どろろ を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
運命の糸に引き寄せられ、出会った幼子二人。高貴と流浪、弟と兄、宝と鬼。引き裂かれたものが惹かれ合い、捨てたはずの因果が巡る。
血塗られた境界線の上で、あやふやな定義が踊る。天下のための鬼退治か、我欲に踊る子殺しか。
綾の辻 巡る因果の糸車 血の紅に 染まる水際
そんな感じの血の宿命、ばんもん前編である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
敵領との境界線に板を突き立て、我と汝の境と定める。板門店とベルリンの壁つー、当時ナウかったネタを迷わず引っ張ってくる手塚イズムだが、雪解けムードに武装解除しつつある38度線は、今でも(今だからこそ)ホットな話題でもある。
際、境、賽。板、水、川辺。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
何かと何かの境界線は物理ではなく心理に引かれ、過去に血で刻まれる。乗り越えれば死が待ち構える現実であると同時に、認識と記憶によって作られる形のないものでもある。
だからこそ、脆い板縁一枚が勝利のモニュメント(敗北との境界線)ともなる。
今回お話は、様々な”際”を巡る。これまでも鋭かった民俗への視線は、より深く過去と血縁に抉っていき、境界の堅牢さと曖昧さ、それを乗り越えていく運命の役者たちを強く照らす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
高貴なる存在と、際に追いやられた化外。その境目は、思っているよりも薄い。あやかし跋扈する乱世故か、人の宿業か。
話は前回の邂逅を引き受け、兄弟の対峙から始まる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
栄光にまっすぐ顔を向ける多宝丸と、陰りを宿した百鬼丸は対峙し、すれ違う。お互いを縛る因縁も、光と影の裏にある真実も、子供である彼らはまだ知らない。
それでも渦を巻いた激流は、彼らを飲み込む。
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高所から天下を望む王子と、賑やかな街を水平に歩いていく賤民。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
交わらないはずの運命は、鬼神を媒介に複雑にうねり、交わっていく。そこに国土の安堵、英雄のもう一つの顔、子を獲られた母の妄執が絡み、因縁の綾織は複雑な折り目を見せていく。
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多宝丸が見下ろす国土は、曇り無き晴天とはいかない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
百鬼丸が体を(人間当然の権利を行使して)取り返す度に、鬼神の加護は衰えていく。
それに加えて、出生の秘密が醍醐家に長い影を伸ばしている。恵まれた環境に満足し、現状に溺れるバカ殿ではないからこそ、多宝丸は陰り、苦しむ。
そこら辺の重たさを素知らぬ顔で、自慢の兄貴の代わりにべらべら喋るどろろchangがマジで可愛い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
でもその自慢口が、兄貴の個人情報をだだ漏れにして、状況を地獄に引き寄せていくんだよなぁ…。
善意と悪夢の境界線も、また薄い。兵庫が生き延びた感謝を、主に伝えたことが事態を進めるように。
醍醐は救国の英雄であり、鬼神に守られた国は芝居を見やる余裕もある。ここらへんは万代と契約して繁栄を謳歌していた、第二話のムラに通じるところかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
平穏の裏には誰かの犠牲と裏切りがあり、嘘の奥には生きたいという願いがある…あのムラも水辺の多い街だったhttps://t.co/NfOlLmhzzw
柳の下の幽霊に擬された狂女が見守る中、二人は芝居小屋に入る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
野蛮を駆逐し文明を敷いた証として、戯画化され再演される英雄譚。ここでは醍醐は誇り高い戦士であり、母はそれを菩薩の加護で助ける。かくして国は起こり、永遠に平和が訪れました。
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それが欺瞞に過ぎないことを、第一話冒頭から(無力な)神の視線で見守ってきた僕らは知っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
英雄の正体は、子供を売った卑劣漢。菩薩ではなく鬼神の加護で、一時の平穏は守られている。シャボン玉のように薄い被膜が、一瞬の娯楽を連れてくる。
みなし児である百鬼丸は、眼の前で演じられる物語が自分の人生の起点だとは気づかない。嘘と真実の際が逆巻になって、欺瞞の上に現実が乗っかっていることを知るのは、僕ら視聴者だけの特権である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
だがしかし、悲劇は娯楽に変換され、舞台と客席に隔たれたアジールは湧く。
このあたりの時勢だと、能(正確には田楽か)は『ナウい娯楽』であり、今のような伝統芸能ではけしてなかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
夢幻能として彼岸を語る前の、血の通った現実を描いていた現代能。ドキュメンタリーとしての能楽を、ちょっと歌舞伎調のケレンで見せる演出は面白かった。娯楽と喧伝の壁も薄いなぁ…。
さておき、街に住み慣れぬ化外の人々は、よく整備された川沿いに腰を下ろし、水を見ながら語り合う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
琵琶丸の心眼は、激情のまま人を切った百鬼丸の赤い魂を、じっと見据える。それは父、英雄醍醐と同じ色だ。
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親子は共に、人と鬼の境目を危うく彷徨っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
母の懇願を振り切り、『天下のこと、女には判らぬ』と蹴り飛ばした醍醐は、弓兵を率いてひっそり、子殺しに向かう。
そのぬらついた因果が牙をむくのは、来週か、2クール目か。不安だが、非常に楽しみでもある。
『醍醐の国では、ミオのような悲しい人は少ないのではないか?』という疑問が、赤黒い魂の対峙から見えてくる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
