ゾンビランドサガを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
ネバーランドに星は流れ、ピーターパンは眠らない。
星川リリィがいかなる存在か。ロックフェスで増えた露出、それを伝えるTVメディアが掘り下げていく。
謎の巨漢、秘められた性(サガ)、思い出、言えなかったサヨナラ。
ギャグとシリアス、笑いと涙が脳髄を撹拌する第8話
というわけでリリィ回である。激エモ爆弾で身体と心をズタズタにされ、とても正気ではいられない状況でこの文章をかいているが、ゾンビランドサガ見るといつもこうなので通常進行、ガッツリ素直に攻めていきたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
一言でいえば最高でした。毎回言ってんなコイツ…アニメのボジョレヌーボーかよ…。
しかし最高なのは最高なんだからしょうがない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
ゾンビランド佐賀の贅沢なところは、最高ポイントが複数あって、毎回いろんなテイストが楽しめる、ということだ。
これは今回暴力的に押し寄せた、ギャグとエモの両輪だけではない。ほんと笑いと泣きで両極に振って、脳髄を撹拌してくるの卑怯。強すぎ
今回は(も)メインテーマが複数あって
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
・ゾンビが捨ててきた過去
・それを暴くTVの強さと優しさ
・親子愛
・芸能界に身をおくことの意味
・ピーターパンシンドロームと性自認
・アイドルとして歌が伝えうるもの
・ゾンビが永遠を生きる存在だからこそのキラメキ
など、贅沢てんこ盛りだ。
力強い作画と的確な演出、よく練り込まれた脚本により、これだけ積んでも半端な踏み込みにはならない。各テーマはしっかりと彫り込まれ、視聴者はゲラゲラ笑いつつ、脳髄のどっかで『コレってこういうことかな?』といろいろ考えさせられる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
書くべきものに真摯に、必要なだけ筆を揮う。
それぞれの要素がしっかり磨かれているからこそ、それらが相互に響き合い、お互いを深く深く描くことも可能になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
アイドルにもゾンビにもサガにも全て本気なアニメは、子役の楽しさと厳しさにも、親子の愛とすれ違いにも本気だ。本気だからこそ、全てが呼応し、圧倒的な体験となる。
そんな作品の強さ、アニメ的打撃筋肉(ヒッティングマッスル)の不公平な分厚さを、つくづく思い知らされるエピソードだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
問答無用圧倒蹂躙、とにかく強いパーツで殴る。子供で親子で芸事で永遠。『これ入ったら無条件エモ』って要素を全投入し、怪物的な感情のうねりを生み出してきた。
つうわけで色んな所に飛びながら、感じたところを書いていこう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
今回のお話はまず、リリィのはなしである。
子役で少女、ゾンビでアイドル。そんな彼女のアイデンティティは、やはり過去にある。最も死亡時期が早く、関係者が生き残ってるだろう設定をこういう形で拾いに来たのは、やはり最高に賢い。
ゾンビランドサガは視聴者の『ん?』を捨て置かない。ゾンビという強烈な嘘をねじ込みつつも、そこで発生するだろう問題や疑問は必ず掘り下げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
ゾンビにも遺族がいて、死人が動いている状況に気づくだろ。
アイドルなんてやってたら、その不自然さを隠せはしないだろ。
アナタも見てて思ったはずだ
そういう視聴者の『ん?』を、丁寧に拾い上げ掘り下げ、想像を遥かに超えた巨大な物語を作り上げる。予想は裏切り、期待は裏切らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
リリィちゃんが正雄だと予測してた人は殆どいないと思うけど、でもこの話が終わったあと『納得できない』とはならない。すべてが必然だったように、唐突がハマる
そこら辺の距離感の把握、最も作家的な意味での”常識”がしっかりしているのが、ゾンビランドサガの強みである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
リリィ個別のエピソードを扱いつつ、フランシュシュ全体、作品全体へのアンサーが必ず描かれる。この技法が、群像を鮮明に描き、アイドルグループが成り上がる快楽を生む。
最初パピィを怪しげに書いて、視聴者にマイナスの印象を与えるところが非常に上手い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
『デケェ! トロールかよ!』とか『ジアンジアン! ポリス早く!!』とか無責任に揶揄してた人は、パピィの悲しき過去を知り、即土下座である。俺だけども!!
