イマワノキワ

TRPGやアニメのことをガンガン書き連ねていくコバヤシのブログ

後宮の烏:第13話『想夫香』感想

 死してなお、黒炎の如く燃え盛る情念こそが人を鬼にするのならば、正しい弔意の儀礼こそがその呪いを祓う。
 烏妃最後の葬礼、想夫香芳しき後宮の烏、第13話である。
 一連の事件の悲しき真相、そこを超えて穏やかに綴られる決着と、詩情豊かに続いていく未来。
 大変良かったです。

 

 

画像は”後宮の烏”第13話から引用

 ”梟”を後宮に招き入れ烏妃の窮地を招いたのは、情念も恨みも枯れ果てたように思われていた老冬官であった。
 物語の経糸としてひっそり綴られてきた、反魂の禁忌と生者の情念を巡る物語、最後のひと織りは意外なような、描かれてみれば納得のような、なかなか不思議な手触りがあった。
 老人にも誰かを恋しく想う青春があり、その時胸に刻みこまれたものはけして消えない。
 人としての幸せを誰からも与えられず、漆黒の冬宮でただ烏を奉じ続ける孤独な日々に、たった一人思いを馳せ続けた老人の情念が、行方を知らぬ恨みとなって寿雪に迫る。
 その愛、その呪いを知って身を躱さず、吐き出す先になろうとする所が、当代烏妃の器であろう。

 誰かが受け止めなければどうにもならないものを、率先して引き受け、膝を折って刃をその身に受ける。
 そんな寿雪の振る舞いは彼女が烏妃に選ばれたからではなく、彼女が彼女だったからだ。
 そしてそれは、老人が狂うほどに焦がれた先代が人として、同じく理不尽な運命に選ばれた寿雪に惜しげなく仁愛と学識を手渡し、育んだ結果でもある。

 あるいは男として尋常の知恵しか持ちえぬ”選ばれなかったもの”として、先代に隣り合う特権を持ち得なかった嫉妬こそが、老人が握りしめた匕首には宿っていたのかもしれない。
 何故、あの人ではないのか。
 寿雪に投げかけた呪いの言葉は、そのまま『何故、私ではなかったのか』と、その生涯燃え続けた黒い炎に飛び火していく。
 恋が恋の形になる前の頑是ない付き合いから、自然と睦み合い夫婦になっていく。
 そんな当たり前の幸福があり得たかもしれないふたりが、運命の矢じりに射抜かれねじ曲がった先にある、死によってなど晴らされぬ……むしろ出口なく呪いを待てこんでいく思い。
 鵲姫が兄を思って禁忌に触れ、”梟”が禁忌を犯してまで妹を開放しようと願ったのと同じ、どうにも行き場のない強すぎる思い。
 寿雪が生きていること、それ自体が老人の呪いを解く先代からの祈りであり、冷たい玉座に甘んじず一人間のために体を張る優しき皇帝は、その意味を間近に教える。
 かくして、長い長い喪が終わっていく。

 

 

 

 

画像は”後宮の烏”第13話から引用

 そういう意味では、現世の物語が鵲妃を失った哀しみに打ちひしがれる父と、そんな人間的感情に身体一つ寄り添えぬ身分を疎む高峻、男二人の涙が通じ合うところでまとまるのは、なかなかグッと来た。
 現世に留まる幽鬼を巡る、様々なミステリを追ってきたこの物語は、その全体でもって一つの葬礼論を描いている部分がある。
 果たされぬ未練に呪われ、現世の鬼となるもの。
 自分の指では何も掴めぬ無力な死者のために、祈り弔い、秘術を以て心残りを解いてやるもの。
 人が死ぬということ……死んでなお残る様々な遺志が生み出す事件を追ってきたお話が、最後に皇帝のあまりに人間的な弔意が、父として人としての悲しみに打ちひしがれる男の炎を未然に消し、国家大乱を未然に防ぐ形で終わっていく。

 それを繋げたのは、冬宮で一人寂しく死んでいくはずの定めに抗い、己と皇帝の哀しみを文にしたためた烏妃であった。
 そこに賢しい政治的計算はなく、ただただ自分自身の胸につけられた傷が、涙流すことを許されぬ皇帝が心に満たすものが、娘を失った父と同じなのだと、切実に真摯に連ねる。
 そんな思いを重ね合って、人が生きて死んでいくままならなさを呪いとして残さぬために、喪の儀礼はある。
 黒衣だけを身にまとい常に祈りの中にある後宮の烏は、ともすれば忘れてしまいがちな人間にとっての死、その尊厳を扱うエキスパートである。
 寿雪は不思議な力で霊を祓うだけでなく、死にまつわる感情を適切に敬い、扱う一般的な学識にこそ長けているわけだ。
 それもまた、先代から教えられ育んだ、彼女の宝なのだろう。
 それが一人の少女の不幸な一生に共に涙し、争乱の火種、不和と誤解の種を事前に摘み取る結末を導いたのは、なんとも嬉しい。

