イマワノキワ

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終末トレインどこへいく?:第5話『骨にされてしまいます』感想ツイートまとめ

 欲望のまま振る舞うことを許された世界で、人を人足らしめるのはどんな鎖か。
 終末トレインどこへいく? 第5話を見る。

 謎めいた旅を経てたどり着いた稲荷山公園は、ボスの支配するディストピアだった。
 晶の心を取り戻すべく、巨大少女達の奮戦が始まる…というお話。
 得体のしれない東吾野の有り様に比べると、脅威が直接的な分全体的に与しやすく思えた。
 砲撃戦にステルスミッション、格闘戦と多種多様で凝ったアクションの組み立ても面白く、作品が追いかける絶望の中の微かな希望が、吾野柔術の冴えによく映える回だった。
 つーか弓術の方も直接打撃アリかよ…どんな修羅の国だよあの世界の吾野

 

 東吾野では一人仲間を救うべく頑張った晶に報いるために、静留と玲実は様々な戦いを潜り抜けていく。
 自由を手に入れるための舌戦、人目につかないように目的地を目指す潜伏戦、ボスに支配された軍隊を相手取った激戦と、暴走した玲実を落ち着かせる心の戦い。
 ミニチュア化した稲荷山公園を生かした、サイズ感のある描写が大変良くて、緊張感と面白さのある絵面で話を牽引しつつ、欲望を止める手段がなくなった7G世界の美徳と悪徳が、新たな角度から照らされていた。
 発見されやすい巨体を街に隠し、ドクターの下へ進んでいく場面が特に良かったな…パワー勝負一辺倒にせず、しっかりメリハリあったの素晴らしい。

 賢いドクターを先頭に立てて、稲荷山公園の人たちは狂いきった世界でなお人間であろうと頑張っていた。
 しかしその美徳はミニチュア世界の外からやってきた、デカいだけのガリバーによって踏みにじられ、平和な街は子どもじみた基地フェチの欲望に奉仕する、暴力的階層社会へと変わっていってしまう。
 偶然強いだけの立場にたったボスが、願いを恣にできる誘惑に負けた姿は、同じサイズで暴れれる静留たちが晶のために暴れつつも、適切に目的を果たし理性を取り戻して、街を去っていくのと対照的だ。

 

 狂気が世界全体に拡大し、心のあり方がその外側へと侵食してしまう、境目のない7G世界。
どんな妄想でも、権力や武力の歯止めなく…というか軍隊が率先してその妄想の尖兵になってしまうような、既存秩序が崩壊し反転した世界において、人間を人間たらしめるものは何なのか。
 あるいはそんな世界ではもはや、人が人である理由などどこにもなく、ただただ野放図に欲望を追い求めていればいいのか。
 東吾野に描かれた、短く幸福な終わり方も含めて、この話はトンチキな絵面の中に結構シリアスに、世界が終わり狂ってしまったからこそ暴かれていく、普遍的な人間性への問いかけを秘めている。
 そしてその答えは、いつでも友情に回帰する。
 いやー…かなりキテたな晶と玲実。愛ゆえに獣となる強まりギャル、マジ最高。

 衒学趣味な晶が、キノコに寄生されて取りこぼしてしまった”らしさ”は、ガーガー言い合うながらも彼女とずっと一緒にいた玲実こそが見つけ、口に押し込む。
 彼女を助けさえすれば全てが解決するはずだったドクターの策は、散々走り回った挙げ句有効打にならないわけだが、『オメーはサド読んで知識マウント取ってくるクズだっただろ!』と、ダメな部分含めて本質を感得している親友の見つけたものが、死病を乗り越える特効薬だったのだ。
 一番大事なものは自分たちの外側ではなく、騒々しい思い出と絆の中にこそあったと状況が解決していくのは、メーテルリンクっぽくて好きだな。
 狂って壊れてなお、おうちが一番。

