プロセカイベスト”灯のミラージュ”を読む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
奏が作り上げた曲を受け取ったまふゆは、微かな温もりを感じ、強い不調を訴える。
思い出に霞む暖かさは、一体どこから湧き上がるのか…というエピソード。
人生生き直し青年団、”25時、ナイトコードで。”の本領発揮、痛くて優しい物語。
ハイというわけで、完璧優等生の奥に虚無を隠し、そのまた奥に生まれたての赤ちゃんを抱え込んでる朝比奈まふゆが、未だ消えていない灯火を自分の中から引っ張り上げるお話である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
ダチ共がその微かな炎を、嵐から守るように手を添えているのがまた…優しい奴らよな。
”カーネーション・リコレクション”で、母に愛された日々を思い出して曲を作り上げた奏の曲が、何も感じず動かないことで自分をギリギリ守っているまふゆの魂に届いて、グラグラと揺らす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
虚無で身を包むことで安定していたまふゆは、人間としての胎動を不調として発現させていく。
まふゆの塩梅が悪いのを、今の父母が気づかないのが悲しく、寂しく、現実的な描写だな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
うなされながら思い出したように、かつてのまふゆは弱い自分を母に訴え、母もそれに体温のある優しさを差し出せていた。
求めるものと差し出されるもののバランスは取れていた。
しかしいつからか、まふゆは出来ない子供であることを無言の内に許されなくなって、完璧であり続けることでしか好きな人を喜ばせられないと、思い込まされだす。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
それに順応しすぎた結果、ほぼあらゆる場所で完璧な微笑み、無傷の明るさ以外出せなくなって、今に至る。
ニーゴと誰もいないセカイにおいて、まふゆは熱を出しても良いし、弱音を吐いても良いし、感動も無感動も言葉にしていい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
母が求めないだろうと、切り捨て切り捨てられた生きてる自分を、ぶっ壊れたままさらけ出してもいい。
それが身じろぎして、笑うと仲間は喜ぶし、熱を出すと心配する。
それは赤ん坊への対応にも似ていて、つまりまふゆがどんな在り方でも、そこにいることだけで価値がある、と認めている仕草だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
そんな時間が、子供であったまふゆには確かに存在していて、子供ではないと扱われる今、一番優しくして欲しい人から手渡されない。
とても悲しい。
与えられないまふゆも、与えていないことに目を開けない母も、共に哀しいなと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
熱も出せば感動もするし、反発もする当たり前の朝比奈まふゆそのものではなく、彼女が生み出すハイスコアこそが娘なのだと、自覚のないままにすり替わっている。
自分は、数字の塊じゃない。
そう言いたいのに、優等生の仮面が家族の前で壊れないのは、やっぱり母が好きだからなのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
自分を押し固め、窒息させるものに反発して暴れても良さそうな(実際絵名とかそうしてる)部分で、お母さんの好きないい子を維持してあげている。
健気で、痛ましい。
奏が父母との思い出を焼き付けた曲は、そんな風に魂が固まってしまう以前、まふゆが数字の塊でなかった時代を思い出させる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
それが涙や歓喜といった感情の激発ではなく、心身の不調として発現するのが、まふゆの活きるの下手くそ力である。
でもまぁ、そうなっちゃうんだからしょうがねぇ。
相変わらず瑞希が細やかに心を配り、冗談など交えつつ集団の空気をよく保っていたが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
まふゆが静かに考えられる場所を求め、セカイに来た時瑞希もいる。リンいわく、よくいる。
その理由に踏み込まれそうになった時、瑞希は冗談で遠ざけて、内心を見せない。
皆誰かを気遣っているのに、ずたずたな自分の内側に踏み込ませるのには二の足を踏んで、悩みながら立ちすくんでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
そんな繊細で不器用な子供たちの、一側面が形になったニーゴのバーチャル・シンガー達が今回(も)、皆優しかったのは、とても良かった。
人格赤ちゃんなニゴミクさんが、まふゆを慮って寂しくても声をかけなかったり、それを見たリンちゃんがまふゆの元へあえて来訪したり、誰もいないセカイにいる誰か達は、ちょっとずつ成長しているのだと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
ニゴルカが賢者のように、見守り働きかけているとおりだ。
何かを壊して、何かを変える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
ニゴルカの立場は奏の曲がまふゆを壊し、動かした今回のふれあいに、強く共鳴している。
この働きかけが、発熱を伴いつつも良い方向に進んでいるのは、俯瞰で子供たちを見守りつつ、より善い結果を探ってるMEIKOの存在も大きいだろう。
セカイの主であるまふゆの、可能性と希望の具現。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
ヴァーチャルシンガーにそんな側面があるのなら、ミクとリンの頑是ない優しさも、ルカとMEIKOの大人びた賢さも、まふゆの過去と未来の中に、確かに輝く星なのだろう。
誰もいないセカイにはもう、誰かがいるのだ。
その一人である奏は今回、傷ついて誰にも気付いてもらえないまふゆを背負って、自分の家に上げる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
それは彼女の生活が詰まったプライベートな空間であり、電子化されていないセカイとも言えるだろう。
