どろろ を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
産声、吠え声、子守唄。手に入れたばかりの音は、無垢なる百鬼丸の脳には凶器。耳を塞ぎ世界を閉じても、歌だけは心に届く。
だがそれは、辛い定めを一時忘れるための労働歌。傷ついた子供に過ぎぬ己の心を慰めるための、寂しく守り子の歌。
奪い奪われる修羅界で、その歌だけが…。
そんな感じのどろろ第五話、身体欠損にセックスワーカー、『俺達ゃ生中な覚悟で手塚原作をやってるわけじゃねぇんだ…』という静かな気合が見える、前後編の重たいエピソードである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
迫る荒廃と戦雲、無情なる血と性の定め、それでも生きたいと吠える命の無惨。色んなものが折り重なる、因業の世界
前回回収した聴覚は、百鬼丸を苛む。”健常”と世の中に定義されるノーマルな情報量は、赤子のまま斬魔機械となった百鬼丸には重たい荷物だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
音量を抑え、百鬼丸の世界を少しでも理解し寄り添おうとするどろろの心が、優しくありがたい。
お風呂上がりのOLみたいな音量遮断の布は可愛らしく、またどろろなりの慈悲を巧く魅せるアイコンだが、百鬼丸はなかなかそれと巧く付き合えない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
琵琶丸が時に荒々しく”閉じこもっている洞窟の奥(これが子宮の暗喩であるのは明白であろう)”から連れ出す父権にも、両耳をふさぎ背中を向ける。
百鬼丸が手に入れてしまった混乱の世界に、一筋差し込む光。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
それはミオという女の形をしている。歌という秩序だった音、どろろにはない成熟した胸と腰、どこかに漂う母の気配。そういうものが光となって、百鬼丸を誘い込む。安らぎの揺籃か、修羅の蟻地獄か。
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パックリと割れた木立ちの間を、光の中に出産されていく百鬼丸は、この後血まみれで産声をあげることになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
取り戻した痛覚と足で、怪鳥を殺して再獲得した声帯の使用法を、強制的に学ぶ。痛みに満ちたイニシエーションを経なければ、自立呼吸も抗議の叫びも、人には上げることが出来ない。
隠蔽するものをかき分け、その奥にある”何か”に出会う(出会ってしまう)出産のレイアウトは、後のどろろにも適応される。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
夜の帳、草木の陰に隠蔽されていた露骨なセックスを、どろろは否定のしようもなく見据える。そのあからさまな痛みは、どろろから声を奪う
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百鬼丸が丸まって自分を守る仕草。あるいはどろろが夢うつつに指をしゃぶる仕草。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
みな乳を求め守られるべき子供であるのに、世界は彼らを荒野に放り出す。残酷な実像で足を噛みちぎり、見てはいけない物をあからさまに露出させる。
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侍が暴力で、子供たちから富と身体を奪う乱世。成熟した肢体と母めいた態度でもって、セックスワークに従事している(”侍が奪ったものを奪い返す”)タエもまた、ワーク・ソングで心を麻痺させ、”商売道具”を洗わなきゃ生きていけない場所に追い込まれた、一人の子供である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
”禊ぐ”というにはあまりにも生々しく、悲しいミオの行水。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
それはセックスワークが生来持つケガレではけしてありえない(あってはいけない)のに、暴力に満ちた世界は彼女を川辺に追い込み、子供から女に変えて収奪を繰り返す。
擦り切れた心が喉を奏でて、涙は歌になって流れる。
世の労働歌全てがそうであるように、ミオの子守唄(ここニ説得力を出すための紅白歌手の起用は、まさに正着である)はこころを慰めるためのプロテストソングである。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
あまりに辛すぎるから、歌で誤魔化した。そこにどす黒い世の無常が色濃く宿っていたとしても、百鬼丸は慰みを聞いた。
かくして、鬼神に体をもぎ取られた少年と、侍に心をもぎ取られた少女は出会う。川の中、被差別の果てに追い込まれた者たちのボーイ・ミーツ・ガールは、奇っ怪に清廉で美しい。そして多分、悲しい。…靖子は13人目の鬼神か何か?
