神撃のバハムート Virgin Soulを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
禁断の超兵器が起動し、ビームがガーなって天使たちは壊滅。あらゆる場所で被害甚大な惨状の中で、少女は仲間のために武器を取り、男は仲間のために武器を捨てる。
一つの状況が終わり、道連れを入れ替えて新しい舞台へ繋がる回。
ヘミングウェイの戦争小説をサブタイトルに取った今回、色んな人が武器を取り、その魔力に踊らされ、あるいは対抗する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
武器(Arms)は腕(Arms)であり、ドロモスが腕の形になるのは語源的にも正しい。皇帝たるシャリオスは己の腕に『さらば』とは言えないのだ。カイザルとは違う。
撤退機に引けない天使も、それを滅ぼしたシャリオスの長い腕も、武器は握っているはずの腕の意思を飛び越え、自分も他人も破滅に追いやる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
雲霞の如く死の編みに飛び込んでいく天使、視力を失ったシャリオス。暴力は常に、その因果を理解していようがいなかろうが、代償を要求する。
ドロモスによる視力喪失を、賢いシャリオスは理解していただろう。していなくても、覇道に必要な経費として受け止めたはずだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
虐殺、圧政、奴隷制度に血の狂乱。皇帝として国家を維持していくために必要な暴力の装置は、シャリオスにとって全て必要経費だ。そのためなら、他人の血も自分の血も流す。
兜で顔を隠した皇帝シャリオスとしては、それでいい。しかしニーナを前にしたときだけ、彼は喪失と弱さを晒す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
ニーナがドロモス操縦席に飛び込んできた時、仮面が飛んで『皇帝』ではなくシャリオスが見えるのは、非常に示唆的だ。ニーナの前でだけ、皇帝は非人格的な現人神ではなく、ただの男になる
それは一瞬の幻影でしかなく、シャリオスはつねに自分の選んだ道、覇道の皇帝としての責務を果たそうとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
罪人たるニーナ達を逃がせば、暴力の機構それ自体が自己矛盾をきたす。だから、自己の延長たる黒騎士達がニーナを追い詰めることを止めはしない。それは必要な痛みなのだ。
だが気の迷いのように、あるいは救いを求めるように、彼の腕は武器ではなく少女を抱く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
皇帝シャリオスの兜(武装化された仮面)を抜いで、ただの男になってしまうことが、彼の歩む苛烈な道にとって幸福なのか、不幸なのか。その結末はおそらく、半年後まで見えないだろう。物語のコアだ。
武器を捨てて抱いた女が、その包容によってドラゴンという暴力装置に変わるのもなかなか皮肉だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
人間シャリオスにとってニーナは少女だが、皇帝シャリオスにとっては利用すべき軍事力でもある。その矛盾はシャリオスの眼前ゼロ距離で展開され、彼はどちらの手も取らない。覇道に戻る。
今回ニーナが、初めて自発的にドラゴン化しようと願い、アザゼルのときとは違ってそれに成功するのは、ロマンティックな閨の暗示も篭っていて面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
色んな意味で、アザゼルではだめだったわけだ。ニーナをときめかせるのも、暴力を適切に使いこなすことも。その二つは密接につながっている。
ニーナは今回、自分自身という武器を適切に発動させ、適切に使いこなす。かつてのようにただただ暴れるのではなく、ジャンヌを背中にかばい、己の巨体と炎をどう使えば良いのか、考えながら責務を引き受ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
この姿勢、片目を捧げて国家を守ったシャリオスの対応と、妙に響く部分があって面白い。
包囲されたカイザルも、武器を捨てる。ちょっとファバロっぽいおどけた仕草で、迫り来る暴力を前に笑う彼の姿は、今回一番タフだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
武器を持ちつつ使わないこと。むき出しの暴力に対し笑顔を返すこと。カイザルの無力さは道徳的優越を含んでおり、しかしそれはやはり、無力でもある。
そういう意味で、暴力と笑顔のバランスを一番うまく取ったのはリタなのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
まだ暴力を制御しきれず、無防備な裸身を敵(であり恋の相手でもある)に晒すニーナを、リタはしたたかに守りきる。囲い、逃し、ふたたび線上に戻る。子供のように手のかかる男のために、意思を持って窮地に飛び込む。
それは人間を皆殺しにする狂熱に踊らされ、警告を無視して死地に飛び込んでいく天使たち、母奪還のために修羅となったエルとは、大きく異る姿勢だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
血の痛みを顧みないシャリオスともまた違う。命のないゾンビが、一番自分の命、他人の命の値段と貼りどころを健全に認識している皮肉が、面白い。