ゲラゲラ笑うよう誘導しておいて、茶化せない重たさを叩きつけ、罪悪感で作品に前のめりにさせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
かなり卑怯なレトリックなんだけども、あまりに上手く運ばれるので、誘導されたとは気づけない。
このアニメそういう技芸がマジさり気なくあらゆる場所に配置されてる。ナム戦のジャングルみたい…。
完全不審者だったパピィは、サキちゃんのリーダーシップと侠気(これを強調することでサキちゃんへの高感度は爆裂だし、次回の担当回を支える足場にもなる)に蹴っ飛ばされつつ、深夜、公園での語り合いで印象を変える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
永遠の子供が、夜の児童公園で一人きり。三億エモ(エモスカウター爆散)
ここのさくらの歩み寄り方、超絶流し込まれる情報量に困惑する姿が、うまーく視聴者を作品に誘導していて凄い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
イヤだって、あのトロールと親子だってだけでキャパオーバーなのに、正雄でヒゲ死だもんな…そら『どやんすどやんす』よ。
視聴者が場面を見て受けるだろう感覚を予測し、キャラクターに同じ行動を取らせる。画面の中と外で感情のシンクロを生むことで、虚構と現実を乗り越えさせる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
ここら辺のテクニックは例えば、観客代表としてのデスおじとかでも活用されていて、僕らを引き込んでくる。
『言いたいこと』を実際作中で言ってくれるキャラ、言うタイミングが多いのだ、このアニメ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
それはとても気持ちがいいことだ。物語の根源的快楽と言っていい。自分とは無関係に進む誰かのお話が、自分の思い通りに進行しているという錯覚は、強力なパワーの実感を与える。
自分があたかも運命を操作しているかのような、強力なパワーの実感。眼の前でうねっている物語が、あたかも自分のものであるかのような共感。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
これを生み出すために数多の演出、レトリックがあるわけだが、そこをダイレクトに握り込んでくる力が強い。技が上手い。
ジョジョ五部でいうなら『トリッシュはオレなんだッ! オレだ! トリッシュの腕のキズはオレのキズだ!!』って感じですよ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
リリィの強がりは俺の強がり、パピィの涙は俺の涙、サキちゃんの蹴りは俺の蹴り、さくらのバブみは俺のバブみ。
そう思えるアニメってのは、まぁなかなかない。
僕らはここまで七話、フランシュシュの死と再生と奮闘を見てきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
幸太郎のウザさに笑い、ゾンビのままならなさを楽しみ、アイドルの奇跡に感動し、育まれる友情に微笑んだ。
そうやって作品世界に前のめりになったところで、リリィのかなり複雑な過去、取り返しのつかない問題を解体していく。
死別、親子、性差、成長。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
どれも非常に重たく難しい問題だが、しっかり語りきり、カタルシスへと導いた。それは難しい問題を面白く、簡単に食えるよう料理する腕もあるが、なにより当事者であるリリィへの好感、フランシュシュへの応援あってこそだ。
そして今回掘ったテーマは、過去の名作が勇気を持って踏み込んだ場所でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
女性アイドルにおける異装少年のあり方については、プリパラ第18話『レオナ、全力ダッシュなの!』を。
子役が永遠でいられない悲しさは、少年ハリウッド第4話『人は死ぬ。いつか死ぬ。でも』をそれぞれ見ていただきたい
(キラ様の自己紹介が『少し前まで、星の国にいたんだよ 』なのを、ピーターパンモチーフで思い出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
少年は永遠であることを望み、しかし時は残酷に腐敗していく。その時、一瞬を永遠に出来る魔法が、アイドルにはある。両作同じ普遍を語っている。少ハリトーク脱線して戻ってこれないから一旦終了)
とても重たく大事な、下手に取り扱えば大やけどじゃすまないテーマに、あえて踏み込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
大上段に振りかぶるのではなく、エンターテイメントとしてしっかり楽しませつつも、心の何処かに重たい感覚を残し、真摯さでテーマを刻み込む。
傑作と呼ばれる作品と同じ勇気を、このアニメ今回(も)見せた。
ゾンビのネガティブ面(社会からの排斥、他者への攻撃性)が目立っていた前半から、だんだんアイデンティティを獲得してきた中盤、『ゾンビはただ不利なだけではなく、強力な武器だ』という描写が増えてきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
ゾンビやけん吸収が早いし、雷受けても死なず、スペシャルな演出に変えれる。
今回その強さはリリィの夢を叶える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
永遠に子供でいたい。ヒゲもすね毛も生えたくない。
下らない悩み、死ぬほどじゃない。そう吐き捨てることも出来るのに、笑い飛ばせるはずなのに、ひとしきり爆笑した後(サキちゃんのように)、真顔で見つめてしまう。
