イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

バッテリー:第2話『池のほとり』感想

高まった自意識とままならない状況が繊細ボーイを責め立てる青春のジレンマアニメ、今週は思春期の檻。
親世代は身勝手に重たい荷物背負わせてくるし、弟はうぜーし可愛いし、女房候補は正論ばっか言って自分のこと甘やかしてくれないし、ツンツンしてるけど等身大の13歳巧くんが、どんどこ追いつめられていくお話でした。
この話は頭っから尻尾まで青春のめんどくささと戦い続ける話なので、巧が涙して青春はおしまい! ってわけには行かないけど、それでも弱さを見せられる相手がちゃんといるって示して終わったのは、少しだけ安心できたな。

舞台やキャラクターの説明を兼ねていた一話に比べると、今回はとにかく巧が置かれている状況とそれへの複雑な感情を、どっしり追いかけるエピソードでした。
中学進学と見慣れぬ環境への引っ越しが重なり、自分を置く場所が一切ない不安定な状況なのに、親は病弱の弟ばかり気にしているし、せっかく出来た友達の母親は『野球やめろ』とか言ってくる。
可能性を感じたキャッチャーも無条件に甘やかしてくれるわけじゃなくて、やれ弟に優しくしろだのピンチに弱いだの、好き勝手なことばかり言ってくる。
爺も褒めたかと思ったら小言言ってくるし、弟の真っ直ぐな信頼もウザいし、でも弟のことは大事だし、13歳の繊細な心が耐え切れないほど、いろんな事が起きています。

そこから抜け出す唯一の救いが野球であり、夕暮れや朝焼け、夜といった暗いシーンで展開するモヤモヤした状況に比べ、豪とのキャッチボールは明るい光で照らされています。
白球と言葉を交換するうち朝が開けていくキャッチボールのように、豪と心を通わせることだけが今の巧にとっては光明なわけですが、出会ったばかりの彼と全てが分かり合えるわけでもない。
それでもやっぱ野球は好きだし、才能はあるし、『こうありたい』と願う自分を実現し、他人と繋がる場所として巧にとって野球はとても大事です。
だから豪の才能を擁護し、『野球ってやらせてもらうんじゃなくて、やるもんですよ』という言葉も出てくる。

豪も青波も母親たちも、巧の揺れる気持ちなどお構いなしに期待を押し付けてくるわけですが、それは巧の天才性の発露なのでしょう。
豪は巧が来るというニュースを聞いただけで『原田と野球せんと嘘じゃ!』と人生を変えてしまうし、その影響力を見て取って、13歳に背負わせるには重たすぎる『野球やめろ』という言葉を、豪の母親は託してくる。
巧が望むと望まざると、彼の才能は人を巻き込んでいってしまう性質を持っていて、だからこそ他人の期待は巧にとって身勝手で重たい。
そこに反発するだけではなく、豪や青波を受け入れる優しさが垣間見れるからこそ、彼の当惑とジレンマは深刻な手触りを持って視聴者に伝わってきます。

巧はみんなに好かれる『いい子』ではけしてなくて、無愛想で不器用でぶっきらぼうで、可愛げのないクソガキです。
苛立ちが高まりすぎて青波のボールは投げ捨ててしまうし、大人とも衝突してしまう『悪い子』です。
しかしその根っこには繊細で傷つきやすい心があって、作中誰もそれを完全には理解してくれない。
自分の気持をどこに持って行って良いのかわからないまま、それでも自分を受け止めてくれた友人と弟が嬉しかったから、巧は最後に泣いたのでしょう。
強がって突っ張って、それでも溢れてしまう心の雫が涙になるまでを、今回のエピソードは非常に丁寧に描いていて、思春期の繊細さとがっぷり相撲をとった良い表現だなと思いました。


今回は母親たちのズルさが非常に上手く描かれていて、彼女たちに苛立つ巧に視聴者がシンクロできるよう、良く考えられた回でした。
子どもに嫌われたくないから、子どもを便利に使う弱さ。
『13歳のくせに』と口にする割に、その13歳に小言の代理人をやらせる二枚舌。
豪や青波個人の決断を、巧に押し付けるすり替え。
母親たちの身勝手なズルさはしかし、あまり露悪的には描かれず、あくまでストイックでリアルに抑えた演出で描かれています。
この控えめな筆が逆に、見守ってくれているのは理解していてもウザったい、思春期にとっての親の存在感を上手く出していて、巧の心情に視聴者を共感させる足場になっていました。

13歳ともなれば結構知恵がついてきて、親が口にする論理の破綻とか、行動と言葉の乖離とかにも気づいてくる年頃。
しかしその庇護下を離れて自分の望むままに生きていくには、経験も実績も資金力も信用も精神力も、全てが足らないもどかしい季節。
主人公の巧がどういう空気に取りかこまれ、何に苛立っているのか解らせるためには、母親たちの身勝手さや鈍感さ、それと同時に存在する愛情を同時に切り取るのが大事です。
そこら辺ちゃんとやれてたのは、自分たちの作品が何をどう描くのか心得ている感じで、安定感がありました。

