・前説
ブギーポップは笑わない を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
居場所もなく、未来も定かならぬ青い時代。蒼天にも海底にも似た淀みから浮かび上がる、不気味な泡。
僕らは確かにそこにいて、それに出会った。ならば、それを存分に語り直そう。
この話は、ブギーポップと世界の敵にまつわる物語だ。
というわけで、20年前の古ッ臭いラノベ、まさかまさかの再アニメ化である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
18年前のファントムが、あえてやらなかった”原作通り”の構成に、MADHOUSEと夏目慎吾が挑む。描くのは『ブギー以前・以降』という区切りを作り、この20年のポップカルチャーの基底となったお話である。
アニメの話をする前に少し自分語りをすると、僕は相当にブギー信者だ。あの時青春にこのお話が直撃した世代の多くのものがそうであるように、ずぶりと深く突き刺さって、現実と虚構を認識する根っこをこのお話のテイストとペースで仕上げられてしまった人間だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
思い入れはそれなり以上にある。
なので感想をどういうスタンスでやるか逆に迷い、書き出すまで時間がかかってしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
”笑わない”を起点に伸びていったもの(上遠野サーガの広がり、サブカルチャーへの影響)をひっくるめて、ガッツリ四つに組むか。
初見の人の感性をエミュレートしつつ、あくまで新規のアニメ作品としてみるか。
Webに個人的感想を垂れ流しにする時、僕はそれなりにフィルターをかける。自分が感じているだけの想い、自分だけが感じられる揺れを大事にしつつも、それをどういう形で他人に(ある程度)通じるものにするか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
そのための加工の一つとして、個人的な知識や経験、思い入れに偏りすぎるのは避けている。
無論そういう色彩あっての意味ある感想だろうし、取り除こうと思ってもハズせるものでもないのだが、それでも可能な限り透明に、真ん中に、客観に自分を配置した上で個人的な感想を言おうというスタンスは、それなりに大事かな、と思っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
誠実さという意味でも、シンプルな反響効率の意味でも。
なので普段はある程度の客観フィルターを通して、自分の中の『初見のファン』を大事に感想を描いているわけだが、このアニメに関してはまぁ無理だと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
ので、個人的な思い入れや認識、記憶なんぞを積極的に滲まして、”ブギーポップと僕”くらいのスタンスでやっていこうと思う。
キモいなぁと書く前から思うけども、まぁそういうモノを引っ張り出される作品であり、経験であり、記憶なのだ。”僕と(あるいは僕らと)ブギーポップ”は。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
個人の足場に体重を寄せた語りがどれだけ意味のあるものになるか、客観を貫通する重量を持ちうるかはまだ分からないが、とりあえず始めていこう
・第1話総論
さて、アニメーションは一話と二話を同時放送する形となった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
原作は5話の物語を複数主人公で描き、それぞれリアリティレイヤーと受け取るストーリーが異なる、『短編集のような一長編』ともいうべき、かなりねじれた構造になっている。
第1話で展開された竹田くんの物語は第1話にあたる。
『デビュー作には作家の全てが宿る』とはよく言われることだが、この変則型”藪の中”形式、それが写し取る人間と人間、その総体としての社会の断絶(と交流)は、後の上遠野作品全てに通用する大事なテーマだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
人間はわかり合うことなどない。可能性は常にどん詰まりに行き着き、未来は明るくない。
”笑わない”は時間軸も主観軸も複雑に行ったり来たりしながら、ただの青臭い青春の悩み、都市伝説も人造人間も怪物もいない”当たり前”の話だったと思っていた物語が、次第にいかにもライトノベル的(という感覚を形にしたのは、他でもないこの作品だ)な展開を露わにしていく構造を持つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
竹田くんにとっては、唯一の就職組として教室から疎外され、困っている人に素直に手を差し伸べることも出来ない自分の凡俗さに飽き果てていたといころに、恋人の中にいるもう一人の”友達”とであう、サイコ・ジュブナイルとも言うべき物語が”笑わない”の全てだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
彼は霧間凪のヒロイックな活躍も、マンティコアと早乙女くんの悪行ロマンスも、エコーズと虚空がを巡る人類存亡の危機も、悪友だった紙木城直子の末路も、知ることはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
