フレームアームズ・ガールを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
総力結集ラストバトル! やってくる日常と笑顔の別れ! とりあえず3Dモデルだし歌って踊っておけ!!
二話構成を最大限に活かし、様々な感情を極限的に盛り上げるまさにクライマックス。自分たちの強みを最大限に活かした終わり方で、最高に良かったです。
というわけで、FAガールも最終回。バトルにコメディにキャフフにいい話にSF、色々詰め込みつつ高速で展開するてんこ盛り感が最高に気持ちいいアニメであった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
そんな作風をギュッと濃縮するかのように、今回はとにかくいろんなことが起きる。起きまくる。
まずはバトルなんだが、殴り合いの出来も良かったがその前段階、『この戦いに何故引いてはいけないのか』をあおがきっちり把握し、言語化してみんなと共有するところが非常に良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
アホバカ女子高生としてゆるゆるやってきた彼女だが、大事な部分はキッチリ〆れるのだ。まさに主人公である。
あの戦いはFAガールの『戦い』部分を総括するもので、それはつまり『意思を見せる』ということだ。ガールたちは別に兵器ではないが、戦うことは機能の一つであり、誰も傷つけないルールと場のなかで楽しく、スポーツのようにバトルする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
その結果みんなが心を通じ合わせ、自分を見つけてきたのだ。
フレズの意志を奪い、価値を略奪する大きな力。それに屈せず、自分の大切なものを守るための戦いは、これまでのドタバタ楽しいバトルと地続きであり、その上で倫理的超越を果たしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
楽しいだけではなく、善いものを守るためのバトルにもなっているのだ。現状維持から変化と成長のためのバトルへ
まぁそこら辺はバトルが終わり、日常が戻ってくるタイミングでスッと真剣な空気を抜かれてしまうものでもあるのだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
あそこで謝罪メールを出してFA社=悪という構図を崩し、超豪腕でいつもの優しい世界を取り戻すのは、さすがの強引さだなぁと思う。こういう引っ張り方できるのは強い。
ちゃぶ台をひっくり返されたからと言って、あおがバトルに見つけたもの、轟雷が守ろうとしたもの、みんなが未帰還を賭けて挑んだ決意が、無価値になるとは思わない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
そういう真剣なものもまた、このアニメが贅沢に切り取ろうとした多様な価値の一つなのだ。
みんなの魂が宿った武器が集結し、フルアーマーゴールデン轟雷になる展開も、ベッタベタな最終決戦ながらしっかりしていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
短い尺の中で未帰還の可能性を見せて、十歳児なりに本気で賭けに出ていることを示したのが、温度をガッと上げていた。リスクやマイナスは起爆剤である。
そんなこんなでフレズを倒し=治し、大事なものを守った轟雷。回収ロボが彼女を攫って『更にシリアスの畳み掛けが?』と思わせておいて、かーらーのー、怒涛の膝カックンで『はいはいシリアス終わり! こっからキャフフと感動!』と持ってくパワー。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
『やるべきことはやりきる』という気概を感じる。
この話には色々軸があったが、轟雷のASが様々な感情、体験を手に入れていく『機械知性の成長物語』が、一番太い軸だったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
轟雷は名字を貰う。それは他愛のない戯れであり、戸籍に乗っかるような正当な社会性を、轟雷が自発的に獲得する予感でもある。
あおと轟雷の間にある感情は多彩で多様で、人間同士の関係がそうであるように複雑だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
名字を貰う行為が養子縁組なのか婚礼なのか。そういう枠には収まりきらない、新たな時代の契約なのか。そういう広がりも含みつつ、形のないものを欲しがった轟雷の到達点は、とても綺麗だ
無邪気でバカで元気な子供が、あおに見守れられつつ何かを学び、自分の意志で道を選ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
源内の名字をもらい、あおの側にい続けることを選んだ轟雷と、巣立っていく子供たちの決断は等価に意義深い。そういうところにまで子供たちを引っ張り上げたあおも、また。
あおホームというシェルターがあったからこそ、バカガキどもは思う存分走り回り、元気に仲良く暮らせていけた。そこは暖かくて、優しい場所だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
散々その閉じた良さを堪能させてくれた後に、扉を開けて出て行く開放性に踏み出したのは、凄く良いなぁ、と思う。
永遠はない。季節が気づけばクリスマスになっているように、全ては流れていく。その中で変わるもの、変わらないもの、両方に意味がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
轟雷はドアを開ける自由と力を、あおとの暮らしの中で手に入れた。しかしそれを行使せず、ホームであおと暮らしながら、再開を楽しみに待つだろう。
外に飛び出していったものは、また新しい出会いがあるだろう。それは喜ばしいものばかりではないかもしれないが、マテリア姉妹のようにマイナスすらも楽しんでしまうタフさが、今の子供達にはある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
