イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

映画”特『刀剣乱舞-花丸-』~雪ノ巻~”感想

刀剣乱舞 -花丸-の新劇場三部作、その一作目を見てきたので感想を書きます。
ネタバレしない範囲、三部作の一作目であることを踏まえて感触を言いますと……面白かったです!
想像していたよりずっと、四年前TVで放送し僕が見た”花丸”の続編をしてくれていて、基本アニメでしか”刀剣乱舞”を知らない観客にも、楽しい部分が沢山ある作品でした。
『ああ、僕は”刀剣乱舞-花丸-”が、覚えているよりも遥かに好きだったんだな』と思い出させてくれる映画だったのは、この先に続く月・華にも期待が持てる、良い仕上がりだったと思います。

 

 

というわけで花丸映画第一弾、見てきました。
上映時間が約80分、公式サイトに載っているキャラクターは尋常じゃなく山盛りと、ちとビビる要素もありましたが、見に行ってよかったな、と思える映画でした。
三部作の一作目ということもあり、作品全体を評価するにはまだ早いタイミングだと思いますが、個人的に好きになれるポイントが幾つかあって、それが今後も続いてくれると嬉しいな、という気持ちになれました。
それは四年の時を超えて、僕が”花丸”の何が好きだったか思い出す行為でもあり、万年桜の下に埋めたタイムカプセルを掘り返すような、ちょっと懐かしくて嬉しいイベントとしても楽しめたのは、ありがたいことだと思います。

劇場で上映されてはいるものの、そんな超絶作画や音響頑張りまくり……というわけではなく、しかしその肩の力が抜けた感じがいかにも”花丸”でもあり、クオリティは程よい塩梅でした。
とにかくキャラを沢山出す必要があり、またTV放送とはメディアが違うのでバトル多めに仕上がってもいて、色々こなすべきミッションが多くて大変そうだな~……とは思いましたが、横幅広く人数を浚う部分と、特定の関係性に重点して彫り込む部分にメリハリを効かせ、けして長いとはいえない尺で印象的な物語を作っていたのは、とても良いと感じました。
のほほんとした花丸要素も随所で感じられ、本丸に時が積み重なり、食事や作務を通じてせっかく手に入れた”人の形”の意味を探っていく様子も、TVシリーズで自分たちの物語を走った古参組と、今回登場のニューカマーを上手く噛み合わせることで、上手く立体化出来ていたと思います。

僕はゲームを遊んでいませんが、博多くんが金策に出てたり、山姥切長義が自負と実力の間で悩んだり、政府から変則の特別ミッションが届いたり、『こういう部分はゲーム由来なんだろうな……』と想像できる部分がたくさんあって、妙に楽しかったです。
ゲームからアニメにメディアを変える時に、継承されただろう要素をアニメしか知らない外野が想像して楽しむ……という、結構手数の多い面白さだったけど、古参兵で新参囲んでパワーレベリングする様子とか、特色の異なる物語媒体がぶつかるからこそ生まれる不思議なグルーブを勝手に感じ取って、なんかワクワクしました。
原作にある(だろう)要素を、自分たちのメディアに似合った形にコンバーションしつつ表現しようとする努力が垣間見えると、アニメを見に来てる人も、ゲームのアニメ化を楽しんでいる人も、両方楽しませようとする制作陣の気概が感じられるようで、僕は凄く好きなんですよね。
まぁ、的はずれな感慨かも知れませんが。

 

