イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

うしおととら:第31話『混沌の海へ』感想

激戦が男たちの魂をむき出しにしていくアニメーション、今週は潮の旅立ちと戦士の宿命。
ツメツメの進行ゆえに大イベントが連続するアニメうしとらですが、麻子と潮の離別と流戦が同時に来るという、凄まじいパワーを秘めた展開となりました。
記憶を失ってもこみ上げる愛おしさと、それ故の切なさを込めた男女の別れも良かったですが、やはり今回はとらと流。
世界を守る正しさよりも、真っ直ぐに生きる建前よりも、空疎な己のあり方を思いっきりぶつけるしか方法がなかった人間と、それを真正面から受け止めるバケモノとの、魂のせめぎ合い。
演技、作画、演出、全てに魂が込められた、まさに渾身の回でした。

潮は非常に真っ直ぐ、人間が為すべきことを果たしてくれる、強く、優しく、美しい主人公です。(無論このアニメはただ正しいだけではなく、少年ゆえの、人間ゆえの弱さもしっかり描くのですが軸はあくまで真っ向勝負です)
潮ならぬ僕らは彼の活躍を見て、僕達が出来ないことを爽快に達成してくれる彼を羨ましく思い、好ましく感じると同時に、どう考えてもそんなに真っ直ぐには生きられない自分を鑑みて、後ろめたく思うことがある。
どうやったって潮にはなれねぇんだという気持ちは同時に、だからこそ潮になってみたいというあこがれと、俺達にやれないことをやってくれる潮への信頼に繋がる。
眩しすぎる光から目をそらすと同時に、どうしようもなく惹きつけられてしまう気持ちというのは、潮の物語を見守る視聴者にとっては馴染み深いものだと思います。

そしてこの感情を流が代表するからこそ、今回の戦いは深く胸に刺さる。
『頼れる兄貴』として申し分ない活躍をしていた流が敵に回る展開は、一見唐突にも思えますが、血を吐きながら吐露される心情の温度の高さもあって、気づかぬうちに認められないながらも解ってしまう、不思議な裏切りとして受け止められていきます。
視聴者とキャラクターをシンクロさせる構成の巧さもあるんですが、この納得感はやはり、流という一人物の魂を切実に表現できている、物語としての圧倒的パワーが生み出していると思います。

天才ゆえの虚無感、綺麗なものに耐えられない年長者(『頼れる兄貴』)の汚れ、人生をせせら笑っていてもどこかで熱く燃えたいと願う気持ち。
たとえ流のように退魔の力が使えなくても、そのどす黒く虚しい感情は、見ている僕達と何処かに通ったものがある。
どんなに否定しても湧き上がってくる、泥のような醜い人生の真実がある。

そしてそれだけではなく、純粋で綺麗なものに憧れ、真っ直ぐに生きてみたいという清らかな願いも、流が吐き出す感情の泥の中に確かに存在するのです。
白か黒かで割り切るのではなく、様々な矛盾を抱え、どれだけ間違っていても自分の気持をぶつけるしかないところまで追い込まれた男の生きざまがしっかり描かれていること、それがどこか万人に通じる普遍性を宿しているからこそ、流ととらの戦いには血が通っているわけです。
綺麗で汚い、とんでもなくグチャグチャしたものを心に溜め込んで、苦しくて苦しくてもうどうにもしようがないから、敵になって戦うしかなかった。
流の行動は当然お話の都合から生まれたものであると同時に、仮想の人格を一人の人間に変化させる魔法に絶対必要な、キャラクターの生き様や感情の流れを徹底的に考え抜き、表現し切る妥協のない姿勢の産物です。

絵空事に対して斜に構えるのではなく、自分が創造している物語に対して真摯に向かい合い、誠実さを持って魂を入れていく熱。
それが読者に伝わるためには、どのような形式と表現を駆使するべきなのか、冷静に考えぬく頭脳。
この二つは矛盾するものではなく相補うものであり、その最高の表現の一つが、今回の流戦だったのでしょう。
どうしようもなくその場所にたどり着いてしまった男の生き方を、本気で描いてくれた素晴らしいエピソードでした。


流の魂が映像に刻み込まれるにあたって、それを受けきったとらの仕事を忘れるわけにはいきません。
『バケモノ』として歪んでしまった『人間』を受け止める役割を、今回のとらは全力で果たしてくれました。
とらは今回あくまで『バケモノ』として戦い、髪を武器に変え、腕がちぎれても気にせず、もげた首を武器に変えて勝利する。
その圧倒的な戦いが、『流が追い込まれた天才の袋小路は実はひどく狭いもので、怪物たちの広い世界に目をやれば、そこまで追い込まれなくても良かった』という切ない結論を強化しています。
少し運命が違えば別の結論に辿り着いていたかもしれないけど、しかしもうこうなるしかなかったという、『もし』と『だから』の同居こそが決断に深みを与えるのだとしたら、今回とらが『バケモノ』として流を受け止めきったのは、非常に大事なことでしょう。

