アニメ「BanG Dream! Morfonication」を見る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
モルフォニカ主役、夏が舞台のバンドリアニメ特別編…という作品であり、しっかり楽しむことが出来た。
自分はハロハピ三章あたりでアプリから離れ、そこからのモルフォニカやバンドリに付き合えていない人間なので、なんか言う資格もあんまないかも…
なんだが、面白かったので感想を書く。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
お話としては未だ幼さを残し、何かとネガティブなましろの青春迷い道…といった塩梅。
彼女を取り巻くバンドメンバーも完全に成熟して物わかりが良いわけでなく、人それぞれの欠落と長所があり、それに抱きとめられて迷えるましろが答えを見つける感じで進む。
まず、倉田ましろという感性豊かな少女が見ている世界が、非常に精妙に表現されているのが良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
動く絵が連続するアニメーションという媒介を、最大限に活かして展開される、創造と現実の境目がない詩人の世界。
ましろには世界がこう見えていて、だからこそああいう詩が生まれてくる。
そういうリンクが、クジラが空を舞い、シャボン玉がカワセミとなる幻想的な風景の中で、独特の面白さを宿し描かれていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
ましろが見ているものは幻想であり妄想でもあって、それが有意義な夢となるには、いくつかの条件がある。
満たされない場合は、歪んだ黒い世界に取り囲まれることになる。
一つには、現実を超越した彼女だけの世界を、他人と共有できるチャンネルがあること。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
モルフォニカというバンドは、後に広町が的確に言語化するように、ましろが時に否定する彼女の世界、彼女の言葉を『私たちの詩』として、観客に届けうる存在だ。
それを捕まえたことで、ましろは野放図で時に暴力的な己の想像力を、他人…例えば、彼女を不安にした元同級生に、より善い形で伝えうる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
チョウチョに話しかけ、夢見がちな幼さを持ったましろのことがクラスメイトは結構好きで、その純粋さが変わらなかったことが嬉しかった。
しかし『変わらない/変われない』という言葉に呪われているましろは、それをトリガーに世界を黒く染めてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
想像力という、クリエイターとしての彼女の武器は時に凶器となり、感じ易い心を勝手に傷つける。
それを賢く制御できる安定性も、状況を客観視出来る強さも、高校一年生のましろにはない
自分が見ているヴィジョンを、より善いものだと信じられる心の強さ、安らぎが夢が夢となりうるもう一つの条件で、これがこのアニメではグラグラ揺らぐことになる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
主観でしかない美しい夢を、否応なく見つめてしまう能力があるからこそ、ましろの世界は主観の色を濃く帯びる。
周りが何を言いどうしようと、自分がそう感じているのなら、それが世界の真実なのだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
この極端に一人称的で狭い視野は、夢と現実が入り交じる詩情と合わせて、強く子どもの特徴である。
ましろが嫌う自分の幼さ、変われなさを剥奪したら、そこには詩人でも幻視者でもない残骸が残るだけだろう。
表現者として、倉田ましろ個人として、幼いこと、狭く主観的であること、メルヘンに溺れる脂質があることは大きな強みであり、否定したい弱点でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
この矛盾はましろ当人では解決が難しく、思い込みや強く狭すぎる感情を周囲とぶつけ合いながら、誰かに助けてもらう形で解決していく。
ましろが見ている世界、そこから生まれる詩はバンドメンバーにとってかけがえない武器であり、自分もその片鱗を眺めつつ確かな形を持たない輝きを、縁取ってくれる契機でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
ましろが見据えている美しい夢は、実は彼女一人の孤独な妄想ではなく、共感されるに足りる普遍性と強さを持っている…
あるいはモルフォニカの楽曲として、曲が乗っかり演奏で活かされることで、大勢の聴衆に届きうるものだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
しかし彼女は自分が見るもの、否応なく見てしまうものを恥じ、普通でも大人でもない倉田ましろが、変わり果て消え去ることを望んでいる。
幼年期の否定と、そこに至れない自己への嫌悪。
