Fate/EXTRA Last Encoreイルステリアス天動説を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
かくして、残骸たちは天の涯てへ。
憎悪と摩耗に追い立てられ、敗北から始まった物語が、遂に終わる。打ち捨てられし王の領域を超え、世界を支配する救済自律兵器へと。
死相は何を求め、何を手に入れたか。月の聖杯戦争が終わる。
というわけで、本編放送終了から約三ヶ月、Fate LE完結編となる第11話、第12話、第13話の一挙放送である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
流石にいろいろ忘れている部分もあったが、アクの強い物語と映像をたっぷり二時間摂取していくうちに、自分の中でLEが蘇ってくる感覚があった。『ああ、こういうアニメだったな』と。
お話としては第7層でガウェイン&レオと対峙し、そこを超えて最終層にてピースマン&ブッダ(さりし後の残骸)と決着をつける構成になっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
七層”太陽の頂き”の美術が良い。花に満ちたこの世の終わり、眠れる王の美しい墳墓。そこを守る忠義者の騎士。
七層は理想の王聖を前に、暴君と死人が始点へと叩き落とされ、再び這い上がる話だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
ハクノは殺して前に進むしかない宿命のままレオと対峙し、圧倒的なスペック差で失墜して、旅を経て人間の顔を取り戻すことで突破していく。殺すことなしに。
ここまで基本、狂ったマスターとサーヴァントを殺すことでしか前に進めなかったカルマは、最後の最後で克服される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
月の聖杯戦争が生み出した自動機械、その残滓の集積体は押し付けられたルールを突き破り、フロアマスターと共に熾天へ上がっていく。
その姿は、なかなかいいなと思った。
剪定事象だのオーバーカウント1999だの、Fateはおろか“鋼の大地“まで見据えた型月設定博覧会。原作を踏まえたコピーと変奏が降りなく、複雑な文脈のタピストリ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
そこを取っ払って物語を見ると、やっぱ恋と巡礼のお話だったと思う。なにもないハクノが、何者かになるまでの地獄めぐり。
停滞していたシンジや、腐り果てたダン卿、狂えるアリスたち。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
どうにか殺す以外の方法がないかと思わされ、しかし殺す以外の方法などないから戦い、殺して、その死骸を踏みつけて前に進んできた敗残者。
彼らがいるからこそ、レオとの決着はハクノの成長を見せる、大きな要石となる。
全自動の衝動に突き動かされ、己が何者であるかも分からないまま呪い、殺し続けた岸浪ハクノは、最後の戦いにおいてようやく人間の証明を手に入れ、死相を引っ剥がす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
誰も死なない決着は、その報酬として、ムーンセルのルールを乗り越えた照明として、なかなかいいものだった。
負け続け、奪われ続けたハクノと、全てに恵まれた理想の王たるレオ。自分自身を含めた人類の可能性を、渇望するのが前者で絶望しているのが後者というのは、なかなか面白いあべこべでもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
人類の最優が諦めきってしまっている状況で、人類の最低から這い上がったものが、新しい意味を掴む。
物理的にも心情的にも魔術的にも、どん底からの這い上がりストーリーだったこのアニメの終わりとしては、なかなか象徴的な対峙だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
結局ハクノの渇望は、摩耗しきった眠れる王の心を動かし、彼もまた人間に戻していく。最後の戦いの中で、デッドフェイス達は次々蘇生するのだ。
その先にある人類の命運が、あんま実感のわかないものであるのは、正直弱い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
すでに終わりしムーンセルに閉じ込められ、七層の外側に出ることがない物語は、ハクノ周辺を包囲する狭い世界以外に、実感を与えられない。『人類』という巨大な物語は、ハクノからは遠い。
それは作品自体が自覚的な瑕疵で、だからこそハクノ(を主人公とするこの物語)は一個人の感情、死から生へと目覚めていく実感を強調し続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
これはあくまで個人的な物語だ、と。
しかしたった一人の決断は、ムーンセルという舞台の巨大さを反映し、人類の命運に自動的に接合される。
一個人の再生の物語、成長と激情の先にある決断は、どうやっても実感のない巨大な運命(Fate)に接続されてしまうよう、物語内部の設定も、物語外部の文脈も配線されている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
そういう広大なものを、アニメ単品でしっかり描ききることに成功していたかと問われれば、答えはNOだ。
原案たるゲームの設定、物語、あるいは体験。奈須きのこの諸作品。紆余曲折を経て大河となった“Fate“という文脈(あるいは商業)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
そういう、アニメの外部にかなりを頼ることで、この舌足らずなお話は『人類』を担保している。前提知識、あるいは興味の有無で見えないものがあるのは、正直不出来だ。
これはレオとの戦いだけでなく、その先にあるピースマン(の残骸)と覚者(の残骸)との戦いでもそうだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
個人の決断としては、ネロとのロマンス含めて決着している。温度も実感もある。しかしそこを超えた巨大なものは、あくまで外辺としてぼんやり描かれるだけで、しっかりした形がない。
最終的にムーンセルのリブートによる人類再生、デッドフェイスである自分の消去を呼び込む物語は、新世界に凛(に似た誰か)を送り出して終わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
