イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

機械と神

リン・ホワイト、みすず書房。1968年発行の、西洋技術史の本。サブタイトルは「生態学的危機の歴史的根源」であり、68年当時おそらく主流的であったろう物質主義・機械主義の源泉が、西洋キリスト教の精神性に大きく依存することを述べた本である。
目の付け所や実際の論の運び、資料の発掘などはさすがに手馴れたものである。が、いくつか難点があることは否めない。ひとつは、論旨の展開があまりにも性急であり、事実の提示をしたいのかそれとも特定の価値を指示したいのか、どうにも掴みかねるところである。もうすこし腰を落とした章立てや文章の作り方をすれば、本書で述べられている機械的自然観、進歩的自然主義の根底に西洋キリスト教がある、という鋭い視座もより堅牢な論として提示できていたと思う。
もうひとつの難点は、(おそらく)無意識的な植民地主義、西洋中心主義が、言説のそこかしこにこびりついてはなれないことである。西洋が、西洋のみが科学・技術革命をなしえた。そのとおり、確かにそのとおりである。ゆえにアメリカはイラクに兵を駐留させ(そして失敗して)いるのだ。が、そこに政治的イデオロギーを、ひとつの力学的支点を入れてしまった時に、取りこぼされてしまう重要なポイントがいくつかないであろうか。そしてそれは、人間と自然のあり方を問う、と謳っているこの本にとって、かなり致命的な現象なのではないだろうか。
最後に、この本おそらく最大の問題点は、現実へのコネクトの薄さ、である。この本は確実に、1968年の(そしてそこから今僕がこの本を読んだ2006年の)現実を見据えて書いている。モダンが崩壊し、いろいろなものが手のひらから滑り落ちていく時代において、そしてその時代について、書いている。だが、その分析は皮相的で、深い切れ込みと鋭さがなく、身に迫る真実味に欠ける。取りこぼして、いるのだ。過去の事象の分析か、それとも現在の状況との関連性か。両立は確かに難しいが、それを目指す以上、その困難に取り組む誠実な研究と記述は必須だったように思えるのだ。そして、現実なるものへの冷静な視座と記述こそが、主張と分析を僕たちに届けるのではないだろうか。
とまぁ欠点は確かにあるにせよ、視座や過去の技術史に関する記述はなかなか確かなものがある。駄作、と一刀で切り伏せるには、惜しい書物である。