であいもん を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
紫陽花の頃を過ぎ、祇園の囃子が遠く聞こえる夏。
一果は父の残影を追って、大原に迷い込んでいた。
和の元カノ、佳乃子との出会いが不思議な縁をつなぎ、少女を約束の鎖から解き放っていく。
コンチキ響く音色に誘われ、今夜はお祭り、楽しい日…。
そんな感じの、しっとり柔らかな質感、夏の一幕である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
盆地の釜で煮られるような夏をあくまで涼やかに、輪郭を白くぼやかす描画に彩られながら、かつての思い出に縛られ、導かれて迷う二人の女の出会いを、優しく見せるエピソードとなった。
季節とともに様々な顔を見せる、京都という街。
市街から少し離れた大原に一旦カメラを移すことで、少し風情の違い顔立ちも描けて、観光フィルムとしても面白い仕上がりになった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
やっぱ色彩設計と美術が非常に良くて、季節ごと見たい京都の顔をしっかり届けてくれるのが、満足度高い。
そしてその麗しさが、ただの雰囲気では終わらない。
熱に浮かされた夏の夢のような気配が、漂う今回。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
一果は父の名残を追って、大原に迷っていく。
カッチリ優等生の外装で己を保っていても、内面は父恋しの思いと捨てられて悲しい気持ちでズタズタになってて、かなりヤバいな、と思った。
「どうにかなるやろ」て和クン…ならんよ全くコレ…。
大人びて賢く在ることが一果の生存法であり、その頑なさが周囲にあまり心配をかけない、他人の家にいても良い”良い子”を保ってる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
『そんな事しなくても、お前はうちの子だ』と納得させるには、緑松は未だ踏み込みが足りない感じもあるが、間違いなく善良でもある。
冷たく他人にも、熱く家族にも成り切れない半煮えの感触が逆しまに生っぽくて、結構好きな画風である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
誰にも言わず、ふらりと幻に誘われてしまうくらいに一果は不安定なんだが、緑松の人たちはそのシリアスさを、未だどっしり受け止めきれていない。
一果もそれを現状、望んでいないように思える。
今回一果と父の関係は修復に至らず、というか父の実像すら作品には登場しない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
それは夏の陽炎のように思い出の中に揺らめいて、遠く掴むことが出来ないまま、今一果の”家”となっている緑松を置き去りにして、子供を一人攫っていく。
そういう引力が、一果の中にはある。
一果がフラッと、学校サボる”悪い子”になれて良かったな、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
そんな風に揺らいでいる自分を、完全に殺して大人の都合のいい子供になるほどには、色んなもんに絶望しきってないんだな、と感じた。
そうさせているのは緑松の呑気で優しい人であり、テキトーな和の存在なのだろう。
しかしその柔らかさは、一果を心配しつつもその揺らぎを受け止めきれず、彼女は迷うことになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
本来約束したとおり、彼女の手を祇園祭に引いていくべき…引いてほしいと願う父は、もういない。
今後どんな事情が暴かれようが、アイツぜってぇ許せねぇな、と思った。
冒頭夢枕に思い出す約束は、一果を傷つけ今に安住させない棘であり、ソレを守り続けていれば父が返ってくるかもしれない、大事な楔でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
それを手放せないから一果は前に進めず、自分の揺らいで弱い部分を他人に預けられず、しかし年相当、夏陽炎のように揺らぎ続けている。
10歳の子供が背負うにはあまりに悲しい揺らぎであるし、10歳の子供だからこその愛惜の震えでもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
ここに寄り添うのが今回のヒロイン、佳乃子である。
彼女もまた和の残影を追って大原に迷い、運命のように一果と出会う。
それが導きとなって、佳乃子は和と再会できる。
夏の蜃気楼を追って捕まえられない一果に対し、和は掴みどころのない和が今どんな風に生きているか、あの時跳ね除けてしまった愛がどんな手触りかを、実地で確認できる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
折れて繋がって、ここから新たに育まれる情の芽と、すがれども届かない父の掌。
幻を追う大人と子供を、描く筆は残酷な対比を作る
過去に浮遊する和をなんとか捕まえ、学校という日常に戻した後の車中で、佳乃子と和の距離は遠い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
車のミラー、あるいは窓ガラス越しに思いが通じ合わない関係は、離れては近づいて、複雑な音響の中で踊る。
静かなアイドリングが、窓が開いた時の蝉しぐれに切り裂かれる鮮烈。
それは投げ捨てて投げ捨てきれず、未練を追って京都まで来たものが、のらりくらりと再び自分に近づいてきた時の、佳乃子の心音と重なっている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
あの静けさと騒がしさは、和と佳乃子の不思議な距離感、ここから動き出していく物語の鼓動として、とても優れた表現だった。
今回も和は悩み事の主体というよりは、浮遊する特権者としてその解決に寄り添い、一果や佳乃子を包囲するごくごく当たり前の引力から自由だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
悩みなどなにもないかのように、感情の衝突が嘘だったかのように、ヘラヘラと笑いながら穏やかな距離感を保つ、彼の靭やかさ。
それが引きちぎれた先にあるものを、今回大原に迷った一果が鮮やかに伝えてくれたように、しっかり見たい気持ちもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
過去にこだわらず、幻影に迷わないひょうきん者が何を考えているのか…あるいは、何も考えていないのか。
そのハラワタの匂いを、僕は早く嗅ぎたいのだ。
それは先の話として、今回一果に導きを与えるのは同じ幻の迷子であり、同じ女である佳乃子だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
色んな謂われがあって、その形や味に込められた思いも様々に読み解ける。
今回の和菓子は占いや書物のような、人の思いの複雑さを照らす鏡としての顔を掘り下げられる。