これが客観で見れば悪意のない、同級生の言葉を毒薬に変えて、世界は黒く歪んでしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
まったく面倒くさい精神しているが、同時に思春期の暴走する感受性の表現として、なかなかの鋭さがあったと思う。
受け取り方一つで世界は、虹色にも暗黒にも染まりうるという事実が、考えもつかない大嵐の只中。
その制御不能な危うさが、野放図なイマージュをましろの周囲に広げ、彼女だけが見れる(そして様々な人が、じつは見たいと思っている)詩的/私的時空を描き出している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
この想像力の嵐の表現として、美しい美術に支えられたアニメーションは、大変優れた仕事を果たしていた。
バンドのイメージカラーである青を、空と水に投影した抜けるような夏感が画面に満ち、あえてBGMを抑え気味に、少女たちの時間を静謐に切り取ってくる演出も、ありふれていながら特別な、現実と詩の入り交じる瞬間を、うまく形にしていたと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
ましろがその危うい精神をうまく落ち着かせて、想像/創造と現実がちょうどいいバランスに落ち着ける”わたしの居場所”が、現実離れした美しさで描かれていたのもいい。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
モルフォニカのホームである、広町のアトリエ。
それを取り囲む、花に満ちた庭。
不意打ちの合宿に戸惑いつつ、楽しい夜のプール
それらは夢のように綺麗な現実であり、ましろが見据えている、現実の中に潜む夢の影でもある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
そんな風に怜悧な現実だけでも、身勝手な妄想だけでもない、想像力と現実感覚が共に滲んだ場所にしか、ましろが安らいで、より望ましく自分らしさを表せる場所はないのだ。
その最も美しい炸裂が、リーダーつくしがましろの想像力と弱さを、そこから生まれる詩をまるごと抱きしめ、花火が闇を引き裂く瞬間にあるのも、大変良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
臆病なましろは、仲間にすら自分が感じている思い、背負った重荷をなかなか預けられない。
ずっと気持ちを言葉に出来なかった彼女が、インフルエンサーとして”現実”なるものと、的確に付き合うセンスを持ってる透子に反発出来たのは、春に生まれたバンドが夏に至るまで、色んな交流を果たしてきた証拠だと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
思いを外に出しても、この人達は受け止めてくれるかもしれない。
変わりたいと願い続けてる彼女は、思いを内側に閉じ込め続けることを望んではおらず、しかし拒絶への怯え、自己への絶望からなかなか、気持ちを表には出せない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
そんな子供が思いを爆発させる相手には、結構な甘えがあると思う。
好きだからこそ、叫ぶのだ。
そこら辺の捻くれた思いに透子が気づかず、『何だよあいつッ!』となるのはむしろ当然であるけども、リーダーつくしがくっそ面倒くさい我らがボーカルの心を慮り、追いかけようと言い出すのがまー、頼もしくて良かった。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
どうにもならねぇ情動の炸裂に、先回りして心を配れる人は、人間がデケェ。
つーちゃんと同じくらいどっしり構えてましろを見守ってたのが広町で、自身思い込みで世界を遠ざけ、”普通”で自分を縛ろうとしていた体験を踏まえて、想像の外側にある世界の優しさを、ふんわり伝えようと頑張っていた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
ここで荒々しく押し付けない目の良さ、気の長さが、広町っぽいなと思う。
あるいは芸術家の娘に生まれ、才能とセンスと知性に長けた彼女は、自分の中で制御不能に湧き上がる怪物に、ましろより早く手綱を付けた先輩…と言えるのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
自分には見えてしまうものが、他人には見えていない。
共有されず、置いていかれ、孤独に歪む。
そういう体験を、ましろより早く成熟した精神と何らかの出会い(おそらく、僕が見ていないアプリでの物語で描かれたもの)で克服した経験が、ましろが進むべき道を示す、穏やかな導きともなっていく。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
特異な感覚でもって、自分にしか見えないものに包囲される経験は、周りが言うほど心地よくない。
それを知っているからこそ、広町はましろの震え方に共感を示し、友達として歩み寄ろうと思ったのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