彼が知るのは冷たい世間、そこに順応しつつある自分、足りない居場所、それを埋めてくれるかもしれない不気味な泡。それだけだ
その真っ当で地味過ぎる青春小説を順当にアニメ化した第一話には、最近流行りのパンチはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
あの世紀末の空気を瓶詰めに閉じ込めたような閉塞感と、彩度を落とした色彩。何処にも出口はないのに、何かを見つけたような小さな安心感が、忠実に丁寧に描かれていく。
これじゃーナウなヤングは捕まえられないってんで、学園に潜む人食いの化物だの、日常を侵食する悪逆なる陰謀だの、それに立ち向かう救世主候補(メサイア・コンプレックス)だのが、ゾロリゾロリと顔見世をするのが、第2話となる。二話同時放送は英断であろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
無論、第1話で描かれたもの、第2話でちらりと見せられたもの、そして多分第3話で明瞭になるものは、全てが”ブギーポップ”である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
能力バトルの興奮、異能がぶつかりあう興奮、巨大な運命と卑近な人間性の奇妙な同居、青臭く甘酸っぱい青春の悩みと叫び。
それらが、鋭い形で渾然一体となるからこそ
僕はあの作品にぶん殴られて、フラフラとショックから立ち上がり、脳髄に宿った目眩の中で20年間生きてきたのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
起伏にかけて面白くねーと思われるだろう第1話、能力者でも逸脱者でもない竹田くんの当たり前が、恋人である宮下藤花/ブギーポップを通じて、あまりに異質で巨大なものと交錯する。
自分の意志で職業を選んだはずなのに、進学レールから出ない多数派から裏切り者扱いされ、居場所がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
いなくなった少女たちの内面を一切無視してレッテルを貼り、命や心を当たり前に大事にできない大人に、だんだん近づいている不快感。
第1話で明言されることなく、しかししっかり画面に焼き付けられている竹田くんの焦燥こそが、実はMPLSだの統和機構だの、巨大でおどろおどろしい”世界を動かす、巨大な真実”と強く強く繋がっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
非常にナイーブで柔らかな、社会の中ではノイズと切り捨てられかねない個人個人の思いこそが。
人食いの怪物よりも、それを作り出した巨大なシステムよりも、強く物語を進行させる。怪物に思えたものも、自動的な殺し屋に見えた人も、その実非常にちっぽけでだからこそ力強い思いを懐き、しかしそれを果たせないまま孤独である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
それでいて、一瞬だけ想いがつながる錯覚が確かにある。
そんな孤独を前提とした共感、後ろ向きなポジティブさみたいな感覚が、上遠野諸作品には強く漂っているし、その色合いが一番強いのは”ブギーポップは笑わない”だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
やはり複数短編を一長編につなぎ合わせる形式が、鮮烈に作家と作品のの世界認識を反映している。
だからマジで原作まんまでやった第1話は、僕は凄いもんだと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
アニメに地の文はない。竹田くんがどんなことに思い悩み、何に足を止めているのかをダイレクトに示す過剰なモノローグも(それこそ、世界最強の上遠野フォロワーたる西尾維新作品のように)取っ払った。
あくまでプレーンに、現在進行系でキャラクターが感じている(それはあの時読者だった僕ら、あるいは作者だった上遠野浩平が呼吸していた”時代の空気”そのものでもある)世界を、なんとか感じ取ってもらう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
かなり視聴者を信じた/甘えた作りだとも言える。『理解れ、理解ってくれ!』って感じだ。
そんなストロングスタイルの第一話(といっても、原作にない早乙女くんとの接触を頭に入れたり、錯綜した筋立てを食わせる努力は当然随所にあるのだが)に比べ、第2話は原作の章立てをかなり撹拌して、いかにもラノベ的な現代伝奇アクションスリラー・前編と言った風情だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
まー90年代後半の過剰な自分語り、下向きっぱなしの鬱々とした内面トークで延々進められても、古臭いわ重いわダルいわで、いかに信者たる自分も耐えられないとは思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
少しでも今っぽく、楽しく…もしかしたら今ブギーポップを必要とする新たな世代に刺さるように、形式を整えて描く。問う。
それはとても大事なことだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
『原作通りやる』というのは、時代や需要者の特異性を見据え、それを別メディア・別の状況でどう再生させ、しっかり突き刺す編集の上で成り立つ偉業だ。
