イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ロディカル・ディレンマ

ジョン・W・ドーソンJr、新曜社。オーストラリアからアメリカに移住した数学・論理学者、クルト・ゲーデルの個人史に関する専門書。「伝記」というには資料の掘り下げに関する厳密さが圧倒的に過ぎるので、あとがきに書かれているこの言葉を僕も使うことにする。
最初に言っておくと、僕はこの本を適切に読めていないと思う。僕は数学も論理学も教育を受けていないので、この本の中に大量に納められている『ゲーデルという人物が、いかに数学・論理学(のみならず交友のあったアインシュタイン相対性理論の考察から発展した宇宙論や哲学・神学等も含めて)において卓越した偉業を成し遂げたのか、についての詳しい説明を追いかけることが出来ないのだ。具体的に言うと、記号論理学の用語が読めない。
そのような不完全な状態で詰まり詰まり読んでいったわけであるが、とにかく徹底した本である。公式発表された論文はもちろん、遺稿の中にあるメモ・日記・公式書類・図書館の貸し出し記録・同僚のコメントから小学校の通知表まで、徹底的に資料を掘り下げ、厳密にゲーデルの生涯を解析していく。徹底、ということばがここまでに合う書物も珍しいだろう。その上で、筆者にとってはまだまだ資料の掘り下げは足らないらしく、「不確かであるが」「推測でしかないが」などの言葉が散見する。脱帽というしかない。
その精密な資料調査で、(数学の読解力のない僕が)興味を引かれたのは、一つにはオーストリアからアメリカに渡るにいたった、ナチスユダヤ人学者追放とその影響、全体主義に奉仕する科学者(とそれを拒絶し排斥されていく科学者)の問題である。この本が徹底的に厳密なゲーデルの個人史資料であることは先ほど述べたとおりだが、その厳密さは非常に良い方向に作用し、ゲーデルのみならず、彼が身を置いていたオーストリアの学術界の変遷、という大きな世界もまた浮き彫りにしている。徹底して事実にあたり、明快な記述を心がけているので、解りやすく丁寧な言及になっている。
もう一つ興味を引かれたのは、先ほど述べたのと少し矛盾するが、この本の伝記としての側面である。ゲーデルは論理学が数学の厳密な一分野になることに巨大な功績を残し、二十世紀智の巨人という言葉が適切な人物である。だが鬱病気質であり、パラノイアであり、いわゆる「天才」であった。そこにスキャンダラスな興味がなかったわけではないが、それよりもそのような彼を支え、あるいは拒絶した周囲の人々の言動が適宜挟まれるのが非常に興味深い。先ほども述べたように資料の掘り下げが徹底しているので、大量のエピソードとともに語られるゲーデルと周囲の人々とのかかわりは、除き趣味のあら捜しではけして到達できない、こういってよければ真実のようなものを描き出している。
そんなわけで、この本を僕は正当に評価は出来ない。いうならば、半分英語で書かれた本の英語の部分を飛ばして読んだようなものだからだ。それでも、丁寧で、徹底しており、誠実で、いいほん、というものの条件をすべて満たした本であるのは間違いないだろう。その上で、この本は非常に面白かったことを記しておこう。