半年ぶりの第2クール、JOJO第6部再開の挨拶は、エルメェス・コステロの起源に血みどろで潜る復讐譚である。
見る側のブランクを揺さぶるように、厳正懲罰隔離房にブチ込まれる未来の描写から始まる物語は血と虫とクソに塗れ、いつも以上にどす汚れて始まる。
しかしすっかり”凄み”が馴染んだ徐倫は、狂った卑語にもなすりつけられたクソにも怯むことなく、飯を食って戦う力を蓄える。
崇高な目的のためならば、どんな屈辱にも耐え運命を待てる。
それは彼女が常時気にかけている、この監獄で出会った仲間と同じ心意気である。
心意気が引力のように引き寄せあって、一人では進めない険しい道を助けてくれる戦友を、勇士の前に連れてくるのだ。
これは悪の側でも同じで、クズにはクズが寄り集まる。
神父の手先として、スタンド能力を下賜されたスポーツ・マックスは生粋のクズであり、エルメェスの肉親の誇り、特待生としての未来を溝に投げ捨てた。
エルメェスは親愛の仕草を己のスタンドに付け、暴力的な”キッス”で仇敵に復讐を果たす。
法は自分たちを守ってくれなかった。
ならば無法を以て、果たすべき正義を成し遂げる。
そんなタフで乾いた意思が、優しい姉への/からの愛を踏みにじられた少女を、復讐者に変えた。
この歩みはギャングスタ・ストーリーだった五部に似たドス黒さと迫力で、エルメェスからおどけて親しみやすい表情を剥ぎ取り、殺伐とした地金を見せる。
正直、正当なる憤怒に突き動かされ、復讐の女神(ネメシス)と化しためちゃくちゃカッコイイ。
同時に徐倫に見せていた優しさは嘘ではなく、自分一人の根本にある復讐劇に仲間を巻き込まぬよう、あえてツンケンした態度も取る。
そうする事情を察して、あえて踏み込まないのがグリーンドルフィンの流儀だが、豚ではない徐倫とF・Fは”あえて”その逆を往く。
ダチになっちまったら、命がけでお互いの事情、為すべき正義に踏み込んじまったら、血を流して全部引き受ける。
そういう筋金が刑務所内の異様な闘いの中鍛えられて、徐倫もF・Fも”あえて”おせっかいで優しい。
人倫を介さないプランクトンだったF・Fが、無駄極まる”あえての逆”をユーモアたっぷりに演じ、徐倫やエルメェスと一緒にいることで育まれたことが見える場面は、殺伐とした復讐劇に咲く、小さな花だ。
これはF・Fのお茶目でとどまらず、『一人にしてくれ』と無言で凄むエルメェスに、『放っておけないよ』と距離を詰める徐倫に借り受けられて、渇ききった殺し合いに挑む親友が誰の隣りにいるか、パン投げつけて思い出させる人情ともなる。
苦境にくじけないタフさだけでなく、こういうユーモアと優しさをけして忘れない所が、徐倫の魅力だろう。
そんな救いを背中に置き去りに、エルメェスは復讐を敢行する。
自分の全てをドブに落としたお前は、ドブに沈め。
そんな”キッス”の同罪反復では、”リンプ・ビズキット”は倒しきれない。
透明ゾンビの襲撃はいい感じのホラー味が乗っかり、得体のしれぬ異能力に一人襲われる恐怖を、上手く演出してくれる。
どれだけ強い覚悟があっても、執念深く罠を張り強力なスタンドで不意打ちしても、一人では闘いきれないのが、JOJOのルールである。
思わず駆けつけた徐倫とF・Fに、エルメェスは復讐者の維持できず、警告を発してしまう。
『そういうところやぞ……』って感じであるが、運命が引き寄せた戦友の絆は、刑務所の冷たく乾いた流れに逆らって、その源へと一緒に遡っていく。
父の復活という徐倫の原点を、共に闘ってくれた相手への恩義。
超常の闘いに宿るパートナーシップだけでなく、何かと不自由が多い刑務所ぐらしを共にやり過ごし、時にはキャッチボールや猥談もする共同生活の温もりが、この鉄火場に女達を連れてきた。
そういう所が、俺は好きだ。
不意打ちかました透明ワニゾンビに仲間の血をぶっかけ、その所在を明らかにする徐倫の戦闘センスが最後に示されて、さて次回。
真なる悪に決着を付けるべく、己も悪を装った優しい女と、彼女の温もりに惹かれ集った仲間たちは、果たして運命に決着を付けることが出来るのか。
次回アニメがどう魅せるか、大変楽しみです。