”プロジェクトセカイ カラフルステージ”の”MORE MORE JUMP!(以下モモジャン)”のストーリーを見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
アイドルに夢破れた三人の少女が、アイドルに憧れる一人の少女と出逢うことで、再びアイドルを目指す物語。
ファン代表を真ん中に据え、テーマの掘り下げと親しみやすさを出すのはレオニと同じか。
モモジャンが”アイドル”を切開する筆致は非常に厳しく、ニーゴに並ぶくらい世の泥臭さを引き受けるユニットかな、と思ったりする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
世間の荒波は容赦なく少女たちを襲い、事務所も仲間たちもファンも、自分を理解してはくれない。
それに傷つき夢に背を向けた者たちが、みのりのセカイを通じて再起する
モモジャンのヴァーチャルシンガー達は、非常にピュアで濁りがない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
アイドルの最も澄んだ部分を、少女の形に煮固めた純粋さで、ミク達は歌い、踊り、元気を与える。
それはみのりがどれだけ敗北しても消えない、ファンとしての憧れ、ファンであるがゆえの透明感だ。
残りの三人はプロとして、祝福が呪いになってしまうやるせなさ、なりたい自分が通らない辛さ、完璧な偶像を演じる重たさにネジ曲がり、”アイドル”ではいられなくなる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
それでもくすぶるものがあるからこそ、セカイは彼女たちを呼び、希望を見せたのだろう。
ファンの願いを投影されるアイドル当人は、”アイドル”が何なのか分からなくなり、ファンはアイドルが苦しむ現実を知らないからこそ、アイドルの理想を保持し続けられる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
演者と観客の間にあるギャプをかなり冷静に見据えた話運びで、しかしそこでは終わらない。
みのりはモモジャンの一員として、憧れと肩を並べてアイドルをやっていくことになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
というか、遥を再起させたセカイのステージで必死に踊り、彼女から受け取ったものを返した時に既に、彼女は”アイドル”である。
輝き、夢を与え、明日を生きる強さをくれる存在。
あまりにもノイズが多い世界でそうあり続けるのは難しいことは、三人の過去が既に示している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
三行半を付きつけた過去の事務所やユニットが、愛莉や雫の真意を受けても振る舞いを変えないのが、非常にプロセカ的だなぁ、と思う。
思いが通じる相互理解とは、かなり高値の付く奇跡なのだ。
だからこそ心の中のイマージュを具体化し、共有可能にしてあるセカイが、優れたファンタジーとして機能もするのだが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
しかしそこに、ファンは居ない。
モモジャンは再び”アイドル”を取り戻すために、事務所という中心を持たない自主自立のアイドルユニットとして、配信中心で活動を始める。
ここら辺、ツリー構造とリゾーム構造の差異を感じて、かなり”千のプラトー”っぽいネタだな、と思ったりもするが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
自分たちに楽曲と活動方針を与え、”こうあるべき”というイメージ、”こう稼ぐべき”という強制を押し付ける構造から、距離を取ること。https://t.co/glLp4V0exn
情報発信とマネタイズのプラットフォームが多様化した時代のアイドル像として、なかなか時代を掴んだ立ち回りだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
事務所の支援がないのは自由であるが、同時に孤独で弱くもある。
一歩ずつ、自分たちで、着実に。
聞こえは良いが、デカいサクセスは遠い。
まぁ、一度”アイドルのてっぺん”を掴んだ上で疲れ果て、道から降りた遥がいる以上、商業的なサクセスは最初から視野に入っていない…のかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
彼女たちは既にパフォーマンスユニットとして、世間に何を伝えどう振る舞うかを、ある程度確定し動き出している。モモジャンには哲学がある。
これを世に問うためにはある程度以上の基盤が必要で、それを問われる話もそのうちくるかなー、と思ったりもする。プロセカの筆は生っぽいので。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
しかし今は、ようやく始まった形になれ、問いたい自分を鮮明にしていく状況である。個別のイベストは、現状そこを彫り込んでいる。
”ここからRE:START”では愛莉が、”Color of Myself”では雫が、それぞれ己に悩む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
彼女たちは面白いほど正反対で、だからこそ惹かれ合う存在として対で描かれている。2×2の配置はプロセカイの基本単位なのだろう。
愛莉はいくらでもイジっていい”下”として。
雫は完璧な理想を演じる”上”として。
それぞれ偶像性を背負ってアイドル活動を続け、それがセルフイメージと衝突して止めた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
何でも出来て完璧で、何もしていないのにチヤホヤされて。