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
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侍(人の形をした鬼神)に体をもぎ取られた兄弟を、その体で養っているから。ミオは百鬼丸の盲目にすばやく気づき、適切なケアをする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
その優しさ、世界の残酷さに壊され辺境に追いやられた人たちの肩寄せ合いを、乱世は見落としてはくれない。
それでも、命は生きたいと願う。
日の糧を満足に得れないだろう子供たちが、それでも食事を差し出し、どろろはそれを受ける。その姿はあまりにも優しく、泥から伸びた蓮の花のように美しくて、そして多分脆い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
盲た琵琶丸が、その魂の色合いを見抜いて微笑むのが、少しの救いだ。
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戦災孤児達が破れたお堂に肩を寄せあっているのは、なんとも象徴的だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
寺社はアジール…戦乱や騒動を持ち込んではいけない不入の地として定められた場所だ。
乱世はそういう、人の世の特例をぶち壊しにして境界線を曖昧にしていく。大人と子供、守られるべき存在と闘うべき存在。
それでも、守られ生きていきたいと、存在しない子宮で眠り、あるはずもない乳をせがみたいと願う者たちは、既に破綻した境界線の中で、決死のシェルターを作り出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
それは現実的な戦乱の火に、簡単に突き崩される砂上の楼閣だろう。嘘で作った夢の蜃気楼だろう。
だけど俺は、それが守られてほしいと思う。絶対に壊されてしまうと、原作のストーリーと物語のセオリーを鑑みれば知っているのに、あり得るはずもない奇跡をついつい望んでしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
それは叶わない。知ってはいるが、それでもこの慰みが真実として、リアルな暴力にも突き崩されない不朽であって欲しい
画面の外側にある俺のセンチメントはさておき、満たされたように見える領主の世界も、また母への慕情、戦乱の予感で煮えたぎっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
百鬼丸が身体を取り戻すほどに、領地に迫りくる理不尽。母は贄に捧げた息子を思い、弟は不在の兄を怨む。
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ノイズまみれの世界の中で、百鬼丸が聞きたいと思った歌。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
新しい家族の可能性と並列して、自分を捨て豊穣の礎に定めた生家を描くのは、鮮烈で残酷な筆だと言える。
どれだけ百鬼丸が遠ざかっても、血の因縁も、地の因業も消えはしない。それは鎖となって、彼の身魂を縛り付ける。
ロストロイヤルである彼の因縁が、彼に追いつくにはまだ少し時間があろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
じわじわと、しかし抜け目なく煮込まれる親子の、兄弟の宿業に向き合う前に、眼の前の修羅と菩薩に相対せねばならない。耳をふさいで窖に籠もりたいような、六堂辻の轟音を聞かねばならない。
百鬼丸はどろろの声、琵琶丸の厳しい指導を、ノイズと遠ざける。耳を塞ぐ/守る手を離して掴みたいのは、形のない歌である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
それは同じく損なわれた子供が、自分を慰め、冷たい世界で生きていくための吠え声。不在の救済を求める産声である。
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百鬼丸はなぜ、ミオに手を伸ばすのか。人の世界を認識するための器官を生来奪われ、殺戮の宿命と両親/良心の不在を刻み込まれた彼は、どろろの言うように正しく赤子である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
では、”母”としてミオを求めているのか。寺に集った、手無し足無しの魂の兄弟たちのように?
