イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

科学と宗教

ジョン・ヘッドレイ・ブルック、工作舎ルネサンス期から二十世紀初頭までの、科学と宗教の相互作用に関する通時的研究。日本語サブタイトルは「合理的自然観のパラドクス」、現代サブタイトルは「いくつかの歴史的視座」
科学と宗教は対立概念であり、相容れることはない。なるほど、現在一般に流布しているという意味においては、なかなか説得力がある。「科学的」な新宗教にたいていろくなものはないし、宗教かぶれの科学もまた、危険な暴力に変わりうる。
しかし筆者は、その強烈な視線の強さと資料の読解によってその臆見を退ける。「ローマカトリックのヴィクティム」と見られているガリレオがカトリック信徒として精密な神学的知識を持っていたのか。科学の方法論を持って神学を述べたニュートンが同時に、いかに力学の根底を形作ったか。唯物論の始祖とも取られるデカルトがしかし、いかようにその書物の隅々において神の存在を基礎においているか。
圧倒的な量の資料への読みとその深さにより、筆者は科学と宗教が各々の触媒として機能していた事実を引いてくる。この本が非凡なのは、同時に、宗教がいかに科学を阻害してきたかについても同等の資料読解を持って分析している点だ。その道徳的中庸は、科学哲学の著述者として消して失っていけない一点であり、筆者はそこを絶対に譲ることがない。
さて、ルネサンス期をすぎ、教会権力が衰えてもなお、科学と宗教の奇妙な触媒/阻止関係は維持されていく。原子論、イギリスの自然神学、ダーウィンの進化論、フロイド。そのようなものの中に多数の神との関わりあい、そして何より政治勢力との相互作用を読み取り、指摘する。その鋭さは絶対的な説得力となって、我々が抱く科学と宗教の関係性へのドクサを打ち砕いていく。
ローマカトリックもヨーロッパ・プロテスタンティズムイギリス国教会も、宗教組織であると同時に政治組織であった。科学もまた、国家の資金援助を受け、植民地支配の道具の一部として用いられることもある、政治装置の一部であった。だからこそ、時代時代の権力との関わりあい、学説が受け入れられ、権力を得る過程においての経済、それに眼をつぶってはいけない。科学と宗教の係わり合いは、そして我々と科学との係わり合いは、何よりも個別の歴史から理解されていくべきなのだ。
そう主張するこの本は、より細分化・孤立化が進む現在の学術を何とか孤独から引っ張り上げ、私達の場所へと近づけようという意図に満ちている。そして科学の力が西洋の力であり、西洋は何処までも広がっている現在、その意見は重要かつ切迫したものなのではないか。名著。