イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

チア男子!!:第11話『ビタースイート・バレンタイン』感想

最後のいただきに向けてきっちり積み上げていく王道スポ根群像劇、今週は甘くて苦い青春の味。
バレンタインというイベントを軸に、主人公ハルが恋に盛り上がったり人知れず失恋したり姉と和解したり、人生の妙味をたっぷり味わう回でした。
比較的話のペースがゆっくり目で、BREAKERSがどういう日常を共有してここまで来たのか、じっくり感じ取れる語り口が良かったですね。

と言うわけで、いろんなことに悩んできたハルが上がったり下がったり上がったりする回でした。
いやー、千裕ちゃん絡みのミスリードには綺麗にやられてしまって、ハルと同じ顔になってしまった……。
トンのリア充ネタはこれまでも細かく積んできたし、千裕ちゃんがイマイチ踏み込んでこない違和感も、こう利用されると唸るしかない。
前回翔の恋バナを巧く成立させて、んじゃあハルもか!! という機運を盛り上げておいたのも、今回の失恋が心地よいショックを与える、良い土台になってました。
やられてみると結構典型的な展開なんだけども、各要素が凄く納得できる位置に配置されているので、『やられたっ!』っていう驚きと気持ちよさがある、良い見せ方でした。

『好きになった子が、ダチの彼女だった』というのは、ともすればBREAKERSがブレークされるヤバいネタなんですが、チア男子らしい穏やかな着地に落ち着いたのも、凄く良かった。
トンが良いやつだってのはここまで見てれば知ってるし、思い返せばハルの一人相撲だったという描写はあったし、クソ童貞仲間の泥臭い励ましも暖かいし、嫌味なく『これもいい経験、人生の一コマ』として描けるのは、このアニメの強さだなと思います。
何よりハルが真実を知った時の反応の描き方が凄くスマートなコメディになってて、こっちも笑うしかないというか、自然と気持ちが動かされたというか。
正直作画がリッチなアニメではないんだが、勝負して演出意図を伝えないといけないところではパワーのある絵持ってこれるのが、凄く良いと思います。


人生谷あれば山があるもので、メインヒロインだった姉ちゃんとの関係も気持ち良く収まりました。
ハルのシスターコンプレックスは長い時間をかけて丁寧に描写されてきたので、拗れていた関係がまとまるべき所に収まり、お互いがお互いの顔を真っ直ぐ見れるようになった展開には、じんわりとした充実感を覚えました。
これは言いたいんだけども言えないもどかしさ、その奥にある真心を何度も描いてきたからこそ生まれるもんなので、このアニメが持っている『人の良さ』が生み出した、このアニメらしい楽しさだなと思います。

このお話は姉への後ろめたさが最大の問題として描かれ続けてきた、いわば『姉ちゃん、俺はチアをやってるんだよ』と堂々といえるようになるまでの物語です。
全国大会優勝という明確な目標を次回に残しつつ、人格的な成長のピークを非常に判りやすく、爽やかな形で今回に持ってきたのは、凄く心地よい構成でした。
ずーっと言ってほしかった言葉が、しっかり言うべきタイミングを作った上で出てくるのは、やっぱ見てて気持ちいいわ。
そういう真っ直ぐをスカさない強さが、いわゆる『王道』を恥ずかしがらずに走りきっているこのアニメらしいなと思います。

姉弟+カズのわだかまりが溶けたことを、『柔道』という過去に立ち返って見せるシーンも、ベタながら好きなシーンで。
大抵の青春野郎はキラキラした過去に戻りたいと思いつつ、しかし何かが邪魔をして帰れない不自由さに常に悩んでいるわけで、それが取っ払われた後は無邪気な子供のように過去を再演するシーンが来るのは、シンプルで力強い作りだと思います。
これで『姉ちゃんが大事にしているもの』にカズハルが寄り添うシーンは見せたので、後は『弟が大事にしているもの』であるチアの現場に、姉ちゃんが来ると完璧だなぁ。
そしておそらく、このアニメはそういうベタで美味しい見せ場は外さないだろうという信頼感。


主人公の抱え込んだクエストを色々解消していく今回、『兄弟』という接点で鍋島弟やサクの掘り下げも出来たのが、非常に良かったです。
なにぶん人数が多いんで個別に濃いエピソードを与えられなくても、こういう感じでキャラの顔が見えると、気持ち良く話を見れるというか。
カズや翔のエピソードのように真っ正面からぶつかり合う解決もいいけども、今回のようになんとなく時間と場所と志を共有し、隣り合うことで気持ちを落ち着けられる関係ってのも、それはそれで尊いなと思いました。

