イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

過去と闘う国々

ティナ・ローゼンバーグ、新曜社。ソヴィエト崩壊後の旧共産衛星国家−チェコスロヴァキアポーランド、東ドイツ−における、旧秘密警察構成員とその協力者の公職追放問題に関するルポタージュ。10年前の本である。サブタイトルは「共産主義のトラウマをどう生きるか」
この本においてまず注目されるべきなのは、まず何よりも着眼点であろう。ソ連崩壊という大きなエンドマークではなく、その後に残された残骸とその処理、共産主義体制化の全体主義の崩壊と後始末に注目した慧眼。それは扱いが難しく、あまたの間違いを内包し、ひずみと歪みと淀みに満ちたニュースである。
だが、それは終わったことなのだ。西洋民主主義は勝利し、輝かしい未来がやってくる。10年前、その言葉は真実のように思われていたし、実際、冷戦において西側を支えたテーゼの大きな部分はそれだった。終われば、幸せがやってくるはずなのだ。
そうではない、と。この真性のルポタージュは書き綴る。全体主義体制を維持した秘密警察には、組織としての構成員だけではなく、匿名の協力者が数限りなく存在した。共産主義体制が崩壊し、その抑圧が解き放たれたとき、抑圧と統制の象徴だった秘密警察は矢面に立たされる。だが、誰を、何によって責め立てるべきなのか。筆者はその疑問を保持したまま、膨大な取材を重ねる。
共産衛星国家が各々に歴史的な傷−チェコならば民族対立、ポーランドならば大国による不当支配、東ドイツならばナチズム−を抱え、人民の開放と平等を掲げたコミュニズムを「選び取った」という事実。国民が40年に及ぶ体制の中で、抑圧と腐敗を内包した共産体勢を「普通のこと」だと捉えていた事実。それらは、筆者の積極果敢な取材体勢と、精密な分析、体制と反体制、双方の立場を積極的に調べ上げる姿勢から浮かび上がってくる。
ソ連崩壊に伴う旧衛星国家の民主化において、盗聴、暴行、密告などの体制犯罪が明らかになった。非難の声が巻き起こる。公職追放が起こる。だが、名前を隠していた協力者−家族、友人、同僚、上司−が秘密警察追及の過程で明らかになってゆく。家庭人であると同時に市民であるために、匿名の密告者として抑圧的な制度に協力した人々は、いくらでも身近にいたのだ。
ここにおいて、問題は混乱の極みに達する。誰を、どう、何故に罰するのか。すべての人々が自己を正当化し、どこかに責任の所在を放り投げる。しかたが無かったのだと、みんなやっていたのだと、もしくは、それが良いことだったのだと。そう主張する。それはそのとおりなのだ。共産主義は、開放のために出現した思想なのだから。
だが、美しい言葉で作られた共産主義は、ほぼすべての共産国家において全体主義を生み出し、国家による抑圧組織と、そこに市民を巻き込む構造を発生させた。その自動性と匿名性が、共産体制の崩壊と共に噴出する。それはどこにも導けない流れであり、すべてが混乱し、嘘と弁明に満ちている。被害者は加害者であり、加害者は同時に無罪でもある。
この混沌とした状況に対する三国三様の対処を、筆者は丁寧に追いかけ、制度を分析し、歴史的背景を考慮し、そしてなにより、大量の人々に話を聞く。体制に反対して抑留された人々。命令に従い抑圧を行った人々。公職を追放された人々。殺人者。密告者。それらの人々の言葉を集め、分析し、結論をつけ、そしてまた、目の前に広がる混沌の中に身を投げる。
南アメリカ軍事独裁のエキスパートである筆者は、共産国家の全体主義を細密に分析し、その強大な力に視線を注ぐ。そこにはきらびやかなイデオロギーの言葉は無いし、こじつけも事実の意図的な見落としも存在しない。混沌としている旧共産国家の回復−もしくは回復の不可能−を正しく見つめる、独りのジャーナリストがいるだけである。
カメラが写していなくても事態は存在しているし、CNNが報道することだけが真実ではない。終わった世界で亡霊にさいなまれる人々の、結論の出ない状態を書き綴り、それでも誠実に分析と報告を繰り返すこの本は、真実の意味でルポタージュであるといえる。傑作である。