神と悪魔と人間が、お互い喉笛を狙って喰らいあう。神撃世界はつねに荒廃した、むき出しの世界だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
その中で武器を捨てることは無力であり、しかし武器は常にコントロールできない。死を生み出し、片目の視力を奪い、ドラゴンは散々暴れた後に無防備な少女に変わる。
腕に武器を握らせたまま、制御できない殺戮に飛び込んでいくのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
『武器よさらば』とうそぶいて、他人の食い物にされるのか。
今回展開された絵図は、二つのArmsを巡る倫理的スタンスの物語であり、VSがずっと触ってきた陰湿で、血まみれで、制御不能な暴力の物語だった。
バハムートにも匹敵する超兵器で、天使は虐殺され、人間は生き延びた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
人間相手には虐殺を『神の裁き』と愉しんですらいたガブリエルが、身内がぶっ殺されると当然のように慌てるのが、人間臭いやら身勝手やらである。まそういうもんだよな。シャリオスやアザゼルと同じ法で、ガブリエルも動いている
武器を握り、他種族の血で喉を潤すことを選んだ修羅達。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
主人公たちはそれとは違う、武器を手放す/握った武器をコントロールする生き方を模索しているが、それもまた覇王シャリオスが一瞬見せた、兜の奥の人間性で担保されているに過ぎない。
彼が本当に覇王なら、カイザルは殺しニーナは兵器扱いだ
主役たちが選ぼうとしている、武器を捨てる勇気/愚かさ。シャリオスはやはり、それを睨みつつも拒絶し、人生を貫くイズムとして暴力主義と他種族への不寛容を選んだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
押し殺したはずの人間が、赤毛の少女とともに顔をもたげる。皇帝で居続けるためには不要なそれを、シャリオスは微笑んで見守る。
一言もセリフでは説明されないし、おバカなニーナもおそらく気づかない覇王と人間の内紛を、巧くアクションと表情で表現していたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
風と爆発の作画、超兵器のスケール感は流石の一言である。ゴーレムVSドラゴンのグラップリングが、見ごたえと楽しさがあってとても良かった。
牢獄で交わった道は再び別れて、ニーナとジャンヌはのどかなドラゴンの里へ、リタは戦禍の爪痕残る王都へと向かう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
天使軍と超兵器の衝突で、悪魔を食いつぶして手に入れていた醜悪な日常にも変化があっただろう。王都から失われた穏やかさを堪能するかのように、ドラゴンの里へ向かうのは面白い。
『武器よさらば』とのんきに言える楽園。かつての王都も同じだったはずだが、天使戦役によってその虚飾は剥がれた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
シャリオスが常に向かい合ってきた、修羅のルール。国民もそれに向かい合うしかない状況のなかで、人間国家がどう変化するか。そこら辺も楽しみだったりする。
余裕綽々でジャッジメントかまそうとしたら、手痛い反撃で大虐殺された天使軍。母恋しさ故に修羅に堕ちたエル=ムガロ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
人間国家に吸収されつつある悪魔。最近さっぱり出番のないアザゼルさん。
気になる部分はたくさんあるし、それは今後大きくうねるだろう。ドロモスぜってえろくでも無いし。
しかしシャリオスに視力を支払わせることで、彼が安全圏から虐殺を指揮するだけの腰抜けではないと見せたのは、良いと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
他人の血も自分の血もたっぷりばら撒いて、武器を握って守るべきものを守る。シャリオスの覇道は、そのコントロール不能性も含めて、一つの『法』であり『理』でもある。
『こんなクソみたいな世界で、俺らの命狙ってくるクソから身を守るためには、武器握るしかねぇだろ!』というシャリオスのスタンスは、否定されるべきなんだが堅牢だ。この塩梅がVSは良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
ドラゴンの里でニーナが学び取るものが、それを切り崩す説得力の材料となるか。来週も楽しみである。
追記 ムガロとエルとソフィエル
バハ追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
腕の延長線上であるはずの武器を取ってしまえば、それはコントロール不能になる。
作品を貫通する修羅のルールを表現するために、ムガロちゃんがママン大好き復讐鬼エルになってしまったのは、必然とはいえ寂しい限りだ。
ジャンヌとニーナで、ムガロに戻せれば良いんだけども。
女の子から男の子へ、無言の被害者から雄弁な加害者へ変わってしまったエルだけども、ソフィエルの豊かな胸(分かりやすい母性)に埋もれ眠るシーンをいれて、『まだムガロでもある』と見せるのは、巧くてズルいなぁと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2017年6月30日
母の代用品であるソフィエルの何とも言えない表情も、奥行きがあって良い。