ゆったりとした展開の中で、メンバー全員がチアで手に入れたものを回想する食事のシーンも、穏やかな温もりがあって良かった。
特にミゾが格言キャラを乗り越え、新しい自分になろうとするのは、『この青年たちに、この物語が何を与えたのか』が非常に分かりやすくて、胸にグッとくる。
最終決戦一個前にこうやって各々が己を振り返るシーンをちゃんと入れると、視聴者も物語を振り返る呼吸を掴むことが出来て、巧く展開にシンクロできますね。

そして最後の最後で、乙女力全開アピールしてキャラを立てたサク。
トンにしてもミゾにしても、『出来ないやつが出来るようになる』カタルシスが気持ちいいアニメなので、コンパクトでもサクが乗り越えるべき課題と、それを乗り越えた後の世界に時間を使ってくれたのは、なかなか良かったです。
他の連中もしみじみと過去を振り返って乗り越えていて、最終回一個前に相応しい空気だったなぁ。


そーんなわけで、クライマックスに向けて少し話のトーンを落とし、しっとりと進める回でした。
ハルの失恋周りは非常に巧妙に組み立てられていて、最高のタイミングで横っ面を殴られる気持ちよさがあったし、そこで少し下げてからの姉との問題を解決するまとめ方も、蓄積を活かしていてよかった。
作品が持ついい意味での泥臭さを最大限発揮して、『らしく』まとめ上げるラス前話だったと思います。

これで主人公が抱えた心残りも解消され、後は一番高い頂に挑むだけとなりました。
BREAKERSが青春をつぎ込んだ成果を、どれだけの説得力で描けるのか。
この青春の一幕を気持ち良く収めるためにも、ステージング表現に注目したいところですね。

 

ラブライブ! サンシャイン!!:第12話『はばたきのとき』感想

女神たちの伝説が終わった荒野を、己の足で走る少女たちの黙示録、今週はさよならμ's。
これまでメンバー間の濃厚な感情を軸に話を組み立ててきたサンシャインですが、今回はグッとカメラを引いて、μ'sとAqoursの差異と反復についてのお話となりました。
キャラクターが己の青春を生きる物語的視点だけではなく、サンシャインという作品それ自体が己をどう定義し、歴史の中でどう進んでいくか、メタ的に考えるエピソードともなりました。

元々サンシャインは無印の後継作として始まり、作品内部でも、その外側にある物語的構成としても、前作を強く意識して進んできました。
千歌がAqoursを結成しようと思うのは、既に伝説となったμ'sに憧れてですし、そこから始まるストーリーはμ'sの物語、無印のエピソードを縦横無尽に引用し、巧く重なり合わせながら進んできた。
μ'sが引き起こした『現象』はフィクションとしての作品内部でも、メタ・フィクションとしての現実世界でもあまりに大きく、その衣鉢を継ぐ形になったサンシャインは、μ'sの長い影から自分たちの物語を始めることを、必然的に余儀なくされた作品だったといえます。

『完敗からのスタート』『スクールアイドルの光に誘われ集まる一年生』『素直になれない三年生たちの桎梏』などなど、μ'sも経験した魅力的なモティーフを再話しつつ、Aqoursの物語は段々とAqours独自の魅力を積み上げてきました。
どれだけμ'sに憧れていても、μ'sが切り開いた歴史の先にAqoursが立っているとしても、Aqoursには独特の命があり、物語が展開する舞台も、背負うべき課題も、立ち向かうべき物語も、全て違う。
何よりも、物語の主体となるキャラクターがそれぞれ別の顔と望みを持っている以上、そしてラブライブが常に少女たちそれぞれの青春の物語である以上、その夢をかなえるお話は、どうやったって別々の物語にならざるを得ない性質を持っています。

それと同時に、千歌達作中のキャラクターたちも、現実世界でそれを見つめる僕達視聴者も、Aqoursがμ'sの後にやってきた存在であることを、けして無視はできない。
どれだけサンシャインが無印とは別の物語だと理解していても無意識に比べてしまうものだし、タイトルに『ラブライブ』を背負う以上、それは当然の反応だといえます。
『綺麗サッパリ昔のことは忘れて、別の話を楽しんでね!』というのも世代交代の一つの形だとは思いますが、意識してμ'sの辿った轍をAqoursに踏ませながら進んできたこの物語は、μ'sとの複雑な距離感に強く意識的だったし、リスペクトと愛情を込めて前作の物語を見つめ、語り続けてきました。

そういうふうに、新しい物語を求めつつ、終わってしまった物語に消せない愛着を抱く僕達(と、製作者自身)を大事にしながら、サンシャインの物語は進んできました。
しかし話数はもはや12話、歴史への愛着と尊敬を踏まえた上で、己の物語に向かい合い、白紙のページをめくる覚悟を示すには、少し遅いかもしれないタイミングです。
今回こういう話が来たのは、偉大な先達にどうやっても包まれてしまう自分をしっかり見つめ直し、そこから何を受け取り、何を捨て去るべきなのか、己の足でどこに向かって走り出すべきなのか、胸を張って宣言するのに、一期ラスト直前というのはベストでありラストの頃合いだと、製作者が考えたからでしょう。
ラブライブ』を継ぐものとして、『サンシャイン』という個別の名前を持つものとして、一つの明白な線を引き、真実己の物語へと『はばたきのとき』を迎えるまでの物語が、今回は展開されます。


