HUGっと! プリキュアを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
一度萎れた心の花が、芽吹くか枯れるか、土次第。
己の非才にへし折れたはなの心が、再び再起しより強くなるまでの歩み。そして同じく非才に追い込まれた怪物の、奥に同じく弱い心があることを見て取るまでの戦い。
弱さを知るゆえの優しさ、はなだけの強さが見える回。
というわけで、ベッキリ下げた上で超回復を行い、新アイテムの販促に抜け目なく繋げるお披露目エピである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
同時に初の幹部退場回でもあり、はなの特徴である『幼さ』から半歩踏み出させる変化の回でもある。
何より、作品が目指すものを明瞭に打ち出す、狼煙のようなエピソードだったと思う。
色んなモノが乗っかってる回だが、メインになるのははなの失調と快復、それに対し周囲の人々がどれだけ関与できるか、である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
前回コンプレックをむき出しに、変身不能に陥ったはなは、守るべき弱者……赤ん坊のはぐたんを傷つけてしまった事実に追い込まれ、『プリキュア』を否定する。
この段階からはなの快復は始まっているわけだが、ハリーが相変わらず良い立ち回りをしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
年相応の悩みに苦しむはなの心境を察し、責めることはしない。ただ、第1話ではながプリキュアになった起源…『なりたい私』で釘を刺すことは忘れない。
巨大な暴力を前に、赤ん坊を置き去りに退くような存在にはなりたくない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
守りたい、そのために戦いたいという思いが、彼女をプリキュアに変えた所から、この物語は始まっている。わざわざハリネズミ形態にチェンジして、当たりを和らげつつ起源を問う言葉は、やけっぱちのはなにもちゃんと刺さる。
布団の中で悶々としていたのは、『私には何もない、プリキュア止める』と自分で言いつつ、完全には絶望できないからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
それははな自身の前向きな資質もあるし、ここまでプリキュアとして戦ってきた事実が、彼女にある程度のプライドと自己承認を与えているからだとも思う。
外界と自分を比べ、何も出来ないと自分を責めるはな。しかし『プリキュア』を求める気持ちは、自分自身の内側から溢れていたはずだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
外部を観察して作り上げられたセルフイメージと、内的な欲求から生まれるセルフイメージ。幼児期の無根拠な万能感を奪い去られたはなは、二つの自画像の間で苦しむ。
その扉を開け、まだまだ弱い子供であるはなを抱擁するのは、やはりいちばん身近な『大人』であり、彼女の庇護者でもある母の仕事となる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
そこにいるだけで、喜びをくれる存在。無条件の愛を、心に溢れさせてくれる存在。母が語るはなは、後にはな自身がはぐたんを受け止める姿勢と、強く重なり合う。
未熟で情けない自分。それを発見した時、初めて世界への扉が開ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
前回『失敗もいい経験』と(ある意味)突き放していた母は、自己像を見失ったはなの挫折に、ポジティブな意味を与えていく。
これまでのはなが持っていなかった客観性を、挫折が教えてくれたなら。そこから何かが芽生えるなら。
ありのままの自分を確認できたことは、必ずしも苦しみだけを生み出すわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
ただし、それは痛みを伴う。なんにも出来ない、何者にもなれない無価値な自画像を叩きつけられるのは、現実だからこそキツい。その無力さを虚心に受け止められるのは、一部の強い存在だけだ。
才覚に溢れたほまれですら、飛べない自分に思い悩み、苦しんできた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
その時、苦しむ自分を支えてくれる手は、常に他人の優しい手となる。
一人ではないからこそ、他人と比べて苦しみもするし、その痛みを和らげてもくれる。はなは母の導きにより、複雑な外界をだんだん受容していく。
他人と自分を比べざるを得ない、厳しい荒野。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
それはいつでも窓の外に広がっている『現実』なわけだが、その厳しさから守ってくれるシェルターとして『家』は機能しうる。
母の懐に帰還しうる、まだまだ子供な自分を再確認することで、はなは立ち直るための足場を作ることができるのだ。
それが外界に向かって開かれ、他人の言葉を聞く足場にもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
閉ざされていた窓は、母との対話、それによって再確認される自己像/社会像を反映するように開け放たれる。心地よい夜気が、はなの鬱屈を和らげていく。
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かくして夜は終わり、『家』の扉を開けたはなのまえに、友が待っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
