熱い!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
長梅雨も去ってあっという間に夏、アニメ映画を見て感想をいう企画は続行ッ! ってんで、今回は『空の青さを知る人よ(19年)』です。
長井×田中×岡田トリオが挑む、秩父青春音楽ラブファンタジーであります。https://t.co/wP3nTMZuNP
見終わった感想は…とても面白かったです!
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
”あの花”にミリミリと漂っていた『秩父とおふくろは殺すッ!!!』という岡田麿里の殺気がいい具合に薄れつつ、母なる暗黒との対峙、残穢のようにこびりつく十代の青臭さ、四角形に複雑な恋と関係性が、バキバキに決まった画面の中でよく暴れてくれました。
色々良いところのある映画なんですが、まず開幕五分が良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
秩父のクソ田舎の穏やかで泥まみれの共同体に馴染めず、犬に吠えられる生活を送っている主人公の尖りっぷりと心残り。自分を捉える甘やかな鎖の美しさ。そこから出ていくための、割れた携帯電話。移動する子宮としての車。
作品がどこに転がっていって、何が大事でどういう話になるか。みっちりと冒頭にメッセージが詰まっており、ビジュアルの切れ味も最高潮。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
ご挨拶と殴りつけてくる一発目が非常に鋭く、作品への期待感をバリバリに煽ってくるスタートが、凄く良い。
此処から先もそうだけど、映像の情報量が多くて的確。
読もうと思えば無限に読める分厚い画面なんだけども、サラサラとかっこんで転がるドラマ、ひょうげたユーモアに身を任せても、十分楽しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
軽みと奥行きを両立させ、エンタメとしてしっかり楽しく、ドラマとして色んな見どころがあるバランス感覚が筋立てにも画作りにもあるのは素晴らしい。
音楽、田舎、流れる時間。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
ネットリ重くやろうと思えばいくらでも重たく出来そうなんですけど、ファンタジーとユーモアを活用することであくまで明るく、しかし目の前にあるもののヤダ味も見落とさずに進んでいって、最後はなにかいい感じに満腹感をお土産にくれる映画でした。
このバランス感覚を生み出すためにいろいろな工夫がされているのですが、まずは主人公・あおいちゃんのキャラ立てです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
クソガキなんだがめっちゃいい子で、青春の悩みがいい具合に風通しよく、個人的な領域に留まっていない。
どこかに生きたいがどこにも行けず、何かになりたいが何も見えない。
そんな時代を駆け抜けていくエンジンとして、非常に彼女らしく悩み、彼女らしく吠える良い主役でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
そんないい子にしっかり寄り添い、ヒロインには出来ねぇサポートを徹底的に上げ続けていた正嗣クンの存在も素晴らしい。彼があおいちゃんの悩みに寄り添い、一緒に戦うことで、共感が強く生まれる
絞れば青汁が出るくらい、青い青春物語。その主役が立ち止まっちゃいけないところで、大人びた少年がしっかり立ち止まり、全体を見た進行役を担当する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
色々辛いけど判ってくれない世界の中で、一番身近な(そして報われない)理解者として、作品の足場を作ってくれる。いいキャラでした…恋も可愛い
この話はあおいとしんのっていうバリバリ現役の子供と、あかねと慎之介(と正道)っていう大人になりきれない大人の、二層構造になってます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
これに描かれない東京と、異常なロケハン精度でバリバリ最高に書かれる秩父の、地理的二層構造が重なって進む話なわけですが。
あかね姉は地元に残って小さな誇りを携え、妹をしっかり育て、大事なものを大事にしてくれる『なりたい大人』として書かれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
対して慎之介は、やさぐれセックスにはだらしなくハンパで後ろ向きな『なりたくない大人』である。
そんな二人と対置する形で、子供二人がいるわけですが。
面白いのは慎之介の生霊、霊的タイムスリッパーであるしんのが、あおいに対する正嗣のような共感の補助線として機能しているところです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
しんのはバカで真っ直ぐで、年経た連中の良いところもちゃんと見てくれる良く出来たガキで、かなり素直に好きになれる。
彼が『なりたくない大人』である慎之介と同一…でありながら、現実と虚構、過去と現在に分断された別人でもあることで、『まーしんのの成れの果てなら、ムカつくけどしょうがねぇかな…』みたいな”容赦”が、慎之介にクッションをかけてくれます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
吉沢亮さんはアニメ初挑戦で、難しい二役頑張った。
大人のどうしようもなさ、汚さに反発しつつも、そこに至るしかなかった一歩一歩に目を配って、呆れつつも発破をかけてくれる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
おそらく学生がメインターゲットの話だと思うのですが、大人サイドにも救いがあるような衝突の仕方になってて、それがニ層構造の奥行きを生んでもいる。
最初は完璧な”母”だとおもっていたあかねがその実、自分のためにプライベートを犠牲にし、その役割を必死に頑張っていた、涙を流す一個人だと知る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