 

 

画像は”後宮の烏”第13話から引用

 しかしままならぬ皇帝の在り方も、それより遥かに古い時代から継がれた冬の王の境遇も、烏妃の心魂を檻として現世に囚われた烏漣娘娘の定めも、決着を見たわけではない。
 寿雪の周りに豊かに広がる、人としての縁。
 それは冬宮にはけして咲かぬ花のかわりに……あるいはそれよりも豊かに彼女の人生を彩り、運命の厳しい寒さを和らげてくれる。
 そんな風に人が集うのは、寿雪がとても賢く強く、優しい少女だからだ。
 そんな人間としての徳が果たして、捻くれた歴史を正し、あるべきものをあるべき場所へ返す大事を成し遂げる、大きな助けとなりうるのか。
 烏漣娘娘を体内に宿し、その夢を新月の夜に舞う寿雪が見つめるのは、自分が自分になる日だ。
 それはあまりに優しすぎる少女が宿命の檻を飛び越え、人間としての幸せに戻る日の夢であり、牡丹の香気に狂わされた古い神が呪いを越えて、自身あるべき水底へ戻っていく祈りでもあろう。

 寿雪の夢と、烏漣娘娘の願いは重なっている。
 しかしそれは複雑に折れ曲がった歴史に押しつぶされて、このままではけして叶わない。
 ここで高峻を苦しめる重したる皇帝の重責が、過ちを率直に正しうる王者の特権として、別の顔を持ち始める。
 様々な欺瞞と誤解、不正な簒奪によって成り立っている現世のあり方を正すことが出来るのは、皇帝である高峻の特権であり、また責務でもある。
 複雑な宮廷力学に思い悩み、人間として当たり前の弔意で鵲妃を送ってもやれぬ身の上を嘆いていた高峻こそが、寿雪を捉えた因習の檻を壊し、新たな世を作れる立場にあるのだ。
 ここら辺、前王朝追放令を大胆に撤回し、寿雪を追い詰める法の剣を取り除いたかつての決断と、響き合う感じがある。

 物語の行く末を語り切るには余白が足りず、相思いあう寿雪と高峻の未来がどうなっていくか、結末はアニメでは知り得ない。
 大変惜しくもあるが、しかし若い二人がその誠実故に苦しめられながら、生と死の、歴史と神話の狭間を颯爽と駆け抜け運命を切り開いていくこと……その先に確かな人の幸せがあることを、信じられる終わり方になった。
 大変良かったです。

 

 正直アニメだけで完結するにはあまりに壮大な歴史ファンタジーであり、色々不親切に思えるところもあったが、自分としては大変楽しめた。
 これまで蓄積した知識やら興味やらと繋ぎ合わせながら、宮廷という檻、現世の苦しさにしっかり目を向けながらも、人として……人を半ば超えたものとしての責務と祈りに誠実に向き合い、運命を切り開いていくお話を堪能することが出来た。
 ある意味仏教説話というか高僧譚というか、生前の無念にとらわれて動けぬ幽鬼と、それ以上に自分自身を縛り付ける生者の不自由を、常人の知りえぬ真理、徒人の忘れている条理を体現する寿雪が正しく導き、祓っていく喪の物語として、アニメではなかなか得れないタイプの満足があった。

 そういう涼やかな正しさだけでなく、年頃の少女としてのチャーミングさも沢山堪能させてくれて、寿雪のことが好きになれるアニメだったのも大変良かった。
 そういう子が宿命に捕らわれつつ、なお人としての幸せを求めて小さくもがく歩みに、色んな人が手を添えてくれる所が好きだ。
 その筆頭たる高峻が、いかにも涼やかな男ぶり、皇帝をやり切るには優しすぎる心根でもって、常にそっと寄り添ってくれてたのも良い。
 恋とも共感とも慈愛とも、なんとも名前がつかずだからこそ特別な関係性が、柔らかく見守られていたのも、ロマンスとして独特の手触りで良かった。
 大変面白かったです、ありがとう、お疲れ様!