ボールルームへようこそ 九巻(竹内友、講談社)読了。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
実に二年ぶり、アニメ化直前での九巻刊行となった、競技ダンス青春スポ根。究極のじゃじゃ馬パートナーちーちゃん相手に悪戦苦闘してきた多々良が『何か』を掴みかける本筋もアツいが、なにより明がやべぇ。マジやべぇ。
ちーちゃんの元相方として、嫌味なモーションを掛けてきた明ちゃん。そんな彼女が競い合いから降りるに当たり、ガッと魂の地金まで掘り下げるのが今回前半のお話…なんだけども、掘ってみたらすんごい勢いで吹き出すわけよ、感情の原油が。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
友情とも肉欲とも愛情とも違う、そのどれでもある混沌が。
小学1年生の時に魂に刻み込まれてしまった、あまりにもハンサムな女の子。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
でぶでのろまな自分など、見てくれるほどもないほどにかっこいい、ダンスの上手い女の子。
明がちーちゃんを見つめる視線には、トキメキとあこがれと劣等感が常に混じっていた。超人故に求め、だから絶対に追いつけない星。
それでも、競技ダンスのパートナーとして踊っている間は、スターを自分の引力の中に留めておける。ダンスという競技がちーちゃんを略奪しようとしても、二人で踊るしかない以上、彼女のホールドは常に自分に向けられる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
それが明の歪んだ救いであり、安心感の源であり、ダンスをやる理由だった。
しかし15歳という『外側』の理由が、明と千夏を強制的に分離する。『男と女』に分かれて踊ることが『普通』で、『男役の女と女』が踊ることが特例でしかないルールが、子供時代をギロチンのように寸断する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
宙ぶらりんに断ち切られた思いはどこにも行き着くことなく、ダンスホールでから回る。
明のバロックな感情を切り取る筆は、重たく切なくこんがらがっていて、単品で十分魅力的だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
しかし彼女の思いを半端に切り取った『ダンスは男と女でやる競技』という『普通』が、彼女だけに留まらないところがとても良い。
形の上ではノーマルな『男と女』の主役たちも、そこに悩んでいるのだ。
リードとして経験を積みすぎ、フォロー/女の仕草がどうしても出来ない千夏。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
自分に胸を張ってリード/男らしいリードを完遂できない多々良。
これまで三巻ほど描かれてきた主役カップルの悩ましさを、『女と女』の繋がりを切断されてしまった明の痛みが、別角度から照らしてくる。
様々な形でありえる個人的な性差は、『競技ダンスはそういうものだから』『男がリードで女がフォローだから』という『普通』に轢き潰されてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
通常の判断基準では拾いきれない部分に、ダンサー多々良の強みがあるというのは、例えば真子とのダンスで描かれた部分だ。華を溢れさせる額縁。
競技としてかっちり決まった評価軸の中で、自分の個性と感情をどう活かし、どう表現するのか。どうすれば『普通じゃない私』、『普通じゃない私達』を世界に評価してもらえるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
ここにたどり着くことで、競技ダンスという特殊なスポーツの悩みは、全人類的な普遍性を獲得し始める。
在り方の悩みという、ともすれば清潔になりすぎてしまうネタに体温と匂いを与えているのは、やはり作画のパワーだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
しなる骨格と筋肉。曲線のエロティシズム。身体が持つ存在感と魅力を絵に落とし込む画力が、ダンスという競技に説得力を、そこで躍動する魂に熱をいれてきている。
この肉の存在感は、明の複雑な感情を更に彫り込む武器にもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
踊るちーちゃんは美しく、肉感的だ。思わず手を伸ばしたくなるような誘惑に満ちた肉体を、女である明は『やらしい動き』と評する。
胸の奥に秘めた名前のない躍動を、明は叩きつける前に引っ込め、隠していく。悪友であり続けるために
多々良が素直に差し伸べられるエロティックな手を、明は競技ダンスの精度としても、社会の常識としても、内面化された判断としても持ち得ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
いつまでも『女と女』で向かい合って踊ること、エロティックな渦の中で溶け合うことを、世界も明自身も許しはしないのだ。それでも、踊っていたかったのに
選ばれなかった明の内面を、たっぷりと丁寧に描くことで、選ばれた多々良の特殊性も、そこから伸びていくダンスの表現もより深くなった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
『男と女』として社会に祝福され、堂々と踊ることが出来る特殊性に気づかない、一種の残酷な鈍感さも、また。
そういうもんなんだろうな、とも思う。
偽装夫婦のように、明の『男と女』として選ばれた峰さんが、器の大きな男でよかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
彼は明の複雑過ぎる内面には当然気づいていないだろうけども、ダンスの根本的な楽しみに素直で、優しい男だ。一緒に踊れる楽しさを、ホールド越しに明に伝え、支えてくれる人だ。
そういうのは凄く得難いと思う。
ダンスの喜びへの真摯さという意味では、次巻以降の軸になる釘宮さんも、嫌味な立ち居振る舞いの奥からまっすぐに見せてきている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
性格的には相当ひん曲がっているが、言葉のすべてが、そして何より踊り自体が、ダンスへの敬意と真剣さから生まれているのが判る。隙になれる男だ。
釘宮さんの従兄弟たちも、急に出てきたのにあっという間にキャラを立てきた。ちびっこギャングな立ち回りと、『方美ちゃんが好きすぎて生きるのが辛い』レベルの狂信が、面白い食合せだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
彼らがいることで、釘宮さんは『嫌味なライバル』からさらに半歩踏み出して、人間味を得ている感じもある。
リード&フォロー、『男と女』という競技ダンスのノーマルから、どうあってもはみ出してしまうモノたち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
リード&リードの多々良&ちーちゃんの競技はまだまだ続くが、『女と女』の永遠のダンスを夢見、思春期に邪魔をされた明の気持ちはどこへもいけない。彼女のダンスは終わってしまった。
…とはならない。ダンスは続く、人生も友情も、友情という名前では収まりきらない明の感情も、どこまでも舞台で踊り続ける。そういう靭やかさが、この漫画の身体表現、ダンス競技にはあると思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
踊る中で、からだが答えを教えてくれることもあるだろう。それは明だけではなく、多々良も同じだ。
長い迷いと巧く踊れないまま、ずっとギクシャクしてきた多々良が、言葉にはならない感覚に乗っかってどういう跳躍を見せるのか。その時、ちーちゃんはどう踊るのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月27日
二人が見せる発展が、明のくすぶる思いを爆破することにもなろう。釘宮さんの過去含め、次巻が非常に楽しみである。