ハクノの個人的な物語は、最後に残った『人類』と巨大な世界を描くことで終わるわけだが、その広さは茫漠として曖昧だ。少なくとも、アニメだけだと。
そういう重さのないものに、物語の終幕を預けるしかない作りになったのは、やっぱ弱いな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
ハクノの個人的な歩みが、必然的かつ有機的に巨大なものと癒着してしまっていて、一人として決断することは70億の命運を決することとイコールなのだと、明瞭に描けていたら。
ハクノ個人の歩みもまた、非常に巨大なものに照射されてより陰影を深め、物語には感慨が生まれていたような気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
奈須きのこ諸作品は、そういう遠近法結構上手かった気もする(幹也と「」の対峙、士郎と世界の闘争などなど)が、LEではどうにも説得力薄く感じた。
さておき、ハクノは一個人として己の道を見定め、殺戮のルールを乗り越える。殺さずレオと凛と共に、虚しい天蓋に手をかける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
その先に持っているのは、サーヴァント不在の最終戦だ。覚者はカルマの庭をとっとと見限り、自動的な救済装置だけが無言で待ち構えている。ビームもバスバス出る。
様々な形で”サーヴァントとマスター”を描いてきたこのアニメが、その終局で”サーヴァント不在”を描くのは、なんとも片手落ちな感じがする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
見限られることも関係性の一つと言えるし、ただでさえ尺押してんのにブッダと問答してたら時間無いって読みも判るけども。
個人的な感情としては、”マスターとサーヴァント”のねじれた関係を、各層ごとに様々な筆で描いてきた一貫性が好きだったので、ピースマンとブッダも『もう終わってしまった関係』ではなく、生きた対戦相手として出てきてほしかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
残骸のお話としては、妙な収まりの良さもあるけど。
すでに終わっている月の聖杯戦争。本来不必要なアンコールに付け足された、不要なエンドマーク。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
その終わりに、形骸でしかない”サーヴァントとマスター”が待つのは、このアニメのねじれた自意識が集約しているようで、不可思議な負のカタルシスを感じなくもない。素直にアガらんけども。
ピースマンがデッドフェイスだったのは、とても良かった。呪いに突き動かされたデッドフェイスの物語は、同じデッドフェイスの呪いを超越することで終わるのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
オリジナリルのデジタルコピーの残骸の反響。ラスボス貼るにはかすれて歪んだ存在だが、そのねじれ方がLEらしい…てのは褒め過ぎか。
LEの弱点(だと僕が思っ)である脚本のアンバランス、喋る所としゃべらない所が極端な作りは、最終戦でも健在だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
レオが死ぬまでぼーっと見てる主役陣は、もうちょいどうにかして欲しかったところだし、最終局面で内面とテーマを台詞にし過ぎに感じた。もうちょい、絵に頼って良かったのでは?
凄い大量の地の文があって、その非アニメ的表現をアニメが上手く翻訳できていない感じは、これまでもあったし今回でも元気である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
それが妄想なのか事実なのかは、出版される脚本集見ることで判ってくるだろうけど。“奈須きのこがアニメの脚本も担当した“ことが、良くも悪くもLEの特徴であろうか。
さておき、ネロと二人のハクノの恋路が、結構満足いくエモい終わり方したのはとても良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
最終的な勝者(過酷な環境に一人放り出されることを考えれば“敗者“でもあるが)の権限を凛に譲り、愛に舞い戻る。ロマンティックでいいし、1000年前にレオが果たした決断の再演とも取れる。
重要なのは勝つことではなく、己を見つけること。己を見つけてくれる特別な誰かを、しっかり抱きしめること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
地獄めぐりの日々を通じて、ネロはよくハクノを支え、愛してくれた。それがすでに消えた岸波白野への操でもあるのは、多情な皇帝らしくて嫌いじゃない。ネロはビッチだから良い(暴言)
不在なる岸波白野、主役たる岸浪ハクノ。彼らのオリジナルであるEXTRA主人公、あるいは現在進行系のFGO主人公。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
ネロは様々なメディア、様々な世界に再生産され、その度本気で恋をする。世界に咎められようと、見た目の性別や生きてる死んでるなど気にもとめず、目の前の生と性を謳歌する。
その貪婪たる多情、淫奔たる純情がネロらしくて、結構好きだ。今後もファン層の怨嗟を集約しつつ、様々な多元世界でビッチでい続けて欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
それは無限に拡大する恋であり、世界にたった一つの愛でもある。LEのネロは二人のハクノを心から愛し、白野のミスコピーであるハクノはそれに応える。
成長の話であると同時にロマンスでもあったLEが、そこに決着をつけて終わったのは良かったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
ネロは良いヒロインだったし、彼女の溢れる情感で白紙の己を染め上げ、だんだん人間になっていくハクノは好きだ。そこは存外、判りにくい物語の中でもシンプルで、力強かったと思う。
というわけで、LEは終わった。正直、評価が難しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
アニメ単品として収まりよく、自分が始めた物語をコントロールしきれたかと言えば、断じてそんなことはない。描くべき部分が足らず、描ききれるはずもないものを沢山取り込んだ、随分いびつで不格好なアニメだ。