季節の移ろいとともに、様々に美しい菓子を扱い、同時にただの歳時記ではなく、その多彩な価値を描く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
テーマに選んだ”和菓子”をエピソードごと、色んな角度から掘り下げようという試みが、穏やかな語り口の中しっかり頑ななのは、僕にとっては嬉しい。
一果を父の鎖から解き放ったように見える佳乃子も、迷って京都に流れ着いた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
和の現状をその目で見、あるいは教えを与える一果の事情と心に触れることで、愛憎に縛られていた心を自由にして、一足先に未来を見つめられたからこそ、一果の手も曳けたのだろう。
そういう、自分の心にも他人の事情にも視力が良く、グッと足を踏ん張って手を伸ばしてくれるキャラクターがレギュラーに加わったのは、なかなか良いな、と思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
風来坊な主人公を”らしく”いらせると、人生の悲喜を掴む確かさが、何処かするりと逃げていく。
あるいはそういう洒落にならなさと主人公を接触させた時、作品に漂う風合いが決定的に変化し、その”読み”が形を変える…という話かもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
もうちょい和の核心の周辺をなぞり、彼以外の人が因縁の鎖に囚われている物語が続きそうな気配もあった。
そこに囚われぬ自由さが、和の強さ…
あるいは弱さか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
祇園祭に歩を踏み出すのに、父との約束を壊すのにためらう一果の手を、和は取らない。
それを今回握ったのは、京散歩を通じて自分と少女が何に迷い、何に囚われてるかにどっしり向き合った佳乃子である。
そうしてくれて良かったな、とも思うし。
「親父代わり」と自認するなら、軽やかに自由に舞うだけでなく、真正面から和こそが手を取る瞬間も、また必要であろうと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月20日
全体的に重くなりすぎない、夏の夢のような浮遊感が在るエピソード故に、その軋みは表に立ちにくいけども。
見えてる以上に、一果は限界だと思う。
父に切り捨てられ、それでも希う子の健気を、人知れず流れてる魂の血を、やっぱり緑松は受け止めきれていないように、僕には映る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月21日
今回京都の外、緑松という”家”の外からやってきた佳乃子の手助けで、なんとか一果を引き戻せたけども、毎回そういう幸運が訪れるとも限らない。
一果を家族と思いこんでいる緑松の軽薄と、新しい家族にどうしても体重を預けきれない一果の切実。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月21日
このミスマッチが、新しい約束を”いつか”信じられるようにと、小さな子供の手を引き直した佳乃子の媒で、今後埋まっていくか。
そこが、個人的に気になるところである。
いやマージで一果ちゃんギリギリなんで、もっとずっしり逃げ場のねぇ対峙をやっておかねぇと、傍から見てると危なくてしゃあねえわ…。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月21日
大人びて手のかからないように見える子ほど、鎧の奥に血膿を溜め込んでいることもあるので、優しく切開して吸い出してやってくれやホンマ…。
そういう度量が、和にあるのかないのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月21日
なかなかに読みほどき難い所が、面白い主役だなとも思う。
何事にも拘泥しない軽妙…あるいは軽薄が、静かな救いとなって色んな人に寄り添ってる状況であるが、京都に新たな居場所を見据えた佳乃子との縁が、それを掘り下げる術となるか。
祭り囃子の先、新しい約束の行く末を見守りたくなる、良い夏のお話でした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月21日
憧れの祇園祭をあえて描かず、それが遠く霞む夏の浮遊感を丁寧に重ねていったのが、映像詩として優れた表現だと感じました。
こういうファンシーな味わいは、作品の強みだと思うので、今後もたくさん見てみたい。
繊細な表現力が、大人と子供、収まりの良い理性と溢れかえる感情の狭間で揺れてる一果の心を、活写する助けにもなってるしね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月21日
とにかく健気で悲しい子だと、改めて思わされる話で、この後メチャクチャ幸せになって欲しい…。
そこを和がどう助け、己を導くかも気になります。
次回も楽しみですね
追記 大人びた一果を庇護の必要な子供でもあると描き、そこに手を差し伸べる難しさと尊さをじっくり、あえて主役を解決の主体から外して描いていく粘り腰は、穏やかな作風と噛み合って好みの語り口である。
あ、和の軽やかさが一果を”かわいそうな子”にしてないのは、凄く良いことで大事だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月21日
一果自身己を憐れまず、幻に惹かれつつも自分を必死に保って、親のいない中孤高に立とうとしてるわけで、それを外野が憐憫で見下すのは、ちょっと見るに堪えない。
執着無く軽妙に、ふらふらと軽薄に。
和があくまで気軽に、一果の隣でヒョロヒョロ突っ立ってるのは、健気な十歳のプライドを対等に見守る視線で、俺は凄く好きです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月21日
そこでベッタリした”家族”の鎖を新たに投げかけて、一果を別の重荷で縛ろうとしないのは、和と緑松の呑気な良さだろう。
この風通しを、今後どう活かすかも楽しみである。
ともすれば”家族”なるものの神話的な魔力で、捨てられた一果の傷を埋めてOK! ともなってしまいそうは話なんだけども、手を離されてなおその幻に悩み、新たに差し出されてる手を取れない一果の苦しさを今回切り取ったことで、アリモノの魔法で終わらせようとしない作品の姿勢も見えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月21日
新しい家族だ、親代わりだと題目並べたところで、切り捨てられた約束はいつまでも疼き、心は新たな寝床になじんでくれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年4月21日
そんな人間的な震えを一果も当然持っていて、和と緑松はそのままならないモノを、相手取らないといけない。
そういう難しさをしっかり差し出してきたのは、とても良い。