 こんなに終わってしまった世界において、欲望を縛るものはもうない。
 犯罪を取り締まる外的秩序は崩壊しているし、妄想を妄想で終わらせるには、7G世界は心が現実を侵食しすぎる。
 ボスの秘めた願いは正気の世界では叶うわけのない望みと吐き捨てられて終わるもので、しかし狂った世界で偶然力を手に入れてしまった結果、彼は巨人の背丈を手に入れ、夢だった自分だけの基地を形にしていく。
 稲荷山公園に芽生えつつあった小さな秩序、確かな美徳を壊すとしても、ずっとやりたかったことをやる。
 その欲望中心主義は、確かにサド的だ。
 …ペダントリーなコスリと思いきや、芯食った描写にしてくるから油断できんね。

 

 玲実がひっちゃぶって口に突っ込んでいた”美徳の不幸”は、外側から押し付けられた倫理に従う少女が、悪意と欲望に満ちた世界に翻弄され、何もなし得ぬまま終わっていく物語だ。
 今回巨体を時折暴走させつつ、玲実がボスと同じ欲望の奴隷にならなかったのは、彼女たちを突き動かす目的意識が誰かに押し付けられたものではなく、その内側から湧き上がる友情の痛みそのものだからだ。
 街を破壊し尽くす程に暴れ狂う玲実を、すんでのところで制して正気に戻す吾野柔術の冴えには、『友達だから助ける、止める』という、極めてシンプルな倫理が反射もしている。
 思えばこの激闘に辿り着けたのも、東吾野で晶が頑張ってくれたからだ。

 夢をバカにする連中しか周りになく、孤独なまんま力と欲望を暴走させたボスを、止めてくれる人はいない。
 結果人のあるべき形を失った彼はその報いを受けるわけだが、彼の孤独と欲望に静留がちょっと共鳴しているのが、面白い描写だった。
 こんだけ狂ってしまった世界でも、願いを叶えるために闘うべき相手は自分と何処か似たものを持った”人間”でしかなく、間違った行動の中に何か、響き合うものを感じる。
 これは晶が東吾野において、さんざん安楽な欲望に自分を飲み込もうと迫ってきた”敵”がそれでも、旅を続けるための助けを手渡してくれた事実に対し、ちゃんと頭を下げた描写と呼応しているように感じる。

 

 無論キノコジャンキーや基地フェチは旅に同行する仲間などではなく、打ち倒すことで本当に大事なものを思い出し、少しずつ強くなっていくための壁でしかない。
 四人で旅をするからこそ、自分の内側から湧き上がってくるものを制御できるからこそ続いていく池袋の旅は、そういう正しい主役になれなかった欲望の奴隷で溢れているのだろう。
 しかしそれは少女たちと異質な怪物の群れではなく、どっかに似たところがあって、でも何かを致命的に間違えてしまった、歪んだ鏡合わせの人間模様だ。
 自分がどんな存在で何を願い、叶えるためにどうすればいいのか。
 イカれた旅路の中には、そういう普遍的な問いかけが確かにある。

 欲望のまま他人を蔑ろにするサド的世界を、玲実の友情はビリビリに引き裂き、親友の内側に戻していく。
 そこに描かれているものが本当に正しいのか、自分の顎と頭で消化して糧にしていく”真の読書”が、ああいう形で表現されているのはとても面白い。
 サドを愛読しつつも大変ビビリで、激ヤバ妄想と適切な距離を取って過ごしている晶は、失いかけていた自分らしさを友達に注入され、頭でっかちな理念≒妄想をぶっ飛ばされる形で、自分を取り戻す。
 それは東吾野において彼女が闘った、心地よい終わりの誘惑をもう一度乗り越えて、他人を踏みつけにせず、自分の足で仲間とともに未来へ進んでいく、旅への帰還だ。

 

