遅れ馳せながら”ONE PIECE FILM RED”を見てきたので、感想を書きます。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
自分はワンピースにはほぼ無接触、インターネット越しの受動喫煙でなんとなく知識があって、本当の冒頭部分だけは知ってる…という読者です。
その立場で、大きな節目の作品に立ち会う形となりました。
二時間弱の尺を持ってしても、大量の登場人物と2つの世界、ウタとトットムジカの因縁を描くのは相当大変なので、結構大胆なぶっ飛ばしが発生しています。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
麦わら一味はライブに来てるところからスタート、彼らがどういう人物であるかの説明は映画館の外側、100巻あるコンテンツにお預けです。
なので『このルフィが好きすぎるガラの悪い人はだれ?』とか『この超強い人はどういう能力者なの?』とか、疑問もたくさん生まれるんですが。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
それを飲み込んで余りある熱量と質量が、矢継ぎ早に襲いかかってきて、映画としての迫力で山盛り食わされる作品でした。
最初の”新世界”ステージが体験として凄く良くて、Adoさんの歌声の説得力、圧倒的なファンタジーとスペクタクルで、映画を見てる側をウタウタの世界に引きずり込むパワーがある。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
あの圧倒的な祝祭感、夢みたいな輝きが、後に真相が見えてきた時反転する仕掛け含め、初撃が強い映画でした。
あの段階で既に、ウタはネットワークに分散/東映/消費されるポップアイコンであり、みんなを導く救世主でありながら身勝手な欲望を押し付けられる弱者でもあるという、矛盾した暗さが華やかなステージに強く反射している。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
世界中に中継され、求められ使い捨てられる詩のイメージ。
大虐殺の過去を封じ、シャンクスとの絆を断ち切られたウタにはもうすがるものはそれしかなくて、自分の心がどれだけ複雑に揺れ動いていても『海賊嫌いの歌姫』というアバターを演じる以外ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
そこに生身の人間がいて、全く育ってない未熟な心と、世界を飲み込む危険な力があるとファンは想像しない
ウタの現状をシリアスに捉えているのは武力と政治力を兼ね備えた海軍ですが、彼らは海賊の俗っぽい現実主義とはまた違った意味で、彼女の歌に興味がない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
横暴な特権階級が世界を支配する構造の中で、ともすれば守るべき民衆を犠牲にしてでも、秩序と正義を守る。
そういうシビアな…大人の理屈では、ウタの理想は話が通じない夢想であり、危険なテロルと切り捨てられてしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
しかしウタウタの実は夢を(最悪の形で)現実にしてしまう実行力であり、夢も歌も無力な妄想ではなく、極めて実際的な力になりえます。
同時に無形で無力な、大事なロマンという歌本来の属性も、ウタの歌≒力には宿っている。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
海賊に虐げられ、彼女がネットに投げた夢にかすかな希望(あるいは気晴らし)を求めた人たちは、たしかにフェスで大盛りあがりし、明日を生きる活力を手に入れている。
しかし閉じた環境の中で先鋭化したウタの救済も、そこに宿る実行力への危惧も、歌をただ無力で綺麗なもの(ウタが死に、肉体を失ったEDでようやくその形に戻れたもの)にはしてくれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
ウタの世界の中で、彼女と彼女の歌は圧倒的なルールをしき、他人を飲み込んで強制的に書き換えていきます。
そういう事をする時は、議論と同意が必要なのだという大人の当たり前は、殺戮の真実と外界との接触という、自分を鍛え世界を学ぶチャンスを二重に剥奪されたウタにとって、”外のニュース”以上に知らない、知らなくてもいいものです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
自分の夢は全員の理想で、それで死んでも幸福なはずだ。
幼く危ういエゴを是正されるチャンスもなく、ネット越しの無責任で真摯なコミュニケーションにすがって”価値ある自分”を作ってしまったウタの夢は、閉鎖的で凶暴です。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
この幼いカルト性は、現実のフラワームーブメントや人民寺院なんかを思わせて、ザリっとした苦さがありました。
