナの姿は、痛ましいと同時に高潔なものとして、僕の目には写りました。
そんなときでも優等生でなくてもいいのに、彼女は(おそらく母と死別した時に)己で任じた『自分らしさ』に胸を張って、堂々と生きてしまうのだと。
アッコに道を示す態度が、アバンで見せられた母親からの夢の伝授の再演であり、去りゆく自分では叶えられないからこそ夢を託す構図が反復されているのが、なかなか強力です。
アッコに恨み言ではなく激励を残すことで、ダイアナはあの時の母と同じ距離まで駆け上がったわけだ……立派だけど、やっぱ寂しいよ、そういうのは。


そんなダイアナに、アッコは遠い場所から急接近していきます。
アッコは欠点の多い主人公として描かれ、たくさんの物語を主役として駆け抜けた今でも、色々問題があります。
他人の立場を推測する賢さも、自分とは違う前提条件を受け入れる寛大さも、時間や空間の広がりへの想像力も、劣等生の彼女にはありません。
そういうのは常に、ダイアナの属性でした。

しかしだからこそ、物分り良く『伝統』に従ってしまうダイアナの弱々しさではなく、『新しい力』をフル回転させて他人の事情に首を突っ込むパワーが、アッコにはある。
それが(大量の問題を含みつつも)様々な可能性にたどり着いてきた物語が、これまで僕達が見てきたアニメなわけです。
母親の喪失も、『伝統』(そして、それと同じくらいのルーナノヴァ)への愛着も、理解しないまま、アッコは去りゆくダイアナに突撃していく。
沈黙を守らなければならない場面で言葉を発する無作法(これはルーナノヴァからの旅立ちと、食事のシーンで二回演じられます)はしかし、隠していてはいけない大事なものをむき出しにするわけです。

第1話のシャリオをおなじように見て、カードをグリモワールに変えてルーナノヴァにたどり着いたアッコと、綺麗な小箱に(アッコが唯一保持していない!)カードと憧れを封じ込めて『伝統』を背負ったダイアナ。
11歳の服が似合うアッコはしかし、シャリオに憧れるだけの子供ではありません。
憧れに導かれ、中身の無いままたどり着いたルーナノヴァで、彼女は友情と師の教え、そして『伝統』が育んだ魔法の素晴らしさに触れた。
それが『シャリオと同じくらい、私の中で輝いてる!』と大きな声で言ってくれたのは、彼女の成長を強く感じられる素晴らしい告解でした。

自分とは正反対で、でも魂の奥底が似ている。
そんなアッコ相手だからこそ、ダイアナは言わなくても良い本心を告げ、それに突き動かされたアッコは異境であるウェディンバラへと、頼れるルームメイトの支援を受けつつ飛び込んでいきます。
ハンナやバーバラがそうしたように、『伝統』を飲み込んで、ダイアナが運命に轢き潰される様子を泣きながら見ているだけのお姫様に、アッコはなりたくなかったのでしょう。
自分の足で前に進む、王子様であり魔女でありネズミの御者であり、お姫様でもあるような主役として、『自分のやりたいこと』をやる。
そういうアッコらしさが、物語を先に進めていきます。

ダイアナは『みすぼらしい学生服では、叔母様に笑われてしまう』と自分の衣をアッコに貸します。
でも、ダイアナにとって魔女=母の『伝統』に触れ、自分が心から愛するものに包まれていられるルーナノヴァこそが、夢のような舞踏会だった。
正体を知られぬまま、真夜中にガラスの靴を置いて去っていこうとしたダイアナに、『シンデレラなんてくそくらえ!』とばかりに、アッコは追いつきます。
ダイアナには貴族の乗馬服(ズボンを履いても自由になれない辺り、アマンダとも声質が違うわけですね)よりも、社交用のドレスよりも、ルーナノヴァの制服こそが、ピッタリのガラスの靴だと思っているわけです。
それはアッコの思い込みであると同時に、ダイアナが押さえ込んでいる本心であり、おそらく誰もが幸せになれる正解でもある。