大人への容赦のある視線はただの麻酔薬ではなく、あおいちゃんが大人になるための決定的な触媒でもあるわけです。
自分とは違う存在の、違う苦しみを知る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
それは井戸の狭さに窒息するよりも、そこから見える景色の美しさを見よう、という、高校卒業時のあかねの視点でもあります。
あおいちゃんは一時間ちょっとかけて、姉が母になった時に追いつき、追い抜いていく。姉妹がようやく対等になる。
作品の最初に載っていた車に、乗らないことでこの話は終わる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
鋼鉄の密室はあかねの子宮であり、そこを専有し守ってもらう=閉じ込められる状態から自分の意志で出て、慎之介にあかねの隣を譲ることで、あおいは高い空がある外界へと己を出産する。
まーた母超えの話になっていて、自分的に『岡田麿里=ジェイムズ・エルロイ説』が補強され面白かったりするわけですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
あかねと慎之介が夫婦(大人)になる決着はつまり、慎之介の心残りであるしんのを殺すことであり、未来生まれてくるだろう二人の子供として転生させることでもある。
しんのをしんののママいさせることが、あおいの初恋を実らせる唯一の手段なんですが、それは慎之介が過去に決着を付けられず、自分の思いを前に進めることを止めてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
そしてそれは、姉を母の役割に縛り付け、自分を子供の立場、対等ではない被保護の子宮に閉じ込める行為でもある。
子供がそう気づいて、自分の手で暗闇から光に飛び出していく物語は、非常に普遍的な思春期の冒険でもあります。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
しんのという不可思議な存在は、そのサポートはしても決定的存在ではない。
慎之介は自分の足で、あのお堂に向かい過去と対峙しようとはしていたわけです。
しんのというキャラクターに具象化されることで、あおいの悩み、慎之介の懊悩は分かりやすい形になっているし、不思議なすれ違いのコメディ、空を駆け抜けていくクライマックスの爽快感が生まれてもいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
でも、ファンタジーが全てを解決するわけではない。このバランスも、とても僕好みでした。
結局、自分の周りにある世界に目を向けて、狭く暗い場所にいる自分を引っ張り上げてあげることが唯一の爆弾で、話はそういう風に進んでいく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
なので、各キャラクターがどんな悩み方をして、どんな檻に自分を閉じ込めているかが、かなり細密に焼き付けられ続けます。ここのカロリーは本当に凄い。
秩父という山深い結界の、さらに鳥居に守られたお堂の中、過去が封じられた畳敷き。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
多重結界の中で、光と闇は錯綜し、明瞭な区切りをつけます。レイアウトとライティングはお堂から出れるもの、過去に縛られるものを明瞭に分断する。
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同時に光に向き合うもの、闇に囚われるものはそのシーンで流れる主題によって自在に姿を変え、キャラクターが一筋縄では行かない複雑な桎梏に捕らわれていることを、ヴィジュアル的に見せつける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
姉の話になった途端、あおいはステージから降りて影の国に身を置く。
事程左様に結界の話であり、つまりは地縛された未練を聞くことでほぐして行く能に似た構造を持った話なのですが。(お堂の中のステージが、能楽堂に似てるのは個人的には意図的だと思う。そこでは青春の亡霊が、己の思いを吐露し続けるのだ)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
この幽玄に、異常な精度の秩父自然描写が噛み合うのは偉い
結界はお堂の中にだけあるわけではなく、慎之介をも捕らえている…というか、そこに囚われた地縛霊こそがしんのの本領なのですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
高い塀に囲まれた一人舞台には、あかねだけが入っていって、あおいは見ているしかない。
Ⓒ2019 SORAAO PROJECT pic.twitter.com/xmLdW78UZ6
そこでは慎之介の栄光と苦しみ、未だ死んでいない思いと青さが閉じ込められているだけでなく、本当に笑い泣く…閉じ込めて置かなければ”母”にはなれなかったあかねの魂も囚われている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
そこに、この段階のあおいは入っていけない。ここらへんを、バキバキのレイアウトがシッカリ語ります。
”母”が流す本物の涙、本物の笑顔。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
そこに自分がいないからこそ生まれる喜びと哀しみを浴びた後、家という子宮の中で”母”が溜め込んでいた秘密…自分の笑顔を作るためにどれだけの苦労を重ねていたかを知って、あおいもまた本物の涙を流す。
ここ一連の流れは、決着に繋がる見事な”揺さぶり”でした。
しんのがあおいのモヤモヤに等身大で寄り添える(”母≒大人”であることに自分を閉じ込めているあかねがやれない仕事をやる)キャラであり、お堂から自分を生み出すことを許されていない生霊であるこのお話。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
何によって自由が限定され、どんな影が伸びているかを延々画面に焼き続けています。