僕のぼんやりしたイメージに反して、ルフィは凄く成熟した対応で、変わってしまった(あるいは変わらなかった)幼馴染の先鋭化を受け止め、楽しく別れようとします。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
相手の歪さをわざわざ指摘はせず、自分が一歩一歩進んできた夢の塒、現実の足場に戻って、違う道を進む。
そういう対応は凄く成熟したもので、後にウタの欺瞞を暴き、真実を告げて観客の合意を引き出そうとしたコビーと同じ匂いがします。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
その実際は原作読んでない僕にはわからないけど、ふたりとも夢見る無力な少年であるところから始めて、散々殴られ現実を見せ付けられ、色んなものを失った匂いがある。
それはギリギリの状態で大人たちの優しい嘘に守られ、それ故世界から隔絶され成長の機会を失ってしまったウタが、けして纏うことが出来ない匂いです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
彼女の求める新世界は、働かなくて良くて、辛いことが何もなくて、お菓子やおもちゃで満ちた、子供の楽園。
そこには複雑な矛盾は、入る隙間がない。
愛が憎悪になり、夢が絶望に変わるような、簡単には切り離せない、子供には解らない人生の複雑さを、ルフィ達は暴力と悪意が渦巻く海を旅する中でイヤってほど学んで、それでもなお自分たちのロマンを譲らず戦える足場を、健全に鍛えてきたのだと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
でも、ウタにはそんなチャンスはなかった。
今回のお話は、リッチなファンサービスと豊かなステージ表現にみっしり満ちつつ、本筋としてはウタの話であり、彼女と同じ場所から進んで彼女にはならなかった(なれなかった)ルフィの物語なんだと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
ルフィは麦わら帽を預けられ、夢を見つけて海に漕ぎ出した時から、大人になるしかなかった
暴力屋理不尽、死や離別に満ちた厳しい現実の荒波にそれでも夢を諦めず、『海賊王に俺はなる!』と真顔で叫べる男になることでしか、彼の夢は叶わない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
そういう厳しさに向き合い、勝ってきたからこそ、彼は世間がざわめく大悪党として名を馳せ、また色んな冒険の中で色んな人を救ってきたのでしょう
それは大冒険譚(何しろ100巻!)の主役だから許された自由と試練であり、父の麦わら帽を継承できなかった(それを継ぎたかったことは、UTAのマークに何を選んだかを見れば、よくわかります)ウタには、最初から与えられなかったものです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
あるいは、父の優しさが遠ざけてしまったもの…か。
ウタは家族である赤髪海賊団が、鬼畜働きはしねぇ本物の海賊であると信じきれなかったから、優しい虚構に自分を封じた。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
うつろなネット越しの救済に夢を見て、新世界を求める無責任な声に突き動かされて、『海賊嫌いのウタ』こそが自分なんだと、すがって縛ってしまった。
しかしその信頼のなさは、娘の魂の強さ、どんな試練も一緒に切り抜けていける家族の強さを信じきれず、悪名を背負って歌を孤独に置き去りにした、シャンクス達にも反射している気がします。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
家族だロマンだ、口では耳障りの良いこと言っていても、真実家族(あるいは大人)でいることを間違えた結果…
今回の悲劇は取り返しのつかない場所まで加速していってしまう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
この信頼に基づき、苦しみを共に超えていける家族像の破綻は、シャンクス後の親になったゴードンにも言えると思います。
皆、過酷すぎる運命に立ち向かえる強さ、共に超えていける信頼を、信じきれなかった。
しかしそれは人に普遍的な弱さであり、優しさの別名でもあると思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
大事だからこそ傷つけたくなくて、ルフィは”海賊”という自分の夢、魂も肉体も真っ赤な血を流してなおしがみつく生き様を『やめなよ』と言ってくる相手に、笑って『家で寝るわ!』と切り替えした。
それは他人の事情を一切考えず、殺し奪って刹那的に生きる”海賊”から、ルフィを遠ざける大事な要因だと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
彼はただ奪い傷つけるだけの、大海賊時代のスタンダードが凄く嫌いで、そういうモノを越えたより”海賊”らしい(と彼が信じる)理想を、世に広げたいと思っている。