他ならぬ百鬼丸を捧げて手に入れた平穏は、腹を満たす。奪い奪われる荒廃がなければ、ミオも苦界に身を置く必要はなく、涙の代わりに子守唄を絞り出す以外の生き方があったのではないか。
そんな感傷を、国境の野晒が吹き飛ばす。平和は戦争の上に、血と慟哭のインクで描かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
街からはみ出され、ボロをまとって生き延びる助六の過去。母への慕情含め、どろろと百鬼丸には、こっちの岸のが馴染みが良い。
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野草を煮込んだ助六のメシを、二人は迷わず口に入れる。それが俺たちの糧、境界の果ての身の繋ぎだと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
こういうモノを追い出し、国境線上でグツグツ煮込んでいるからこそ、醍醐の国の安寧がある。百鬼丸こそがその象徴である事実に、本人はまだ気づいていない。だが、導火線に火は付いている。
貧困と戦火を国境線上に追いやり、生まれる繁栄。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
そんな街の内側でも、明暗は交錯し、情は渦を巻く。
愛児の無事を祈る母の嘆き。鎮護国家を語る父の荒ぶり。二人の魂は、家と庭を隔てる廊下で交錯する。
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『あなたの行いは、万人の幸福を願う”公”か、己の栄達を夢見る”私”か』という母の問いかけは、決定的に重要だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
なぜならその際は、おそらく醍醐にすら曖昧で、その幸福を感受して良いべべ来てるおたあ様には、問う資格が薄いからだ。
安全圏に身を浸したままで、魂を動かす問いを投げれるはずもなく。
そして運命がうねってくれば、戦乱は堰を越えてなだれ込み、安全圏などなくなる。人の情、親の情けを問う母の言葉が、血を宿すためには国が乱れる必要があるというのは、なかなか皮肉のきいた構造である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
どちらにしても、演じられるのは実効性のないソープオペラだ。今は、まだ。
そんな親子の愁嘆場を、木陰で聞き及ぶ多宝丸。ばんもんの壁の裏で息を潜める兄と、その顔はよく似ている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
この盗み聞きを足がかりに、多宝丸は己の真実へ、父たる英雄の醜聞へ踏み込んでいく。水辺に身を寄せ、岸を超える。
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過去と現在、秘密と真実。母の愛を乞い願う想いは、水鏡に照らされてゆらゆらと揺らぐ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
国の平穏を引き継ぐ王子として、哀れな戦友を贄に捧げるか。運命が引き裂いた兄を、朋友と抱きしめるか。多宝丸の未来もまた、際の上で揺れている。
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一方アヤカシ狩りの剣士である百鬼丸は、野辺にて怪物と対峙する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
壁に守られ、身分や安全が鮮明な”街”はやはり、百鬼丸の領分ではない。生まれた瞬間から”そちら側”を追放されたことから、百鬼丸の物語は始まっているのだ。
生まれついてのアウトサイダー。だが、そうさせたのは誰の欲望か。
ばんもんとの奮戦を尻目に、助六は父母の待つ”あっち側”へと踏み込む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
それは石を握って兄貴を助ける、どろろの素朴な正義に背中を向ける行いだ。身勝手な方角へ助六の足を進めたのは、しかし故郷恋しさ、父母見たさの情愛でもある。善悪の彼岸もまた、曖昧だ。
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百鬼丸が勇敢に怪物に向き合うことで、どろろは助六を追うことが出来る。自分に似通った孤児(で、この作品はみっちり満ちている)を置い、一度は手放した”善”を再び握れるように。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
そこで朝倉勢の刀槍が待ち構えている所が、乱世でありこのアニメでもあるのだが。イイコトするのも楽じゃないね。
弟妹がそれぞれの愁嘆場に対峙する中、百鬼丸もまた、過去と出会う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
鬼神ばんもんを退けた鏃は、即ち己に向けられた刃。国の安寧のため、己の覇道のため、父は二度子に向き合い、二度殺さんと欲する。
宿命の親子は薄暗い闇の中で、再び対面する。
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狂女が抱え込む真実に、ついにたどり着いてしまった多宝丸。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
鬼神を切り裂いてきた百鬼丸は、ついに父に追いつかれる。
街と戦場、平和と戦乱に引き裂かれた双子が対峙するのは、共に過去。奪い奪われる世の常を、どうにか退けようと願った果ての修羅道。
無惨の香気を漂わせ、血風が一陣舞う。
そんな感じのばんもん前編であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
アニメ全体を覆う”際”への意識がビンビンに踊り狂い、色んな境目を行ったり来たり。個人的関心にバリバリ響くエピソードとなりました。
善悪、親子、貧富。権力は境界をを当然と押し付けることで生まれるが、その足の下で曖昧な真実が赤い血を流し、蠢いている。
キャラクターの熱いドラマと同時に、境界が暴力的に振動している”今”だからこそ”手塚”をやる意味も静かにうねるエピソードだったと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
なんとも判然としない混沌を、安易に切り捨ててしまわないこと。痛みを伴う物語を、生のまま飲み込むこと。それは多分、”今”だからこそ大事なことだ。
そういう意味じゃ、やっぱ多宝丸に前回一話回したのが圧倒的に正解なんだよなぁ…若の精錬と英明、みなぎる活力と理想が描かれたからこそ、彼を単純な”悪役”にはもう押し込められない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年3月20日
相手の目を見て、魂を知ってなお、わかり会えない乱世の因果。そこに踏み込む後編、楽しみですね。