前回具体的に、『超イケてる野々はな』を提出できなかった二人は、彼女たちなりに言葉を探し、はなに差し出す。自分たちが見ているはのの姿に、はな自身を近づけるためのメッセージ。
ここの描写が、これまで描いてきたキャラクターにしっかり沿っているところが好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
観察力と言語化能力に優れたさあやは、はなへの憧れをしっかり言葉に変えて、理路整然と伝える。私が好きな野乃はなを、野乃はな自身が蔑するのはやめて、と。
これに対し、フィギュアスケートという身体表現を己に背負う義侠の女、耀木ほまれは、言葉を使わない。ただ、己がどれだけはなを愛しているか、その身体を持って語りに行く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
無言で両腕だけを広げる雄度の高いコミュニケーションが許されるあたり、ハンサムな女の子である。ハンサムな女の子だいすき
ハリーの箴言、母の抱擁によって落ち着きを取り戻したはなは、今度はメッセージを取り間違えない。二人も自分たちなりに、届くメッセージを必死に探し、ちゃんと届ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
ミスコミュニケーションが加速していった前回を逆回して、はなは己を、他者の言葉を、それらが組み合わさった世界を肯定する。
対話のときのクロスレンジと同時に、非常に広い世界、そこに満ちた光と青空を置くレイアウトが、はなの快復と覚醒をうまく強調している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
『道デカすぎだろ!』と正直思うが、それは『少し大人になった』はなの眼の前に広がる、世界の大きさを反映しているのだ。
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ちっぽけな人間がおおきな世界に放り出された時、そこに巨大な不安を抱えるか、可能性と期待を見つけるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
それは常に、観測者の心と、それを支える他者のサポートに影響される。ハリー、母、あるいは仲間。様々な人にやさしく支えられたはなは、広い世界に青空を見つけた。
一方チャラリートくんは無慈悲な資本主義社会に押しつぶされ、狭く暗い場所に押し込まれた上で、支援ではなく矯正によって怪物になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
惨めさを受け止めてくれる人も、抱きしめてくれる相手も、メッセージを投げかけてくれる仲間もいない。
二人の弱い人間の対比は、後に非常に印象的に回収される
自分と他者との繋がりを回復したはなは、阿万野くんが先週言っていた『凸凹の個性が合わさって生まれるハーモニー』というメッセージも、素直に受け止めることが出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
ひっそりと、『調和・謙虚』を花言葉に持つコスモスが、はなの変化を見守っているのが面白い。
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『ハーモニー』は今回複数重ねられているモチーフで、はぐたんを復活させる心音の重なり合い(『私は生きてここにいます。貴方を愛しています』という強いメッセージ)も、新必殺技も、異なればこそ調和し、より大きな力に変わる旋律を背負っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
心が乱れれば、心音も乱れる。はなの鼓動が赤子に立ち上がる力を与えたのは、その心に乱れがなく、バラバラのBPMが見事なハーモニーを作り得たからだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
それは、夜闇の中で己を抱いてくれた母が、与えてくれた音楽なのかもしれない。綺麗事ではなく実感として、母の愛は生きた音楽として継承される
はぐたんも目を覚まし、己の非才を買い戻したはな。ほっと安心したところで謎のポエムおじさんが出てきたり、チャラリートくんが怪物化して襲ってきたりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
妙なセクシーさ、現実ではなく夢を見続けているような浮遊感、溢れるポエジー。”輪るピングドラム”のさねとし先生に似てるな、ジョージ…。
チャラリートくんとの戦闘は長めの尺を使ったいい具合で、足癖の悪さと破壊の規模に、濃い個性があった。こういう工夫は、やっぱ良いな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
落合福嗣さんの絶叫演技もキレッキレで、望まず追い込まれた弱者の悲哀を、圧倒的暴力の中に滲ませていた。
激しさを増す闘争の中で、はなは降りしきる瓦礫から妹たちを守る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
それは第1話ではぐたんを背負い、『プリキュア』に変身した時と同じシチュエーションだ。
夢見て一回背中を向けた『なりたい自分』は、はな自身の決意と周囲の人の支えによって、無事彼女に帰還した。初期衝動が燃え盛る。
それはかつてと同じ強い想いで、同じではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
