※訂正
あ、ブギー感想の『志郎くん』が全部『士郎くん』になってる……こっちだともうひとりの方の弓道部員になっちゃうじゃん……。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
訂正します。
※本文
ブギーポップは笑わない を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
人は皆自分のことに忙しくて、少女が一人消えても気にしない。そんな普通を認めきれない少女と少年が、放課後の伽藍堂を歩く。悪魔に手を引かれていると、思いもしないまま。
反転する光と闇。超常の暴力と気取らない殺意。運命は誰も知らない放課後、静かに決着する
そんな感じの、笑わない終章である。先週早乙女くんの事情を見せた結果、悪魔とわかってる相手にいいように騙される新刻&士郎コンビにハラハラさせられ、なかなかサスペンスが強かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
これも複数の物語、視点、情報を束ねて読者だけに総体が見える構成の妙味だろうか。
色々やることが多いので一人ひとりに使ってる時間はないし、思い入れが20年分発酵した全てをすくい上げる訳にはいかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
第1話に引き続き夏目監督がコンテを切った画面は、いい具合に不穏で不安で、情報圧縮率が高い。消化するのに結構手間な、ある種の硬さもあるけど。
第3話でようやく目立った士郎くんは、紙木城さんのいない日常を生き残る。その空疎、携帯電話から帰らない”こだま(エコーズ)”。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
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幻影の如き不気味な泡の接触は、非日常の影ではなく希望の光のなかにある。ブツッと切り刻まれる牛尾憲輔の音楽が、非常にいい塩梅に不協和を印象づけてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
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この奇っ怪な弓道場のシーケンスは、士郎くんの直子への思いとその剥奪、ブギーポップという非日常の超人と出会うことがその無念を晴らす唯一の道だとゾワゾワ教えていて、なかなか好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
歪曲王が待っているので、士郎くんは内に抱えた無念を、例えば新刻のように語り切るわけにも行かない。
彼が章の主人公として主体を持たず、起伏と納得の有る物語を体験”できない”ことが、後の事件のコアにある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
どんな気持ちで、何を奪われたのか描ききらないフラストレーションは、おそらく計画された描写だ…と思いたい。生かしてくれると良いなぁ…。
直子の不在に引き寄せられる形で、士郎くんは薄暗い陰り、学園に隠された秘密に踏み込んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
道連れとなる新刻との明暗は、シーンごと非現実的にブレる。
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光源とライティングが噛み合っていない違和感は、ザリザリと見ている側の神経を削ってくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
それは直子の死を予感しつつも答えが出ず、しかし何をして良いのかも明瞭にわからない士郎くん(と凪ちゃん)の苛立ちと、奇っ怪にシンクロしている。
どっちにしても、新刻は白々しい光のあふれる教室…『学業に問題がないなら、死ぬ理由もないだろう』と切り捨てる”風紀”の側から、一寸先も定かではない闇に乗り出してしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
そこには蛇が住んでいて、自分のいいように状況を引っ張っていく。早乙女くんも、愛と勝利のために必死なの!