リリィちゃんは星を掴みたかった。永遠に子役で、パピィを笑顔でいさせたかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
パピィはリリィがリリィであればそれでよかったはずなのに、加速した現実に取り残されて、生身のリリィを見れなかった。
そんなすれ違いが生み出した、きれいで悲しい夢。永遠のピーターパン。
否応なく時間が降り積もり生身の人間は、諦めてネバーランドを去ったり、去勢してカストラートになったり、いろんな解決法を見つける。あるいは見つけられないまま、グジグジと悩む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
リリィにとって、それはゾンビだった。死に続けることで、生に逆行できる。不条理な存在故に、条理に勝てる。
男女定かならぬ思春期に、永遠にとどまっていることも出来る。人間なら、それは不可能だ。時間は圧倒的に強く、強力な説得力を持って身体を改変していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
ヒゲもすね毛も、どんだけ嫌でも生えてくるのだ。
でも、ゾンビは時間に見捨てられている。死者の弱さは、生者にはない特権を生む。
これを活かすも殺すも、ゾンビ次第である。リリィはポジティブなものとして、ゾンビを受け止めた。夢のピーターパンになれる、と。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
生前のリリィが死んだ時、星が落ちているのは象徴的だ。生きたままでは、リリィの夢は掴めない。
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しかし、ゾンビが必ず背負う”死”は、悲しみを生む。愛された子供が若くして死んだ時はなおさらだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
不審者でしかなかったパピィが背負う、失われた愛の重たさ。この奇妙な、しかしまっこと真実な『家族の肖像』一枚が、アホみたいな説得力で教える。
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ここ涙腺爆裂、三億リットル号泣ポイントなんすけどホント。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
仏壇がとてもきれいに掃除されているところ。
リリィちゃんのヘッタクソな絵が笑顔で満ち溢れて、そこにテレビが有ること。
三人は離れ離れだけど、やっぱり一緒にいること。
全部がそこにあるわけよ。
神か悪魔か、ゾンビランドサガ!
ゾンビが手に入れる強さは、常に弱さと背中合わせだ。あらゆる強さと弱さがそうであるように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
だから”死”の哀しみ、後悔の呪いをどうやって祝福に変化させ、哀しみを笑顔に変えうるかというのが、非常に大事になる。そのためのメディアとして、アイドルもTVもある。
『TV見ない人多いっすからね~www』と、一般的なTV蔑視の空気を巧妙に取り込みつつ、今回のTV論はあくまで暖かく、優しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
みんなが同じものを見れる奇跡、一緒に笑いあえる魔法。そんなマジカル・ワンドとして、TVはあった。あるべきだし、あることが出来るはずだ。
リリィが永遠を求めたのも、パピィの笑顔のためだった。なんてエエ子なんや…(スキあらば号泣メーン)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
TVだって、いま一般的に思われている悪魔の機械ではなく、なんらか人の幸福を生み出し、伝えるメディアだったはずだ。でも歯車がズレて、誰かを傷つける装置に(も)なってしまっている。
そんな怖さの裏側にある、TVメディアのポジティブな価値を肯定したのは、超最先端のライブ・リアルタイム・パーソナルメディアである”ご当地アイドル”のアニメだからこそ、大事なことだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
自分の対立物をゴミカスだと罵るのは、誰にも出来る。だがその強さを肯定し、描写するのは賢者にしか出来ない。
『俺らは生のアイドル、一対一のメディアだけども、編集されたものを多人数に向けてみせるTVだって、俺らと違う良さ、あんじゃんよ?』と言うことで、”アイドル”の唯一性と強み、優しさもしっかり見えてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
メディア論として公平、真摯、的確である。ホント頭良すぎる…。
同時にTVメディアの過剰な速度は、それを始動した思いを置き去りにしてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
名言はされないが、リリィの死は過労でもある。パピィが笑顔になってくれるから、必死に頑張ったリリィの願いは、TVに夢中なパピィには届かない(号泣)
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もし、リリィの疲れに気づくことが出来たら。一人の人間として、成功に浮かれず息子に向き合うことが出来ていたら。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
パピィを包む闇は、取り返しがつかない過去、ゾンビにはならない死の重たさを宿す。あんまりだよ…こんなのってないよ!(ゾンビ繋がりでまどか召喚)