お話としての軸は四本くらいあって、安定くんと加州くんの最古参沖田佩刀組がどっしりイチャイチャした末に旅に送り出す話と、”山姥切”を冠する二振りの魂のぶつかり合いと、身体だけデケー純情ショタ静形くんとちっちゃい巨人小夜くんの交流と、土佐勤王組が異形化した故郷に挑む話が、みっしり進行していきます。
流石に少し駆け足感はありましたが、既存のキャラとここまでの物語を、上手く新キャラを照らす鏡として使って、TVで放送され蓄積された物語が好きな観客としては、結構気持ちの良いお話でした。
僕は普段穏やかなのに戦場に立つと修羅の顔が見える安定くんが好きなので、極フォームで大暴れしてる姿を見れて、肌が潤いました。
”続”で自分が旅して掴んだ感慨を加州くんに伝えて、『可愛くなければ愛されない』と思いこんでいた過去を慈しみつつ旅立せていく姿は、最古参故の頼もしさというか、花丸の物語が変えたものを静かに感じられて、とても良かったです。
加州くんもコンプレックスまみれの初期状態から、自身の焦りも拙さも受け入れた上で、過去の自分のように心のあり方に悩む者たちに手を差し伸べ、変わっていける兆しを手渡す動きが多くて、成長を感じました。

作中幾度も、刀剣として刻まれ変えることが出来ない古い来歴と、人の形を手に入れ”刀剣乱舞”するからこその新しい物語が対比され、また接合されて、両方価値のあるものだと幾度も示されていたのは、とても好みです。
岡田以蔵佩刀としての、肥前くんの苦しみ。
特定のモデル刀剣を持たず、”形”に宿る物語が具体化した巴形・静形のあり方(これは同田貫くんも同じかな?)
あるいは山姥切本家としての、長義の自負と不自由。
あるいは坂本龍馬の太刀だったからこそ、歪みきった土佐の中心に堕ちたかつての主を、時の守り人として切り伏せる陸奥守。
皆消せない過去に苦しみつつ、人の形を得てから学んだもの、未だ学び得ないものをしっかり掴んで自分なり、新たな物語を紡ごうと頑張っていました。

それを一番感じたのは静ちゃんと小夜の物語で、大きく強い存在だからこそ弱いものを守ろうとする、怖い顔の天使がほんとチャーミングであったし、しかし人の形を得て魔もないため生き方が不器用で、逆に小さい存在に守られ教えられる立場になるのも、最高に可愛かったです。
俺は図体だけがデカくて、それで周囲を押しのけ傷つけてしまうことにビビっているけど、自分の牙を完全に隠すほど器用じゃねぇ実質ショタが大好きだからよ……。
復讐の刃として生を受け、殺しの技芸に冴えがあればこそ、弱い存在を慈しめなかった小夜が、花が開き嵐を耐える様子を見守ったこと……人なればこそ隣会えることに出会ったことで、生まれた変化。
それが本丸を同じくする仲間に伝わって、ちょっとずつ新たな自分、新たな物語を紡ぎ、繋がっていく様子は、つまり”花丸”という物語が独自に積み上げ、これから作っていくお話に、深く響いている感じがあります。

小夜も生きるのに器用な方ではないですが、ここまでの”花丸”で人の形を取って積み上がった自分だけのお話があって、だから自分と花が持つ弱いものの強さ、静形に宿る強いものの弱さが、人間一年生より良く見えている。
ナリや武器としての巨大さではなく、花丸本丸のゆったりとした生活の中、戦に出ずとも鍛えられた魂の色こそが、刀剣男士が手に入れていく強さの源。
しかしそれは人間そのものの自然さとは遠くて、あくまで付喪神が人を模し、人の世を守らんと奮戦するぎこちなさ、愛おしさに満ちている。
”人間”になることを無上の価値にせず、歴史に取り残され器物でもない異形の存在だからこそ、守り学べるものが確かにあるということに、しっかり腰を入れて『刀剣男士なりのヒューマニティ』を書こうとしているのが、戦よりも日常に足場を置いてきた”花丸”らしい筆致で、懐かしくも楽しかった。
異質なヒューマニティをあるがままに書くことで、”我々”がどういう存在であるかを問いかける……ていう手法は、僕は凄く正統派のSFだと思うんだよなぁ。
そういう所に注意を払って、ここまで花丸が独自にキャラに与えてきた変化、紡いできたお話を大事に扱う話運びが、『ああ、僕結構”花丸”好きだったんだな……』と思い出せる足場になってくれました。
4年ぶり作品に合う時、そういう感慨はとても大事だし、愛しいものだと思います。