後に事件が終わり、のっぺりと暖かい色彩を取り戻す学校は、不自然に人が減り、不気味で冷たい色彩に塗られる。その狭間でフラフラと、時に死にかけつつ真実を探す旅。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
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士郎くんと新刻さんが迷い込んだ、青と赤の入り混じった逢魔が時。早乙女くんが一足先に出会い、”人を喰うもの”に堕する決心を果たした危うさを、二人は勇気を込めて拒絶することになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
だからこそ帰れた景色に、しかし直子はいない。決定的に状況を救ったのは、弱々しく死んでしまった犠牲者だ。
なんともやりきれない結末が、決戦の前から準備されている放課後の伽藍堂。そこでかつての憧れに対面する時、早乙女くんは陰りを背負う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
中間点でフラフラなんて、もったいないこともう出来ない
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ここも一瞬前に見えていたもの、聞こえていた音がザックリ切断され、凄くグロテスクにもう一つの顔を見せてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
そういう唐突さが、”学園”の平和な顔の奥に顔を潜めていて、しかしそれが世界を支配するルールなどではけしてありえない。例えば、第1話で竹田くんが行き着いたような…
ありきたりで面白くもない、しかし優しい質感こそが、暴力や狂気よりも強いシステムを駆動させているという、曖昧であやふやな世界認識。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
白と黒が鮮明に別れつつ、その合間を行ったり来たりする画面構成は、その反映にも見える。気持ち悪くていい。
エコーズは人間の善性と悪意をその身に浴び、他人に反射させながら判断を迷っている。人はどんな存在なのか。あやふやさの奥で答えを出さなければいけない。そのヒントとして、優しい手がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
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回想シーン、あるいは視点を変えたリフレインも含めて、幾重にも重なる『他人に手を差し伸べる/支える』という描写。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
誰にでも出来るはずなのに、”普通”の冷たさに遮られて出来ない、当たり前の優しさ。竹田くんがブギーポップに憧れ、直子や新刻がエコーズに差し出したもの。
それが怪物同士の間にも、確かにあったと見せるのが、エコーズ情報ビームからのカバーリングだったりする。最悪の人喰いであったが、確かにそれはロマンスであり、愛でもあったのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
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マンティコアを”守った”のと同じ手で、早乙女くんはエコーズを突き刺し、青い毒を注ぎ込む。凪に背中を向け、その喉を掻っ切る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
強さや優しさすらも身勝手な色合いに染まって、誰かを傷つける武器になったり、とても醜く邪悪なものに変わってしまうことだって、当然ある。
エコーズが木霊させたのは、多分そういう本質的な曖昧さなのだろう。それはエコーズが”情報”として天に帰還した後も地上に残響して、様々なキャラ、様々な事件の中で問われることになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
だから根源的に、シンプルでスカッとするアニメにはならんのよな。人は当然選ぶ。俺は20年前からズッパまりだ!
第2話では分断されつつも正対はしてた凪と早乙女くんが、状況が決定的になった(なるように、状況を誘導した)今回は背中合わせなのが、なかなか世知辛くていい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
凪が父との死に際に背負った、普通さへの決別。それは憧れの形で伝染する。その成れの果てが奇襲からの死体だhttps://t.co/oDMHriGlSI
するりと殺す早乙女/士郎達”ヒト”の殺しと、エコーズとマンティコアのタメが長い超常アクションも、面白い対比だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
派手さ、アニメ的な見栄えからすれば後者のほうが”強い”んだろうけども、結果的に死人を量産してるのは前者だ。どこか底冷えした、覚悟のある殺意。その機械的な効率の良さ。
この後合成人間やら世界の敵やらをバッタバッタとなぎ倒す凪ちゃんを、ほぼ唯一死地まで追い込んだ早乙女くんの、あまりに人間的な”殺し”
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
その冷たい感触は、彼の異質性(それはつまり人類種の異質さでもあろう)を巧く焼き付けて、とても良かった。つえーな早乙女くん…。
勿論、直子の存在は凪ちゃんにとって超デカくで、それが薙ぎ倒されたから心がズタズタ、てのもあるけどさ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
そのベコベコになった心にスルスル忍び寄り、色んな意味でデカいポジションを確保する末真…なんだか袴田めら先生の漫画のキャラに見えてきたぞ!