あるいは魂の色を看取って、雑音に満ちた世界唯一の灯火として、手を伸ばしたのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
視力を持たない彼が、興味を惹かれたものに”手を伸ばす”コミュニケーション傾向を持っているのは、例えば寿海との別れのシーンからも見て取れる。綺麗だから憧れたのか。https://t.co/vRx4V7us62
そこに一筋、性徴していないどろろには持ちえない恋情の赤を見るのは、不純な視線なのだろうか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
己の身体を道具と食いつぶすのとは別の、自分すら素知らぬ胸の鼓動に導かれて、自分とは異なるものに手を伸ばす。百鬼丸は初めて恋を知ったのだろうか。
それらが複雑に重なり、ポリフォニーとなったからこそ百鬼丸は揺れ、魂にアヤカシの色合いを宿したのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
ミオ。母であり恋人であり欲望の対象であり、どこまでも清廉なる聖女。その残影は、百鬼丸のまぶたの奥に強く焼き付く。
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一つ言えるのは、百鬼丸はミオに優しくされて、だから優しくしたかった、ということだ。その真心のコール&レスポンスを疑ってしまえば、このどす黒く重たい物語に光明はない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
欲もあろう。弱さもあろう。それでも、汚されざる優しさの花が、確かに咲いていると僕は信じたい。
戦しか知らぬ百鬼丸は蟻地獄(命短しウスバカゲロウに、永遠に脱皮しない暗い子宮の中の怪物。耳をふさいだ百鬼丸の陰画)に飛び込んで足をもがれ、セックスしか選び取れないミオは陣に向かう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
木立の間の光は、百鬼丸がミオと出会う前と同じで、真逆に禍々しい
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その結果、”奪ったものから奪い返した”はずの生身の足を、百鬼丸はもぎ取られることになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
琵琶丸が怪鳥を殺したときから、声帯は戻っていたのだろう。だがその使いみちも、使う必要性も百鬼丸は感じなかった。聴覚が過剰なノイズを与えたように、声は虚しい沈黙を百鬼丸に備わらせた。
しかし、現実の暴力は声帯を錆びつかせることを許さない。蘇った痛覚は、自分の体が引きちぎられる抗議に音を立てる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
それはミオが、冷たい川に追い込まれ下腹部を洗っていた時、男に伸し掛かられ”モノ”にされているときにつぶやいた歌と、同じ意味合いの産声ではないだろうか。
子供たちがこんなにつらい歌を歌わなきゃいけない乱世の描き方にも、その声が子供たちを惹きつけ合う宿業にも、反吐が出るほどの整合性と象徴性を感じてしまうが、ミオが己のはだけた胸を百鬼丸の視線から守る時…”襟を正す”時、二人の視線は確かに通う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
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己の身体が社会にとってのタブー、『蓋をされるべき臭いもの』だという意識は、社会の(ここで”男の”と言い換えていいかは、不勉強な僕には確言できない。贄と捧げられ、戦士としてアヤカシに立ち向かうしか道がない百鬼丸を追い込んだのも、醍醐という”男”であろうが)視線を反射した自意識の賜物だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
それに突き動かされ、ミオは襟を正す。百鬼丸に見えている魂は、自分にのしかかる侍が自分を見るように、そのフィルターを通して己自身を見るように、多分汚れていると思ったから。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
だが百鬼丸は、赤子のように恋人のようにミオを希い、手を伸ばす。
それは多分、ミオが綺麗で、百鬼丸が優しいからだ。
ミオは百鬼丸の無言の希求に答えて、再度/済度歌を歌う。それは自分という子供を守るためのプロテストソングではなく、意味も目的もない、ただ綺麗な音。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
もともとそういうものとして詩はあり、しかしミオは破れたアジールを守るために、再び心を砕いて子守唄を歌う。
天に届く階段のどん詰まり、世界で一番高い場所で、売女と戦士と戦災孤児は肩を並べる。そこもまた”際”であり、様々なものの中間地、あやふやな人の生きる巷であろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
そして、その一筋の安息から、男も女も旅立っていく。籠もれる窖は、ない。
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世の厳しさに強制的に大人にされ、性と兵を粥ぐ以外に生存の術がない子供たちが、歌を通じて出会うお話でありました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
汚濁と清廉は複雑な踊りを踊り、一瞬の救いはすぐさま現世の泥に塗れ、それでもどこか、真白な輝きがあってほしいと思わされる。そういうエピソードでありました。
出産と堕胎の暗喩があらゆる場所で顔を見せ、非暴力的で平穏な男女の出会いと、乾燥して暴力的(でありつつ、社会的手続きとしては事実上当然化されてしまっている)交合が満ちる、エロティックと言うにはあまりにも生々しいエピソードでもありました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
盲た琵琶丸が見つけた、人の世の戦塵から逃れるうる野生のアジール。争いの果てに救済を夢見れる一瞬の微睡みは、予感されているように破綻していくでしょう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
待っているのは血みどろの産褥、百鬼丸が人間の世の理をまた一つ刻まれて、形にならない痛みと叫びを上げざるを得ない悲劇でしょう。
それでも、二人が出会ったことに、一瞬紡がれた歌に意味はあったのだと思いこむために、僕は来週もこのアニメを見ます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年2月5日
ほんとに情けも容赦も嘘もなく、無惨な真実が積み重なる話ですね。そのハードな姿勢が良いと思います。
来週も楽しみです。キツいなぁほんと…。