変わらないでいるためには、変わるしかないのだ。すこし悲しい事に。なので、変えるのは正しい。
重要なのはその変化が適切かどうか、ということだし、”原作通り”が適切であるか、ということもである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
電撃文庫か-7-1が好きなだけなら、本棚から取り出して見直せばいいだけの話だ。そこには輝く思い出も、鮮烈なショックも、確かに封じ込められている。
その気配を遺し、なおかつ新しい体験でぶん殴られたいと思うからこそ、僕は再アニメ化の報を喜んだし、このとても難しい食材をどう調理するか期待もした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
それは結構な形、いい塩梅で叶うのかなと、第1話と第2話を見た段階では感じている。信者の贔屓目、無理な若作りの結果かもしれんけども。
・第1話各論
映像を見る前置きに、かなり時間がかかってしまった。こっから本編の話をしていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
第1話は監督でもある夏目慎吾、第2話は重原克也がコンテ・演出を担当した同時放送。まとめてみると、レイアウトへの意識の差、描くものの差異とストーリーの合致が比較できて、なかなかに面白い。
第一話はオシャレ映像ゴッドである夏目慎吾らしい、ピリッとスタイリッシュなカットがよく刺さる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
曖昧な夕日の色彩、バロックなカメラアングル、明瞭な陰影の感覚。
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ヒトとヒトの距離感、乗り越えるべき断絶とその深さを表す境界線は明晰だが、それは少し歪めたアングルから捉えられ、ちょっと生物的なフォルムを宿す。(少し、”リズと青い鳥”似てる気がする)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
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ホリゾンタルな線が強い印象を宿す第1話に対し、第2話は非常にパキッと画面を割る縦の線、人工的な境界線が印象に残る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
スパスパと切り分けで、あまり手がかりがない拒絶の匂い。
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竹田くんの煩悶はブギーポップと出会い、不思議な友人と屋上で語らう中で、去り際に『行かないでくれ!』と叫んだことで解消されてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
(ので、以降竹田くんが主役の物語はあんまなくて、彼は自分のクエストを終えた先輩として物語に関わっていくことが多くなる)
垂直に断ち切られつつも、不思議に交わる友情。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
恋人の中に生まれたインベーダーであり、男のようでいて女でもある。曖昧な笑顔の不気味な泡は、そのまま竹田くんの曖昧さを反射する。
学校や社会が押し付けてくる規範に自分をあわせなければいけないという強迫が、逃げ出す窓ともなる。
そういう感情の動きが、縦の拒絶と同時に横の広がりを重視する画作りと噛み合ってる感じがした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
不気味な泡に反射する、曖昧な自分を肯定するまでの竹田くんの物語。それは地味でヘンテコで、でも確かにあったのだ。彼が泡を『友達』と言えたのは、非常に大事なことなのだ。
冒頭、顔のないモブの中で恋を待つ竹田くんには、主人公らしく目がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
しかしエコーズ(原作表記だと”サイコさん”。通るのに時代を少し感じる)を遠巻きに見捨てる時、彼には顔がない。
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そういうものに同質化したくないと願いつつ、巨大な流れに押し流され、ブギーポップと紙木城が実演したような(そのことで”世界の危機”が去ったような)『人間の当たり前』が出来ない大人になっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
それを嫌いつつも、凪のように己を貫く狂人として孤立することも出来ない。
そんな曖昧な揺らぎ、どこにも足場を置けない不安定感が竹田くんにはある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
屋上、待ちに待った非日常に吸い込まれるように歩みを進めても、ブギーポップが足場を置く陰りには踏み込めない。
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2つのアンテナが切りとる狭い狭い空間に閉じ込められて、窒息寸前のアングル。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
