イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ファッション中毒

ミシェル・リー、NHK出版。ファッション・ライターによるファッションの行き過ぎに関する本。原題は「Fashion victim」で、「Victim」には「犠牲者」以外にも「神へのあがない」という意味がある。その通り。この本はファッションという巨大な資本主義神への贖いとして、買って、買って、買ってしまうアメリカ消費者(そしてその変異種としての日本消費者)にかんする本である。
語り口はあくまでライトでポップだ。学術書のように、吟味された言語選択がなされているわけではない。しかし、それ故に親しみやすく、何より驚異的な速度(本文中の言葉を使えば「スピード・シック」)を最大の特徴とするファッション業界の分析にはふさわしい。
言語が学究の言葉を選択していないからといって、内容や視点が適切ではない、ということを意味するものではない。この本が取り上げる内容は、ファッション業界の構造からメディアとの共犯関係、消費者心理、ファッション業界の労働条件から毛皮非難主義者のエコテロリズムまで多角的だ。そして、現役のライターであるという立場を最大限に利用し、大量のインタビューを惜しげもなく使い、生き生きとした筆を走らせている。
この本はファションに文句を言う本だ。個人的な話をすれば、僕はいわゆるオタクで、服には興味がない。まぁ、一番好きだった番組が「ファッション通信」だった小学五年生、という過去の自分はあるが、それはそれだ。
そんな僕がこの本に感銘したのは、ファッションを現在の消費資本主義の中でも巨大な運動と捉え、的確な視点と筆致で描ききり、そしてなにより、その視座が非常に身近だからだ。服に興味がない人(ほら、そこの君だよ、お友達)でも、ワイドショーの特集や雑誌の表紙のあまりに露骨な「買えよ」という攻めに関して眉をひそめたことがあるだろう。ファッションは常に強圧的であるし、いまや消費者ではなく供給者(メディアや企業)から誘導されるものになっている。それは、ファッションというジャンルの問題ではなく、資本主義という(もしかしたら現在唯一の)イズムの問題だ。
たとえ服に金を使わなくても、僕らは何かに金を使う。本を買い、DVDを買い、フィギュアを買い、ゲームを買う。それはもはやシステムで、逃げ出すことの出来ない是非もないものだ。ただ、そのあまりの巨大さと貪欲さと獰猛さが、何を引き裂き、何を略奪し、何を僕らに残すのか。それを考える上で、ファッションという地面に根付いた事例を、適切な視座で見事に分析したこの本は確実に役に立つ。名著。