どろろ を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
流された蛭児、愛された嬰児。運命が二つに別った兄弟が、怪物殺しに再び出会う時、領国を無惨に染め上げる舞台の幕が上がる。
その前段、弟・多宝丸の武辺、器量はまさに今義経。八艘飛びの身のこなし、邪悪を切り裂く一刀の冴え。弱者を自然と駆り立てる王才は、引かれ者にはない光
そんな感じの妖怪 VS 公共土木工事! 多宝丸英雄列伝第一章!! である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
この後ぜってぇヒドいことになるのは解っているのに、多宝丸と乳母子(だよね?)の大活躍には拳を握りしめ、農民と同じように応援を送ってしまう。
光の当たるところで、真っ当に育てられ蓄えた力を、民のために使う。
百鬼丸の影の戦いとは大きく異なる、多宝丸の誉れ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
生まれた後の環境、心身の状況、社会での立場。全てが違えど、人を食らう悪鬼を切り裂き、人間の一番暖かい場所を守る青年の輝きは、どこか似通っている。
だからこそ二人を分ける差異も、より鮮明になる。
鉄より固い血の縁が、お互いを苛む未来が解っていても、多宝丸が好きになってしまうエピソードだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
この好感を土足で踏みにじり、メチャクチャにかき乱すことでこちらの心をエグッてくる戦術は解っているが、憧れは止められねぇんだ!(流れ始める”Deep in Abyss” ♪誰~もが~♪)
後々ヒドいことするための前振りとだけ、多宝丸の戦いを描かないのは本当に誠実である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
父母との隔意、継嗣としての重責、若武者の荒ぶる魂。それは多宝丸の血を熱くする彼の真実であり、無惨な全体像のための生贄ではない。
だから、彼が必死に生き戦う様は、素直に英雄譚として描く。正しい筆だ。
今回は多宝丸が身を置く”公”の視座が、強調されるエピソードだった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
領主たる醍醐は、政治の命脈を繋ぐコメの作付けに気を配り、高所から朝焼けを見守る。人の上に立つ存在だけが、高い場所から全体を見渡せる。
多宝丸もまた、同じ位置を生まれながら背負う
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醍醐が百鬼丸(その命名を知らぬ父は”あの赤子”と呼ぶ)を贄に、個人の栄達を求めたのは事実だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
しかしそれは同時に領国を安堵し、豊作を約束する”公”の政策でもあった。
百鬼丸のもがれた手足で、確かに命をながられた人が沢山いる。醍醐が”救った”者たちが。
国家安堵の礎として、すり潰されたアウトサイダー。光の側に立つ多宝丸はまだ子供で、その闇を知らない。だからこそ、醍醐が成し遂げた”公”の偉業を、真っ直ぐ受け取ることも出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
高い場所に立つにしても、義兄の”高い高い”を借りる、無邪気な子供。
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多宝丸はここまで”私”の視線から描かれた、残酷な侍とは違う。朱い血の通った無念を受け取り、己の武力を人ではなく怪物に向ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
それは見落とされた…あるいは泥まみれの低い視点からはけして見えないけども、確かに世界に存在している。
悪い侍ばっかじゃないのさ…それが地獄なんだが。
領民の無念を聞き届けた多宝丸は、百鬼丸の超人的(超個人的)な戦いとは違う、正統の戦を起こす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
人を使い、地を整え、智慧を使う。手を繋ぎ、人に混じり、力を合わせる。
まさに王道、まさに才気。世間に爪弾きにされる百鬼丸には、けして出来ない”公”の戦闘
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バケガニを倒すために”治水”を使うのは、多宝丸のキャラクターを非常に明瞭にする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
彼はそれが可能なだけの公的な血筋があり、英明な智慧があり、高所に構えつつ地べたを這う人の汗を忘れない優しさがある。
少し勝ち気な性分も、むしろ若武者の熱血と好ましく見えてくる。
力なき人を束ね、一つごとを成し遂げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
為政者としての資質を存分に振るう多宝丸は、同時に個人としても非常に優秀だ。八艘飛びに湖を駆け抜け、怪物の硬い鎧を切り伏せる一閃。武者としての業前が、彼がただの理想主義者でも子供でもなく、王たる資質を持つ若獅子だと教えてくれる。
また彼は、多くの仲間を持つ。醍醐の子供として無条件に偉ぶるのではなく、その施策と武辺によって、自然と農民から声援を受ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
あのシーンちょっと”劇場版プリキュア”っぽくて面白かったな。みんな! 石投げて多宝丸を応援するムツ!!(陸奥型マスコット)