それはウタの求める新時代と根っこの部分で同じで、しかしただの幼い夢では何も解決しないし、他人の自由や尊厳を踏みにじってしまう現実を知っているからこそ、ルフィはウタにはなれない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
痛みや理不尽は確かにそこにあって、夢と死の麻酔をかければ消えてなくなるわけでも、勝てるわけでもない。
実際に銃弾飛び交う現実に足を突き刺し、引かずに夢を吠える。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
そういう強さは、過酷な現実でも失われず、むしろ磨き上げられた優しさ…最も強く素晴らしい”大人っぽさ”に支えられてるように、僕には思えました。
ルフィという人物が、そういう人だと感じられたのは凄く面白い体験だった。
ウタの世界では、他人を撃ち抜く弾丸は簡単に治る。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
でも灰色の現実で流れる血にウタは何も出来ない子供で、あってはいけない死が迫る時、慌てふためき泣くことしか出来ない。
二度の銃撃は、どんだけ夢で覆っても顔を出す現実の重さを前に、ウタがどんな存在かを残酷に炙り出してました。
対してルフィは、ウタが押し付けてくる暴力的な歌を前にして、あくまで言葉で意思を伝えようとする。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
後にトットムジカと正対した時、とんでもないパワーでボコボコに殴る実力があるのに、それを抑えて、無形で無力で、だからこそ価値があるものをウタに向ける。
これはウタが、彼女が大嫌いだった粗暴で優しくない”海賊”(≒自分を捨て全てを奪った、イメージの中の赤髪海賊団)に親しくなって、ルフィがウタが本来なりたかった”歌姫”的存在に近づく、逆転の構図なのではないかと思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
”海賊”は本来、夢いっぱいで優しくて、暴力がその本質じゃない。
そう信じるルフィだからこそ、ウタが薬物とネットと孤独の三重奏でズタズタに傷つけていった、直接的暴力から遠いからこそ色んな人を救い、形のないものを守れる”歌”を、グイと幼馴染に突き出せたのではないか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
歌のウタは、物語が終わり彼女が死ぬまで、物理的パワーとして描画され続けます。
他人を夢に閉じ込めたり、武装や兵士を顕現させたり、抜け出せないルールを押し付けたり。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
彼女が嫌っているはずの海賊や海軍…現実を前に優しさを失ってしまった”大人”と同じ武器を抱えて、柔らかく甘っちょろく優しい理想を投げ捨てて、大量殺戮の果てに旅立つ新世界。
それが、シャンクスの下で赤髪海賊団音楽家を夢見ていた時…あるいはネットを通じて皆に見出され、求められた時なりたかった自分なのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
そうではないと信じるからこそ、ルフィはウタが見失っている理想を背負って、バトル漫画の主役の資格…圧倒的暴力を封じて向き合う。
届くと届くまいと、拳を抑えて(ルフィはもう”大人”なので、子供のままのウタに向けるそれは持ってない)言葉を選ぶ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
死の際でウタが、二人の父が信じてくれた『みんなを幸せにする、平等と自由の歌姫』になるより早く…多分映画が始まるよりもっと早く、ルフィは力で動かせないものを知っている。
”海賊”になっちまった自分より、もっと正しくそれを守れたはずの幼馴染が、こんな末路に流れ着いてしまった哀しみ含め、ルフィは暴走するウタの歌に引かず、屈せず、同じ暴力の土俵で対峙しないことで、”海賊”のあるべき姿を示す。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
それは、一般的な”海賊”の否定でもある。
クラゲ海賊団やビッグマム海賊団がぶん回す、大海賊時代のスタンダード。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
ウタを救世主として崇め求め、死地に追いやった荒々しい現実を否定し、何も奪わず、踏みにじらず、言葉と理想を差し出して共に進んでいける道。
それこそが、ルフィの求める”海賊王”なのではないか。
世慣れた風を装うウタが、にわかの僕にすらそれだと理解る、物語の始原…ゴールド・ロジャー処刑の再演の時に言い放った、ロマンの否定。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
麦わらだ海賊王だ、夢みたいなこと言ってないで現実見なよ?
