ぷにるはかわいいスライム 第1巻(まえだくん、コロコロコミックススペシャル)を読む。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
週間コロコロで絶賛連載中の、ハイテンション思春期ラブコメ。
意思の宿ったスライムであるぷにると、難しい年頃に差し掛かったコタローが、騒がしくも楽しい日々を過ごしつつ、そこかしこに寂寥が眩い作品。
単行本作者コメントで明示されているように、このお話はターゲットを『コロコロを読み終わったが、未だ心を留めている大人』にしっかり定めており、現役世代の子供に生のオモシロをお届けするコロコロ本誌とは、ちょっと違った視座で物語が展開する。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
思弁的で、ノスタルジックで、複雑だ。
とにもかくにもメインヒロイン・ぷにるの造形が図抜けて良く、彼女を中核に作品のテーマ性がしっかり、愉快な物語に食い込んでいる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
被造物であり、永遠の子供であり、少女でありながら少年にもなり得、けして人ではないからこそ人間最良の友達となりうる、優しくかわいい怪物。
ぷにるは可愛さを追求して、外部から情報を摂取し自己改変する形で、ペンギンから少女へと外装を変えた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
それはぷにるの自己認識としては、ただより可愛く、よりコタローと一緒にいられる形へと変わっただけ。
でも”性”を否応なく意識する人間の少年にとって、ぷにるが可愛い女の子なのは困るのだ。
コタローの成長は人間の身体がもたらす、スタンダードで大事な変化だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
ホルモンバランスが変化し、セックスが可能な心身へと自発的に、否応なく作り変えられていく季節は、少年の心を不安定にする。
自分とは違うセクシャリティが世界にあって、そこに関わらなければいけない自分に強く戸惑う。
きらら先輩が”好き”なのだと自覚しているコタローは、アイドルぷにるのおっぱいを揉もうとした同級生と同じく、”性”なるものの輪郭に触れつつ、実際にそれがどんなものか、その当事者として自分が何を感じるか、遠巻きに見守っている状況だ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
”性”は得体の知れない嵐であり、踏み込む勇気はまだない。
だからこそ”性”を手に入れてしまった(ように見えるし、ぷにる自身の自認とは無関係に、コタローの観測によってその在り方は揺らぎつつ固まっていく)ぷにるを遠ざけ、しかし”可愛いもの”への愛着、ずっと一緒にいた友だちへの思い、異性への思慕が無い混ぜに、切り離すことが出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
この複雑な心境を、ハイテンションGAGの乱打に毒のように針のように織り交ぜて、切ないエモで殴りつけてくるバランスが良い。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
笑いに関してもかなり真摯で、コロコロ愛が分厚く感じられる作りなのは、僕は凄く良いと思う。
他の雑誌でやっても良いラブコメを、コロコロに持ってきたわけではないのだ。
”週間コロコロ”だからこその面白さは、ホビーとしてのスライムの扱いにもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
ぷにるは体内に様々なものを混入し、ギャルになったりロリになったり、様々にかわいい自分を作り上げる。
工夫次第で様々に形を変え、それを手ずから作ることが出来るクラフトとしての面白さ。
物言わぬはずの”おもちゃ”が、子供の狭く小さく熱い自意識の中で意志を持ち、彼らを支えてくれる相棒感。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
それはとても切実でリアルなもので、だからコロコロは”おもちゃ”という言葉を使わない。
大人の冷めた観察では、命のないただのモノ、使い捨てにできる玩具でしかないものが、確かに生きてる瞬間
その熱量に向き合い続けてきた雑誌の最先端として、ぷにるはホビー漫画としての瑞々しい質感を、随所に宿し続ける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
ぷにるは”かわいい”と同時に”スライム”でもあって、色んなものを混ぜ形を変え、唐突な暴力でぶっ散らばったり、勝手に暴れる面白い友だちなのだ。
ぷにるが”かわいい”スライムであることは圧倒的に大事で、コタローの心が繊細に揺らぐ様子も、その毎日が艶めいて楽しいのも、ぷにるの可愛さにぶっちぎりの説得力があるからだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
あらゆる性癖を出し惜しみなく、どんどんつぎ込んで萌えさせる腕力が、コタローとぷにるの日々に息吹を与えている。
ぷにるは素敵な隣人として、思春期を引っ掻き回す小悪魔として、優れて立体的な質感を持っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
この陰影は被造物としての彼女=/≠彼にも強く向いていて、死生観や性差への意識、”こころ”への認識などが、コタロー達人間と微細にズレている様子が、そこかしこに滲んでいる。
スライムであるぷにるにとって、自分がどういう形であるかは決定的に可変である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
男であること、女であること。
コタロー(が内面化しつつある、人間社会の一般的常識)が不変であると思い込み、それを起点に様々なものが成り立っている性差は、ぷにるにとって形だけのものでしか無い。
同時に”かわいい”をアイデンティティとするぷにるにとって、形は絶対的に大事なものであり、ぷにるは誇りを持って少女の形を選び取っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
それが一番可愛いから、コタローにつれなくされても、けして譲ることは出来ない。
ぷにるは創造者の都合だけで動く、便利な存在ではないのだ。
体を二つに割られようが再生するぷにるにとって、生き死にもまた可変な価値であり、ツンツンしつつもぷにるの一大事には体を張ってしまうコタローの、命大事な価値観とは、実はかなりズレている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
人は壊れたら、二度と戻らない。
