イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

アニメ感想日記 14/09/18

・ ヤマノススメ
富士山下山編は、前回の流れを引き継いで明暗クッキリ別れた形に。
『足の痛み』という要素を光組のひなた、闇組のあおい両方に共通させたり、頂上と八合目両方でご来光を見させることで惨めさを強調したり、相変わらず演出がキレてる。
ひなたがはしゃげばはしゃぐほどあおいが惨め……とは一概に言えなくて、光組が楽しみつつもあおいのことを気にかけているので、あおいがハマったドツボがより強調される形に。
これは登山途中、高山病の兆候を見せつつも楽しい富士山だった頃合いとの落差も生きてる感じですね。

あおいのずっしりと重たい後悔で肌がヒリヒリしつつも、美麗な風景描写と重厚な音響、要所要所で挟まれる陽気なガイジンギャグと、下り坂一辺倒にならないコントロールは流石。
ここなさんも相変わらず妖精だし……馬とお喋りできるんですか?
過度に接触せず、かと言って放っておくでもなく、最適な距離を保って一緒に降りた楓さんがMVPだとは思いますがね。
あの子ホンマに高校生か?

そもそもにおいてあおいは、「はようハナヤマタ時空に行け」と言いたくなるような面倒くさい女子高生だったのですが、三人との山ライフで少し陽性になっていた流れがあります。
なので、今回のドツボっぷりは当然といえば当然の嵌り込み。
その上で、嫌だなぁと思いつつも下山し、電話したくないなぁと考えても連絡は付け、シンドい状況ながら行動はしているところとか、やっぱ今まで放送された物語の蓄積は、彼女を確実に変えているんだなぁと思えてグッド。

下がりっぱなしじゃ見てるのも辛いのは事実なので、挫折からの再起をしっかりやって欲しいものです。
まぁ言わんでもやるだろうけどね、このアニメなら。
そういう信頼感が作品との間に作れるというのは、なかなか稀有なことだなぁなどと思います。

 

・ ハナヤマタ
ハが帰国したので、来週からはハナヤマタ改めナヤマタです。
そんな回。
……次回のタイトルから鑑みるに、そりゃ帰ってくるよな、あのヒキだと。

さておき、物語の動因として機能してた金髪娘が喪われても、ナルーはよさこい頑張ることを決意しておりました。
ハナのがむしゃらな望みがナルに伝播して始まったこのお話は、面倒くさい女の子たちの面倒くさいエピソードを合間にはさみつつ、時によろけ時に立ち直り、優しさと強さが受け継がれていくお話であります。
なので、ハナの離別を受け入れつつ、前向きに一歩を進めた今回の決断は、「自分は主役になれない」と嘆いていた一話のなるとの対比として、とても良く出来ていたと思います。

これは決断単品の魅力ではなく、例えば言いづらそうにしているハナの様子を気遣う余裕だとか、限界に達したハナを受け入れる様子だとか、一話のテンパリ思春期少女からは想像もつかない人間力を見せるナルの成長、そのまとめとしてよく出来ていたからでしょう。
「あー、面倒くせぇなぁ」とつぶやき、ニヤニヤしつつ1クール見守ってきた、面倒くさい思春期少女たちの、面倒くさい思春期ゴロゴロ。
そこを抜けた結果として、「引き止めず見送る」という今回の選択が輝いて見えたのは、シリーズ全体通して意味のある結果を導けたということで、良いアニメだなぁとつくづく。
まぁあそこで抱きしめて引き止めたら、『ススメ→トゥモロウ』流れだしてハナが手の付けられない姫レズになるだけだからな……ホンマあのシーンの呪縛は俺の中に根深いネ。

そういう意味では、今まで完成された人格を見せていたハナもまた、家族と友人、現実と夢のスキマで思春期ゴロゴロする等身大の女子中学生だったということが、今回のめんどくせぇ逡巡から感じ取れて良かった。
このままハナだけを特権化し、他の子達が巻き込み巻き込まれてきたアドゥレ・サンスの蹉跌から開放して終わるなら、それはやはり片手落ちというもので。
きっちり面倒くさい悩みと、面倒くさい気持ちの押し付けと、それに対する優しい受容と前向きな決断を書ききったのは、ハナ個別エピソードとして良かった。

とは言うものの、このアニメ『ハナヤマタ』でございまして、四人で踊って「天国のハナちゃんも見ててくれるよ……」的な落とし方が、イマイチ気持ちよくないのも事実。
金髪天狗がはじめたよさこい、その最初で最後の晴れ舞台に金髪天狗がいないのも、片手落ちでしょう。
ハナとナルの到達点として今回のお話は素晴らしい物でしたが、『ハナヤマタ』としての到達点はやはり、五人で踊って〆て欲しいと思っております。
まぁ120%帰還するけどな、今回のヒキ(願望混じりで二度言うスタイル)

 