ただただ楽しい生活は、気づけばバカガキどもを世界に送り出し、鍛え上げる大事な足場になったのだ。
『キャフフな日常モノ』というジャンルの要求に120%本気で応えつつ、そこから少しはみ出した、あえてこの言葉使うけど『まっとう』な終わりへと踏み出せたのは、本当に凄いことだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
いつまでも続けられるものだからこそ、ちゃんと終わり、別の可能性に接合しなければならないのだ。
そしてこの感慨は、『15センチの隣人との、楽しい日々』を徹底的に描ききったからこそ生まれもする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
暖かな場所の良さ、安らかさ、しみじみと感じ入る幸せに抜かりがなかったからこそ、それが変化(変質ではない)して別の顔を見せる瞬間に、ハッと目を開かされる。日常と変化は地続きなのだ。
そういう楽しさを大事にするからこそ、ラストはとにかく楽しく歌って踊って、急なキャラソンの販促でフィニッシュである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
『ワシがプリリズAD・DMFシリーズ構成、赤尾でこである!!』って感じだな。楽曲の作詞ほとんど三重野さんだし。最後に伝家の宝刀抜いた感じだ。
あそこであのシーンが挟まる意図は、作中スチ子が言っているとおりだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
『湿っぽくて、悲しいお別れにはしたくない。このアニメはずっと楽しいものだったから、楽しくて明るいお別れにしたい』
そこには意図と粋がある。視聴者が望むムードのまま、ちゃんと終わりたいという願いがある。多分誇りも。
賑やかで、可愛くて、ちょっと真面目で面白い。みんなが好きだったFAガールは、みんなが好きだった要素を全部盛り込み、最高に気持ちよく終わった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
凄いことだと思う。これだけの要素を詰め込んで潰れていないのも、何より楽しいことが。野望とプライドのある、良いエンターテイメントでした。
終わってみると、いいアニメだった。女の子たちは可愛く幼く、みんな好き勝手に生きていた。悪いこの部分も隠さず、自分であることを精一杯画面の中で表現していた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
そういう息遣いを感じられるように、作画も演出も非常に頑張ってくれた。見ていて綺麗で面白い。とても大事で大変なことだ。
AIの発達と10歳時の成長物語を重ねて、めぐる季節、繰り返される日常の中でジワジワと表現させたのも、非常に良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
立派になった姿が鮮明であるためには、身勝手で幼い姿をちゃんと見せなければいけない。
我欲に走るキャラをどう、楽しく食わせるか。そこら辺の計算もしっかりしていた。
可愛さと笑い、ちょっぴり(?)のエロスを巧くつなぎ合わせて、ダメダメ人間の人生喜劇を思いっきり食べさせてくれたことが、とにかくありがたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
いろいろ考えて作られてるんだけど、そういうこわばりを客の前に極力出さず、スッと楽しんでいい気分になれるよう、見事に要素を並べてくれた。
AI生命体との日常。キャフフを盛り上げる座組に秘められたSF要素を、控えめに、しかし力強く取り回してくれたのも素晴らしい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
第8話Bパート、第11話Aパートあたりの思弁的な渋さを、アッパーテンションな普段の空気に流されずちゃんとやったのは、お話がしっかりまとまる妙手だったと思う。
シリアスな空気の扱いの巧さは、感情面でも生きていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
あおと子供たちが交流するドタバタな日常が、一瞬ペースを緩めて、凄く真剣な感情をむき出しにする瞬間。それをちゃんと切り取って蓄積できていたことが、今回の終わりに分厚い感慨を与えていた。やるときゃちゃんとやるのは、とっても大事だ。
そういう沢山のものを支えて走りきれたのは、キャラが生きていたからだ。記号を的確に寄せ集めつつも、そこで終わらない生気みたいなものがキャラにちゃんと宿っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
みんな可愛らしくて健気でずるくて、生き生きとしていた。日々を過ごす姿が、とても楽しそうで、羨ましい気持ちになれた。
特にあおと轟雷、二人の主人公はオバカな可愛げありつつ、お互い支え合い変わり合う関係性の強さありで、とても魅力的だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
轟雷がジワジワ変わっていくこと、常にあおが見守っていること。ガールたちの変化を受けて、あおもちょっとだけ変わること。その変化が、変わらない日常に芯を入れていた。
『終わらない日常』が持っている閉鎖性。それは常に楽しく、心地よい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
『ゆるふわ日常モノ』がジャンルとして成立するその引力を大事にしつつも、『出会い、変わり、安らぎ、旅立つ』物語という、非常にベーシックな形式を見事に埋め込み、完走できたこと。終わってみると『案外普通の話』だったこと
あおと轟雷を軸に、変化と停滞を絶妙なバランスで展開させたことが、このアニメの凄く強い部分だったと思う。1話を2つに分割し、スピーディで多彩な展開を可能にしたのも、まさにクリティカルだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月19日
良いところがたくさんある、とても隙になれるアニメでした。ありがとうございました。