クジラの子らは砂上に歌う を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
虐殺の嵐が過ぎて、老人たちは美しき自死を望む。生きている理由も、死ぬべき訳も解らぬ世界で、少年は死と記憶に触れ、泥の中藻掻くようにあるき出す。生と闘争の方角へと。
ポンコツチョロ蔵姉さんヒロイン・チャクロ姉さんが存在感出しつつ、闇に潜る回。
というわけで、開幕からジジイどもが凄いことほざき始める第4回。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
罪人である過去を抑圧し、それが帝国の侵攻と言うかたちで表面化したら『黙って死ね』と来たもんだ。凄まじいディストピアっぷりだが、はいそうですかと死ねるほど、クジラの子らは感情を剥奪されていない。
感情のない兵士が、無表情に死地に向かう帝国のように。感情剥奪を慣習や文化のレベルではなく、具体的な装置によって行っていたのなら、集団自殺も抵抗なく受け入れられたんだろうか?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
何故砂クジラは感情を食って奇跡を生むデフォルトではなく、別の形の社会を選んでいるのだろうか?
謎は色んな場所で深まるが、虐殺と自殺の二択に巻き込まれた子どもたちは溜まったもんじゃあない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
まだ生きたかった妹の血を『穢れ』にしないためにも、スオウは第三の道を求めるが、自警団隊長の暴力で制止される。あいつも腹に一物二物抱えてそうだなぁ…道化っぽい敬礼とか、いい感じの芝居だ。
殺人を遠ざけ、争いのない楽園として運営されてきたクジラにも、政治的に独占される暴力装置はある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
その内部にあって、アホほど直線的な感情に従って反抗するギンシェ姉さん。やっぱクジラ社会はある程度の自由を市民に許し、その結果反抗の隙を与えている感じだ。革命権の緩やかな保証。
たくさん人が死んで、みんなメソメソして。重苦しい空気が続く中で、明るく可愛く頼もしい姉さんの参戦は、なんともありがたかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
罪人と虐殺とディストピアの話だから、明るいほうが例外なんだが、それでも空気穴になるキャラは見ていく中で欲しくなる。後先考えないバカさが救いになるのと良いな
昏倒させられたスオウを引き継ぐ形で、チャクロが反乱の道を作る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
助けてくれる立派な『大人』をマソウさんが担当してるけども、露骨な死亡フラグ立っててこええ。立場によるメタ的なものより、印持ちのリミットが近づいてる描写がそこかしこにあるのがね。
反乱に協力したのも、死が近いからこそか
チャクロもかなり追い込まれ、自暴自棄な自死に接近していたわけだが、ネリが過去と真実を押し付ける形で、前向きな道に進むことになった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
話全体を見通しているような言い草。死人との対話、隠された心に接触可能な異能。露骨に尋常なキャラではないが…ここもミステリ的伏せ札の一つか。
チャクロは感受性の豊かさを武器に、全てを見守り記述する役割を持っている。傍観者であり記録者、あるいは接続者。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
自分で前に出て運命を改変する積極性は、スオウやオウニの属性なのだろうか。ナイーブで文人的な気質は、ちょっと『女性的』な主役力だな。
諦めて自ら死ぬのも、武器を取って皆殺しにするのも多分正解ではない世界で、チャクロは見て書き記す宿命を背負っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
ネリが見せた死者の思いは、果たして霊魂の未練そのものなのか。それとも、生き残り宿命を果たさせるための幻影なのか。判別は
つかないが、チャクロは奮起し立った。
血と泥にまみれたオウニ、檻に囚われたスオウ、炎の壁の奥にいるリコス。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
死者との対話のあとに見た世界も、心の奥の真実を暗示しているようにみえる。本当のところは分からないが。
もともとファンタジックな世界が舞台で、表現もそれ用に研ぎ澄まされている。スピリチュアルな描写も妖しく美麗だ。
ネリの正体と狙いはさておき、彼女との接触でチャクロは美しい死から距離を起き、塵に塗れて生きることを選ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
同じように仲間の死に傷つき、自暴自棄と外界拒絶に浸っていたオウニにまず接触し、ズケズケと心に踏み入る。オウニの領域が『壁』で仕切られ、門番がいる演出が面白かった。
『壁』はまんまオウニの心、国の延長であり、『身内』は中に入れるし、外から入るのを防ぐ。勝手に心に触られたくない防衛機構を突破して、チャクロはズケズケと本心を喋りたて、思いっきり殴られる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
子供っぽい真実を迷わずいえる純真さは、ときに拳よりも暴力的だ。
チャクロがオウニの本心を語れたのは、無論ヌース・リコスという装置で感情が混線したからだ。それと同時に、語り部としての感受性、死に涙する柔らかな心が真実を見抜いた結果でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
人にナチュラルに備わったものと、外部化された装置の支援。その境界線は結構曖昧で、共犯的に同居している。
どっちにしても人は様々なものを装置化し、その助けを借りて生き続ける。暴力の装置としての軍隊、自警団。あるいは感情の装置としての文化、ヌース・リコス。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
そんな装置と接続しているかが、人間のアイデンティティと行動を形作りもする。外部から与えられたものも、当然その人の力だ。
外部と内面。装置と身体。与えられたモチベーションと、心からの欲求。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
色んなものが渾然一体となりつつ、チャクロはクジラの心臓、あるいは恥部へとたどり着く。
社会を駆動させるエンジンには、φαλαινα(ファレナ、ギリシャ語で鯨)と描いてある。社会のアイデンティティ・サイン。
ヌース・リコスと似ていて、どこか違うファレナ。その正体をリコスが知っているのは、起源と性質を同じくするからだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
ファレナの駆動装置は感情を食わない。では、泥クジラは何を食って動く?
印持ちの短命と合わせて考えると、ミステリの糸が少しほぐれる気がする。ホントろくでもねーな。
リコスは人前で涙を流すほどに、感情を回復させた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
自暴自棄からの回復は、鉄火場に身を躍らせたオウニや、長老会に反逆したスオウや、ネリに背中を押されたチャクロと同じ、生命の防衛反応だ。
クジラの子らは皆、未だ動く心臓に突き動かされて前に進む。感情を焚べて、エンジンを回す。
それが必ずしもいい方向に向かわないことは、この砂まみれの世界が一度、感情の暴走によって生まれたっぽいことからも見て取れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
物分り良く、美しく感情を殺して沈んでいけたなら。それを飲み込もうとしても、生きようとする身体は死を拒絶する。生きてるんだから。
その躍動を、ファレナの閉じた世界全体に拡大できるかどうかが、多分このお話の大きな軸なのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
喜びと、それを上回る苦しみと死に取り囲まれつつ、どうにか殺さず殺されず、みなで生き延びる第三の道を探す。業の泥中でのたくる人々の道は、終わるまでは終わらない。
という構図自体は非常にいい感じだし、人数の多さを活かして立体感を出してく描き方もグッド。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
なんだが、行動する前に台詞で意図を説明しちゃう癖が、ちとテンポを殺している感じもある。語り部主役でロゴス重点ってのも判るが、衝動をアクションに乗せて疾走させ、それを言葉が追いかける形も見たい
とまれ、生存本能は死を前に加速し、まずは近い抑圧に反逆する道を選ばせた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年11月2日
非致死性の武器で優しく殴り合う、制御された暴力が許容されたクジラの胎内。その最奥で出会った怪物装置は、どんな真実を明らかにするのか。子どもたちの生の叫びはどこに届くのか。来週も楽しみですね。