今回の話はAqours二度目の東京行を追いかけることで、視聴者もキャラクターたちも『μ'sとは何だったのか』を追体験する、客観的な要素を強く持っています。
Aqoursの現実を思い知る主観的な要素が強かった第7話では、向かい合えなかった音ノ木坂やμ'sをもう一度体験し、自分たちが置かれた場所を距離をおいた視点で確認すること。
千歌が色々悩んで、みんなを巻き込んで選んだ楽しい旅は、ただのお気楽観光旅行ではなく、μ'sとAqoursの距離を冷静に測るための巡礼でもあるわけです。

それと同時に今回は、とにかくサンシャインの主人公・高海千歌が真ん中にいる主観的な話でもある。
いつもは友人と悩みや思いを共有している千歌ですが、今回は『一人で考えてみる!』と距離を開け、μ'sが成し遂げてきた物語をAqoursが達成できていない事実に悩み、自分なりの解決策として東京行きを提案してみる。
千歌の意思に引っ張られる形で訪れた東京、そして運命的に途中下車した国府津の海で、千歌は自分なりの答えを見つけ、それをAqoursと共有し、自分の(そして自分たちの)道を決めていきます。
それはとても一人称的な物語であり、とにかく千歌にカメラを寄せながら勧めたからこそ、より客観的で共有可能な結論を、キャラクターたちのみならず視聴者も共有できるという、結構不思議な構造を持っています。

この客観と主観が融合した語り口により、千歌が語る言葉は作中世界のμ'sだけではなく、その外側にあるμ's、『ラブライブ』というアニメを総括する冷静さと、視聴者の心を揺さぶる説得力を兼ね備えてきます。
今回千歌が出した『μ'sの形を追いかけるのではなく、Aqours自身の実感に基づき、己の物語を己の足で追いかけることだけが、μ'sがたどり着いた青春に追いつく方策なんだ』という結論は、非常にバランスが良い、いわば『まぁ、そうなるしかないよな』という結論です。
しかし最初からその答えにたどり着くのではなく、μ'sゆかりの場所を訪ね、かつて伝説となる前の彼女たちの物語がどんな体温を持っているか体験(僕らにとっては再確認)すること、運命の道をしっかり迷うことで、その客観的な答えには一種の体温が宿るようになっています。
その体温が冷静で誠実な決意としっかり繋がることで、彼女たち(つまり彼女たちの物語であるサンシャインそのもの)がμ'sを愛しつつμ'sを離れていく結論にも、心の底から頷くことが出来るわけです。


客観と主観、フィクションとメタ・フィクションにまたがる複雑な話を飲み込ませるもう一つの手法として、説話/神話的な語り口が上げられます。
これは劇場版で顕著だったのですが、ラブライブは元々現実的なロジックではなく、感情や物語的な物語が現実を捻じ曲げ、ドラマを引っ張り込むシーンが多めです。
穂乃果が叫べば天が泣き、あるいは晴れ、運命の祝福は羽根となって降臨し、感情の起伏は常に画面に反映される。
ここらへんは京極監督の演出方針も強く影響していると思いますが、心の強さがそのまま現実に反映される印象主義で、無印は動いていたきらいがあります。

今回のエピソードはは特に色濃くその傾向を受け継ぎ、偶然が運命と結びつき、意思が祝福を引き寄せ、世界が予兆に満ちる不思議なシーンが多かったです。
どこかμ'sメンバーの面影を残す、不思議な音ノ木坂生徒との会話。
幼く転生した穂乃果のような少女が行う、第一期第1話ラスト『階段滑り』の再演。
μ'sが終わることを決めたあの海岸で、Aqoursが己の道を見つけ出し始まるシンクロニシティ
目に映る様々なものが『ああ、いつか見たなぁ』というノスタルジーに満ちつつ、同時に移り変わっていく時間を反映して、日々新なる実相を宿す、不思議な空間でした。

今回起きたことは、音ノ木坂学院で生徒に出会ったり、子供が手すりを滑り降りたり、Aqoursが夕日の海を見つめたりという現象以上の必然が、たっぷりと込められています。
世界を物理的に写っている以上に、意味と物語と必然を込めた神秘として見つめる視点。
それは説話/神話的な語り口であり、作中の客観的状況としても、千歌の主観的認識としても、作品街の現象面からも一種の『神話』になってしまったμ'sを語る上で、必要かつ適切な見方だったと思います。