薄暗い部屋で狂人にまつわる言説(それは抑圧された可能性の肯定でもある)を摂取する時も、部屋は完全に照らされているわけではなく、光と闇は同居している。
ハンパで、息苦しい。
進学というレール(それが沢山の犠牲者を潤滑油に、素知らぬ顔で走っているからこそ”失踪者”を誰も本気で探そうとはしない)から積極的に降りた竹田くんは、教室にすら入れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
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『女の子だけの秘密の都市伝説』であるブギーポップを親友と感じているのに、『男で進学組で人情味ある真人間』という三重の異質性を背負った彼は、進学に悩みドライに学友を切り捨てる女の子とは、噂話を共有させてもらえない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
ブギーポップ(に扮した籐花)が垂れ流す、バカでかい妄想。学園の影に潜む人食いの怪物、世界の敵を殺すヒロイックな物語に、竹田くんは呆れつつ憧れる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
でもその現場に居合わせることも、その残影たる噂話に接触することも出来ない。彼は徹頭徹尾、高いリアリティの中にいる。
当たり前に面白くなく、当たり前に冷たい。傷ついて泣いてる人がいたら、遠巻きに見捨てるのが当たり前の処世の”空気”から、どうにか出たいと思いつつ出れない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
その息苦しさは、多分時代とは関係なく普遍的な問題なのだろう(と”青ブタ”アニメを見た僕は思う。大事な話は、何回やっても大事だ)
異能や伝奇が妄想でしかない、多重人格やメサイヤコンプレックスや殺人嗜好という”病気”として、社会の外側に片付けられてしまうレイヤーに足をおいたまま、そんな異常性を『まぁいいじゃん』と受け止め、踏み込み、手を取れるか。泣いてる人を前に、肩を抱いてやれるか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
第1話で展開しているのは徹頭徹尾、そういう話だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
このお話が優れているのは、そんなちっぽけで地味な冒険に”浪漫の騎士”と名付け、ワイヤー飛び交うハードアクションと同じくらい(あるいはそれ以上に)大事な戦いなのだと、丁寧に描き続けるところだ。
同時に、超絶中二病への憧れも否定しない。
狭っ苦しい檻を抜けて、何処かに”突破”したい。自分が知らない物語を受け止めて、普通じゃない存在へと転がっていきたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
そんな気持ちを諦められないから、竹田くんはブギーと屋上での逢瀬を重ね、僕らはラノベを読む。『それは自然の成り行きで、まぁまぁ悪くないよ』と、描写自体が語っていく。
そう。20年分の年輪を重ね、そこから生まれたものがあまりに偉大になりすぎて忘れられがちかと思うが、ブギーポップは”かっこいい”のだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
非対称の笑い、シニカルで知的な会話、ワイヤーと”ニュルンベルクのマイスタージンガー”。人間を遥かに超えた超人の、闇の中で世界の命運をかけた死闘。
MPLS、統和機構、”世界の敵”、自動的な存在。単語の一つ一つが脳髄にぶっ刺さり、ビリビリと神経を加速させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
脳髄のとても幼くシンプルな場所をガンッガンに揺らすスタイリッシュさ、つまんねーフツーの中では味わえない刺激”も”、この作品の魅力だ。
そこら辺を第3話、どう書くかが非常に楽しみであるが、第1話はもう一つの強さ、地味ーな青春の地味ーな鬱屈と、ちっぽけな救いと希望の話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
息苦しく暗い学園の中で、屋上は身近な異界だ。空に通じていて、広くて鋭い。
しかしそこに身をおいても、待ちに待ったラノベ的ヒーローであるブギーポップと一緒にいても、竹田くんの前にアクションはやってこない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
何処か”異常”に怯えて、自分の世界を狭める
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柵の向こうに無限の空が広がっているからといって、竹田くんはワイヤーを使って自由に飛べるわけじゃない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
自分とは無関係な場所で進行する”世界の敵”とのバトルを尻目に、竹田くんはブギーと同じ方向を見て、あるいは背中合わせに、そして向かい合っていく。
水平方向が広い画角を、ちょっとレンズの歪みを生かして生物的なフォルムにまとめている”絵”の強さ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
これを同ポジで使いまわして、竹田くんの中でどんどんブギーがデカくなっていく心情の魅せ方とか、凄く好きである。20年越しの竹泡……ッ!!