そこにたどり着く道が険しくても、おバカなアッコは気にしません。
自分がやりたいと願った心の高鳴りそのままに、困難な道を歯を食いしばって進む。
それは実は、意地悪な継母と義理の姉妹が待つ『家』に帰還し、財政難のハンブリッジ家を背負おうとしたダイアナと、全く同じ心の動きなのでしょう。
『やりたいこと』だから、尊敬する誰かから受け取った強く輝く『やるべきこと』だから。
その光から目を背けず、胸を張って逆風に飛び込んでいく心意気は、優等生と劣等生で強く共通しています。


そんな魂の姉妹たちに協力してくれるのが、メイドのアンナであり、ハンブリッジ親子です。
普段は『余計なおせっかい』をガンガン押し付けてくるアッコが、髪を梳り、服を着付け、ダイアナの事情と心情を伝えてくれるアンナに押し込まれていくのは、なかなか面白い絵面でした。
アンナがアッコに(過剰に)親切なのは、貴族社会に迷い込んだ山猿でありながら、ダイアナを真っ直ぐ求めるアッコの気持ちに感じ入っているからだと思います。
ルーナノヴァの教師やハンナ&バーバラでも寄り添えなかった、『ダイアナだって子供である』という事実に、唯一接近し、どうにかしようと心を砕いてくれるアッコの同志なのでしょう。
失われた『母』(ハンブリッジ家の『母』は、不自然なほどに顔を見せません)の代わりは務められなくても、アッコと一緒にダイアナに魔法をかける、フェアリー・ゴッドマザーの仕事はしてくれそうで、来週が楽しみです。

前々回以来の登場となったアンドリューですが、アッコとはすっかり打ち解けた様子です。
男と女が並ぶとついロマンスを求めてしまいますが、貴族社会と縁がないアッコを前にしたアンドリューは、年相応の悪ガキっぽさが全面に出て、とても自由に見えます。
そういう悪友感が二人の間に漂っているのは、なんかいいなぁ、と思いますね。

ハンブリッジ家は今回、第2の主役とも言うべき面白い立ち回りをしています。
母と死別し、反発も和解ももはや出来ないダイアナに対し、アンドリューは肩の触れ合う距離で父に向かい合い、反発し、あるいは敬意を見せることが出来る。
国務長官も、反抗期……というには穏やかな反乱ですが、背中を向けてきた息子に当惑したり、対話したり出来る。
後部座席でアッコを挟み、お互いの肉体を感じられる親子がいればこそ、ダイアナと母の間にある埋められない傷が目立ってきます。

ハンブリッジ家は男の家系であり、魔女とは別の『伝統』に位置しています。
なので、アッコが心底驚いたナイン・オールド・ウィッチ(今更ですが、アヴァロンの九姉妹ですね元ネタ。彼女たちに向か入れられて、約束の王たるアッコは聖剣を携え帰還し、王国は復活するわけだ)にも興味を示さず、キャベンディッシュ家の財宝にも冷たい態度を見せる。
それは世間一般が『魔法』に対して見せる反応であり、第5話でファフニールが適応した『現実』がルーナノヴァに寄せる冷遇と、軸を同じにしています。
ルーナノヴァ内部で展開していると、こういう目線はなかなか感じ取れないので、新鮮であり大事だとも思います。

ハンブリッジ家とキャベンディッシュ家は『伝統』ある貴族であり、自分で馬を準備・管理・運営できるハイクラスに属しています。
ダイアナが乗馬をしているシーンと、労働者階級のスポーツであるフットボールの結果に、国務長官が冷淡なのはなかなか面白い表現です。
ルイス親子が熱狂していたのとは好対照で、2つの男系家系が属しているクラスの違いの表現なのか、そこまで深い意味のない対照なのか、気になるところですね。


そういう貴族社会にしがみつき、『魔法』を弄びつつ『現実』に最悪の適合を果たした叔母、ダリルも、今回は非常に目立っていました。
『伝統』ある『魔法』の道具を切り売りし、家訓(これも『伝統』)である『慈善』の心を忘れ去って私欲を満たしている姿は、輝く夢を追い求める子供とも、冷静に公平に責務を果たしている国務長官とも、大きく異なります。
魔女のインサイダーでありながら、『誇りで飯は食えない』と諦め、『新しい力』を己のものに変えようともしない彼女たちは、主役たちを映す歪んだ鏡と言えます。

