ガルパ履修記録
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
・夏の宵、水面たゆたう詩と花
浴衣着て 花火待ちつつ 句を捻る
夏休み終盤戦、VS宿題も兼ねて集まるハロハピ面子。いつもの調子の楽しい日々に、思わず詩心も歌い出す。
そんな感じのハロハピ夏イベ。キャラとバンドの”らしさ”が出つつ、モチーフの使い方が宜しい。
お話は肩の力が抜けたバカンス話であり、2019夏休み期間に描かれた他イベと似た気配…なんだが、バンドへの解像度が高かった印象。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
こころがフォワードで走り回り、ここみさがバックスで苦笑いし、中間層をはぐみと薫くんが埋める。その基本形自体を『大きな花火と小さな花火』として肯定していた。
とにかく思いつくままに暴れまわり、あらゆる場所に顔を出すこころとか、そこに唯一付いてける元気さと露天でアクセ買う繊細さを同居させてるはぐちゃんとか、『らしいな…』と思ってたら、ナチュラルに全員分のラムネ買ってくる薫くんでやられた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
モテる、それはマジでモテる。
今回はかのちゃん先輩が先生役で、ハロハピが俳句に挑む話。何しろみんな仲間なので、堅苦しい形式論とか、上から目線の批評とかは外したフラットな俳句入門となった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
2ndSeasonのガルパくんは、『言葉をどう使い、どう伝えるか』をかなり重視している印象。今回の俳句入門も、その一環か。
例えば”貫く闇、青薔薇の誇り”でのあこちゃんの語彙不足(でも突き進んでいこうとする活動力、そこに言葉を追いつかせようと頑張る意志)と、言葉は足りてるのに発話できないモカとの対比。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
あるいは”ノーブル・ローズ -花々を連れて-”で、作詞という切り口からRoseliaと新しく繋がったリサ。
もしくは”ホープフルセッション”で、CDプレイヤーに閉じ込められていたHOPEを新世代が解放・継承することでまりなさんの音楽が再び鳴り始める展開。そこで交わされる音楽議論での”言語”。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
日常会話とは少し違うけど、日々の生活の中で弾む心と強く結びついた特別な言葉を、どう見つけどう伝えるか。
少女たちの人格から生まれる素直な言葉だけでなく、バンドとしてそれをいかに音楽に乗せていくか、異化に形のないパッションを他人に伝わりやすいロゴスに変えていくかというのが、2ndSeasonでは様々な角度から掘られている気がする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
そんな時、詩というのは便利なメディアである。
何しろ有史以来、人類はその形態と内実にずーっと向き合ってきたのであり、詩がどう心に響くか、洋の東西、時代の古今、形を変えつつ悪戦苦闘してきた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
イベストで様々に言葉と取っ組み合う彼女たちも、長い詩史の最先端にいるわけで、俳諧に足を踏み入れてみるのはいい経験である。
彼女らは形式の奥にある表現の”魂”みたいなもんに、飾らず向き合うのが得意なので、俳句のこともバカにせず真摯に、しかし背伸びせず応対することになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
これはかのちゃん先輩(と、彼女の先生)が良く俳句を学び、その心(形式ではなく)をちゃんと見据え、初心の方に伝えれているのが大きい。
形をなぞることで、心に近づいていく。古典芸能はだいたいそういう構図で、これをちゃんとやらないとただの”形なし”になるのは、よく言われるところだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
何故季語を入れるのか。何故5・7・5の形式を守るのか。俳句は何を描くもので、それは現在のどんなメディアに通じているのか。
かのちゃん先輩はふええと言わず、しっかり言語化してバンドメンバーに伝えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
それは俳句を学ぶと同時に、ハロハピに身を置いて弱きな自分と向き合い、憧れとか社会に繋がる喜びとかを学び取って、一年分成長した成果でもあろう。
今回のかのちゃん先生の立派な教えぶりは、ある種の”詩”なわけだ
ハロハピの句は卑近な感情から普遍の風情まで、色んな領域をとどまる所なく流れていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
個人的な見解になるけど、句はそれでいいと思う。数出して、何かが引っかかる。苦吟も存外楽しいけども、まずは軽みに気負わず、スルスル思うままに出していくのが良い。
結構理想的な形で俳句に触れられているのは、やはりかのちゃん先輩が友達の気楽さと、俳句のコアを捉えて崩さない、折り目正しい出合わせ方を両立させたからだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
一瞬一瞬の季節と感情を、”句”というフレームでピン留めしていく。夏の特別な日、特別な仲間によくあった趣向だ。
かのちゃん先輩(と、言い出しっぺであるイブちゃん)はよりよい茶人であるための鍛錬として、俳句を学ぶことにしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
一瞬一瞬を瑞々しく捉える詩人の目があることで、客を適切にもてなす主の本文を、より精密に果たすことが出来る。そのためのメディアとして、俳句は善い。