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生と死に引き裂かれても幸福そうだった『家族の肖像』は、リリィが永遠の国に旅立ったこと、パピィが後悔の現世に一人取り残されたことで、真っ黒になってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
全てが幸福のためだったはずなのに、全てが終わってしまう。人間の業、死の圧倒性が、とても重たい。
『いや完全不審者でしょwww』と笑い飛ばすネタだったはずの顔の傷ですら、魂の慟哭だと判る。息子を殺してしまった己の愚かさを、聖痕として刻み込むしかなかった、悲しき巨漢。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
その不気味な姿は、どこか世界に排斥されるゾンビーたちに、似ていないだろうか。
純子ちゃんが『ブロマイド』という形で”今風のアイドル”と距離を見つけたように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
たえちゃんがちょっと遅れつつも、フランシュシュの一員として踊りを頑張っているように。
みな個別の不器用さ、ゴツゴツした個性の質感を弱さではなく、強さに変えて生きている。あらゆる人がゾンビなのだ。
だからゾンビやトロールに優しくすることは、あらゆる人に優しくすることに繋がる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
リリィちゃんが正雄であったこと、性徴と密接につながった成長を拒絶するカストラートであることを、巽は『どうでもいいこと』と一蹴する。
その思い切りと優しさが、俺は好きだ。泣くほどに。
ゾンビにアイドルをやらせる時点で、社会通念なんぞぶっ壊すしかないのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
男が女の装いをして、女に混じって歌を歌う。それがおかしいと言われるなら、フランシュシュは存在できない。
時間を止めて永遠の子供でいることが不自然なら、ゾンビはターンアンデッドされなきゃならない。
でも、どんな願いや個性を抱えていたとしても、みな人はあるがまま自分として生き、生き続けたいと願う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
巽はそういう声を聴く。いつもの監獄で一方的に捲し立てるのではなく、メンバーの名前(アイデンティティの称号)を呼び、何を感じているか聞き出す。
俺はアイツのそういう優しさ、アウトサイダーであることをためらわない勇気が、ほんとに好きだし尊敬している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
その眼差しが、永遠の思春期と密接に癒着した、未分化の性への憧れと強く繋がっていることが、とても力強いと思う。
その思いは嘘じゃない。そこにある以上、否定はできないのだ。
なら、存分に肯定し、それを歌え。曲は書いてやる、歌詞は付けてやる、衣装も作ってやるし舞台も用意してやる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
だが、歌うのはあくまで”アイドル”であるお前ら、ゾンビとして第二の生のど真ん中にいるメンバーひとりひとり。
そういう認識があるからこそ、巽はあくまで影に潜む。プライドのある男だ…
巽が作詞作曲していることが今回確定したけども、過去曲を思い返すと超絶激エモで死にそうになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
『♪精一杯やるだけさ 胸の鼓動信じて
転んでも立ち上がって 死んでも這い上がって
目の前の手を握って 時代なんて飛び越えて!』
とかさぁ…少女決死の生き様を、しっかり見つめなきゃ書けないよ。
サガフェスの成功を経て、思いを伝えるメディアとしてステージをすぐ思い出すこと、メンバーから曲を作るために動くところが、過去の蓄積を生かしていていい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
”アイドル”としてサクセスする展開を、”アイドル”としての成功、自覚がキッチリ裏打ちしている。
歌は自己表現。そして誰かへの祈り。”アイドル”が、芸事が持っている最もきれいで、力強い側面を自分のアイデンティティだと信じて、フランシュシュとシャイ・ガイは曲を作る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
”To My Dearest”、最愛のアナタに。タイトルだけで涙腺枯渇、涙の海で溺れたい。
新衣装と髪型マジ最高なんですけども、メンバーのお腹のところに”星”あるのがね、あまりに”文脈”過ぎてヤバい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
リリィが夢見たキレイな星を、仲間たちも自分のものとして引き受けてるんすよ…フランシュシュは運命共同体、誰かの夢は私の夢なんすよ…。
©ゾンビランドサガ製作委員会 pic.twitter.com/WrTMNCcudn
それは永遠のピーターパンであり、表現とメディアを通じて誰かを笑顔にすることであり、あの時すれ違って言えなかった言葉をパピィに伝えることであり、アイドルとして新生することでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
リリィの多層な星(アイデンティティ)は正雄個人で終わらず、仲間に、客席に届き輝いていく。
そらもーパピィも巨体を揺らしてコネクトダッシュ、目覚めた心が走り出し未来を掴むわけですよ。(流れ始めるまどかOP)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
まどかちゃんとパピィは性別も体格もぜんぜん違うけど、あの歌に込められた思い、あのダッシュに秘めた魂は共通でしょコレ確実に!!