僕ですら薄らぼんやり思っていた、なんとなくのイメージが凝り固まった、ルフィという虚像への否定。
これをあえて、幼さを危険なテロルまで突き詰め、世界を殺しかけた幼馴染に投げかけさせることで、ルフィというキャラクター、彼の信じる”海賊王”を今一度洗い直す物語なのかな、と思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
彼は見た目ほど夢に溺れた子供ではなく、色々失いだからこそ強くなって、ガキみたいな理想を追う。
その時大事なのは共に戦ってくれる仲間であり、都合のいい表層ではなく泥まみれの奥底で、お互いの魂を分かり会える関係でしょう。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
ウタの周囲には信者やファンがたくさんいるけど、その苦悩を理解し、一緒に歩いてくれる人は誰もいない。
社会システムは彼女の幼い夢を『話が通じない』と切り捨て…
彼女に勝手に救いを見たものは、それがグロテスクに暴走しだすと時に背を向け、糾弾し、あるいは更なる救いを求める。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
世の中はかくのごとく複雑で、裏切りや誤解に満ちて、それでも諦めずに戦えば、敵とだって分かり会える時がある。
ジャンプ主人公であるルフィは、そういう体験を沢山したんだと思う
だからルフィも、久々にあった幼馴染ともう一度いい友達になりたくて、なれなくて、遠く赤髪海賊団の船上にその葬送を見て、涙を流さない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
ウタが幼いまま夢見た新世界を、彼女が引き裂かれた矛盾や運命全部を背負ってなお、その手で現実にする強く優しい存在…”海賊王”に俺はなる。
人口に膾炙した名台詞ですが、その重さはこの物語を通じて大きく変わったのかなと、門外漢ながら思うラストでした。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
今回の映画はウタの迷妄と失敗の物語であり、ルフィの歪んだ鏡として、現実の複雑さに向き合わぬまま夢を歌うとどうなるか、残酷に描くお話だったと感じました。
では100感を超えてなお続く壮大なワンピース・サーガの主役は、どんな答えを出すのか。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
ウタがたどり着き、自分とシャンクスが防げなかった悲しい結末を超えて、真実”海賊”のロマンを体現する物語は、多分ここから続くお話でこそ、答えが出るのでしょう。
僕はコンテンツに追いついていない一時の客なので、この映画の持ってる意味を真実知ることはないし、連載を追う中で体験することもないと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
しかしウタという、同じ父に憧れ、同じ場所から始まり、しかし決定的に違う道のりと成熟を果たした鏡をここで置いたことで…
ルフィという青年が何を願い、どう育ったかという、人間としての現在地はすごく鮮明になったんじゃないかと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
主人公を構成する海図を顕にしたことで、彼が背負う物語がどう進んでいくか、大いなる決着を照らす灯台としての機能が、この映画にはあったんじゃないでしょうか。
シャンクスとその娘を中心に据えることで、ルフィが海賊を志した原点に立ち戻り、その根源を描く試みも、より上手く機能していた感じがあります。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
圧倒的な憧れであったシャンクスの、あまりに人間的な愛と失敗。
世界を犠牲にしてでも、甘い夢の中で娘の命を繋ごうとしたそのエゴイズムは…
死を前に最後の成長を果たした娘の手によって阻まれ、死んでもなお叶えたい夢…”海賊”的ロマンを歌い上げることで、誇らしき無力を思い知らされる。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
シャンクスもまた、人間でしかない。
そんな愛おしい問いかけを投げかけるのも、この映画の仕事…だったのかなぁ。
