※訂正
大和麻弥の名前が全て『真弥』で誤記されています。訂正いたします。
ガルパ履修記録。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
パスパレ一章ラストまで。
不屈。愚直。そんな言葉をピンク髪の女の形に固め、パステルカラーの衣装を着せたら丸山彩になる。
どれだけ現実の荒波に晒されても、諦めることが出来ない己の性。土砂降りの中むき出しになった魂が、もう一人の女に火を灯す。
白鷺千聖。諦めた顔の熱血。
そんな感じのド濃厚感情大渦神砂嵐である。ステージに立つことの綺麗と汚いを、全てないまぜにしてコンクリートミキサーでぶちまける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
アマチュアなら許される逃げも拘りも、”プロ”である以上通らない。お前らは事務所が選んだお飾りアイドル、都合で踊ってもらうと突きつけられて、それでもなお。
非常に重たく生臭い話であるが、同時にこれ以上ないほど青春でもあり、落差と勢い、ぶつかりあう感情の激しさが凄まじいエネルギーを発生させていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
容赦のない絶望が、リミッターを外した感動を生む。このバンドだけ、駆動論理が藤田和日郎製である。心に風が吹いてる天才もいるしな!
中心にいるのはやっぱり丸山と白鷺で、才能もなく迂回路も歩けず、泥だらけ傷だらけになりながらも”アイドル”であり続けようと踏ん張るタフな主人公と、根回し政治工作どんと来い、ステージに立てるならどんな迂回路だって余裕で歩く笑顔の修羅が、それぞれの生き様をぶつけ合う大嵐である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
正反対のように見えて、千聖は影の努力を絶対怠らない(努力は当然の前提、というのは芸能界歴が長くおそらくそこで大量の挫折を見て、体験してきたが故の生き方だと思う)し、丸山が背負う光にどこかで憧れている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
自分が捨てたもの、手に入れられなかったものを、丸山の中に見ている。
千聖の過去に何があったかは第一章では描写されないが、『努力は夢を連れてこない』と思い知らされるような何かを丸山より先に体験した結果、政治に敏い実務アイドルが生まれたのだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
そこを泳ぎきれる地頭も冷静さも、大人の都合を泳ぎ切る笑顔の体力もあった。強かになれる資質があった。
丸山に”それ”はない。どれだけ夢に裏切られても、現実を突きつけられても、努力と根性だけを杖に立ち上がり、前に進むしかやり方を知らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
千聖が突きつけたかった『私の迂回路』を、丸山彩は堂々踏み潰していく。迷宮の壁を壊して中央突破するような、非効率的など真ん中アイドルイズム。
それは賢くないし、格好良くもない。しかしそのブレなさを貫くことで、何かが宿る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
ココらへんを言語化する大和真弥の仕事はほんと凄くて、彼女が『丸山彩がどうアイドルなのか』感激してくれるおかげで、僕らにも丸山の凄味が通じやすくなる。
大和真弥は千聖の生き方にも裏で接触して、しっかり言語化する仕事もしている。パスパレがどんな物語を展開させ、そこにどんな意味があるのか。何と何がぶつかり、どんなうねりが生まれているのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
全ては”大和真弥”を通じて読者に露わにされる。『進行を助けた』にチェック入れてください(FEAR脳)
氷川日菜も直感力では負けていないのだが、自分が『るんっ』と来たものを言語化し、他人と共有することに(現状)そこまで興味がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
丸山彩の異質性に天才を揺すぶられ、尊敬し愛することが出来る『他者』として認識できるようにはなったが、現実の中でどう距離を作るかはこれからの課題だ。
氷川日菜は他者との境界線が引けすぎるほど、異常な才能に溢れきっている人物だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
彩や千聖が根本的に努力の人で、時間と汗を積み重ねることでしか結果が出せないのに対し、日菜は凡人が蠢く地面を軽やかに飛び越えていく。
その跳躍に、姉もぶっ壊されたのだろう。
そんな日菜が彩を『面白い』と感じ、彩をロールモデルに『自分ではない他者』に興味をもつこと、パスパレと出会いパスパレで居続けることは、多分大きな意味を持つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
というか、パスパレというフィルターを通してしか日菜は一般社会とコンタクトできない。姉を理解し距離を整理できない。
多分氷川日菜にとって、双子の姉は”自分”を投影する(出来る)唯一の”他者”だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
凡人が友人や家族や恋人に向けるような自己投影を、『自分以外の人間は全て自分ではない』という真理を無意識に体得できてしまう天才にはない。
その冷たさを突破し得た丸山の人間引力が、どんだけ凄いかもわかろう。
日菜にとって姉は多分、『同じであってほしいもの』だ。その願望が、あまりに凡人である姉(彩や千聖と同じ努力型なのは、Roseliaバンスト見れば判る)との差異を曇らせている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
そこだけが、天才である日菜には認識できない。出来ない結果、冷たい才能で姉の自我境界線を滅茶苦茶に壊した。
その荒野の果てに、今の姉妹関係がある。”妹”というキーワードだけで可愛い可愛いあこちゃんに即ギレするような氷川紗夜がある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
日菜はそれが異常なことで、哀しいことで、自分が望んでいる現在ではないということに、おそらく気づいていない。天才の盲点は姉である。
妹がパスパレで、姉がRoseliaで『他者』を学んでいうくうちに、複雑に捻じれ絡んだ双子の自我境界線は、適切に引き直せるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
『私は私、あなたはあなた』という健全なアイデンティティを、お互い再獲得できるのか。それは今後のイベストで、濃厚に語られるのだろう。
そういう関係性に一歩先んじてたどり着いているのが、丸山と千聖だというのはとても面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