©ゾンビランドサガ製作委員会 pic.twitter.com/GJYCai4AUz
感情が高ぶりすぎてキチガイ領域に飛び込んでる自覚はあるので、クールダウンしよう…スー、ハーッ。よし、私は大丈夫です。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
全編を貫通するモチーフである”ピーターパン”の童話性を、ディズニー味のあるミュージカルな出だしで拾う巽のセンス、ホント圧倒的だと思う。
リリィちゃんは永遠の子供。ネバーランドの少年であり、少女でもある存在。生と死が未分化なゾンビアイドルが、男女の別を拒絶したカストラートをメンバーに加えるのは、必然通り越して運命だったのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
巽は知っていた。当然である。俺はキャラを尊敬すると名字呼びになるな…矢澤とか。
あの時は見落としてしまったメッセージを、パピィは傷だらけの顔で受け止める。あの時伝えられなかった思いを、アイドルになったリリィは伝える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
見よ、寿ぎはここにありて輝く。星は地上にあり、永遠は眼の前に開かれている。聖夜の奇跡、一瞬の邂逅。魂は約束の国を経て、明日へと繋がっていく。
大好きだったけど大嫌いになってしまったTVを、パピィは見る。孤独に苦しんでいた食事を、他人と取るようになる。(同僚のオッサンがずーっとパピィを気にかけてるのが、最高に良い。優しさはゾンビだけの美質じゃないんだよ…人間の麗しさそのものなんだよ…)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
©ゾンビランドサガ製作委員会 pic.twitter.com/7xUGvAN8Wk
パピィのゴツゴツの笑顔は、キラキラのアイドルアニメには似合わない。しかしその異物感、多様性を飲み込んで未来を目指す光の煌きこそが、ゾンビランドサガが非人間を描くことで強調したい、最も大事なメッセージだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
だから、この不審者顔がいい。パピィはようやく、もう一度笑えるようになったのだ
生者は未来に進み、死者は現在に停滞する。それでも奇跡のようにもう一度出会えたなら、必ず蘇るものがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
家族の徒花ネクロマンシーを繚乱と咲かせきった、見事なエピソードでした。死から蘇るのは少女だけではなく、その家族も思い出も、なのだ。
あまりにもゾンビ、あまりにも人間である。
フランシュシュがメディアの波に乗り、世間に広がっていくタイミングで、切り捨てたはずの過去、すれ違った家族という”外部”に強く接続された話をもってくるのは、控えめに言っても天才でしょう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
ここでリリィが”外側”と和解できたことが、フランシュシュの約束を裏打ちするわけですよ。
個別は全体に繋がり、全体は個別あってこそ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
凄く理想的な物語共同体を、非常に冷静な視座とむせ返る情熱、モチーフとテーマへの真摯さと微かなシャイネスでドライブさせる、最強のアニメですわ。
上手くて強い。幕末潜ったゆうぎり姐さんに『有名人ほどヤバい』と言わせるところとかね。竜馬かなぁ…
親子、舞台、永遠。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
使えば勝てる安直なキーワードが山盛り乗っかってんだけども、それを適切に使いこなし、最大火力でぶん殴るところが、ほんと強い。
強キャラは強技持ってるから強キャラじゃないの。それを最適なタイミングで差し込んで、最大コンボ入れるから強キャラなの(何でも格ゲー例えマン)
ど真ん中勝負に勝ちきったリリィエピの後に、サキちゃんのお話である。子供の後はヤンキー。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
永遠を夢見、それに追いつけないと知りつつも走り抜ける青春ゾンビたち。仲間たちは大人になり、家庭を持ち、サキちゃんは永遠に特攻隊長だ。みんなピーターパンなのさ…俺のエモ死も近いな…。
ヤンキーとファンタジー、永遠の青春を夢見る気持ちが親しいのは、例えば氣志團の名曲”PETERPAN EXPRESS”を聞いても判る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
”♪午前一時 ちょうどのプラットホームベルが鳴り出す 僕の部屋のベッド 窓を開けてパジャマのまま 飛び乗るんだ”
幸太郎とリリィの”イメソン”って売っても通るでしょコレ。
そんな親和性を引き継いで、次回我らの愛すべきヤンキー、面倒見の良い超絶リーダーのお話である。もう予告の時点でエモエモのエモで心臓が止まる予感しかない。骨、拾ってくれよ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
ゾンビじゃない僕は死んじゃうとアニメ見れないんで、来週まで生きていようと思います。来週も楽しみ!!