・ 少年ハリウッド
派手に歌番組とかでたけど、現実はササクレだって厳しかったでござるの巻。
売れないチケット、空回りするリーダー、イヤな空気漂う稽古場、報われない努力、渦を巻く迷妄。
冒頭のささくれトークの通り、ザクザクとした不毛な空気感満載の最終回直前でした。

「前回歌番組でドーン! といったのにコレかよ!!!」と抗議の声を上げたくなる展開でしたが、これは多分今回腐りまくったカケルと同じ気持なのでしょう。
"特別な何処か"に連れて行ってくれるはずのの『マイク・コペルニクスの靴』はお互いのやる気がすれ違うシーンでクローズアップされ、それを脱いで"普通"に友達と遊んでいても、決死にビラを配り踏みにじられるマッキーの姿は追いかけてくる。
ハナヤマタめいた思春期のモジャモジャがカケルに襲いかかる形ですが、他の四人は何らかの決意を固め行動に出ている焦点の絞り方は、モヤモヤした展開の中にも「その内何とかなるだろう」という安心感を与えてくれていて、なかなか良かったです。


同時に歌番組による露出は確実に彼らに影響を及ぼしていて、彼らが立ち向かうべきものが"自意識"から"世間"に変わった回でもあったと思います。
チケットの売れ行き不振と初代ファンからの反感という、具体的な"ハリウッド東京の外側"からのマイナスのリアクションは、実は少年ハリウッドが出会う初めての『自意識の外側≒社会からの攻撃』になります。
今までは「恥ずかしいことを恥ずかしいままやることが、一番恥ずかしい」「自分が思う自分ではなく、他人の望む自分を表現しろ」という作中の台詞から判るように、少年たちはアイドルたるべき自意識と戦い続け、仲間や先輩たちの助けを借りつつ、一定の結論を出したわけです。
しかし今回突きつけられた「ステージの正否」とは、自分の考えを変えてもどうにもならない、自分の外側の問題。
ココらへんを今まで二回あった"世間"への露出(エアボーイズと歌番組)でカメラに入れなかったのは、あの段階でそちらにシフトすると、テーマの扱いがブレると判断したからでしょうか。

ともあれ、二代目少年ハリウッドは世間に知られ、反感を買い、もしくは無視された。
僕が面白いと思ったのは、カケルの母親やキラの両親といった"身内"の反応は、むしろ暖かく優しいものだというところです。
"自意識"に親しい"身内"の反応が良くても(あるいは、良いからこそ)、"世間"の反感と無関心が突き刺さるというこの構図は、少年ハリウッドが闘うべき問題点が一個別のところにシフトした、わかり易い指標なのかなぁと感じました。

話数の使い方を見ていれば、対"自意識"戦を勝利しアイドルとしての基礎が出来て以降、つまり対"世間"戦として職業アイドルとして失敗し活躍していくエピソードには、そんなに時間は使えなさそうです。
クリスマスライブで初戦を勝利で飾り、この後の彼らの栄光を予感させて一応の終わり……というところかなぁ。
それは残念でもありますが、一度でも綺麗な勝ちが見えれば、それを繰り返し彼らが飛躍していく様を想像することが出来るので、今回低く低くタメた分、次回の飛躍に期待が高まります。
そして、出だしのささくれトークが表しているように、気づけばささくれのことは気にならなくなっている……つまり、今回のタメを使いこなした少年ハリウッドらしい飛躍が見れるという信頼も、僕の中にある。
何しろ来週今回のポイント使っても最終回が別にあるからなぁ……贅沢だ。
さて、少年ハリウッドはどう終わるのか。
とても楽しみです。

 

・ Free!
『松岡凛と行く!! 乙女遥ちゃんリハビリツアーINオーストラリア!!!』という回だった。
いやはや、本当に凛ちゃんは大人になったなぁ……一期でキャンキャン喚いてたのが夢のようだ。
リハビリも無事成功しお話に一つの筋道が立ったので、色んな意味で一安心という展開でした。

姫系男子たる遥が凛ちゃんやら頼れる大人やらにチヤホヤされ、新しい景色を見せてもらって夢を掴む展開でありましたが、実はこれは一期の逆さ写しといいますか、面倒くさい系男子たる凛ちゃんをみんなで介護して何とか曲がった性根をストレートに叩きなおした展開の主客逆転なわけです。
「仲間と泳ぐ楽しさ」を既に知っている、むしろ知っているが故にそれに囚われている遥を開放する上でも、高校三年生というリミットが作中でキラれている関係上でも、何よりも同じお話を繰り返さないという劇作上の問題からも、一期と同じ解決法は取れない。
そこで凛ちゃんが取ったのは『井の中の蛙に大海を見せる』という一種のショック療法であり、個人的な好みから言うと、身内で解決した一期よりも発展的な一発で好感が持てます。