千聖は”丸山彩”という『他者』を鏡にすることで、自分が捨てた自分、もう慣れない自分への憧れを反射される。『らしくない』と思いつつも、パスパレという泥舟に戻る。
正反対のはずなのに、何処か諦めた自分の過去と未来を宿す『他者』
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
それと向き合い手を取ることが、自分の盲点になっている『らしさ』の再獲得に繋がる。
そういうアイデンティティ・イメージを、”白鷺千聖に映る丸山彩を受け取り、丸山彩になっていく丸山彩”という乱反射は的確に受け止める。
彩は積み上げた努力が否定された時、自分を見失いかける。その時背中を支えたのは”白鷺千聖が見た丸山彩”である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
他者に投影されたイメージが、失われたアイデンティティを補填し、修復し、前進させる。だから”バンド”であり、『面白い他人』と向き合う意味もある。
これは個性も強み(つまり弱み)もそれぞれバラバラの五人が寄り集まっている理由として、非常に強靭なものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
一人でいるより、”他人”といるときのほうが私は私らしい。そんなバラバラのまま繋がった”私達”が、一つの幻想を終える瞬間。それがステージでありバンドだ。
自我境界線の引き方がピーキーな連中が集まっているからこそ、バンドをやる意味、”他人”が隣りにいる意味も鮮明になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
ぶっちゃけ5つのバンスト一章で一番パスパレが印象的だったのは、こういうコアの部分が非常にクリアだったからだろう。そしてそれは、スタートでしかない。
パスパレで居続けること。芸能界の生臭さの中で、引かずにステージに立ち続けること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
そのことが思春期の少女たちにどういう影響を与え、どう変わっていくかは(他のバンドと同じように)”これから”の物語だ。未熟さの中に、イベストをぶん回す余白がある。よく出来た造りだ。
”プロ”として無能で邪悪な事務所に振り回されつつ、心無い世間と観客の冷たさに触れ、そこを乗り越えて”パスパレ”を問う彼女たちの立場は、バンド内部で完結する狭い社会性よりも、もっと広い”他者”に繋がっている、とも言える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
試される機会が多い分、パスパレが見せる結論は多分堅牢だ。
”アイドル”という商品として、自分以外の”他者”にアイデンティティ(歌う/歌わないの選択権)を左右され、振り回される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
自分らしさを自分が制御できない状況は、世間にままあると白鷺千聖は認識し覚悟しているわけだが、その前提をどう踏み潰して、自分を吠えていくか。
今回その尻尾を掴んだ”パスパレらしさ”(その中心には”丸山彩”がドデンと鎮座しているわけだが)を、どう世間に認めさせ人気を得ていくか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
商業サクセスストーリーはそのまま、バンドと少女のアイデンティティ獲得物語にリンクしている。強い構造である。
一つ気になるのは、白鷺千聖に雨中の一撃として深くぶっ刺さり、怜悧で酷薄な『白鷺千聖らしさ』を削り取った”丸山彩”は、簡単に呪いに変わる部分だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
人は変わる。今見えた”丸山彩”が、丸山彩の身体と精神と自己同一性を持った個体の中で、変質し完遂できない状況もやってくるだろう。
今回千聖が見据えた”丸山彩”は、折れそうな(自己同一性を失いそうだった)丸山彩を支えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
しかしその幻像の巨大さに、白鷺千聖が惑わされない保証はない。”けして諦めない”それが過去の”諦めた自分”を背負い、救えばこそ。
白鷺千聖にとって、そして”丸山彩”を千聖に反射して自分を支える彩にとって、”丸山彩”は巨大な呪いになりかねない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
そういう話をガルパが掘るかどうかは分からんけども、同時にそれほど巨大な輝きに魅せられた女たちの物語は、異常な質感と熱量を込めた巨大な星だ。見上げたくもなる。
イブちゃんは可愛い可愛いおもしろ外人であったが、他の連中がなんらか擦れてる(あるいは天才過ぎて一切擦れる様子がなく、怪物化している)中、真っ直ぐなピュアネスをバンドに持ち込み、素直な感情表現で場を取り持つ”末っ子”の仕事を頑張ってくれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
今後イベストで陰りなきイブちゃんの陰り、彼女の秘めたものを露わにしてくれるととても面白いと思うので期待したい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
プレイ開始した時のイベントが真弥主役で、非常にいい彫りを見せたのでガルパの『脇役が主役になる瞬間』には強く期待しちゃうのよね。
そんなわけで、バラバラの問題児がそれでも一つの夢を見て、それがパステルカラーの”アイドル”という甘っちょろい幻想であるという、非常にシニカルな状況でパスパレの第一章は一幕である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
ちょっと湘北みあるよな…問題児軍団だがハマったときは強い!(なんでもSLAM DUNKおじさん)
今後もクソ事務所の押し付ける荒波をなんとか乗りこなしつつ、凸凹な自分たちがそれでも”バンド”である価値、そうして波乗りしている内に見えてくる『らしさ』を、情け容赦なくエグッていって欲しい気持ちである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
千聖と日菜という人格偏差値底辺が二人もまとまってる所が、最高に良いよこのバンド。
ふたりとも他人を殴り飛ばして自分のポジション取りに行ってるように見えて、日菜はただ見えたものを素直に言ってるだけ(それが致死性の刃になってるだけ)だもんな。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
千聖は脆い自分をケアするために、可能な限り他人の上に乗ろうとする。攻撃されないポジションを狙って取る。
”攻撃性”一つとっても、その根源と現れが丁寧に違っていて、非常に見応えがある。そういうエグい部分に踏み込めるのも、”糖衣で包んだ毒薬”パスパレの強みだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月1日
フツーにゆるふわ可愛い話も見たいけどね。ホントみんな可愛いもんなぁ…外見もそうだが、人間が可愛い。チャーミングね。