ここら辺、凡庸だからこそ普遍的な”正解”が良く見えて、人のあるべき姿へ真っ直ぐ進めるつくしと対極で、二人が相補的だからこそ、二人でましろの涙を抱くのかな、と思った。
ましろにしろ広町にしろ、他者が”才能”と持て囃す特異性には刃が付いてて、周りも自分も傷つける。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
”シザーハンズ”で描かれた、エドワードのハサミの手のように、それを切り捨てて”普通”になることは難しい。
歪で、他人と違っていて、世の中に無邪気に流通する当たり前にはなれない、寂しさと怖さ。
そしてそこに確かに宿る美しさと、異質だからこそ世界の真実を射抜き、かけがえない私たちの詩となりうる、美しいビジョン。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
それこそが倉田ましろの強さであり、モルフォニカの歌なのだと言ってくれる仲間に、彼女は恵まれている。
ならばその魂は孤独ではなく、野放図な想像は確かな力になるだろう。
自分にとっての楽しさが、ましろにとっては毒薬になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
透子はそんなねじれに想像力が足らず、遂には反感を暴発されてもしまうのだが、そうやって『わたしはそうじゃない!』と叫ばせる形で、倉田ましろのアイデンティティを切削出来るのは、彼女の特異性だな、とも思う。
広町やつくしが差し出した、共感や受容だけが『”倉田ましろ”はこういう人間』であると形を定め、ひどく不安定(だからこそ美しい)世界にいる少女が己を定める、楔を生み出すわけではない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
お節介や無理解や、それでも何かしたいと思えるエゴイスティックな友愛だって、魂の形を定める武器の一つだ。
あるいは奔放で透明な想像力に溢れ、思春期の震える心を的確に言葉にして歌うましろ(そいsてモルフォニカ)の歌も、顔もない誰かの青春に寄り添って、『あなたが見ているものは、こういう形でしょ?』という手助けを、果たしているのかもしれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
ましろが子供っぽいと恥じる、ノートの上のクジラ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
それは世界に確かに存在していて、でも誰もが見て見ぬふりをしている綺麗な夢だ。
それを見つけ、詩という形を与え、仲間と時に激しく思いをぶつけ合いながら、”私たち”の歌としてより広く、より強く届けていく。
そういう事が可能な存在として、モルフォニカというバンドを描けたのは、とても良かったと思う。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
アトリエでの五人だけの演奏が、ステージ上のとても広く、とても綺麗な奇跡にシームレスに繋がるラストは、私的な夢が普遍的な価値へとつながった眩しさがあって、大変素晴らしかった。
全編にわたり、ましろが見ている/見てしまう世界の危うさを大事に話を勧め、クリエーター以外に自分を殺さず生きていく道がない…のに、角を殺して『普通の大人』になろうとする少女の青春が、アニメの強みを生かして良く描かれてました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
アートフィルム的味わいが随所にあったの、かなり好きだな…
今回『変わらない/変われない』という呪いの一部を、涙と叫びと抱擁で砕いて、変わらなくて良い自分を引き寄せられたましろは、詩人であることしか出来ない己を、少しは肯定できるのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
それは、この青い夏の先に続く物語なのだろう。
現状の幼さを見るだに、先は長くて広そうだな…。
白のモンシロチョウが想像の青に染まり、”Morfonica”の名を背負うモルフォ蝶に変わっていくイマージュが、幾度も顔を見せるこのお話。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
蝶はプシュケーと読めば魂でもあり、ひどく不安定に自由に、ひらひらと舞っている。
危うさと強さはいつでも隣り合わせで、とらえどころがなく踊っている。
白く青く黒い蝶は、そんなましろのトーテムであり、モルフォニカというバンドの象徴でもあろう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
それはどんな色にも染まりうるし、ひらひらと形なく浮遊し続けるからこそ、どんな形にもなれる。
可能性は破滅の双子であり、夢は妄想の別名なのだ。
多彩な変容のなかで、より善い結果を引き寄せたければ、連帯と友愛の綱が必要になる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月11日
高校一年生五人組、たった一度きりの夏の物語としても鮮烈なこのお話が、ましろがモルフォニカの一員であり、大事な友達がいてくれる意味を描いていたありがたさを噛み締めつつ、感想を終える。
いいアニメでした。