イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

感性の思考

ヴォルフガング・ヴィルシュ、勁草書房ポストモダン期の美学に対する七つの論文。美学、といっても個別の作品論は六つ目の「移り行くアイデンティティ」のみであり、筆者が見据えているのはシュミラクラとして離人症的に遠くなってしまった僕達の世界を、いかに再獲得していくか、という認識論的な問題提起である。
アドルノとリオタールの美学を主軸にしながら、筆者は感性の思考、認識によって得られる情報とそれに対する反省、そして無感性的なものすべてを包括した大きな非ロゴス中心主義的な認識を機軸に、ポストモダン期の美学を想定していく。
論文集らしい丁寧な筆致と、資料への当たりこみはなかなか良いと感じた。しかし筆者の言う感性の思考、差異と断絶をあえて前提にし、それを飲み込んでいくポストモダン的な認識論と倫理は、この15年の出来事の前にあまりにも無力なのではないか、とやはり僕は感じてしまうのだ。
他者を、違うことを受け入れる。終りを受け入れる。モダンが終わったのだということを受け入れる。ポストモダンの言説はそれを主張するけれども、世界はやはり、モダンが生み出した国家と経済と宗教と人種の力学で回転し、振り落とされた死体の欠片がばら撒かれている。その肉片の前に、この理想主義的な美学は少し、堅牢さが足らないように僕には思えてしまった。かといって、目の前に散らばっているチェチェンの、アフガンの、セルビアの人々の肉片と、それを売り払ってお金を稼いでいる肌の白い人たちの笑顔に対して、僕が一体何が出来るのかという問題については、僕は本当にわからない。判らないのだ。