忘却バッテリー 第4話を見る。
因縁深き…ってことも忘れちゃってる強豪のルーキー、国都くんを相手取る、小手指最初の練習試合。
可能性に満ちた天才と、ド素人未満のボンクラを寄せ集めたいびつなチームは、初回の奇跡が嘘のようにボロ負けする。
ヘラヘラ笑ってノリと勢い、それじゃどうにもならないものが顔面をぶっ叩いた時に、流されるまま野球をやっていた元智将に、どういう変化が生まれるのか。
話の方向性を帰るのに必要な、爆弾のような惨敗である。
ぶっちゃけ、この話の主役はムカつくと思う。
ある意味アンチ高校球児、くだらんギャグと戯けた態度で気軽に余裕で才能で、野球程度は遊びも同然。
圭ちゃんそうは言ってないんだけども、野球と出会う前の小学生まで記憶が戻っている結果、ピュアな楽しさだけでは続けていられない競技を、高校生になるまで続けた連中にとっては時に許しがたいヌルさが、否応なくまとわりつく。
そこでマジにならなくてもなんとなく、智将時代の遺産で食えそうなムード漂っていた物語自身が、『ナメてんじゃねぇぞ…』と金属バットで乱打してくる回である。
いつもどおりのコメディ調で才能ブンブン、二点先制して漂う生ぬるい雰囲気を、主役好き過ぎて大嫌いになったザ・高校球児の冷たい本気が、思い切りぶっ飛ばす。
正直、やっぱスカッとした。
まぁムカつくよな、人生乗せてる側としては。国都くんは圭ちゃん達の才能にぶった切られて、挫折よりも闘志をかき立てられた、本物の競技者だ。
そういう相手と響き合う本気を、かつてのバッテリーはもっていたわけだが、圭ちゃんの記憶が白紙になって、それもどっかに行ってしまった。
冗談言って良い相手か、空気か解らないクソボンクラに成り下がった、かつての憧れを前に燃え上がる、冷たい炎。
それはどんだけ下手くそでも、”試合”という形でやり合っている以上、野球に必ず宿ってしまう。
これで燃やし尽くされて灰になって、なお死ねずに野球に惹きつけられている圭ちゃんにとって、国都の本気は受け止めきれない他人事だ。
何を野球程度に、そんな本気に。
そういう態度を、全霊賭けて野球に打ち込んでもいいと思わせてくれた相手から投げつけられるんだから、そらー国都くんもキレる。
キッチリ”野球”の範疇で殴っているあたり、よく抑えてる方だと思う。
精妙なのはバットコントロールだけでなく、高校一年生離れした精神の在り方も同じ…という話なのだが、この古武士のようなストイシズムは、野球の残酷さと向き合うための鎧でもある。
顔面にぶち当たるボールに、本気で倒しに来る相手の気迫に、勝った負けたの痛みに。
ビビってうずくまっていては試合が成立しない、そんな初めの一歩で、経験も覚悟もリセットされた元智将は躓く。
国都くんが小学生で思い知った、
あるいは自分自身ももっと前に乗り越えた、野球少年に必要な闘志と覚悟を、置き去りに図体だけデカい初心者になってしまった。
それは圭ちゃんの罪ではなく、むしろ野球の怖さに向き合い続けたからこその結果なわけだが、練習だろうが素人だろうが、ユニフォーム着て”試合”してしまっている以上、腹に抱えてフィールドにもってこなきゃいけない、最初の装備だ。
それが無いままホームに座って、当然負ける。
葉流火が普通に投げれていたなら、試合の形になっていたものが、クソ都立VS強豪によくある、当たり前のボロ負けにぶっ壊れていく。
『当然の結果』と山田くんは言ってたが、同時に『もしかしたら』も願ってたはずだ。
こんだけの才能が偶然集まって、なんとなくチームとしての形も出来てきた風味で、才能ぶん回してリードもしちゃって。
しかしまぁ、それだけで勝ち負け競えるほど帝徳は…高校野球はヌルくない。
実感し、再確認し、さてどうするか。
試合の結果は現状の当然として、受け止め方と進み方にヘラヘラガン寒パイ毛野郎の、主人公としての資質が問われていくことなる。
アタマ真っ白に塗り直されて、すっかりおバカになっても、圭ちゃんは鋭い視力をどっかに残している。
自分が原因で負けたことも、何も奪われていない”智将”ならこうも惨めな負け方していないことも、凄い勢いで白紙のアタマをぶん殴ってくるだろう。
そこでうずくまって”野球”から遠ざかるか、一度ぶっ壊された”野球”と真剣(ガチ)る道に進むか、作品全体の方針を背負って圭ちゃんは、道を決めなきゃいけない。
そういう重さのあるボロ負けで、とても良かった。
ファールチップの作画と演出が冴えてて、圭ちゃんが受けた衝撃と、そこからなんとか立て直そうとド素人なり頑張る姿が、ちゃんと伝わってきた。
野球な~んも知らない、だからナメた態度が自然と出てくるクソボケなりに、仲間は大事だし負けるのは悔しいのだ。
だから精一杯やりたいとミットを構えても、鍛えられていない心と体は恐怖に震えて、葉流火の本気を受け止めきれない。
そうなってしまった相棒を少し淋しく眺めて、葉流火はハーフスピードで投げることを選び、ボロボロに負ける。
圭ちゃんのヌルい現状を守る方を、チームが本気で食らいつくことより優先する。
圭ちゃんの白紙なナメっぷりとはまた違う形で、葉流火もチームで試合をすることを侮っていて、そうするだけの特別さが自分にあるのだと、自然体で思い上がっている。
傲慢の鎧で守らなければ、投げ続けることなんて出来なかった天才を、そういう形に作ったのも要圭である。
歪な道を二人だけで走り、どん詰まりで破綻した後に動き直した、圭ちゃんと葉流火の”野球”の現在地は、こうも驕って無様で弱々しい、野球未満の歪な何かだ。
その醜態を、ありえんくらいのボロ負けでしっかり暴き立てて、『天才様たちが余裕で何かを成し遂げる、イヤーな話はやらねぇぞ!』と、ちゃんと告げてくれるのは良かった。
世界をシリアスに捉えすぎない、愉快なパイ毛野郎なのは圭ちゃんの良いところだが、それだけじゃ結果はこうなる。
負ける惨めさしか味わえないし、競い合う充実感も、チームが一つになる奇跡も、フザケてるだけじゃ一生手が届かない。
では要圭は記憶を失ったオフザケ野郎のまま、どう野球に本気になるのか。
二度目の野球人生、どんな選手に…人間になりたいのか。
この惨敗からの再起は、そう問いかける。
野球漫画として、メチャクチャ大事な問だ。
国都くんと帝徳を鏡に使うことで、小手指の身内ノリによっていた視聴者のスタンスが、客観的に今の彼らを見れる位置まで引っ剥がされる回でした。
このナメっぷり、苛つき、弱さが主役たちの現状であり、ではそれをどう噛み締め、道を見定めるのか。
高校野球をネタにしたコメディではなく、笑いの要素にも本気な正統スポ根として己を打ち立てるための土台を、当たり前で最悪な惨敗として描いた後の、新たな一歩。
次回は作品の行方を占う、大事な回になりそうです。
俺はこの話のガチってる所が好きなんで、舵が切り替わるこのタイミング、アニメがどう描いてくれるかは楽しみだ。