イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

ハルチカ ~ハルタとチカは青春する~:第9話『アスモデウスの視線』感想

真実と青春が持つ共通点を追求するアニメ、今週は二人目の探偵と背中の秘密。
いつものトンチキ学校を飛び出し、エリート学校藤ヶ咲にて、謎を見つけ、謎を解いて痛みにたどり着くお話でした。
盗撮犯アスモデウスを名指しするのではなく、彼女の視線が暴いた事実に傷つく人々が主眼な辺り、やっぱこのアニメは青春物語なのだなと再確認。
普段と髪型と衣装を変えたチカちゃんが、なかなか眼福でしたな。
……一見ファンサービスに見えるこの要素が、夏服の季節をひっそりと暗示して、最後のトリックに繋がってるの凄い上手いな。

流石に9話も一話完結お話が続きますと、一つの『型』のようなものが見えてきます。
物語の舞台に主人公達を誘う事件単品では終わらず、そこに謎が入れ子になっていて、暴けばまた謎が見つかり、最終的にすべてが融合して一つの真実が見つかる構図。
真実を暴くことそれ自体ではなく、秘められていた思いや願い、それに直面した人たちが何を選択しどう進んでいくかに重点した物語展開。
真実を秘めなければならなかった人たちの阻害と痛み、真実を探偵が暴くことの残酷さの強調。
今回展開されたミステリの扱いは、これまでの物語とそのフレームを多数共有しています。

それらは多分、青春物語とミステリを融合させたこの作品が大事にしたいものを、何度でも繰り返し語った結果共通しているものです。
ハルタとチカちゃんは無邪気に謎解きを楽しみ、その過程で吹奏楽部に新しい仲間を迎い入れ青春を豊かにしながら、同時に一筋では行かない人生のいろいろを学んでいく。
取り返しの付かない過去の傷や、それを秘密にしていることの意味、説かれるべき謎としてそれを提示することの意味。
謎解きという形で現実を再解釈することで、取り返しがつかないはずの過去を取り戻す行動の尊さ。
今回ハルタが先生と歩きながら、探偵としての自分に疑問を抱くシーンは、このアニメが『試練に挑み、悩みながら振り返り、少しずつ成長していく』という、非常にオーソドックスな教養小説系譜にあることをよく教えてくれます。

『草壁先生の過労』→『席替えの謎』→『アスモデウスと堺先生』→『背中に隠した最後の謎』という風に、ミステリが多層的な入れ子になっているのも、むおrん矢継ぎ早にミステリが連鎖する知的快楽を狙いつつも、青年たちが迷い込んでいる人生の迷宮の複雑さを上手く取り込んでいる部分なのでしょう。
謎を解いたと思ったら新しい謎が生まれ、それを解いていっても、大河原さんが背負ったモンモンと、それが生むであろう差別という『解けない謎』が最後に残る作りは、謎を解くこと自体ではなく、暴かれた真実をどう扱い、そこからどう進んでいくかを大事にしているこのアニメ全体の構図と、響きあうものがあります。
文字が浮かび上がったり、3Dでの再現図を駆使したり、ミステリを解くヒントをうまく映像に盛り込みつつ、謎が組み合わさあって成立するテーマ性を、しっかり軸に据えている所。
それが『見ていて楽しい、青春エンターテインメント』として成立しているところは、やはり何度強調しても良いこのアニメの強みです。
謎を知的玩具ではなく人生の一風景として捉え、少しビターな後味も含めてキャラクター(そして彼らの物語を見守っている視聴者)に体験させるスタンスは、作品を信頼できる大事な足場だと思います。


これまでの話の中でも、今回の話はとびきりビターで、その理由はやはり、大河原さんが学園を離れるという結末にあるのでしょう。
刺青を背負った教師が社会から排斥されるか否かという問題は、ただ真実を見つければ解決するわけではない、難しい問題です。
お話の舞台を普段より少し偏差値の高い学校に取り替えたのも、この問題がよりシビアに扱われ、不正義を飲み込んでも、周りに迷惑をかけてでも、堺先生がこの真実を隠し通さなければいけない圧力を生むためだと思います。
奇人変人の集まる清水南ではもしかしたら受け入れられてしまうアウトサイダーが存在できない、ちょっと取り澄まして敷居が高い名門校を舞台にすることで、謎を解いてもスッキリしない結末が自然と導かれるわけです。

真実を公開して全てを有るべき場所に戻すことは、このアニメにおいては必ずしも全てがスッキリと収まる、デウス・エキス・マキナ的解決ではありません。
そこにはいつでも痛みが伴っているし、過去が蘇るわけでもない。
変化するのは現在の状況と、謎に包まれていた過去への認識であり、真実を公開しても世界の偏見全てがなくならない以上、大河原さんは学校を去らなければいけない。
そこにはたかだか真実を暴いた所で変わらない、現実的な世界への冷静な視線があり、それによって担保される現実的な都合の悪さがある、