ここら辺、100巻分描かれた(そしてあえて描かれなかった)物語の中に宿る、複雑な網目をしっかり体験していないので、的はずれな推測でしかないんだけども。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
でもほぼ白紙の僕にそういう、力強いうねりを感じさせるだけのパワーが有る作品だと思いました。
これは超絶舞台表現とスーパーバトルが交互に襲う、カロリー高い映像作りと同じくらい、夢と現実、子供と大人、旅立ったものと閉じ込められたものを対比して、”ワンピース”という物語、その主役であるモンキー・D・ルフィという人物を掘り下げていく筆の強さが、しっかり支えていました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
やっぱ、そこが良かったですね。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
ウタという映画独自のキャラクターが、ルフィという主人公にどう似ていて、何が決定的に違っていて、それがどんな行動と結末を導くのか。
二人の物語として骨が太かったから、いきなり情報の奔流に投げ出されてなお、戸惑いつつずっしり腹に入るお話を味わえた。
ウタの潔癖症的な他者拒否と、危機に際しては呉越同舟もいとわない海賊たちの現実主義の対比とか、残酷で良かったと思います。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
矛盾に満ちた現実の中で何事か成し遂げたかったら、理念を曲げる必要だってある。
そうして妥協してみた中で、真実の絆を感じ取ることだってある。
でも海に出ず他者と触れ合わなかったウタは、他人が自分に求めるイメージに踊らされつつ、そのイメージ通りに振る舞う苛烈な自分を、止めることが出来ない。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
残酷で幼く全てを拒絶するウタの末路は、理不尽と上手くやっていく手段を学べなかった純粋さに満ちていて、キレイでおぞましかった。
ウタウタの実とかネズキノコとか、ファンタジックな外装に覆ってはいるんだけど、結構ど直球にサイケデリックムーブメントとその失敗が作品に流れ込んでいて、ある意味70’s批評みたいな味があったのも、個人的に凄く面白かったです。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
”ウタカタララバイ”のサイケな演出、好きだな。
というわけで、”ONE PIECE FILM RED”大変楽しく見ることが出来ました。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
すんごい量のキャラがバンバン暴れる部分は、自分で処理しきれず食べきれずだったけど、ファンは嬉しんだろうな~つう推測は出来たね。
そういうドンパチ賑やかな部分含め、面白い映画、いいアニメだと思いました。
追記 ”ワンピースにおける家族という呪い”は、掘り下げると面白そうな題材だけど、それをやり遂げるためのコストがマジで高そうで、今から挑むには正直二の足を踏む。
追記
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
ウソップ・ヤソップ親子のシンクロ、ウタを見送る時の赤髪海賊団の覇気と、家族の繋がりが結構強いものとして描かれてるこの映画。
同時に家族が”家族”であれば何もかも解決する、家族万能主義とは違う歪さも、随所に見られる。映画に切り取られてるだけで、破綻家庭多いしな…。
第三勢力として結構な存在感があったビッグマム海賊団は、そういう家族主義の負の側面を体現するキャラだと思うんだけど、何しろ本編読んでないので彼らがどんな物語を背負い、どんな家族の地獄を顕にしてきたか分かんないので、そこを彫り込めないのは、露骨ににわかの弱さだ。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
一見わかり易い絆最優先主義に思われがちな作品で、自分もそういう謬見背負って映画館行ったんだけども、そういうお話ならウタとシャンクスをああいう結末には放り込まないよなぁ…と、フラフラ見終わりながら思った。
— コバヤシ (@lastbreath0902) 2022年8月29日
これが谷口監督の作家性なのか、尾田栄一郎イズムなのかも、にわかにゃ判別難しい