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多宝丸の側近として、白の弓箭、黒の剛力が目覚ましい兵庫と陸奥も、好感の持てるキャラクターだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
水に塗れ、己を鑑みず領民を救う。持ち前の剛力を暴力だけでなく、誰かを守るための力として振るう。
そういう男が、絶対の忠誠を誓う多宝丸の株も、また上がる。
同時にその忠誠は狂暴でもあり、主にして父たる醍醐の命に背き、真実を引き出すためには自白剤も使う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
愛は全てに平等に注がれるわけではなく、時に注がれない誰かへの暴力へと変わる。
どろろと百鬼丸がこれまで苛まれてきた不平等が、ここにもあるわけだ。
若獅子の武勲として描かれる”水辺”と、並列で描かれる百鬼丸の現状。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
薄汚れた世の片隅で、誰も褒めてくれない返り血を、たった二人洗い流しながら卑近なメシの話をする。
弟が身を置く輝く未来と、地べたを這いずる命運はしかし、交錯する。
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どろろのセリフで”家紋=家門”に意識を振っておいて、陸奥の紋付きでその答えとする無言の演出が冴えている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
捨てられても、縁は繋がる。名を捨てたとしても、百鬼丸は醍醐のもう一人の息子、”印”を刻まれた運命の赤子なのだ。
その因業が、英明な多宝丸の視線を奪い、過去を暴き立てていく。
”公”の側がどうにも出来ない凶悪な怪物を、百鬼丸は一刀のもとに切り伏せる。アウトサイダーであればこそ、共同体の埒外にある化物を寸断できる、異形の刃。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
多宝丸がけして獲得出来ない”力”が、兵庫の命を救いもする。
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お互いの名を知らぬまま、兄は怪物の遺骸に、弟は安全な船の上に、それぞれ身を起き、流されていく。運命という名前の大河は、再び彼らを出会わせるだろう。その時、ぶつかるのは魂か、命か。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
かつては葦船で過酷な運命に流されるのは百鬼丸だったが、今回は多宝丸なのよね…どちらが望まれぬ蛭児か。
運命の邂逅を果たした兄弟を、遥か彼方で見守る父母。母の視線は子を抱く、顔のない菩薩にだけ向けられ、父は高所から朝焼けを見守る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
多くの人を救う”公”と、そこからはみ出し苛まれる”私”。二つの局に引き裂かれた兄弟の、家族の命運は、朦朧として不確かだ。
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という感じの、多宝丸をグッと掘り下げるエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
俺たちの百鬼丸の敵に回るのが解ってんだから、根性ドブゲロの最悪人間にしてくれりゃあ楽なのに…。こんなの見たら、多宝丸のこと好きになっちゃうじゃん!
それが狙いなんだがな。どーでもいいのがどーでも良く死んでもどーでもいいもんな
善良さを残した若武者と、ただ必死に生きようとあがく剣士が、血と因縁に導かれ喰らい合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
そんな未来を予感させるエピソードでしたが、ただ苛烈な運命で感情をかき混ぜるだけでなく、多宝丸の”血”が背負う”公”の輝き、”みんな”でこそ可能な偉業をちゃんと描くことで、作品の構図が鮮明になりました
晴れ晴れと武と知(治)を振るい、真っ直ぐに為政者の責務を果たしていく多宝丸には、ちょっと平安公達の匂いもあり、乱世以前の『侍が侍でいられた時代』へのノスタルジーを感じもしました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
やっぱ武士が異形を狩る超人でいられた季節の匂いは、血生臭くも爽やかで最高に良いなぁ…。
しかし今は『侍が侍でいられない時代』であり、だからこそ父も赤子を贄と捧げた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
百鬼丸の真実を知ることで、多宝丸の純情はどう歪み、現実と折り合いをつけさせられるのか。『高い高い』をせがむ子供は、どこに流れ着いていくのか。
次回も楽しみです。
追記 さよなら蒼き日々よ
若武者ぶりが匂い立つ多宝丸は『侍が侍でいられる時代』を背負うわけだが、それは『子供が子供でいられる時代(特権)』でもあって。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
それを生まれつき剥奪され、”公”に接続された恵まれた子供ではなく、血みどろの戦士としてしか生きられなかった百鬼丸とは、面白いほど真逆(でそっくり)なのね。
今後物語が展開し、真実を知っていくに従って多宝丸は子供ではいられなくなるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月13日
それは心身を再獲得し、奪われた子供時代を生き直す(みおとの接触の仕方を思いだそう)百鬼丸とは逆しまの、正統な歩みなのだな。
荒野に踏み出す王子と、荒野から人の温もりを手に入れていく少年兵の対比。