追記 いろんな余談
余談。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
フィクションの中の異性装アイドルは、キャラ記号であると同時にシリアスなアイデンティティの足場であり、真剣に書く物語はかなり多い。
今回のリリィと、生者であるがゆえに幼年期に永遠にとどまれないキラ(少年ハリウッド)や、あるがまま女の装いをするレオナ(プリパラ)と。
あるいは電子的な死を経て美しい永遠を手に入れたかったひびき(プリパラ)とか、押し付けられた異性装を肯定することでDSからSideMへと進んだ涼(アイマス)と比べてみるのは、楽しいし無意味なことではないと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
まぁアイマスの素養がないんで、涼ちんの話出来んけど俺。咲ちゃんはどうなのかな?
ひびきは男の装いをすることに特に衒いがなく(これはプリパラの一番大きな美質の一つである。サラッと受け入れりゃ良いねん巽やフランシュシュみたく)、ボーカルドールという永遠の少女への憧れ、現世の穢れを嫌って尸解仙へと脱皮しようとする運動が、リリィに通じている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
今を永遠にしたい。そのためなら死んでもいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
二期最終話で非常に暴力的な”正しさ”を伴い、らぁらが否定した(否定することしか、陽性の主人公でありただの小学六年生であるらぁらには不可能だった)永遠を、別の物語であるゾンビランドサガは肯定する。
ゾンビやけん、永遠は腐敗しねぇんだ。
らぁらと幸太郎、別々の作品で別々のキャラクターが出した答えは当然違うけども、それは両方真実だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
全ては行き過ぎていく。それでも、美しい一瞬を閉じ込めたいと願い、それを掴み取るために手を伸ばす。大場なな(スタァライト)やアーエル&ネヴィリル(シムーン)とも通じるテーマか。
美しい時を閉じ込めようともがく人々。否応なく降り積もってしまう時間。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
それは人間がその始原から向き合ってきた大きなテーマで、あらゆる答えがありうる。様々な状況、様々なキャラクター、様々な物語が、同じ問題に別の答えを出す。それはとても豊かなことだ。
リリィと巽の答えも、豊かだった。
普段は眼の前の作品だけに猛進するのが、ある種の礼儀だと思っているので作品間比較とかしないんですけども、ちと刺さる共通点だったので言葉にしてみました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
まー色々あるよ、答えも作品も。だからアニメおもしれぇんだな、多分。俺もアンタも、いろんなアニメ見ような!(馴れ馴れしいキモオタ)
余談2
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月22日
リリィの性自認は、思春期を迎えていない(それを否定するために全力を尽くした)彼=彼女には曖昧な問題で、その曖昧さをひっくるめて全肯定した語り口は、非常にナイーブかつ優しい。
グラデーションの中にある性自認を、今クールは様々な作品が、様々な角度から自分らしく語っている気がする。
ダブデカ第8話で、マックスが男の装いをした理由。やが君第七話で、佐伯先輩が自分の中の性に戸惑い、肯定するまでの歩み。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
あるいはHUGプリでアンリを通じて語られる、複雑で曖昧な異性装とアイデンティティの関わり合い。
全て固定された意識ではなく、曖昧なグラデーション全体を抱擁している。
そういうもんがアニメに、メインで乗っかるようになったのは良いことだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
自分自身はヘテロの男性であるけども、性自認とは別の場所で日陰者感覚を味わってる(まぁ多分、みんなそうでしょうよ)から、曖昧なグラデーションをちゃんと見据えてくれると、アニメって表現がもっと好きになる。
ザックザックと分類して、類型に放り込む乱雑さを振り回されると、それが俺に関係ない領域でも『あ、俺に当たるなそのうち』って感じがする。そのメディアは俺を殴る棍棒になるな、という感じがする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
ココ最近、アニメーションが性の揺らぎを切り取る筆が元気なのは、僕にとっては居心地がいい。