『殺さないでくれ』と懇願した潮にとってはもちろん、とらにとっても流は大事な存在でした。
お人好しの潮とはまた違う、戦いに身を置き殺伐としたルールを己に課すがゆえの共感が、二人の間にはたしかにあった。
流の告白に秘められた真意を的確に読みきり、魂の血をすべて搾り取るかのように言葉を積み重ねられたのは、二人が命を奪い合う仇敵であると同時に、確かに気持ちで繋がりあった親友だったからこそでしょう。
『潮とのことは嘘だったのかよ』と問うとらと、『マジだったさ』と応える流は潮の話をしているようで、真っ直ぐな少年を疎ましく思いつつ惹きつけられ、その旅の中で時間を同じくした仲間としての思い出を、確認していたように思うわけです。

とらは流の暴力に晒されつつ、筋肉と凶悪な表情の奥に隠された弱い心根をあざ笑い、なぶります。
それは『バケモノ』らしい根性の悪さであり、同時に魂の深い場所で共感した『人間』が、自分の気持をどうしても整理しきれず、暴力でしか繋がる事ができないほど追い込まれてしまったことへの、憐れみと哀しみを含んだ表情です。
嘲り口調の煽りはいわばとらなりのカウンセリングであり、血が吹き出し肉が裂ける一撃は、流なりの悲鳴でもある。
そういう形でしか繋がり合えないことこそが、二人が『戦士』という魂の色を強く共有していた、何よりも強い証明だと思います。

これまでのお話を思い返すと、とらが流と出会ったのも、『人間』の気持ちを考えるようになったのも、潮と出会い旅をしたからこそです。
それは流も同じで、空虚な人生を変えてしまうほど真っ直ぐな男と出会ったからこそ、ここまで歪んでしまったし、ここまで強く憧れた。
そういう意味でも似ている二人が、当の潮の『殺さないでくれ』という願いを置き去りにして、殺しあうことでしか分かり合えないという事実。
そのことこそが、『戦士』という存在がどういう生き物であるか、強く熱く表現しているように思うわけです。

そして『戦士』はどんなに哀しくても泣く訳にはいかないから、風に舞い散った硝子が代わりに哭
くわけです。
潮の綺麗な願いが大事だと己の人生で身にしみて解っていても、己の生き様を変えることが出来なかった男たちの終着点。
やるせなさと苦しさ、共感と痛みがあらゆる場面に舞い散り、矛盾した感情が胸を押し流すような、素晴らしいエピソードでした。


そんな男二人に影響を与え、しかし変えきれなかったキラキラボーイ潮は、ウンディーネ占拠して麻子と切なく別れていた。
こっちの話も熱量あって良い話なんだけど、流VSとら戦が圧倒的パワーすぎて、同じ話でやるのは正直惜しい……憎い……いろんな大人の事情が憎いッ!(下から睨めつけるような白面目)
存在が抹消された大学生たちはどーすんのかなと思ってましたが、アリスを届けるイベントと上手く重ねてHAMMRにやってもらいました。
サンキュー知らないオッサン。

流ととらは『盤上この一手』の追い込まれた戦いであり、緊迫感が凄かったですが、潮の方は優しいおじさんとのおもしろ道中であり、少し気が抜ける展開。
ウンディーネのおじさんは婢妖による記憶略奪の後関係ができるキャラクターで、流を追い詰め焦れさせた潮の輝きが、まだまだ人に通じると教えてくれる存在です。
うしとらはやっぱ、特別な能力はないけど、理由や理屈もなく人間を信じられるオッサンがたくさん出てきて好きだなぁ……麻子の親父さんとか。

一方麻子は『記憶を奪われてなお、潮に惹かれる』代表格でして、全て奪われたはずなのに奪いきれない強い思いを、思いっきりぶつけてきました。
日常が剥奪され『喧嘩が耐えない幼なじみ』というカバーが外れたこの状況だと、アニメ化で高まった麻子のヒロイン力が全力でぶん殴ってきてて、すげー胸に痛いシーンになってた。
潮と麻子って如何にもラブコメっぽいセッティングなんだけど、その愛情は型にハマった安いものではなく、うしとららしい熱血がこれでもかと注ぎ込まれているところが好きです。
ここら辺は流れVSとらと同じく、声優さんと映像のパワーが最大限活きているところですね……色々あるが、やっぱアニメになって良かった……。


というわけで、少年は旅立ち、その少年にこがれた男は終着点に辿り着くお話でした。
秋葉流という存在が抱え込んだ様々な矛盾を徹底的に掘り下げ、吐き出させ、表現し尽くした見事なエピソードだったと思います。
その熱気を正面から受け止めることで、とらのキャラクターもさらに深みを増しました。

決戦が近づき、潮も愛する女と別れえ決意の表情。
しかしまだまだ、ここから更なるうねりが物語に巻き起こり、興奮は限界を超えて高まるわけです。
うしとらアニメ、相変わらずマジヤバいぜ……。