文字の制限と季語の必要性という”不自由”が、逆に日常的な視座からは見逃してしまう光、散っていく花火の輝きを自由に捕まえ、表現させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
それを披露することで、自分が感じた一瞬と永遠を、他人と共有できる。
そういう実感を、ハロハピ句会は与えてくれたように思う。
ここで特殊な表現と出会ったことで、バンドとしてのハロハピがどう変わっていくかはわからない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
薫くんは、自分の領域である”演劇”に俳句的な”眼”を取り込んでいるようだ。自分のホームをしっかり持ちつつ、新しい出会いと可能性をしっかり咀嚼し、変化させていく。成長に貪欲で、他者への敬意が太い
ガルパの子らがどうして”強い”かが、良く見えるイベントにもなったな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
こころの突拍子もない屋形船計画を、まずやって見る方向で実現可能性を自然探っている美咲とか、”今”のハロハピだなぁ、と思った。
リーダーのひらめきは、いつでも私達を自由に、幸福にしてきた。だから、基本は”やる”
でも生のままじゃ衝突もするから、”どう、やる”かをバックスの自分たちが考える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
天才のひらめきにふええ(あるいは苦笑い)だけしてた時代から、ちょっと変わった関係性。タフになったなぁ、と思う。
みさかのにとって、ハロハピってスゲー成功体験なんだと思う。
やったら、楽しかった。変わった。
一歩一歩の変化が世界と自分、リーダーにしてイノベーターであるこころへの信頼を強くしている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
そして同時に、あんまりに活動的で危なっかしいこころの姿も、ちょっと切り取られていた。
いつか彼女は、窓から落ちるのだろうか? その時バンドの仲間は、抱きとめるのが間に合うのか?
そんな少しの不安も含めて、”今”のハロハピが良く見えるエピソードでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
俳諧と茶道、二つの文化を丁寧に扱ってくれたのも良かった。生徒の質が良いのもあるけど、かのちゃん先生の師匠はかなり教えるのが上手い。
フツー、ここまで自発的に考えるお弟子、高校生で鍛えんの大変だと思うけども。凄い
追記 詩的言語は常に歪んでいる。電気ギターがエフェクターを通じてディストーションをかけて、求める音色を響かせるように。日常の使用法と違う”歪み”を追うことでしか、時に通じない思いというものが人と世界にはあるのだ。
ガルパ追記。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
言語表現を模索するのは、一個人として仲間に思いを伝える(モカちゃん的)領域と、バンドとしてオーディエンスと通じ合う作詞の領域、両方に繋がる行為だ。
ガルパのバンドは表現が私的領域と完全に重なっているので、そこでの揺れがモロにバンド活動に出る。
リサは作詞を追求することで、Roseliaという集団(に含まれる、友希那以外のメンバー)、湊友希那という個人、それに応対する自分とより善く繋がるメディアを掴めた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
これが最も理想的な形で、詩を追うことで想い出という私的領域と、Roseliaが新しい曲想を手に入れる対外的領域にブリッジがかかる。
逆にモカちゃんは、あこちゃんが言語化出来ずともイマジネーションを追いかけ、それをRoseliaの飛躍に繋げたい勇気を見上げつつ、私的言語も詩的言語も上手く扱えていない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
形式を掴み取る賢さは、時に発話を邪魔する。モカちゃんが詩を掴むのは、結構先なことになりそうだ。
ホープフルセッションでつぐが、音楽強まり系メンバーのロキノン言語にビビりつつ、自分の語彙の無さを憂いていたのが好きだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
あの子は一歩引いたサポーターの顔をしつつ、新しい自分に貪欲で、敬意を込めて他人から強い部分を盗もうとする。その貪婪が良い。
つぐは自分の頑張りなり、一高校生のレイヤーを超えた”歪んだ”言語の使い方なりをなかなか掴めない。”身の丈”というのが彼女のキャラ性であり、魅力だからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
日常レイヤでの、思いやりと強さが共存する言葉の使い方はつぐみの特質であるが、これが”バンド”にまで侵食してくるとどう変わるか。
あるいはつぐみはあくまで日常に足場を置いて、”バンド”の領域は美竹蘭というカリスマのワントップで攻めていくのか。Afterglowの未来も面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
蘭ちゃんも華道を”教える”側に回ったことで、他人につうじる言語を真摯に模索して、それが友人との関係に良い変化をもたらしてる描写もあんだよな。
良い詩人(形式に合わせ、適切に”歪んだ”言語を選び取れる才能)が、必ずしも上手く日常生活を送り、大事な人に思いを伝えられるわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2019年8月21日
しかし様々な言語表現に思い悩み、練磨していくことでより強く、より正しく思いを伝えられ得ることも、また間違いではないだろう。言葉をめぐる探求は続く