イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

月がきれい:第11話『学問のすすめ』感想

恋に青春に全力疾走してきたこのアニメもついに季節は冬、家族と向き合う第11話です。
思春期男子のムッスリ感を全開にした小太郎くんが、母と父の優しさに触れつつ素直にはなれず、家族の外側の支援を借りて信頼の意味にたどり着く。
小太郎くんの苛立ちも、お母さんの小言と優しさも丁寧に切り取ってきて、両方の気持ちも難しさも判ってしまう、良いスケッチでした。


というわけで、茜ちゃんとの関係もほぼクリアーし、青春無敵街道一直線……とはならないのがこのアニメ。
恋愛と小説とお祭りにリソース注いでた小太郎くんの学力は足らないし、茜ちゃん相手にはあんなに上手く使えていた言葉も、お母さん相手には口の中で止まってしまう。
堂々胸を張って『惚れた女のために県外の高校に行きます!』とは言えないし、両親の不器用な真心にもなかなか気づけない。
これまで物語のストレスを上手くコントロールしてきた小太郎くんの人間力を、今回はちょっと抑え気味にして、等身大の中学三年生を出してきた感じでしょうか。
ハネテルくんっていうか、スネテルくんって感じだったか、今週の小太郎くん。

そういう不完全さは当然両親にもあって、お母さんの言葉の使い方、思いやりの表し方は完璧じゃない。
お父さんものんびりし過ぎというか、どっしり構えすぎて加速する事態についていけてない感じ。
そういう不器用さは安住家だけではなく、あらゆる家、あらゆる人間集団にあって当然のものなのでしょう。
大事なのはすれ違わないこと、衝突しないことではなく、ぶつかった後のリカバリーなのです。

茜ちゃんへの愛情が強い分、今週の小太郎くんはかなり思い詰めて、視野が狭くなっています。
純文学とライトノベルの選択肢で、柔軟な対応ができないのとおんなじ部分が、小太郎くんがお母さんに『ありがとう』を言うのを邪魔している。
茜ちゃんのロングマフラーにはすぐさま『ありがとう』と言えるのは、家族から少し離れた場所にいるからこそでしょうか。

そんな茜ちゃんから、最後の大会でのお弁当の話を聞くことで、小太郎くんはちょっとずつ自閉のドアを緩めていく。
『判ってやるもんか』と意固地になっていた気持ちを解して、これまで、そして今回茜ちゃんに見せていたような繊細な理解力を、家の中にも向けるようになる。
恋が恋の領域から離れて、家や部活や進路や、色んな方向に道を伸ばしていく可能性を、このアニメは大事にしているし、僕はそういうところが好きです。

外部があることのありがたさは、大輔兄さんや千夏ちゃんからも感じ取れます。
学校にいてもからかわれ、家では母相手に『判るもんか。判ってやるもんか』と意地を張る。
どこにも出場所がないまま内圧を高めていく小太郎に、ふっと居場所を用意して声をかけてやれるのは、『家の外の兄貴分』ともいえる大輔の特権です。
茜ちゃんのお姉さんが『一緒の高校って、責任取れんの? 気持ちはわかるけどやめときな』と助言してくれるのと同じ、兄姉のありがたみと言いますか。

先週正面衝突して玉砕した比良に対し、千夏ちゃんは恋を隠して小太郎と茜ちゃんを素直に応援してくれます。
かつて好きで、たぶん今でも好きな人が恋人の合格を喜んだ時『安住くんも頑張ろう!』と言える優しさは、背後に寂しさを隠している。
浮かれる小太郎には気づかれない角度でスッと表情を覚まして、なんともいい難い感情を一瞬表に出すシーンには、苦味とコクがありました。
来週最後の勝負に出るのか、はたまた初恋は長患いになるのか……。


今回のエピソードヒロインとも言えるお母さんは、まだ中学生の小太郎くんの衣食住を支え、信頼してくれる人です。
自分からチャンネルを閉ざしてしまっている小太郎くんにはなかなか見えませんが、部屋を掃除し、ご飯を作り、むっつりと反応がない息子にも懲りずに声をかけてくれている。
今回は小太郎くんの苛立ちと自閉をクローズアップで切り取りつつ、彼は気づかない(話を展開する上で気づかせてはいけない)母の優しさを丁寧に切り取って、どっちの気持ちもわかる状態を作っていました。
こういうジレンマの作り方は好きだな。