下手、と断言しても良いかもしれない
描ききれない余白に、外部の文脈から答えを継ぎ足して満足するほどには、僕はFateにも奈須きのこにもコミットしきれていない。信心が足らない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
だから、出来れば収まりよく進め、納得できる形で仕上げてほしかったが、そもスケジュールぶっちぎって始まったこのアニメに、そういうのは無理だ。
どうあっても巨大に拡大し、アニメ的な言語を扱いきれず、肥大した自己意識と自己言及の嵐にもまれつつ、不格好に終わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
出だしからしてそういうお話だったし、このあんま収まりが良くない(と僕が感じる)終わりは必然かなと、ある程度の信者補正も込めて感じている。
もうちっとスマートで食いやすい、アニメの文法を踏まえたアニメに仕上がってくれたら、語りたりない部分、見えにくい部分も通じたかな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
しかしそうはならなかったし、そうしないことがなんか凄く正直だなぁ、とも感じた。Fateを取り巻く巨大な文脈にも、奈須きのこの身勝手な作家性にも。
勝者の特権は、あくまで原典の主人公にある。敗者の集合体として、終わった物語を背負ったハクノは、生者の世界に飛び出す特権を背負えない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
凛が駆け出すラストカットは、Fate/EXTRAのバロックな(作者以外がやったらぶっ殺されるくらいにバロック過ぎる)変奏である本作に、誠実な終わりだ。
いろいろ苦労して登ってきたんだから、文句なしに勝って生き延びてもいいのに、ハクノはその原点である死に沈む。バグとして消去される形で、LEは幕を閉じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
それがLEというアニメのメタ的なポジションを、奇妙に反映しているように見えること含めて。ヘンテコで、キライになれないアニメだった。
尖った演出、条理を蹴っ飛ばして心理に重点する表現が、正直あんま機能していなかったのは惜しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
ある種演劇的な、ソリッドに整形された世界。難渋で長いダイアログ。狙って引き起こした違和感は、作品を読むための暗号ではなく、ただ違和感として押し流される場面が多かった。
僕はトンチキな表現結構好きで、奇をてらう異質さは好物だ。バクバク摂取したいが、それは異質さが作品を消化する助けになる場合に限る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
フツーの表現ではおっつかない”何か”があるからこそ、ここはフツーにはやれない。そういう必然手としての異質まで、LEは表現を詰めれれなかったように感じた。
魔球を制してストライクゾーンに入れるのは、かなり難しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
LEが描きたかっただろうものは、なんとなくおぼろげに感じ取れるのだけども、『こうだ!』と断言するところに僕は至っていない。
その一因として、奇矯な表現をクリティカルに刺せていないのは、正直大きい気もする。
先にも喋った広大にして茫漠たる『人類』との未接続とか、喋りすぎてだまりすぎるアンバランスとか、瑕疵は正直たくさんある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
しかしハクノとネロ、二人の『人間』の感情と決意の物語としては、かなり好きなのだ。このねじれた場所でしか書けない旅路を、いびつに歩ききってくれた。
そこがシンプルに強いのは、評価していいと思う。わけのわからないミスコピーから始まり、憎悪に突き動かされる全自動の死人を経て、愛を知った人間へ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
ハクノの歩んだ道のりは、LEだけしか描けなかったと思う。それに寄り添いつつ、結構図太く自分の答えをもぎ取ったネロの恋路も。
そこが出来てんなら、まぁ良いんじゃないのと、今の僕は思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
彼ら二人を取り巻く混迷した世界も、完全に訳がわからないノイズってわけじゃない。ただ、そこに何が描かれているか(非常に)見えにくいだけだ。それはつまり、表現としては弱いって話なんだが。
とまれ、圧倒的に異色作であった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
信者ですら中毒するような奈須きのこの原液を、そのまんまアニメに乗っけたような作品だった。その是非は、”Fate”という文脈への耽溺度合い、奈須きのこという作家への信心で、いろいろ変わるだろう。
少なくとも、なんにも知らない人に進められるアニメじゃあない。
しかしまぁ、実の所をいえば結構な那須信者である自分としては、なんとか読み解こうという欲求を引きずり出され、それなりに報われるお話だった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
Fateのスピンオフというより、地獄めぐり物語の最新版として見ていたので、そこにしっかり決着が付いたのが大きいかなぁ…。
LEの最終的な評価は、LEで描かれたものが今後も続いていく”Fate”の中でどう引用され、変奏されるかにかかってる気もする。LE自身がFate/EXTRAを変奏したように。(ゲーム版をやっていないので、その変奏の巧拙是非を問えないのは、なんとも片手落ちだ)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
どっちにしても、”Fate”は続くのだ。
その巨大な文脈の中で、この怪作がどういう評価に落ち着くか。そんな未来の話に少し興味はあるが、今は終わった作品を讃えたい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2018年8月1日
なかなかトンチキで不格好だったけども、好きなところもたくさんあるアニメでした。お疲れ様、ありがとう。