人間でありながら”人喰い”になってしまったものと、とても無力で、だからこそヒトの輝きを背負う少女。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
その対峙に、怪物と怪物が降着する。描かれる価値観と立ち位置の十字。
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横軸に人間、縦軸に怪物。生まれで切り分けられる境界線はぐるりと回って、怪物を非力な腕で守り支える人間と、怪物とともに人を食う人間の対峙に移る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
昼とも夜ともつかない、曖昧な色合いの空がいい。赤は血の色、恋の色。青は涙の、あるいは誠実の色。
新刻の獅子吼シーンはある意味、彼女が恋する竹田くん主役の第一話、その変奏とも言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
暴力と陰謀で世界の在り方を規定しまう存在に、関わり合いになれない無力。舞台に上がっても、新刻は異能力に目覚めるわけでも、敵を倒すわけでもない。
だが『どっちなのだろう』と悩んでいたエコーズが一つの結論を出す助けは、あの咆哮にある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
それが一時保留でしかなく、数千年後には虚空を牙が覆い尽くすとしても、新刻の無力な助けと咆哮、直子の優しさは確かに、勝敗を決する決め手となった。
でも、そんな当たり前の誰でも出来るような行為はやっぱり無力で、既に死んでいる直子の死体を弔うことすら出来ないまま、生存者は無様にへたり込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
”良い怪物”との間にも、確かにある境界線。
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そこに隔たりとシンパシー、寂しさと希望を見ているのは、日常に取り残される人間だけではない。多分ブギーポップも、自分を友達だと言ってくれた竹田くんがいる側、日常の岸に奇妙な愛着を覚えつつ、けして主役にはなれない現状を漂い続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
ブギーポップが決定的に舞台装置であり、物語に終わりをもたらす死神でしかないことを強調する意味でも、”ニュルンベルクのマイスタージンガー”は欲しかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
まぁあれだ、”暴れん坊将軍”のクライマックスには(例のBGM)欲しいって感じだ。なんか意図があって飛ばしたんかなぁ…。
普通を愛おしく思い、守るために遠ざける。ツンツンと距離をおいて、その光の中に解けていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
凪ちゃんもブギーと似たような非日常の住人で、同時にただの少女でもある。
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そんな彼女がブギーポップではなく”宮下籐花”と握手するシーンは、多分第1話とは違う見え方になっている…はずだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
オレ”信者”だからさぁ…既に第1話の段階で思い入れマシマシで見ちゃってるから…確実に透明な視点でこのアニメ評価できないやっぱ! すまーーーーん!!!https://t.co/6L4R2BGyxE
謝罪はさておき、”普通”に対しすっげーツンデレ(であることが、舞台上の拘束シーンではさーっぱり見えない)凪ちゃんは、制服を着直して光の中に歩き出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
その宿命も過去も魂も、彼女が”正義の味方”以外の在り方をすることを許さないけども。
それでも陽だまりの中の一瞬の夢は、とても綺麗だ。
そんな踏ん切りをつけて、どうにも行き場のないモヤモヤを抱えたまま物語にエンドマークをつけた人たちと、終わったはずなのにこの表情、この明暗の士郎くん。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
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牛尾憲輔の音楽と同じように、ザラザラとした違和感を解消しないまま次のハーモニーに続く割り切れなさは、エピソードの最初から最後まで元気だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
そのあやふやな誠実さと的確さは、結構原作のテイストを巧く拾い上げ、現在に蘇らせてるんじゃないかと、自分は思う。
何しろうるさ型を大量生産した業の深い原作なので、様々意見は別れよう。僕も二億兆点とは当然いかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
しかし作品愛を図るガイガーカウンターはどこにもないわけで、冷たく拒絶して自分の中の完璧に溺れるよりも、眼の前に出てきたものをポジティブに食っていったほうが善いかなと、自分は思うのだ
無論こんだけ長く色々書いてる時点で、このアニメ・アニメ化への好意が憐れみだとか信者の贔屓目”ばっかり”ではないことは、なんとなく察してくれる…と思いたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
どーもこのアニメの感想は、アニメ単品と同時に『ブギーが好きな僕』に切り込む形になって、なかなか明瞭には断言できない。
そこもひっくるめて『ぽい』かなとも思っているので、まぁ今後もグダグダとあやふやな感想になろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
一言でいえば、”ブギーポップは笑わない”新アニメ、相当に良かった。好きだし、良いと思う。差く品が纏う時代の空気、今と共通する20年前の曖昧さを、上手くアニメにしたと感じた。
次回以降紡がれるイマジネーターの残響も、下手すると今回以上に曖昧であやふやで、落とし所のない物語だ。本当にブギー序盤は、アニメに向いてない構成・テーマ・ドラマだな…そこが良いんだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年1月12日
そんな不気味な食材を、どう料理し何を魅せるか。期待はパンパンである。来週も楽しみ。