マニアの寝言はさておき、竹田くんはブギーを自動的なヒーローではなく、頭がおかしくなった恋人の奇行と認識しつつも、だんだん友情を深めていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
傷ついた人に当たり前に優しく出来るその真っ直ぐさに憧れて、居場所のない自分を導く導きの星として、高く見るようになる。好きになっていく。
そのことで、竹田くんは社会が排斥する”異常さ”との付き合い方をちょっと捕まえて、自分の中の普通じゃない部分を大事にできるようになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
デザイナーという進路に向かい、道を定めて前に進む。フツーじゃないけど立派なことで、胸を張ってもいい。泣いてる人がいたら、迷わず手を差し伸べてもいい。
そういう感覚を、頭がおかしくなっちゃった恋人と屋上でデートする中で、竹田くんは育んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
だけどそれは確信には程遠く、信念を体験に変えていくには時間がなさすぎる。もっと身近に、ずっと一緒に、友達として憧れとして、側にいて欲しい。
そういうナイーブな思いを、竹田くんは抱え続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
それは”世界の敵”をぶっ倒したからといって消えないし、これを安直に超常能力で解決しようとしたものが”世界の敵”になったりもする。
ブギーがいてもいなくても、戦いは続く。つまらなくてフツーで、大事な争いが。
2つのアンテナが切りとる狭い世界で、ブギーと出会う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
ブギーがいなくて寂しい世界を体験して、自分とは無関係に物語が終わって、高く美しい場所に超常は去っていく。
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その時、世界を閉じ込めていた窓は広い場所への扉にもなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
多重人格者の妄想と本気で付き合うことで、竹田くんは薄らボヤけた遠い街に自分の存在を規定されるのではなく、その規定を通じて世界を睨み返す自由に、震えながら対峙することが出来る。
その視座の転換、自分を捉える折だと思っていたものが実は自由への唯一の脱出口であると認める物語が、竹田くん主役の”浪漫の騎士”だろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
当たり前の世界で、当たり前なんだけども当たり前とはされなくなってしまった優しさと強さを抱えて、ゆらゆら不安定に自分と社会の狭間を歩くこと。
ブギーポップが去り、恋人の宮下藤花が戻ってくる。当たり前の日常を歩く時、竹田くんの世界はまだ暗い。でも、少しずつ明るく照らされていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
さらば、我が愛しき灰色。
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竹田くんがその境界線上でハンパに足を止めていた”教室”から、堂々と背中を向けた不良の霧間凪。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
宮下等花を知らずブギーポップの戦友である彼女も、当たり前の少女と笑顔で握手をする。
©2018 上遠野浩平/KADOKAWA アスキー・メディアワークス/ブギーポップは笑わない製作委員会 pic.twitter.com/90faZdJgVr
それは多分、宮下藤花の恋人であり、ブギーポップの友達である竹田くんが、凪の背負う非日常と握手をした瞬間でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
世界を守る闇の戦いは、ほぼすべての人々と関わりのない場所で、勝手に進んでいく。僕は主役じゃない。でも、それでいいんだ。
そういうちっぽけな自己満足のエンドマークに、死神は不器用に微笑む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
「君のような人がいるから、世界はかろうじてマシなレベルを保っている」
このセリフが第3話で出るかは分からないが、まぁそういうことだ。
当たり前で優しい人達がいなければ、世界は簡単に壊れてもいたのだ。
エコーズには差し出せなかった手を、多重人格の宮下籐花に、メサイア・コンプレックスの霧間凪に、竹田くんは伸ばした。それが彼を未来の方向に引っ張っていくのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
派手なアクションも、肌色サービスもない、ちっぽけな青春の悩みと自己実現。当たり前のジュブナイル。だからこそ、僕は好きだ。
とまぁこんな感じで、アニメ版ブギー第一話は進む。地道に、竹田くんが出会った物語を、彼の主観でジリジリ描いて大事にしてくれて、とても嬉しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
それはあの時どうにも窒息寸前だったかつての僕と、そこを経ていまこのアニメを見ている今の僕、両方にとって大事なお話だから。
一生このジリジリ感で進んでいってもいいのだが、それじゃファントムと同じ方法論になってしまうし、今の深夜アニメのスピード感にはそぐわない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
二話からはかなり大胆に原作のフレームを再構築し、週刊ペースにテンポアップすることになる。それはそれで、楽しいアニメだ。
『そういうふうにもやれますよ』と初弾で見せておかないと、まぁ振り落とす人口が多すぎるだろうしね…重ねて、二話一挙放送は英断。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月7日
それがどんな筆使いで描かれているかも追いかけたいが、思いの外体力を持っていかれたので一旦休憩とする。俺、想像よりはるかにブギー好きだったな…。