しかし謎のヴェールを剥いで真実をむき出しにする探偵の行動は、けして無駄ではない。
成島さんの弟の願い、マレンの両親の願いを知ることで子供たちはより楽しく笑えるようになったし、堺先生は周囲に負担を強いる沈黙を破り、痛み分けの形で盗撮犯には(おそらく)捌きが下る。
何もかも完璧には出来ないし、それ故ハルタは今回先生に己の痛みを相談するわけですが、それでも『何か』は出来ている。
極端ではないその扱いに、僕は手触りの良いリアリティと、真摯さと、ポジティブな希望を感じるのです。

たとえ痛みを伴ったとしても、適切に開示された真実は過去との和解を成立させ、現在をより善い状態に整えなおし、明るい未来へ歩いて行く足場になる。
時間の流れの中にある真実へのアプローチは、例えば自分の謎を終えても楽しく青春している吹奏楽部の仲間の姿に、わかりやすく現れています。
例えば成島さんが弟の残したパズルを誤解したままなら、もしくはマレンが両親のメッセージを受け止められないままなら、コメディ風味に明るく楽しい今回冒頭の詰問シーンは、けしてなかったでしょう。(ハルタの「ゴぉリラの首を持って来い!」が好き)
ハルタが誠実に悩み続ける『真実の痛み』が持っているポジティブな可能性を、台詞で説明するのではなく、あくまで柔らかく楽しい青春描写の中にしっかり入れ込んでいることは、僕は凄くプライドの高い描き方だと思うし、エンターテインメントの精髄を感じます。
そういう姿を素直に楽しめているからこそ、ハルタの探偵業は無駄ではないし、去っていった大河内さんが再び戻ってくるであろう未来、最後に堺先生が吠えた希望がいつか叶う未来が必ずやってくると、じんわり信じることが出来る。
そういう信頼性が作品の中にあるのは、とても良いことです。


骨太かつ身近なテーマ性をしっかり持っていながら、それを全面に出したお説教にこのアニメがなっていないのは、やはりキャラクターの描写が活き活きと弾んでいるからです。
久々に弱く可愛い生き物以外の表情を見せた成島さんとか、ぶっ倒れながらキメ顔作るハルタとか、1カット1カットがとにかく可愛らしくて、この子たちが好きになれる描写を積み重ねてくれる。
極めて有り難いことです。

今回は元引きこもり・檜山くんが輝いた回でして、ハルタに並ぶ明晰な頭脳を発揮したり、元ヒキなのに太いコネクションを持つ姿を見せたりして、美味しいポジションでした。
彼もまたハルタ達によって真実を切開され、未来への歩き方を改めた側の人間でして、この活躍もまた『予後』の描写ってことになります。
大河内さんのミステリをさらっと解くシーンとか、気持ちのいいジジババたちの薫陶が、離れ離れになっても生きていることを想像させてくれて、凄く良いシーンだったなぁ。

先週あんだけエモい展開をしたので、てっきりチカちゃんのメガネキラーの餌食になっていると思った芹澤さんは、未だ未所属。
三話かけてなお落ちないとは、なかなか厄介なラスボスだなぁ……。
部員集めはこのアニメを縦に貫く大事な軸なので、最後に高難度攻略対象がいるってのは緊張感があって良いのだろう……是非にも落としたくなる、良いキャラしてるしな芹澤さん。
地味ーに毎回部活のシーンをいれて、気付けば大所帯になってる吹奏楽部の成果を絵で見せてるところは、満足度が高くてとても良いです。

ラスボスといえば知識の怪物・草壁先生ですが、今回はぶっ倒れて話の起因を作るヒロイン役。
一年間一切休みなしで吹奏楽部に捧げてたそうですが、それを生み出す闇がどんだけ深いのか、怖くもありますね。
草壁先生は子供たちの謎解き遊びをしっかり見守りつつ、適切に人を出してその軌道を調整する、非常に良いメンターだと思います。
穏やかに好感度稼いでいればこそ、草壁先生と吹奏楽にまつわる謎が、シリーズを締めくくるラスト・ミステリになるんかなぁ……ハルタ的には『弟子の師匠超え』にもなるしな。


というわけで、これまでのテーマと描写をしっかり踏まえつつ、苦味を少し増した大人テイストなお話でした。
少し苦く終わっても『でも、良いことが待っていると思う』と思えるのは、やっぱ作品とキャラクターに信頼がある証拠だと思う。
信頼を生み出せるフィクションってやっぱ凄いわけで、ハルチカ、マジいいアニメやな。