そんな神秘的豊かさに包まれつつ、千歌達が出した結論は『μ'sもラブライブも追いかけない』という、『今が最高』な考え方でした。
μ's(そして無印アニメ)の物語は常にありのままの自分に素直に向かい合い、今感じる心の真実だけに突き動かされながら、今しかできない衝動に素直に進んだ物語だった。
その本質だけを受け継いで、Aqoursにしか出来ないAqoursだけの物語を、Aqoursの言葉で語っていくことこそが、μ'sではないAqoursがμ'sの志("ラブライブ"というタイトル)を受け継ぐ上で唯一、誠実な姿勢である。
この結論にも、千歌とAqoursが共に迷ったからこそたどり着ける、客観性と主観性、冷静さと体温の同居が感じ取れます。
μ'sが終わった場所でAqoursが始まるという、『終りと始まりの接合』も、あの結論の親和性/必然性/運命性を高めている印象だな。

そしてμ'sを離れAqoursだけの結論に辿り着いた千歌を祝福するように、天から降りてくる羽根。
二期EDラストカットでμ'sメンバーが拾い上げ、劇場版"僕たちはひとつの光"ラストカットで未来に託したそれが、サンシャインの主人公に禅定されるシーンは、穂乃果とμ'sへの思いを明確に言語化した私室のシーンよりも強く、千歌とサンシャインがどこにたどり着いたかを視聴者に教えてくれます。
それはμ'sの形骸ではなく内実を、過去作の外面ではなくエッセンスを受け継ぎ、己の物語を精一杯語りきろうという決意にたどり着いたからこそ許される、継承の証なのでしょう。


こうしてAqoursはμ'sに近づき、μ'sを感じ、μ'sから離れることでμ'sの後継者となったわけですが、その対比物として"Saint Snow"が再登場しています。
強気な表情を崩さず、『本戦では勝つ』『勝って、A-RISEやμ'sが見た景色が見たい』と言い放った彼女たちは、Aqoursとは違う道を歩く、相当スクールアイドルが好きな女の子たちだと判りました。
初登場時の高飛車な印象が薄れ、余裕のない必死さが真剣さの証明のように見えてくるのは、時間が立って彼女たちを好きになれたからなのか、はたまたAqoursが実力をつけて彼女たちに親しい位置に来たからなのか、なかなか難しいところです。

どっちにしても彼女たちが、自分たちなりの理想を追い求めながら、真剣にスクールアイドルに勤行している女の子たちなのだと分かったのは、凄く良かったです。
まさかの『姉さま』呼びとか、わざわざA-RISEの聖地UDXカフェでお話するミーハーな所とか、細かい隙を的確に見せてくるのがズルいよなぁ……あえて少し見せることで視聴者は想像力を働かせるし、想像するってことは共感するってことだもんな。
ここら辺はストレスの掛かる描写(もしくは描写の不足)を使いこなし、後のカタルシスを何倍にも高めてきたサンシャインの話運びが生きているポイントだと思います。

Aqoursが勝ち自体を求めない路線に言ったので、一見Saint Snowの『勝ちたい』路線は否定されるためのテーゼに感じられます。
しかし彼女たちも勝ちそれ自体ではなく、勝つこと、同じ立場に立つことで見えてくる景色を共有して、憧れに近づきたいという気持ちから、方針を決めています。
そこにあるのはμ'sを理解しようと東京にやってきたAqoursと同じ、凄く純粋で青春まっしぐらな気持ちだと思うわけで、今後ライバルとして立ちふさがるだろうSaint Snowも、彼女たちが選んだ価値も、愛おしく描写してほしいなぁと願ってしまいます。


そんなわけで、フィクションとメタ・フィクション、μ'sとAqoursを行ったり来たりしながら、愛おしきものに近づき離れ、背中を押されるまでの物語でした。
あまりにも多くの思いを寄せられる『ラブライブ』という現象を引き受けたサンシャインが、一体これからどこに行くべきなのか、どこへ行きたいのかというメタな宣言。
それと並列して語られる、千歌のμ'sへの愛、μ'sを追いかけることで見えてくる己の姿と、これからの道。
様々な領域を豊かに捉えつつ、冷静な分析と感情の体温を同居させた、非常にスマートなエピソードだったと思います。

今回無印アニメとサンシャインの関係を語りきり、AqoursAqoursの物語を語ると宣言したことで、サンシャインはようやく始まった、といえます。
しかし一期の放送分は残り一話、全てを語るには当然時間が足らない。
終わるには短く、始めるにはもっと短い最終話をどう使い、何を語ってくるのか。
これまでも僕の想像力を遥かに超えた物語を綴ってきたこのお話、来週語られるひとまずの休符に、あまりにも期待大です。