短刀だからこその鋭い身のこなし、軽快な殺しの技芸だけでなく、小ささを生かした先行偵察で隊の役に立ったり、小夜のカッコいい所がたくさん見れたのはとても良かったですね。
迷ってた静ちゃんも、遠心力を活かす長柄の豪快さを殺陣で表し、戦の誉れ此処に在りと大暴れしていたのが、なかなかグッドでした。
”活劇”とはまた違ったテイストですが、この劇場版はアクションシーンも結構頑張って個性を出し、南海太郎先生の知略戦などと合わせて、バラエティ豊かに魅せようと頑張ってくれていました。
人斬り以蔵の実践剣術を継ぐ肥前君の荒々しさと、鏡心明智流皆伝・武市瑞山を思わせる何回太郎の綺麗な真っ向振り下ろしの対比とかね。
そこも面白かったですね。

 

それぞれの持ち主の性格を反映し、在り得たかもしれない過去(あるいは未来)を垣間見せてくれる土佐勤王党が挑む”もう一つの土佐”は……正直もうちょい尺欲しかったかなー。
幕末の激浪に流される形で、故郷を同じくする若人がそれぞれ辿った結末を越えた先に、その歴史を守るべく生まれた刀剣男士。
その複雑に捻れた関係と感情は、もうちょいどっしり食べたかった感じがある。
せっかくパラレルワールドに潜る形になるので、”あの男”が中心に座った歪な幕末がどんなものか、それが人間をどう歪めるのか、しっかり見たかったしね。

しかし不気味で美麗なヴィジュアルの作り方が上手くお話を助けてて、南海太郎先生の飄々としたキャラも魅力的だったので、惜しさを補う楽しさもしっかり在りました。
長義くんもそうだけど、本丸ではなく政府所属の刀剣男士がどーにも薄暗い感じしてて、ここを今後の二部作で彫り込むなら巧い布石だな、と感じた。
絶対かつての主に絆されて歴史改変見逃しちゃって、時間遡行軍と同質になった”ハグレ”を処理するためだけに存在する、名前もなき刀剣男士部隊を、政府が飼ってるでしょ……(TRPG野郎は、煮えれる材料が手に入るとすーぐ勝手な妄想をしがち)
TVアニメ2クール分の物語を背負った連中が、新参刀剣に人生指南したり、本丸の外にある大きな機構に触れたりする展開があると、積み上げた物語相応の”広がり”見たいのを感じられるので、個人的には嬉しいですね。

陸奥守が見定め決着させた歪みの中心が、一体誰だったのかは明言されませんが、明言しないのがいつも明るい彼なりの矜持であり、自分だけの答えを再確認したからこそ、あの宴席で刀剣男士の生き様をしっかり吠えたのかな、とも感じる。
普段の気さくな感じから、手段を問わず敵を倒す修羅の顔になるのがやっぱ好きなんですが、明るめの表装からギラリと覗く覚悟の地金を、旅立つ加州くんに照らすエンディングとか、良かったですね。
戯け野郎が決め所でズバッとやり抜くの、メリハリ聞いててやっぱ好き。
なので、トンチキ美術野郎大般若が肥前くんに垂訓垂れる所とか、好みのシーンだった。

 

というわけで、総じて楽しく、懐かしく、また面白い映画でした。
器物が人の形を得て、過去に縛られつつ未来を守る。
のんびり同じことを繰り返しているようにみえる”花丸”で、その柔らかさを支えていた地金の部分に、しっかり切り込む劇場版だったかな、と感じます。
やっぱね、それぞれの歴史と人格を反映して”人”として何を楽しむか選びつつ、どこか”人”になりきれない歪さ、それ故の愛しさを大事に、生きて戦う存在として刀剣男士を書いてくれると、なんだか嬉しい気持ちになるのです。
ゆるーい展開に見えて、やっぱそういう所を頑張ってた作品だからこそ、僕は”花丸”好きだった。
そう思い出して、残りのニ作を待てるのはありがたいことです。
7月の”月”、そして9月の”華”が楽しみですね。