これまで物語が展開したのは、保守的な魔女の価値観にしがみつくルーナノヴァであったり、魔女の価値観それ自体に反発するハンブリッジ家やエイプルトン校でした。
しかし今回の舞台は魔女の名門、キャベンディッシュ家。
当主継承に必要な星辰の意味を知る程度には魔法に親しみつつ、その『伝統』に価値を見出すわけではなく、マジックアイテムを売り飛ばすしか能がない堕落した魔女の姿は、これまで見られなかったものです。

国務長官に媚を売り、ガラクタ(としか彼女には映らないもの)を売りさばいて糊口を凌ごうとする姿は、実は第5話のルーナノヴァ教師陣に通じるものがあります。
魔女の世界の外にある、シビアな経済ルールに支配された『現実』。
それに適応できないまま、通行手形代わりに『伝統』を踏みつけにしてしまうのは、滅びゆく魔女の哀しきオーソドックスであり、世界を改革しなければここまで堕ちてしまう、ありふれた没落なのでしょう。
クロエ先生もシャリオもダイアナも、これが嫌で仕方がないから、それぞれ個別の流儀で奇跡を手に入れようとしているんだろうなぁ。

ダリルは意地悪な継母であり、悪しき女君主であり、否定したくなる悪漢ではあるのですが、彼女が突きつけてくる問題には、子どもたちが乗り越え答えを出さないといけない重たさが、一筋篭っています。
『魔法』の意味を無批判に積み重ね続けた結果、『現実』になんら影響を及ぼさず、閉鎖的で縁の切れた社会になってしまった魔女界。
魔法によるエンターテインメントで世界と繋がろうとしたシャリオも、『現実』と『魔法』を接合するマジック・テクノロジーを選んだクロエも、異物として排除しようとしている魔女界。
ダイアナもアッコも、『信じる心があなたの魔法』というシャリオの言葉を証明するには、ダリルが嘲笑った魔女界の現状に向かい合い、自分なりの答えにたどり着かなければいけません。
大人の汚さに反抗するのであれば、『現実』を弾き飛ばすほど強烈な夢の輝きと、『現実』に適応可能な知性の両方を示さなければいけない。
そして二人は、白い竜を相手に一度それをやっているわけです。

一枚だけ足りないアッコのカードと、一枚しか無いダイアナのカード。
アッコが幼さを封じ込めたシャリオのカードが、彼女にとっての魔導書(グリモワール)であるということは、これまでの物語の中で幾度も示されてきました。
そこにダイアナのスーパーレアを付け足すことで、『伝統』と『新しい力』が友情を育み、劣等生と優等生がお互いを認め合う未来が、見えてくるのではないか。
キャベンディッシュ家を支配する、『現実』への敗北宣言を吹き飛ばし、理想主義の言の葉に力を宿す強い決意が生まれるのではニカ。
そういう気がしています。


僕は今回の話を、逆向きのシンデレラとして読んでいます。
意地悪な継母と義姉から逃げ出して、ドレスの代わりに学生服を着込んだダイアナは、魔法の鐘が鳴り響く中、真実を告げないままルーナノヴァという舞踏場を去っていきました。
ガラスの靴を持たないまま追いかけたアッコは、リムジンにのった男の御者に助けられ、ダイアナの真心が眠る故郷にたどり着く。
解けてしまった青春の魔法をもう一度かけ直すために、いけ好かない正反対の、でもだからこそ気になる女の子を助けるために、魔女の城に乗り込む。
そこではおそらく、アッコもダイアナも助けられる灰被りであり、手を差し伸べる王子であり、魔法使いの妖精であり、ガンバに似たネズミの御者でもあるのでしょう。

役割は固定的なものではなく、アッコが背負うものはダイアナの中にもあり、ダイアナの哀しさをアッコが自分のものとして受け止めることも、また可能なはずです。
母が願い、あるいは呪いのようにつぶやいた『新しい力』と『伝統』の融和、それが生み出す新しい扉。
それが『友情』という名前の戦いに続く扉であることを、アッコもダイアナも大好きな僕は、強く願っています。

二人が憧れたシャリオが開けようとして、挫折してしまった扉を開け、『伝統』を背負い死んでいった母の願いを、ダイアナなりのやり方で叶えることは出来るのか。
心の中の小さな子供を押し殺して、血まみれの足で背伸びする優等生に、バカで真っ直ぐで優しい僕らの主人公は、どんな魔法をかけるのか。
来週の後編、非常に楽しみです。