そう感じ信じるから、コタローは落下するぷにるを抱きしめようとする。
しかしぷにるはスパーンと断ち割られて、落下の衝撃はぷにるも…助けようとしたコタローも壊しはしない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
それがぷにるにとっての当然であり、コタローもそんな世界にいるはずなのだが、彼はそういう差異を諦めきれない。
大事な友達だから、自分と同じでいて欲しい。
王子ぷにるに自然に接せるように
幼さと成熟の中間地点にいるコタローは、異性の形をまとい、異質な生命であり、被造物でありながら譲れないこだわりと楽しい優しさを持ったぷにるを、まだありのまま受け取ることは出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
異質性をまるごと飲み込みつつ、それを受け入れた自分に変化する。
コタローがスライム的存在になった時…
揺れる恋は彼らなりの答えを手に入れ、少年は大人となり、物語は終わるのだろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
しかしそれは(幸運にして、幸福にして)まだ先の話であり、コタローはぷにるを前にした時の不安と高揚の形を見定められないまま、不安定な距離感で戯れを続ける。
いつか終わり、しかしそれは今ではない。
思春期を外部から観測し、消費する時特有の切なさがしっかり、主役たちの複雑で相互侵食的な関係の中に込められているのは流石である。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
永遠には続かないものを、永遠だと思いこんでいる無邪気への哀切は、マジでエモいし大事だからな…。
この永遠性はぷにるが実質七歳の児童であり、実はコタローと相当な年の差カップルであるギャップにも生きている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
”死”がないぷにるは成熟する必要がなく、永遠に子供でいられる。
ホビーでもあるぷにるが、子供であることを止めてしまったら、誰が子供に寄り添うのか…という話でもある。
しかし人間である(人間でしか無い)コタローは否応なく成長し、性の断絶と侵食を知って、変わっていく自分に戸惑う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
可愛いものを堂々楽しんではいけない、社会的圧力に悩みつつ、異性であるきらら先輩を好きになり、ガキじゃ分かんない大事な物も、ちょっとずつ見えてきている。
生きて死ぬ存在だからこそ宿せる成長のきらめきと、不変にして無垢だからこそ永遠である眩さを、コタローとぷにるそれぞれに宿して、両方大事にしてる話運びは、凄く良いなと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
異質な隣人と楽しい日々を過ごすこのお話、スライムと人間、どっちかだけが”正しい”となってはいけない。
永遠に変わらぬことも、否応なく変わっていってしまうことにも、それぞれの悩ましさと輝きがあるはずで、それはドタバタやかましい日常の中、確かな形で埋め込まれている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
コタローとぷにるの日々が楽しそうで、微笑ましくちょっと羨ましく書き方が出来ていることで、多彩な価値が担保されてもいる。
不変に思えるぷにるも、母性の怪物であるきらら先輩にあらあらあらされるのはイヤで、母なる存在の付随物のままでは終われない、自我を確立した”大人”としての側面を持っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
ぷにるは作られし存在なのだが、こだわりと自惚れが強く、いい性格をしている。”自分”があるのだ。
それは年齢的にも権力的にも”上”の存在から、自分を都合よく消費されることに反発する態度を生み出す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
ガキだからって、何も感じねぇわけじゃねぇぞ。
そういうプロテストに、作品全体が静かな後押しをしているのも、コロコロっぽい作風だなぁと思う。叛逆のメディアなのよね、児童誌。
コタローとは昔通りの、性が介在しない可愛いだけ、楽しいだけの黄金期を望むのに、ぷにる自身はスライムの本性、生まれてしまったこだわりと欲望により、どんどん自分を変えていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
この矛盾にぷにるが気づき、自分とコタローをどこに運んでいくべきか、思い悩んだ時…終わりが始まるんだろうなあ
ぷにるのあり方を見ていると、性にしろ”大人”であることにしろ、それは自発的な価値観と願望に後押しされ選び取られるべき自由だと、このお話は語っているように思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
コタローのようにそれに戸惑いつつ反発しつつも、愛しさを捨てきれず手を伸ばせる強さ、優しさを描きたいのだとも。
それは”コロコロ”がずっと見据えて共にあってきた子供と、その時代を過ぎてなおそこを見据えてしまう大人に伝えるべき、とても優れたメッセージに感じる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
すごく綺麗で大事なものを描きつつ、ワーワー騒いで、正しいからこそ受け入れないガキっぽさを忘れない。大事にしてくれる。
その姿勢って、児童(と、かつて児童であり今なお自分の中に”児童”を残す)に物語を差し出す上で、とても大事なことだと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
このお話はそういう手触りが、ポップで萌え萌えで楽しい物語の奥にしっかり宿ってて、だからこんなに好きになってんのかなぁ…と思う。
変わってくれないぷにるはコタローにとって悩みの種であり、同時に自分が置き去りにしつつある幼年期を永遠に保持してくれることは、どこか救いでもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
この視線、大人読者が”コロコロ”に向ける感情にどこか似てて、切ない覆い焼きだなぁ…などと思ったりもするが。
そんなノスタルジーを毒にせず、真正面から受け止めて最高の笑いとときめきに変えている、パワフルで立派なお話だと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年7月30日
被造物のこころ、異種生命の価値観など、SF的想像力が豊かなのもいい。
あとまー…とにかくぷにるがかわいいよ!
そこ、ホント強くてズルいよな…最高。
続刊も楽しみです。