 晶を取り戻すための戦いが、本拠地であり皆で帰るべき場所でもある吾野に、新しい知性を足してくれそうなのも面白い。
 結局ドクターを助けるべく走り回ったのは、直接晶救済には寄与しないわけだけども、その苦労がいつか、静留達の旅を助ける日が必ず来るのだろう。
 やっぱり相当ヤバかったウニャウニャ手術から、善治郎が身を挺してドクターを守ったことが、巡り巡って物語を良い方向に引っ張っていくように。
 結構な回り道をしながら、確かに狂った旅で得たもの、育んだものがあるのだと感じられる話運びになっているのは、見てて徒労感がなくていい。
 いや、全然先は見えないんだけどさ…そのワクワク感もええわな。

 失われた晶らしさを取り戻すべく、ミニチュアの街を駆け抜ける大立ち回りを演じた今回は、終末トレインの旅が誰ひとり欠けてはいけない、友情に支えられた歩みだということを再確認させる。
 東吾野稲荷山公園を舞台に演じられた、晶と玲実の奮戦をそのままスケールアップすると、喧嘩別れした葉香を探し求めて狂った世界に飛び出した、静留の思いをエンジンに進んでいる物語全体の構造と、しっかり接合されていく。
 欠けて壊れてしまったものをそのままにはしておけないから、晶は一人で狂気の菌糸類と戦い、玲実はたった一人の軍隊として暴れ、静留は仲間とともに池袋を目指している。
 その清らかな欲望が、やはりこの物語の推進装置だ。

 

 願いが身勝手な我欲に終わらず、社会からの押しつけはもはや機能していない。
 何をやっても良くて、何もかもが可能になる自由で野放図な7G世界では、人間性のレールから巨人は簡単に脱落しうる。

 友だちと一緒に、狂った世界を駆け抜けて故郷に帰る。
 そういうシンプルで真っ直ぐな答えが、狂って壊れて…極めてサド的な場所へと雪崩落ちている7G世界にどれだけ通用するのか。
  真実人間らしく、自分らしく何かを求めることをこの旅は否応なく問うてきて、晶と玲実がワーワー走り回りながら描いた軌跡は、凄く庶民的で普遍的で高潔な…つまり反サド的なアンサーを描いているように思えた。

 (バスティーユ監獄と精神病院という、マトモな社会が狂気と悪徳を閉じ込めていく装置の中に、自由を制限されていたサド。
 彼は欲望が叶わない現実の極みに閉じ込められていたからこそ、後に個人的な性的妄想、一つの世界認識様式にその名前を冠するほどの、凶暴な欲望を物語≒妄想に書き綴り得た。
 それを思うと何もかもが可能な7G世界が、極めてサド的な野放図な欲望に満ちているのは、面白い皮肉だ。
 ”悪徳の栄え””美徳の不幸”二部作によって批判された、押し付けがましい外部からの倫理の超越、内なる欲望の開放讃歌が巡り巡って、友だちを求める清らかな内的願望、独善を正してくれる友情の導きによって狂気と困難を乗り越えていく物語に対置されるのは、個人的にとても面白い文学的漂流だ。
 純文学とアニメという、メディア・ジャンルの差異がそのまんま、是とする主題と理念の違いに繋がっている感じもまたある)

 

 そういう作品全体の見取り図を、奇想と冒険と萌えに満たされた面白い絵面に反射させつつ、楽しく見せてくれるエピソードでした。
 玲実と晶がガッチリ描いてくれた絆と強さが、静留と葉香を主役にした時どういう輝きと陰りに彩られるか…あるいはカプからあぶれてる撫子ちゃんをクローズアップした時どうなるかも、とても楽しみです。
 めっちゃトンチキな味付けなんだが、少女と少女が惹かれ合い結びつく心の強さには、嘘のない描写がガッチリ食い込んどる作品だからな…ここの描写が太いの、マジ良いと思います。

 友情に支えられながら、欲望という名前の電車は人道をひた走る。
 次回も楽しみです。

 

・追記 オタクとしての在り方を育んだアレソレが、一見無関係なジャンルを野放図かつ野心的に横断し、カオスな己をこっちに突きつけてくるタイプの話ばっかだったので、こういう味付けのほうが逆に安心するのだった。