何でもやる傷つかない道化で、何をしても構わない存在で。
雫を苛んだ無理解と、愛莉を苦しめた無責任は、方向性は違えどよく似ている。
アイドルはイメージを売る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
それは生身の人間から独立して勝手に彷徨き、希望を与え夢を売りさばき金を稼ぐ。
遥がキーフレーズにしていた言葉ですら、独り歩きして誰かを支え、支えすぎてペッキリ折れて、呪いに変わっても行く。
モモジャンの物語は、イメージがどう人の間を這い回るか、追い続ける
こうあってほしい、こうであったら面白い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
そう思ってもらえるからこそ、アイドルは…人間は人と接することが出来る。
だがイメージの投影は必ず、実像とズレる。これは他人と自分の間だけでなく、自分の中の理想と現実でも発生する。
その差に苦しめられて、みなアイドルを止めたのだ。
そんなネガティブなイメージの奔流だけでなく、人間の魂をより高い場所に押し上げる夢もまた、”アイドル”にはあるはずで。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
例えば雫が、愛莉のタオルから受け取ったもの。
例えば愛莉が、雫の美しいかんばせを見上げるたびに感じるもの。
例えばみのりが、モニター越しに遥と出会って生まれたもの。
あるいは真依が、遥から手渡され呪いに変わり、祝福として手渡し直したもの。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
そういうモノが凝集した青い舞台は、ゼロから自分たちで始め直すモモジャンにとっては遠い。
屋上のステージから、大観衆の待つ大舞台まで進む道が、モモジャンの物語となるのか。
彼女たちが一瞬の夢として共有した、セカイのステージ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
それを現実に投射するためには一度背を向けた社会的成功ってのが必要で、理想を保ったままそこに至るのは難しい。
ここら辺のバランス取りが、あるべき自分の形を見つけ直した後には大事になるのかなー、という印象である。
もっと、もっと。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
みのりの口癖であり、彼女のあまりに純粋なイメージに救われた少女達が、己の名前と選んだ言葉。
それは身勝手な欲望を貪欲に投影し、アイドルたちを食いつぶしていく無形の獣達の唸り声でもある。
しかしそれに向き合わなければ、”アイドル”はやれない。
それでも、輝きのまん中に立ち勇気を与え続ける職業に尊さとやりがいを見つけてる自分に出会ったら、歩みを止めることは出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
そんな彼女たちの戦いは、長く長く続く。
アマチュアでいていいことの自由さを堪能した後は、プロであること、なることの難しさに向き合っていくのだろうか。
ここら辺、何者でもない友情アマチュアバンドであるレオニで、一人音楽ガチ勢な指向を持つ志歩と重なる道かな、と思ったりもする(現イベスト未読)
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
ちょうど一番近い所に、音楽で飯を食った経験のある先輩がいるのは面白い配置だよなぁ…ただのポンコツシスコンじゃないんだぞ、お前の姉は。
そんな未来展望はさておき、なりたい自分を探す歩みは残り二つ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
一度天を掴んだ遥と、何者でもないみのり。
それぞれの歩みがモモジャンの未来となり、祝福と呪いの狭間で偶像は輝く。
そのイメージを維持するのに、産業規模がある程度いるという”Color of Myself”の描写は面白かった。
夢を彫塑するにしても、ヒトとカネがいる。モモジャンはそれを持っていない。持たない道を選んだのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
自分の身と心一つで、貪欲に夢を喰らう怪物(ファン)を手懐け、より広く思いを届ける奇跡を、モモジャンはセカイの外側でも達成できるのか。
挑戦は続く。この先の物語も楽しみだ。
(追補
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
己のキーフレーズが呪いになってしまった重さを、噛み締める遥の姿は、第七回総選挙での高橋みなみを思い出す。
道化の衣装を押し付けられ、それでも笑顔でいようとした愛莉には嗣永桃子の生き様を感じる。
仮想の”アイドル”を描く時、生身のドラマを良く取材するのは大事だ。当然でもある)
(現実の彼女たちは数多の呪いをなんとか振り千切って、ラストステージまでたどり着いたわけだが、仮想の少女たちはその重さに一回折れ、それでもなお続く物語を走る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
負けてしまう人間として”アイドル”を書く筆に、偶像であることを止めなかった先達への敬意が見えるのは僕の錯覚だろうか)
(貴方達がその小さな身体で背負いきった”もっと、もっと”に、もし耐えきれず膝を付いていたとしても。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年2月10日
多分、もう一度走り直せていたし、傷つきへし折れることは恥じゃない。
今も笑顔の仮面を付けて、現実で欲望の矢面に立つ数多の戦士たちへの、ある種の詠歌でもあるかなと勝手に思う)