イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

椎名誠を読む 1

最近活字の交合力が下がっているように感じたので、ちょっと意欲を持って読書をすることにした。意欲を持って読書をする、ということはある程度以上の統一性を自分で設定・発見して読書を行うことになる。今回選んだ統一性は、最もわかりやすいもの、つまり同じ作者の作品を読む、ということしした。選んだ作家は椎名誠である。
椎名誠を、僕はSF作家として読んでいる。日本のSF作家の中でも特異な、変質的な文体の中に秘められた閉塞感と孤独への強い意思。SFに必要不可欠な、日常から外れながら同期するワンアイデアの豊富さ。シニカルな世界の中に灯る、確かに暖かで柔らかな情。奇妙にねじれながら真っ直ぐで、確かな文章技術でとんでもない奇想を抜き出してくる。椎名誠は、そのような作家である。
今日読んだのはSF短編集「鉄塔のひと」「雨がやんだら」「みるなの木」、SF中編二作「地下生活者/遠灘鮫腹海岸」、小説集「長く素晴らしく憂鬱な日々」である。「長く〜」は現実の新宿を舞台にし、明らかに椎名誠本人を主人公にした一種の私小説だが、椎名誠の幼年期を語った私小説とはまた異なる、むしろ彼のSF作品に共通する前述の特徴を強く持った、暗く静かな、鋭い視点の小説である。
短編集、特にSF短編集はワンアイデアの魅力が最も重要な要因の一つになる。上記の本の中で、それが一番映えるのは「鉄塔のひと」だろう。とにかく、ワンアイデアの発展と最後の落ちの切れ味が尋常ではない。暗めの視点は比較的押さえられ、むしろ暖かな光の中にもぐりこんだ奇妙な事象が、細かく饒舌な筆で語られる。そこには驚きと安らぎが確かに存在しているし、それらはけして対立するものではなく、むしろお互い強めあい、奇妙ながらも確かなつながりで椎名誠の世界を構築している。その柔らかさは、椎名誠がただ世をひねたニヒリストなのではなく、小説を書ける存在なのだということを確かに確認させてくれる。
対比的にシニカルさが強いのは「雨がやんだら」「みるなの木」「遠灘鮫腹海岸」に散らばる「戦後」作品であろう。奇妙な人造生物や、何らかの影響で歪んでしまった凶暴な自然、おどろおどろしい風習。独特のネーミングセンスを武器に、強く異化された風景がこの世界には広がっている。人間が人間であることをやめ、もしくは止めさせられ、まったく見慣れない世界でしかし、彼らは「日常」を歩いている。それはその異質さに戸惑っていない、ということであり、椎名誠の「戦後」においては徹底されている。いかな異形も日常や風習の中に吸い込まれ、それゆえに異形さを浮き彫りにさせられる。だがその筆は椎名誠特有の柔らかさと過剰さ、暖かさに満ちて、やはり「日常」が有するべき親しみやすさに満ちている。親しみやすさと異形。その合い矛盾する二つを一つの作品に仕立て上げるのは、やはり小説の力だろう。
「地下生活者」や「雨がやんだら」はこれらの小説の中でも特に光り輝くが、それは何よりも強烈な叙情性が原因である。「地下生活者」においての家族の風景。「雨がやんだら」の「戦後」で発見される、少女の日記。パーツとして非常に強烈な強さを、丁寧な話の運びで暖め、ただの奇想だけの作品に終わらせていない。何物にも変えがたい強力な感情を湧き上がらせるこれらの物語は、やはり椎名誠の唯一性、いかな話であろうとも根っこに存在するまなざしを強く表明している。それは寂しさ、孤独に関する強い興味である。それがあるが故にシニカルな視座に強靭さがあるし、そこから離脱させてくれる暖かな要素に強さがある。それは矛盾することではなく、一つの作家の目が抉り出す真実の一枚なのだ。
シニカルさと暖かさ。奇想と共感。相反する要素を作品に纏め上げる椎名誠は、やはり僕のとても好きな作家なのだ。そう再確認させられる読書だった。明日は長編「アド・バード」「武装島田倉庫」「水域」を読みたいと考えている。