傷を受けて広がった世界、強くなった自己像を反映し、『少し大人になった』はなは新たなる力に目覚める。
なかなかスムーズな運びなんだが、ここでグルッと話の流れを切り返し、更に深くテーマを掘りに行ったのが、今回のエピソードの白眉である。
バンダイ様が幼女に売りつけるには、生命を刈り取る形をしすぎたむき出しの刃。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
はなはそれをチャラリートに叩きつける直前で、身を翻す。怪物の奥に人間の顔を見た共感は、ほまれやさあやにはない、はなだけの知性であり、力でもある。
なんにも出来ない自分を知ったからこそ、暴走する怪物の奥に、自分と同じ弱さを見つける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
失敗すること、非力であることは、ともすれば暴力的に切り捨ててしまう真実に目を向け、それを己のものとして受け止める強さにも繋がる。そしてそういう複雑さこそ、『プリキュア』が大事にするべきだ。
『必要なのは剣じゃない』と、ハーモニーを生み出すタクトを求めたはなの決断は、そういうヒロイズムを高く掲げたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
ハリーやアンジェやエトワールや、他の才覚に溢れた他人にはたどり着けなかった一つの答えに、凡人であることを思い知った主人公が辿り着く。それは、とても強い描写だと思った
ED後のカットではオールアップの空気を見せていたチャラリートくんだが、個人的には今後どっかで顔を出して、己の苦しさを受け止めてもらった後の姿を見せて欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
悩み、救われ、見つける。そういう当たり前の、でも優しい道のりが、『プリキュア』だけに開けているわけではないと示して欲しい。
ここらへんは今後の運び次第ではあるし、拾われなくてもしょうがないかなぁ、ってところではあるが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
回収しなかったからと言って、今回描いた価値や成長に傷がつくわけじゃないんだけども、そこまでカバーしてくれたら120点ってところですね。どーなるかなぁ。
さておき、はなは己を見定め、他者を見据え、世界を見つめ、力の正しい使い方を見つけた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
しっかり迷ったからこそ、実感を伴った『正解』をキャラクターに出してもらえる。創作に説得力を与える組み立てをしっかりやった、いいエピソードだったと思います。
はなはただの子供でしかなく、しかしただの子供でなくなる事ができる自分を、ここまでの道のり沢山苦しんで学んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
それは周囲を見れなかった彼女が、その狭さから抜け出して自分と他者と世界を見つめ直す歩みであり、それをくぐり抜けてはなは『少し大人』になった。
そんな彼女にはぐたんが『ママ』と語りかけるのは、筋が通っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
『大きくなっても、なんにもなれない』と己を悲観していた時、はなは自分を見失っていた。しかしそれは、人間につきまとう非才と惨めさが生み出す、必然的でありふれた迷妄だ。
そしてそこから抜け出すためには、差し出された言葉を謙虚に受け取る素直さ、状況を冷静に見つめる賢さ、小さな自分を認めて踏み出す強さが必要になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
そこに実感が宿ったからこそ、はなは少し変化し、はぐたんもそんなはなを『ママ』と呼ぶ。変化と充実感に満ちた、良い勝負回でした。
今回果たした成長も、また荒野の中で迷い、傷つけられると思う。それを繰り返しながら、今回のプリキュアはどんな愛と正義を語っていくのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
これまでの歩みが生きた成長に満足しつつ、さらにその先への期待が高まっていく、素晴らしい仕上がりでした。来週も楽しみですね。
追記 人を応援することと同じく、人を傷つけることだって誰にでも出来る。加害と愛護、両方の方向に人間は開かれている。
HUGプリ追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
剣を捨てタクトを選んだ選択は、ともすれば無責任に応援を投げつけ、人を傷つけてしまいかねないエールの形と、かなりの呼応をしていると思う。
応援の言葉が凶気ともなり得る描写は、ほまれ周辺の過去エピにしっかり埋め込まれている。
『エール』を名にし負うはなは、その暴力性をゆっくり学習しつつ、ただ応援するだけではない自分を目指す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
それと同じくらい、ただただ人を応援できる純粋さもまた、尊いものだ。それだけに、期待は人の心をえぐる鋭い刃にもなる。
それを適切に使っていく方法を探ることは、おそらくHUGプリ一年を通しての課題となるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年4月16日
はなが今回捨て去った剣は、また別の形で必ず握られるだろう。その難しいバランスを学んでいくことが、キュアエールに課せられた成長の方向性なのかもしれない。