みんながお姫様を気にかける中、最終的に救いの手を差し伸べたのが凛というのは、無論一期の逆写しをやるという構図的な要素がありつつも、むしろ競技的な意味合いが大きいのかな、と思いました。
天才たる遥に道を示すことが出来るのは、天才かどうかは知らないけど大学以降も水泳を続けることを許可されている凛だけであり、故障によって道を離れる宗介や、そもそも自分から見限りを付けて神様と同じステージから降りた真琴ではないというのは、残忍ながら誠実な帰結だと感じます。
Wベッドでの語らい(色んな意味で、アレはTooMuchだと思いますけども)を聞いても、シドニーオリンピック会場跡でのシーンを見ても、遥と並ぶ実力を持っていなければ説得力がないわけで、それを持っているのは凛だけでしょう。
そういう「続けられる奴と続けられない奴で、どうしようもなく道は別れてしまう」という要素に背中を向けなかったのは、Free! 二期全体を見返してもっと褒められていい部分だと思います。

一期との違いという意味では、大人(に表象される、水泳仲間以外の世間)が存在を露わにするシーンが多いのが二期。
渚の両親とかは巧妙に顔と声を隠された"目に見えない圧力"としての登場でしたが、今回は支援者としての登場ゆえか、大人が大人らしい仕事を担い、包括力と優しさを持った動きをしてました。
彼らが直接決断の背中を押したわけではないですが、花束持ったお姫様みてーにお目目ウルウルしつつ、異国に戸惑っていた遥にホームを思い出させていたのは事実でしょう。


今回遥は凛におんぶに抱っこというか、そもそも真琴におんぶに抱っこされていた水泳キッズだったのが、真琴が勝手に大人になって取り残され、ハワハワ不安定になっていたわけですが。
そこを肩代わりするのが凛である理由は先ほど説明しましたが、ハワハワしてる描写はエモさ満載で如何にも京アニらしいなぁ、と思いました。
どう考えても高校三年生男子ではなく、花占いの似合う乙女の描写だったけどな。
まぁ水泳サークルの姫みたいな立ち位置なので、最後の最後で柔らかさに極振りした演出を入れた、というところでしょうか。

とは言うものの今回の解決法は混乱して意固地になっている遥を保護して、自分の願いに気づかせるというものであり、遥の揺れる心を台詞ではなく画面で描写し続ける執拗な演出は、一定の効果をあげていたと思います。
難しいところだけどなぁ……一期のように分かりやすいイベントで押しこむのではなく、あくまで遥の心のなかの変化が全てであり、おまけに心変わりというよりは本心に気付くというたぐいの成長なので、主人公の道を決める最後の一手としては正直押しが弱い。
シドニーが運命の場所になるのであれば、事前に露出させておく方が良かったんじゃなかろうか……遥がシドニーオリンピックに夢中になってる回想入れるとか?

しかしまぁ、ギザギザハートを抱え込んで触るもの皆傷つけていた(こうして書くと、ホント一期の凛まんまだな)遥の心にも夢が宿り、才能を活かした建設的な道を活かせるようで。
あくまで憧憬とすら言えない薄ぼんやりとした夢であり、その夢と世界が地続きだとか、その夢を追いかけていくということはかつて踏みにじった"隣のレーンの誰か"を尊重することと切っても切り離せないとかは、物語の外で遥が追いかけて行くことなのでしょう。
そういう意味では、オーストラリアの知らないおじさんに声をかけられて世界の広さに気付くあのシーンは、一期でやらかした世界の狭さに一つのケリをつける象徴なのかもしれないですね。

三年生全員の気持ちに整理がついて、残るは全国大会のみ。
色々と凸凹とした道を歩いてきたFree!、というか鬱屈した面倒くささが鈍く光る俺の目線にさらされていたFree! も、次回でひとつの終わりであります。
二期一話で構えていた拳を、結構いいところに落ち着かせることが出来そうな予兆はあるんですが……さてはてどうなるのでしょうね。

 

とまぁこんな感じで長々書くくらい結局Free! のことは好きで嫌いで好きなわけですが、何分このアニメを一番見ているであろう女性視聴者とのリンケージが一切ないため、自分の感覚や感想が一体全体どのくらい一般的なんだろう、という物差しを手に入れられないまま来週最終回じゃんよ己、ということに今更気づく。
自分は結局ヘテロの男性としてこのアニメを見ていて、「自由さと不自由さの間で、少年が自分を定位する話」という角度から是非を問うてきたつもりなのですが、それと全く違う視座というのが当然在るだろうし、そういう意見も拾っておけばよかったなぁ……と今更後悔的なことをしております。
遥の「俺は終わってほしくない!」という駄々はつまり、閉じて病んで腐っていたあの関係性の発展的解消を喜びながらも惜しむファン層への目配せでも在るのかなぁ、などと先週書いた跡に思い至ったのが、こういう感想に辿り着いた理由なわけですが。
自分はけしてそうは思わないけど、最も大きなターゲットに対する「OK、OK。俺らはお前らのこと解ってるけん」というサインなのかなぁ……でも俺"最も大きなターゲット"じゃねぇから確認のしようがねぇなぁ……などと、モジモジすることし切り。
まぁ此処に書いてもスカッとする切り返しが在るわけじゃあないと思いますが、ちょっとモジモジし過ぎるのであえて文章としました。