今見た2つの場面だけでなく、色んな場所色んなシチュエーションで世界を小さく区切り、人と人の間を分断し、あるいはそれを乗り越えていく、画面の徹底。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
人が二人以上写ると、必ず明るい場所に立つ人と、暗い場所に身を沈める人に別れる明暗。
構図への意識が、キャラとドラマに息吹を与えていく。
明るく見える未来が、その実現実の帳に包まれ暗くなるとしても、それでも良いものだと思わせて欲しい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
秩父のクソ田舎はいつでもクソで、そこで出来ることなんてなんにもなくて、外に出るしか答えはないなんて思わせないで欲しい。
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しんのが未来の自分に向き合い、心残りだった女と出会い直し光に導いていく時の、鮮烈なる明暗。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
画面のキマり方がしんのの思い、ドラマの熱量をシッカリ支え、強いパワーを与える足場になり続けています。
ここはクライマックスだけど、真ん中の”タメ”も同じくらいのクオリティでバリバリだからなぁ…
ある意味マニアックに世界を区切り、結界の中に居続けるしかない自分を描き続けたからこそ、空を高く駆け抜けていく一瞬の魔法は本当に晴れ晴れしく…しかし、それは永遠に続くものではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
時間遡行の魔法は解けて、空に憧れながら地べたを歩いていく地道な生活は、やっぱり続くのだ。
しかしそこもまた悪くないと、秩父の泥臭さと美しさを同時に切り取る筆致は語り続けてきたし、どうにかマシな人生をつかもうともがく人々の歩みは証明していく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
俺、正道のおせっかいと汚さが好きなんスよね。自分もあかねを諦め前に進みたかったから、再会を仕掛けたわけでしょあのオヤジ。えれーよ
姉を母から妻へと戻し、自分の足で歩くことにしたあおいの見上げる空は、指に切り取られてやっぱり狭い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
しかしその狭さが、空の青さを自分のものだと思わせてくれる。
自分という存在の輪郭を、しんのと一緒に走って掴んだことが、高く美しいものを引き寄せる。
Ⓒ2019 SORAAO PROJECT pic.twitter.com/7GBuaL4uBV
不自由で泥まみれであることは、実は結構良いことなんじゃないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
そんな諦観とは違う現状肯定が、最後にきれいに輝く映画で、とても良かったです。
風景もキャラもドラマも、風通しが良いんだよね。湿っぽくはあるけど、湿度に支配はされてない。
音楽を柱の一つにしつつ、解決策にしてない所が結構好きで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
しんのというファンタジーと同じく、必要不可欠なメディアではあるけど、絶対的な効力をこのお話の音楽は有し得ない。
新渡戸先生のステージは、EDで流れる一場面であってクライマックスではないのだ。
でも音楽があるから糸が切れずに繋がって、モヤモヤした自分をぶつけ、曲りなりの自己表現にたどり着くことも出来る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
そういう優しい魔法として音楽を扱ったのは、いいバランスだったなと思います。デビューと挫折とか、技量の有無とか、負の側面もきっちり掘るのは好み。
あおいは自分を閉ざし一人でやってきたので、バンドサウドに必要なベーステクを持ってない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
慎之介の指摘は八つ当たりなんだけども、あおいの問題点をクリティカルに射抜いてもいる。それは、慎之介が屈折しつつも、音楽のプロである生き方を選び、走ってきたから捕まえられるポイントで。
それは18歳のしんのでは、捕まえられなかった真実だったと思います。それを指摘したことで、僕の中で底を打ってた慎之介株が、上昇に転じ始めた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
図書館の背景に”エデンの東”が写り込んでいる所とか、さり気ないところの情報量が多いんですよね。マニアックなんだけど、そう感じさせないポップな外装
そういうヒネかたも含め、面白い映画でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
複雑な四角形を描く主役全員が、泥っぽくも綺麗な生き様をちゃんと走って、お互いを思いやる気持ちを解放させて終わるのは、まとまりも読後感も良かったです。
けして悪いものじゃなかった姉妹の距離感が、映画を通じて最適化された結果が焼き付くEDも良い
かーなり湿度の高い地べた這いずる話なんですが、秩父を描く精度の高さ、現実よりも美しいフォトジェニックが風通しを良くしてたのも、いいバランスでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月18日
青春映画でありながら、青春に決着付けれないハンパ大人の話としても良く出来ていて、それらが相互によくまとまっている。面白かったです!
追記 台詞回しの面白さもそうだけど、小技の旨さが話のメインシャフトにしっかり絡みついて空転しなかったのは、とても良いポイントだと思う。
空の青さを知る人よ 追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2020年8月19日
瞳の中のほくろをしんのとの絆にすることで、合法的に瞳のドアップを描いて画面を情動を満たせるようにしたのは天才だなぁ、と思った。
目は口ほどに物を言うもんだが、あんま多用すると劇的にすぎる。そこのバランスを取り、ドラマに繋げる妙手だと思った。