母親たちが完璧ではないように、巧もまた当然完璧ではなくて、自分がやられて死ぬほど嫌だったはずの決め付けや拒絶を、青波に対してもやってしまう。
『お前にゃ野球は無理だよ』と言い放つ時の鈍感さや、その裏にある愛情の描き方は母親たちとそっくりで、『人間みんな、けして完全ではないんだよ』という製作者たちの視線を強く感じました。
そういう不完全な人たちが、ゴツゴツとぶつかり合いながら分かり合い、お互いの居場所を用意する運動こそが"バッテリー"には描かれている/描かれるべきなので、親の無理解を疎ましく思いつつ、青波には同じ行動を取ってしまう矛盾をしっかり描いたのは、お話全体の人間味が上がる描写でした。
無慈悲な行動だけではなくて、その裏にある真心もちゃんと感じられるので、見てて安心できるのが良い。

くっそ面倒くさい巧を受け止め、正しいことを言い続ける『いい子』の豪も、また完璧ではありません。
巧だって何をするのが正しいのかは心の底では理解していて、それでも自分の気持を制御しきれずボールを投げ捨て、会話を断ち切ってしまっている。
豪は巧の存在自体は受けつつも、正論では救いきれないそのいらだちや言葉に出来ないモヤモヤには踏み込まず、『お前、ピンチに弱いぞ』などと言ってしまう。
『いい子』の豪に危うい巧の面倒を見させつつ、豪自身が持っている危うさも見逃さない目の良さは、相反する感情が幾重にも折り重なる思春期を描くアニメには、大事な要素だと思います。

『自分は自分であり、巧ではないんだ』と作中唯一理解しているのが、一番幼い青波だってのは面白いところで。
それは『迷った時はどっしり構え、動揺しない』という人生の正解を無意識に掴んでいる、青波の人格的な完成度を表すと同時に、理解されづらい天才・原田巧を受け止める存在が一人いるという、安心できる事実を僕らに見せてくれてもいる。
母親が『豪/青波は巧になりたいから、野球をやるんだ』と勘違いしている所を、当事者たちは『自分は自分でありたいからこそ、野球をやるんだ』と正しく理解していて、青波はさらにそこから一歩踏み出し、『兄ちゃんも兄ちゃんでいたいから、野球をやっとるんじゃろ?』というところまで辿り着く。
これは付き合いの浅い豪にはなかなか辿りつけない境地であり、一番幼くて弱いはずの青波が一番大事なものをしっかり把握しているという、逆転の気持ちよさもある描写です。
あの時巧が泣いたのは、誰も自分を理解してくれないよるべなさと同時に、どんなに邪険にしても、青波一人だけは自分を受け止めてくれる安心感からなのでしょう。

しかし身体が弱く、年も離れた青波は巧の球を受けるわけにはいきません。
それはあくまで、広い肩幅とどっしりした構えを持ち、巧と同じ思春期で泳いでいる豪の仕事になります。
完全には理解できていないし、繊細すぎる巧の気持ちをまだまだ受け止めきれてはいないけど、豪は巧みに惚れ込んで、好きである。
その愛情でどれだけ巧に近寄っていけるか、巧がどれだけ繊細な警戒心を引っ込めて、豪に素裸の自分を見せられるかというのが、今後の展開で大事になると思われます。


まだまだ子供だけどもう大人で、甘えたいけど強がりで、傷つきやすいのに尖ってしまう。
不器用な思春期真っ只中で揺れる巧にクローズアップすることで、完全には理解できないまま引き寄せられる人々の表情もきめ細かく描かれる、夜明け前の物語でした。
今回示された思春期のめんどくささをこのアニメはどっぷり泳いでいくことになるので、『だいたいこんな感じで、くっそ面倒くさいし優しいですよ』というラインを描写できたのは、今後の見取り図が描けてよかったと思います。

来週からはユニフォームを着こみ、本格的に部活動をはじめる感じですが……今回見せためんどくささを考えると、巧が共同体の中で悶着起こさないわけがねぇ。
そこら辺をフォローする意味でも豪は『女房役』をやらんといけんわけですが、まぁ面倒くさくなりそうだなマジ!!
この繊細なめんどくささを非常に楽しんでいる身としては、来週以降もどれだけ面倒くさいのか、期待がモリモリと高まる次第ですね。

……今回青波を『完成された理解者』と書いたのは、学校が始まって青波が面倒を見きれなくなり、本格的に豪が巧をフォローしなければいけない状況を前に、完成形を見せておく意味合いもあったんだな。
あとま、『下手に動くと深みにハマる池』が思春期全体の暗示だったり、先行きを上手くほのめかす序章の仕事、結構しっかりやってんだな。
くっそ面倒くさいピッチャーのお守りもキャッチの仕事だ、頑張れ豪……あんま頑張ると青春の魔物に食い殺されるので、やっぱほどほどでいいや。