イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

コンクリート・レボルティオ~超人幻想~:第3話『鉄骨のひと』感想

過ぎ去った時代へのノスタルジアが凶暴に加速するアニメ、三話目はフルメタル・ラブ・ロマンス。
己を『正義の人間』と定義するロボット刑事・柴が出会った、美しき戦争の遺物。
去来する思いは自然な愛なのか、はたまた約束されたプログラムか。
感情の暴走をこそ人間の定義とするならば、女一人を己のものにするために凶暴に走り続ける柴は確かに、あまりにも人間らしい。

今回のお話も色々元ネタがあるけれど、一番のベースは『フランケンシュタイン』だと思います。
古典的な機械的世界論に縛られつつも一擲を投じたあのお話では、造物主に反抗せざるを得ないカルマを人間から引き継いだ怪物は、己の片割れを強く求めて叶えられず、氷の海に沈んでいく。
しかしこのお話で書かれた未来のイブたちは、爾郎が『未来編』で述べていたように、造物主に書き込まれた正義を純粋に信じ、実行する。
道具的存在はあくまで製作者と使用者の意思を反映し、暴走するのは技術ではなく、常に人間という認識は、科学万能の時代を信じたメアリ・シェリーにも、このアニメがパロディしている昭和中期とも異なる、その次代を通りすぎてしまった現代らしい見解だといえます。

そういう意味では、脳まで『鉄骨』と成り果ててもそんな自分を否定し、『ひと』であり続けることに固執する『過去編』の柴警部は、自分自身の肉体の使用者でありながら、美枝子への恋心を暴走させ刑事という組織の範疇から逸脱する、古いタイプの科学の怪物だといえます。
一見ロジカルな彼の行動は、美枝子への慕情を加速させて変質し、最終的に『超人課にも、誰にも美枝子を渡さない』という独断に至る。
その暴走が人間・柴来人の自然な感情の結果なのか、はたまた『鉄骨』にプログラムされている道具的目的の結果なのかを、サイボーグ、つまり純粋な道具的存在である『鉄骨』と同時に暴走しうる『人』でもある彼は判断ができないというのは、アンドロイド達の純粋さとの対比も含め、良く効く皮肉でした。
『鉄骨』として設計されその目的のままに片割れを探し続けたアンドロイドと、『鉄骨』であると同時に『ひと』でもあるサイボーグとして、『未来編』ではついに札幌オリンピック粉砕を目論むテロリストになった柴との対比は、人型の鋼鉄に関するドクサに効果的な一撃を入れていて、なかなか面白かったです。

柴が警察を止め私立探偵(ここら辺はもろに"エイトマン"でしょう)を名乗るに至ったのには、『若い連中がたくさん死に、正義が腐敗する』ような何かが、『過去編』と『未来編』の間に横たわっているようです。
柴だけではなく登場人物すべて(変わることを許されない風郎太含め)を変化させたのがその事件とは限りませんが、『過去編』の無邪気な正義を信じきれなくなるのに十分な何かの正体は、今後明らかになっていくのでしょう。
とは言うものの、輝子と爾郎が車内で話していたように、百億の顔を持つ正義に関しては『過去編』で既に片鱗が見えているわけですが。
自身が恋に恋する少女だというのもあるのでしょうが、『血と肉でできた人間の慕情も、何かにプログラムされて抵抗不可能という意味では、鉄骨の恋と同じ』というラディカルな視線は、色々凝り固まってる男たちとは違う軽やかさを感じさせて、なかなか面白いですね。


本筋としてはロボット刑事の死と、テロリズムを報じる私立探偵の誕生にまつわるお話だったと思いますが、メイン以外のネタも大量にばらまかれていました。
爾郎の『父』である博士が「こんなことをさせるために、お前を超人課に派遣したわけじゃない」と言っていましたが、人命救助という正義のためでないのなら、博士の狙いは何なのかとか。
博士が柴に言っていた『アンドロイド=機械由来=鉄骨、サイボーグ=人間由来=ひと』という無邪気なロジックを、柴を『治療』ではなく『修理』と言い切った博士自身が、何処まで信じているのかとか。
無邪気な正義が輝く『過去編』の中でも、露骨に悪の匂いを漂わせている博士は、非常に気になる存在です。
来週クローズアップされるみたいですけども、どんな腸が覗けるやら……。
底が見えないって意味では、課長も色々なぁ……『確保するべき人材』言うてたからなぁ。

ここら辺は過度の読みに当たる部分なんですが、爾郎は何故追跡よりも柴の救助を優先したのか。
爾郎の部屋の新聞記事切り抜きを見ると、正義の超人とされていた男が子供を誘拐し、焼身自殺して果てた事件を爾郎は大切に保存しています。
今後語られるであろう爾郎のオリジン次第なんですが、炎に包まれた柴と、因縁があるらしいその超人を重ねあわせてしまった結果、爾郎もまた感情を暴走させたということは、結構ありえるんじゃないかなぁ。
こういう感じで情報量が多い上に、未来と過去を行ったり来たりする複雑な構造をしているので、このアニメを見ていると疲れますね、楽しいけど。

未来と過去を行き来するという意味では、今回ちょっとクローズアップされていた芳村兵馬は、タイムトラベラーっぽい能力を持ってました。
『TP』と書いてある懐中時計、「このくらいなら見つからないかな?」という発言を考えると、タイムパトロールに追われる立場なのかなぁ。
その上で豹マン的能力まで持っているっていうのは、かなりの過積載だよなぁ。
ココらへんも、兵馬の個別エピソードが来たら色々すっきりするんでしょうかね。

作画的な話をすると、『未来編』での柴VS融合機体&爾郎のハイスピードバトルが、あまりにも中村豊過ぎて素晴らしかった。
画面狭しと飛び交う立方体、膨らむ爆発、人智を超えた速度の表現。
超人的なバトルに超人的な映像がちゃんと付いてくると、やっぱり温度上がりますね。

というわけで、今週も失われた正義と失われた自分を探し求め、過去と未来を行ったり来たりするお話でした。
何かを喪失した結果暴走する連中が多い中で、『未来編』でむしろ人格的な成長を遂げているように感じられる爾郎は、主人公としても語り部としても結構特権的な立場なのかもしれないなぁ。
喪失と思えるものから、何らかの真理を学べる位置にいるからこそ主人公、的な。

そんな爾郎のオリジンは、来週少し解明されそうです。
腹黒博士と狐妖怪との出会いは一体どんなもので、元ネタはゴジラなのか川口探検隊なのか。
色んな事が気になりつつ、そろそろ楽しみ方がわかってきたコンレボ第三話でした。