このときヘテロというスタンダードは『当たり前だから語るこたぁ無いでしょ』と排除してしまうと、また息苦しさが加速するわけだが、そこら辺は”青春ブタ野郎”が青臭い性の迸りを大真面目に扱い、男女間でも流通し消費される恋とセックスをちゃんとやってくれてて、バランスが良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
肌色ラノベつージャンルに乗っかってんだから、性を消費されるときの怒りと震えとか、セックスが通用するコミュニケーションの”空気”とか、ナイーブなもんざっくり切り捨てりゃ良いもんなのに、スゲー真面目にやる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
そういうモンを乱雑にしない主役を置いて、丁寧にケアする。
それが男女恋愛のど真ん中で、性差とはまた別のグラデーションを切り取りつつ他の作品と同時代に隣接しているのが、僕はなんだか嬉しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
いろんなものが見れるのは、やっぱり良いことだ。それが自分の気になっている領域だと、なお嬉しい。
アニメは今も昔も未来も、ずっと面白い。好きだなぁ、アニメ
余談三。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
リリィ、マミィ、パピィ。語末の『ィ』の撥音便で繋がる星川家の三連星が”血”を感じさせて、すげぇ好き。その軽やかな響きと対極にある『正雄と武雄』も、男達の分厚い絆を感じさせて最高に好き。
詩が上手いよね、このアニメ。アイドルアニメには絶対必要な能力。
余談四。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
リリィちゃんがTVに侵略されていない生身の親子関係を取り戻すべく『神野公園に行きたい』と伝えるシーン、六兆エモで心臓破裂ですけども、アレ聞いて『何で俺佐賀にすんでなかったんだろ?』と、理不尽な怒りがこみ上げてきた。
『神野公園』が佐賀ローカルの、小さいけどきれいな場所で、家族が家族としていられる暖かい場所……神奈川でいうと湘南平とか大山とかだってのはなんとなく分かんだけども、そこに漂うローカルな実感ってのは、やっぱ佐賀の土が”血”に馴染んでないと、真実受け止めきれないじゃないですか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
だから『神野公園! あー、行ったわ~そっかそっか、リリィちゃんもあそこ行きたいか…行けなかったんかぁ…俺は運命を許さねぇ!(デーモン覚醒)』ってなれる佐賀のアニメオタクが、相当に羨ましいです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
デーモンに覚醒するかどうかは知りません。するんじゃないかな、佐賀だし(偏見ブロウ)
追記 ”To My Dearest”について。
ゾンビランドサガ追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
思い出に別れを告げ、愛おしさを歌に込める。名曲”To My Dearest”が架橋に入った時、星が流れる。
リリィちゃんは、ダディは、その星にどんな願いをかけたのだろう。ウェンディを迎えに来るピーターパンはいたのだろうか。
©ゾンビランドサガ製作委員会 pic.twitter.com/9XTYPvLVJI
”星”川リリィの個別エピソードを、こういうクライマックスにまとめ上げられるところが、アニメーションの打撃筋力(ヒッティングマッスル)である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
エモいもんはエモい。問答無用で殴りつけるクルードさと、細かい表象操作で際立たせるテクニカルの同居。まぁ悪魔っすよマジ。
激しい動きがないバラードを、作画カロリーの低さを生かして手書きで作って、手先や目線の表現力で化学反応を起こさせるところとかも、マジで天才悪魔。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
全体的に儚く可愛らしいんだけども、そこで大地を踏みしめるリリィの自立を、堂々見せるわけよ。
©ゾンビランドサガ製作委員会 pic.twitter.com/XDgi28mU6P
『デッッデッデ』と力強い旋律に合わせて、リリィはパピィから巣立つ。謎のアイドル”六号”としてのアイデンティティをつばさに、永遠のネバーランドに旅立っていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
それは親離れであり、死の悲しさをようやく手放せたグリーフケアでもある。
リリィの過剰な思い(飛び出した心臓)が譜割を無視しまくってる前半の過剰さとか、パピィ一人にだけ語りかけているはずなのに普遍的なメッセージになっている聞かせのシーンとか、ホンマ完璧でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年11月23日
アナタのための歌が、みんなのための歌になる。劇場版アイカツやん…”輝きのエチュード”やん…