乱雑に散らかって、それでも活きるための足掻きが刻まれた場所の扉を開けて、奏はまふゆを保護する
そこでまふゆをケアする時、奏が頼るのが母との思い出、優しくされた記憶なのが、あんまりにも真正な描写で泣いてしまった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
そういうモノを受け取ることでしか、人間が人間に優しくすることなんて、難しくてできないよなぁ、と思った。
そして奏もまふゆも、たしかに受け取っているのだ。
不器用な奏はりんごをうさぎの形には出来ないが、まふゆにとって魂の糧であったものを、すりおろして手渡す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
孤独と恐怖にうなされる少女の手を握って、ずっと側にいることをその身体で証明する。
熱も出せば、林檎も食べたい人間の体。
それを、まふゆはだんだん取り戻していく。
現在の母から、うさぎの林檎が手渡されることはない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
娘がまだ赤子のように、震えながらそれを求めていることを、全く知らない。
差し出したのは毒りんご。
期待と願望をがんじがらめ、何でも出来るお姫様を求めて、甘酸っぱい毒が喉を塞いでいく。
その状況は、悲しいが動かない。
しかし自分がかつて母に、そして今仲間に、傷ついた心身を癒やす糧を与えられたこと…自分にそれを求める身体性があることを、今回まふゆは思い出した。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
『無傷の優等生』という、概念的な空疎と自分が入れ替わってしまった少女は、フィジカルな自分の手触りを再獲得しつつある。
それはフィジカルな出来事なので、心に自覚されないまま、発熱という形で軋む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
一度壊れたものが修繕される時には、喜ばしい反応だけが表に出るわけではないのだ。
成長痛、あるいは副反応。
その周辺で、仲間たちはましろの必死な身じろぎを、色々心配して世話を焼く。
絵名の憎まれ口、ありがたい…
(奏にとって曲がそうであるように)まふゆにとって、詩は非常にフィジカルなものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
ここら辺、”Knock the Future!!”で作詞と取っ組み合ってた一歌と比較してとても面白いところなんだが、まふゆは求められる”らしさ”には迷わない。
自分が何を感じ、何が湧き上がっているか。
それを確かめ、刻むために詩を使っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
彼女の詩は、ある種のライフログなのだ。
そうなるほどに、日常的にこなしている言語活動に温度と実感がなく、言いたいことが言えてない、ということでもあろう。
欠乏が豊かさを生むこともある。それは祝福ではない。
雪の新境地といえる新たな歌は、奏が作り上げた曲に乗って、またネットをかけるだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
天才二人が”母”を共鳴させて生み出したマスターピースを前に、凡人である自分は何が出来るか、絵名も苦しむかもしれない。
瑞希も器用に周囲を気遣い、言えない苦しみに悶ながら、自分の作品をそれに添えるだろう
ニーゴという表現集団が、楽曲にそれぞれ何を載せて、何を託しているかが見えるエピソードでもあるな、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
雪は今回思い出したものを、自分を揺るがした曲にどうしても、載せなければならなかったのだ。
それで、何を語るのか。
キッカケになったのが、リンの来訪なのは極めて、優しく嬉しい。
まふゆは潜る価値がないと打ち捨てていた自分の過去と内面に、今回潜る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
その扉となるアルバム鑑賞を、”勉強”の邪魔になると無自覚に塞ぐ今の母と。
静謐なセカイでその試みにひっそり寄り添い、不器用な身じろぎをしっかり見守る瑞希とリンの対比。
瑞希が非常に繊細な共感能力を持ち、他人の心が見えればこそ散々苦しみ、自分なりの間合いを探ったことが、今回わかった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
他人の心が見えるということは、自分の本当も否応なく見えてしまって、それが今瑞希が選び取った装い、在り方、嘘と繋がっているのかもしれない。
矢のように心を刺す、誰かの思い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
それに耳を封じるのではなく、ちょっとでも適切な触れ合い方が出来るよう、毎回考えて態度と言葉を探っている瑞希は、賢く優しいなと幾度目か、思わされる。
でも、内側にはなかなか入れられない。家に上げることは出来ない。
奏がまふゆを自宅に上げ、糧を手渡し、手を握った今回は、まふゆが変わっていく物語であると同時に、奏がどう変わったかを描く話でもあったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
そんな眩しい変化が、瑞希にも訪れるのだろうか。
次回以降も、ニーゴの話は楽しみだ。
歩くような速さで、だが確かに。人生という物語は進む。
しかし今回のイベントタイトル、あくまで灯火は蜃気楼(Mirage)でしかなく、過去欲しい物をくれた存在に立ち戻っても、同じものがそこにあるわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
フィジカルな手触りのない幻を、しかし未来に進む糧として受け取り直して、ニーゴは未来に進んでいく。
それは自分の糧を自分で掴み取る、巣立ちの後のふるまいなんだけども、そうなるためには弱く震える子供の手を、誰かに握って貰う必要があって。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2021年9月22日
そういうモンが、力強くも儚いMirageとしてしか、今のまふゆと母に立ち上がらないのは、やはり哀しい。
そして微かでも灯火があることは、ありがたく嬉しい