メインはお母さんとの心理的接触になるわけですが、お父さんも最後のピースを不器用に、しっかりはめ込んで存在感を出していました。
あそこで現実的なフェールセイフを用意して、小太郎くんの思いを汲みつつ事故を避けるあたり、オヤジだなぁと思う。
しかしここで第二の選択肢が用意されてるあたり、そしてそこに千夏ちゃんがいる辺り、光明は落ちそうだなぁ……まぁ、それも人生だわな。

茜ちゃんのお弁当より地味ですが、夜食にわざわざ三種類のおにぎりを用意し、小言たれつつ食わせてくれる描写は、やっぱじわっと来ました。
家庭を舞台にしているからか、今回は『食う』描写が心の中を反映していて、序盤の自閉している小太郎くんは『食物をからだの中に入れる』のも気が入っていないし、感謝もない。
しかし茜ちゃんや、大輔さんや、千夏ちゃんと触れ合い、父から母の真心を言葉で伝えてもらった後の小太郎くんは、三色おにぎりをしっかり味わって食べ、『食物を自分の構成要素にし』ています。
あのおにぎりはただの栄養集合体ではなく、お母さんの気持であり、それを小太郎くんが受け入れて頬張るための、心の媒介なわけです。

口に入れた後は言葉にして出すターンでして、『判ってやるもんか』と自閉していた小太郎くんはようやく、『ありがとう』を言葉に出来るようになる。
小説を扱っていても、自分の気持ちを的確に伝え、相手の気持を素直に読み取ることはとても難しい。
でも、それが出来ることはとても善いことで、見ているものの心を暖かく疼かせる。
茜ちゃんとの恋路で描いてきたものが、形を変えてお母さんとの青春取っ組み合いで意味を持ってくるのは、とても面白いなぁと思いました。
色んな場所があって、色んな関係があること、それらが繋がって日々を形成しているのが、立体感あっていいんだ。

これまでも『付き合ってください』とか『ごめん』とか『好きだよ』とか、言うべき言葉を一回見失っては、クリティカルなところでちゃんと口にしてきたこのアニメ。
日常生活につきものな、ありきたりの意思疎通の失敗を描きつつも、致命的な失敗を回避して前進していくのが、巧みなストレスコントロール技術だなと思います。
今回も小太郎くんが自閉したまま進んでいたら、自分を思ってくれているお母さんの気持だけではなく、それに薄っすらと気づきつつも素直になれない自分自身の気持ちも取り逃してしまう。
そういう致命的な他人と自分へのディスコミュニケーションを匂わせつつ、巧く回避するハラハラの使い方が、最後まで衰えないのは良いことです。

『子供のことを考えない親はいない』とは言いません。
ただ、小太郎くんのご両親が、当たり前に不器用ながらしっかり子供のことを思い、それを自分なりのやり方で形にしてきているのは事実で、希少なことです。
それに対し正しく『ありがとう』といえるまでの、思春期の肥大化した自意識に押しつぶされつつ、むっつりと自閉した迷い路。
自分の力ではなかなか上手く行かない家庭内の感情に穴を開けてくれる、他者のありがたみ。
いろんなものが切り取られて気持ちよく終わる、良いエピソードだったと思います。


というわけで受験と家庭の問題も一段落し、季節は春となりそうです。
ここでこれまで主軸を張ってきた茜ちゃんとの恋をサブに回して、家の話をちゃんとやったのは、何度も言うけど素晴らしい。
欲張りに色んな要素を盛り込みつつ、過不足なく描写を積んでいく腕前があればこそ、このアニメの風通しの良さは成立してるなぁ、と思います。

思いの証しに、手編みのマフラーをクリスマスに送ってしまうような。
誰もが憧れ、そしてどこにもない純愛ファンタジーも残り一話です。
伸るか反るかの光明受験の結果がどうなるのか。
そしてなにより、その結果をどう受け止め、二人がどこに向かっていくのか。
非常に楽しみですね。